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八男って、それはないでしょう!  作者:Y.A
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第百十一話 接待旅行。

 マハゼは、スズキ目ハゼ科に分類されるハゼの一種で、東アジアの内湾や汽水域に生息する魚だ。
 日本では北海道以南に、他にも中国、オーストラリア、アメリカにも生息し、ハゼ、カジカ、クズ、デキハゼ、ヒネハゼ、ケタハゼ、カマゴツ、ゴズ、クソハゼとその地方や大きさなどによって様々な呼び方をされる。

 手軽な釣りの対象魚として、ハゼ釣りは江戸時代から庶民の娯楽として存在していた。
 食用としてもポピュラーであり、天ぷら、唐揚げ、刺身、吸い物の椀種、煮付け、甘露煮など色々な料理で食べられる。

 江戸前の天ぷらネタとしては最上のものとして知られ、下町の某高級天ぷら店では八千円以上のコースを頼まないとハゼの天ぷらは出てこない。

 仙台など一部の地方では、ハゼの焼き干しは伝統的な雑煮の出汁として、なくてはならないものだ。

 と、なぜ俺がここまで詳しく説明するのかと言えば……。

「バウマイスター伯爵、ここはサイズも数も出るポイントでな。マズメの時間には入れ食いになる事も多い。ミズホ伯国もとい、ミズホ公爵家専用の釣り場なのだよ」

 内戦終了後、俺達はミズホ上級伯爵もとい、ミズホ公爵から接待を受けていた。




 そこは、ミズホ伯国がフィリップ公爵家から漁の許可を得た海に繋がる川の河口であった。
 アユ、ウナギ、ナマズ、アカメ、ハゼ、アナゴ、シロギスなどの魚影が濃く、ミズホ家の人達と、当主に認められた家臣やその家族のみが、投網、釣り、その他の漁を許され、それを調理して楽しむ。
 あとは、ミズホ家にとって重要な客を接待する場にも利用されるそうだ。

「夏はデキハゼ、今の時期は海に落ちる前の大きなハゼが釣れるのだ」

 ミズホ人にとって、ハゼ釣りは領主から庶民までもがおこなう人気の趣味であった。

「極限鋼の流通をヘルムート王国に握られてしまった以上は、何とか購入可能なようにバウマイスター伯爵のご機嫌を取らないとな」

「随分と正直に言いますね」

「それに気がつかない者も少なかろうて。内乱中は大変であったから、単純に息抜きでもあるしな」

 そんな理由で、俺達はミズホ公爵から接待を受けていた。
 河口の岸にある、簡素な仕掛けを投入するとハゼがよく釣れる場所の傍に純ミズホ風の家屋が建ち、しかも屋内の窓から冬の寒さを気にしないでハゼが釣れるのだ。
 釣れたハゼは、すぐにミズホ家お抱えの料理人によって、刺身、から揚げ、天ぷら、煮付け、吸い物に調理されてお酒と共に出される。

 お酒も、ハゼを焼き干しにした物をお燗したハゼ酒であり、美味しさのみならず風流も楽しめる仕組みになっていた。
 元日本人である俺にとっては、大変に嬉しい接待の内容だ。

 向こうは、そんな事は知らないけど……。

「釣れた、釣れた。おおっ! これは新記録か?」

 この世界にも、リール竿が存在している。
 王国にも存在するのだが、ミズホ伯国製のものは現代日本のリール竿に似ていて使いやすい。
 魚好き民族なのでよく釣れる仕掛けの研究も盛んで、天秤仕掛けや針なども日本のものによく似ている。

「糸も、細くて頑丈ですね」

 二十センチを超えるハゼが釣れたのだが、ラインは極細なのにまったく切れる心配はないようだ。

「マダラ大クモという、魔物の領域に住んでいるクモの糸を特殊加工しておってな。プロの漁師にも重宝されておるよ」

「王国でも需要がありそうですね」

「早速、王国貴族からの引き合いもあってな。講和条約様様だな」

 ミズホ公爵家は帝国の貴族に組み込まれたが、やはり生粋の帝国貴族ではない。
 ペーターは何とか一体感を演出しようとしているが、王国政府と王国貴族で独自にミズホ公爵家と縁を結ぼうとする動きがあるそうだ。

 王国政府のは、俺がそうするように陛下に進言したからだけど。

「交易が盛んになって我がミズホ家が儲かるのは万々歳だが、バウマイスター伯爵も意外と策士だな」

「そうですか?」

「ああ、ヘルムート王国は帝国の内乱に乗じて兵は出さなかったが、経済的には侵略を開始したともいえるからの」

 現在の帝国は、内乱のせいで生産力と流通にダメージを受けている。 
 それに乗じるというか、王国の産品が徐々に輸入されるようになっているそうだ。
 しかし、さすがは商人。
 儲け話には敏感で、そのためなら国境を越えるくらいは厭わないようだ。

「まあ、うちは貿易黒字なので上手くやっているがね。中央政府は大変だと思うよ」

 統治体制を固めようと必死のようだが、早速小規模の反乱が発生したそうだ。

「マールバッハ子爵が、改易された貴族やその家臣達と共に反乱を起こしたようだな。彼は領地を削られて不満があったそうだし。まあ、わずか一週間で鎮圧されて首を曝されたそうだが」

 帝国軍の最高司令官になったギルベルトさんが、速攻で戦力を送り出して鎮圧してしまったそうだ。
 あの人は有能な軍人なので当然とも言える。

「帝国が落ち着くまでには時間がかかるというわけだ」

「ペーターは大変だな」

「バウマイスター伯爵達が来るから一緒に招待したのだが、多忙なようで断られてしまった。『残念、無念』と言っておったぞ」

 あとは、アルフレッドも忙し過ぎてミズホ家の接待に来ていなかった。

「テレーゼ殿も来ないか」

「遠慮しているのですよ」

 自分はもうフィリップ公爵家の人間ではないし、帝国で政治的な仕事をするつもりもない。
 それを世間に知らしめるために帝国を出たのに、いくら遊びでもすぐに帝国領内に戻るのはよくないと俺に言っていた。

「何でも、自分が出席すると沢山の帝国貴族がこの席に出たいとミズホ公爵の元に押しかけるであろうと。迷惑はかけられないそうです」

「それはあるの。テレーゼ殿はバウマイスター伯爵領で息災のようだし、それでいいのかもな」

 あまり政治的な話ばかりしていてもしょうがないので、というか深く関わり過ぎるのも問題なので、俺は釣りに没頭する。

「エル、釣れたか?」

「そこそこの大きさだな。このハゼのから揚げ美味いな」

 エルは、自分で釣ったハゼをから揚げにしてもらい、とても満足そうだ。

「あの……エルさん」

「ああ、餌ね。こいつ、ヌルヌルしてるな」

 ハルカは、餌の活きイソメが苦手のようだ。
 エルに申し訳なさそうに頼み、餌を針に付けてもらっていた。

「ハルカさんにも苦手なものがあったんだね」

「私、子供の頃からこのヌルヌルが苦手でして……」

「確かに、苦手な人はいるかもな」

 エルが、活き餌が苦手なハルカのために餌をつけてあげ、二人で仲良く釣りをしている。
 その光景は、まさにリア充のカップルそのものであった。

 いまだにボッチ属性が抜け切らない俺の、心の中に住む嫉妬の鬼が、俺の心をざわつかせるのだ。

「エルさん、釣れました」

「これは大きいな。早速天ぷらに揚げてもらおうぜ」

 エルが釣ったハゼを世話係の女性に渡すと、それを初老でいかにもプロの調理人が隙のない動作でハゼを捌き、衣をつけて、天ぷらを揚げていく。
 暫く鍋を見つめ、迷いのない動作で揚がった天ぷらを引き揚げてから、素早く油を切る。

 その熟練の技から、俺は目を離せないでいた。
 そして、揚がったハゼの天ぷらが皿に乗って二人の前に差し出される。

「エルさん、天つゆで食べますか? それともお塩で?」

「最初だから、塩がいいな」

「わかりました。はい、あーーーんしてください」

「あーーーん、美味しいな。ハルカさんが食べさせてくれると余計に美味しい」

「そんな事はないですよ」

 エルに褒められて、顔を赤く染めるハルカ。
 正直、見ているだけで『あーーー!』と叫びたくなる光景だ。

 というか、お前らはあの熟練の技を持つ天ぷら職人に対して敬意とか尊敬の念とかを抱かないのか?
 俺はそれがおかしいと思うのだ。
 決して、羨ましいとか思っているわけではない。

「若いな。ワシも若い頃は妻にやって貰った事がある」

「そうなんですか?」

 正直に告白すると、前世や結婚する前の俺にはそんな経験はない。
 というか、いくら若い頃でもミズホ公爵には似合わないと思う。
 言うと失礼になるから口には出さないけど。

「こういう時のための、タケオミさんなのに……」

 あの妹ラブのシスコンサムライがいれば、二人の不謹慎な行為など阻止、断罪してくれるというのに、なぜか今日はいなかった。

「タケオミなら、フジバヤシ家の連中に吊し上げを食らって、今日は欠席だな」

「あの人、何をしたんです?」

「バウマイスター伯爵家と、ミズホ公爵家との融和を邪魔しているな」

 フジバヤシ家は、ハルカとタケオミさんによる内乱の戦功と、俺達の護衛任務成功で家禄がかなり上がった。
 末端とはいえ、上士の仲間入りをしたそうだ。

「その功績の中にハルカとエルヴィンの婚姻もあるのに、次期当主が自らそれを邪魔すれば怒られて当然であろう」

 現当主である父、隠居した前当主の祖父、他ほぼ全ての家族から叱られたらしい。

「『せっかく仲もいいのに、お前が邪魔をしてどうするんだ!』と叱責されたそうだが、誰でもそう言うと思うぞ」

 そんなわけで、彼は上士の仲間入りをしたので参加できるはずの今回の釣行を欠席させられたそうだ。

「(ちっ! 使えない兄だな。それにしても、エルの分際で……)」

 俺の心の中に住む嫉妬の魔獣が、徐々に大きくなっていく。
 昔を思い出し、『リア充なんて爆発して死ねばいいのに』と思ってしまうのだ。

 あとは、天ぷら職人への冒涜もある。
 そう、これこそが一番大切なのだ。

 もう一度言う、決して嫉妬などではない。

「あなた、私も天ぷらの作り方を習って実際に作ってみました」

 俺の心にある闇の広がりを察してか?
 エリーゼが、自作した天ぷらを皿に載せて持ってくる。

 さすがは、俺の奥さん。
 俺が、ニュルンベルク公爵並の心の闇に包まれ、功臣粛清の遠因となるものを防いでくれた。

「へえ、上手に揚がっているな」

「天ぷらって、難しいですね」

 確かに、天ぷらを極めようとすると難しい。
 ネタの細工から、衣の作り方、揚げ方などで細心の注意を払わないといけないからだ。

「揚げている最中に、油の音の変化を聞き分けるのは難しいです」

「物凄くレベルが高いなぁ……」

 初めて天ぷらを自分で揚げているのに、プロの職人のような事を言うエリーゼ。
 彼女の完璧超人伝説に、もう一つエピソードが加わった。

「油の切り方とか、まともに修行すると時間がかかるみたいだね。では、早速いただきます」

 エリーゼが作った天ぷらを食べる。
 サックリ揚がっていて、中の身はほっこりとしている。
 某グルメ漫画のような感想になってしまったが、とても美味しい。
 やはり天ぷらは、最初、塩で食べるべきだなと確信する。

「美味しい、さすがはエリーゼだな」

「よかった、これでバウマイスター伯爵領でもいつでも作れます」

 そう言ってニッコリとほほ笑むエリーゼを見て、俺は勝利を確信した。

「ヴェル、天ぷらを食べて何を勝ち誇ったような顔をしているんだ?」

 エルが不思議そうな顔をしていたが、エリーゼに感謝するといい。
 お前は、そのリア充ぶりのせいで将来俺に粛清されるかもしれないところを、そのフラグがへし折れたのだから。

「何かよくわからんな。ところで、イーナ達は?」

「はい、私と一緒に天ぷらを揚げています」

 エリーゼの視線の先では、なぜかイーナとルイーゼが大量の天ぷらを揚げていた。

「これだけ揚げると、エリーゼレベルとまではいかないけど上達したわね」

「ボクも、職人さんに及第点を貰えたよ」

「なあ、なぜ二人はそこまで懸命に天ぷらを揚げるんだ?」

 店でも開くのかというほど天ぷらを揚げるのに没頭しているイーナとルイーゼに、俺は近づいて聞いてみる。

「全然足りないのよ」

「揚げても、揚げても、キリがないんだ」

 二人が懸命に天ぷらを揚げている原因、それは導師とヴィルマのせいであった。
 窓の端のエリアにはブラックホールが存在し、そこではどんな食べ物や飲み物もすぐに無くなってしまうのだ。

「某が思うに、このハゼという魚はとても美味しいのであるが、せめて一メートルくらいのものが釣れてくれれば、もっと素晴らしいのである」

「本当、食べれば食べるほどお腹が空く」

「いや……、そんなに大きなハゼはいませんから……」

 少なくとも、マハゼではあり得ない。
 二十センチを超えていれば大物なのだから。

「ならば、数を釣るしかあるまいて」

「もっと食べたいから釣る」

 大きなハゼがいない事を導師とヴィルマは残念がっていたが、二人は根がポジティブなので、すぐに沢山釣ればいいと考えを切り替えた。
 二人は釣ったハゼをイーナとルイーゼに渡し、天ぷらとして揚がってきたそれを奪い合うように食べる。
 時おり、導師がハゼ酒を、ヴィルマはお茶と煮付け、甘露煮なども食べながら釣りに没頭していた。

「釣れた」

「ヴィルマは上手いな」

 さすがは、狩猟と漁を生業と趣味にしている少女。
 名人レベルの速度でハゼを釣っていく。
 そして、釣れたハゼはすぐに調理され、その胃袋に収まっていた。

「この近辺のハゼ、全滅するんじゃないか?」

「他に釣っている人もいないし、大丈夫だろう」

 エルが心配するほどのスピードで、ハゼは導師とヴィルマによって食べられていく。
 だが、この川はミズホ家専用の河川だ。
 そう簡単に、絶滅などはしないであろう。

「釣れたけど、見た事ない魚……」

「ああ、シロギスですね。これも天ぷらにすると美味しいですよ」

 ヴィルマに、給仕役の若い女性が魚の種類を教える。
 ポイントが河口であったために、外道でシロギスが釣れたというわけだ。
 これも、江戸前では天ぷらネタとして有名だ。

 王国沿岸には生息しておらず、帝国北方でしか獲れないようだ。
 俺は、王国では見た事がない。

「ヴェル様、味見」

「これも美味しいな」

 ヴィルマは無口なので『あーーーん』してとは言わないが、彼女から揚げたてのシロギス天ぷらを食べさせてもらう。
 これも、白身で美味しい天ぷらネタなので予想どおりに美味しかった。

「某も、食べたいのである」

 それを見た導師が、自分もシロギスを食べたいと子供のように我儘を言う。

「外道だし、そうは釣れない」

「うぬぬぬぅーーー! 釣りで一番大切なのは、釣りたいと願う気持ちである!」

 導師がいかにもそれっぽい事を言うが、要は食い意地が張っていて自分もシロギスを食べたいだけにしか聞こえない。
 しかし、導師は釣りはあまり上手くないようだ。
 小さな針にチマチマと餌をつけるのが苦手なようで、どうしても手返しでヴィルマに負けてしまう。

「ポイントの取り方、アタリが出た時の合わせ方も……。導師、下手ですね……」

「見えない獲物は苦手なのである……」

 そのせいで、導師はヴィルマの五分の一も釣れていなかった。 

「と、ここでヒキが! なのである! これは大きいのである!」

 導師の持つ竿が大きくしなり、素早くリールを巻くと獲物があがってきた。
 だが、獲物はハゼではなかった。

「フグ?」

「河口だからかな?」

 導師の仕掛けには、フグがぷくっと膨れてかかっていた。

「ええと、これは『川フグ』と言いまして、外道です……」

 世話係の女性が、導師に申し訳なさそうに言う。

「食べられるのであろう? 前にフグは食べたのである」

「種類が違いまして……。河口でもよく釣れるのですが、毒だらけで食べる部位がありません」

「無念……」

 フグが食べられないと知って、導師がえらく落ち込んでしまう。

「釣れた」

「早いのである」

 導師がそんな事をやっている内に、ヴィルマはどんどんと釣果を重ねていく。

「でも、なかなか余らない。焼き干しにして持って帰りたいのに……」

 いくら釣れてもヴィルマが全て食べてしまうので、ハゼを持ち帰れる可能性は低いようだ。

「ええと、帰りに買って帰ればいいと思うよ」

「さすがは、ヴェル様。いい解決策」

「……」

 それって、褒められるほど凄い意見なのだろうか?
 誰にでも思いつきそうな気がするが……。

「あとは、カタリーナは……」

 最後にカタリーナの姿を探すと、彼女はフィリーネと共に真剣な表情で釣りに及んでいた。
 今回フィリーネを連れて来たのは、内乱中に彼女の面倒を直接見てあげられなかったからである。
 それと、父親であるブライヒレーダー辺境伯との面会はまだ行っていない。
 大物貴族はみんな忙しいので、こういう離れていた親子の感動の面会ですら、事前にスケジュールを調整しないといけないのだ。

 結果的にフィリーネは隠し子という身分になっているので、話を持っていく時にもなるべく周囲にバレないように慎重にしないといけない。
 というわけで、現在ローデリヒが密かに交渉を行っている最中であった。

 大物貴族ともなると、定期的に隠し子関連のトラブルが発生する。
 何とか利益を得ようと詐欺紛いの連中も多く、俺達からの報告でもブライヒレーダー辺境伯家で慎重に協議を重ねているという理由もあると思う。

「繊細なアタリをわかりやすく感じるため、糸の周囲に外の風が当たらないように『魔法障壁』を張りましたわ」

「うわぁ、さすがはカタリーナ様ですね」

「これで、私が一番釣れる事は確実ですわ」

 遊びでハゼ釣りをしているのに、なぜか一人だけ引くほど真剣にやっているカタリーナ。
 一緒にいるフィリーネは、カタリーナの魔法に感心していた。
 地味な魔法のために肉眼での確認は非常に難しいのだが、それでも魔法が使えないフィリーネからすると物珍しいようだ。

「なぜそこまで勝負に拘るのかわからん」

「ヴェンデリンさん、遊びは真剣にやってこそ面白いのですわ」

 堂々と俺に向かってらしい正論を吐くカタリーナであったが、それでも勝負の世界は甘くなかった。
 実は彼女、あまり釣りの経験はないようだ。

「ええと……、言うほど釣れてないけど……」

 俺の釣果と、あまり大差はないように見える。
 これなら、ヴィルマの方が圧倒的に釣っているはずだ。

「……。大物でしたら、私の圧倒的な勝利ですわ」

 と言いながら、釣ったハゼの中から一番大きなものを俺に見せる。

「バウマイスター伯爵様、カタリーナ様の釣ったハゼは大きいんですよ」

 フィリーネの言うとおりで、確かに一番大きいのは二十七センチほどある。
 そう滅多には釣れない大物であった。

「デカっ!」

「大物では私の勝ちですわね」

 勝利を確信して胸を張るカタリーナであったが、その天下はわずかな時間で終了した。

「ヴィルマ嬢よ、それは大きいのであるな!」

「天ぷらにすると食べ応えあると思う」

 ヴィルマが三十センチ近いオバケハゼを釣りあげ、その周囲に多くの人が集まっていた。
 カタリーナの三分天下は、明智光秀も真っ青なほどの短さだ。

「ヴィルマは、物心ついた頃から釣りもしていたようだし……」

 自分の食い扶持を稼ぐために、小さい頃は狩猟に出られないので川で魚を釣って食い扶持を確保していたそうだ。
 仕掛けを結ぶのも速いし、その腕前も名人クラスだと、同伴しているミズホ家の世話係の人達が認めているほどなのだから。

「凄いですな、ヴィルマ様」

「ワシは、三十年前にそれよりももう少し小さいのを釣りましたが、それでも当時はお館様に羨ましがられましたぞ」

 お客の世話をしたり、釣りを教える仕事をしている世話係の老人達が、ヴィルマの腕前と釣ったハゼの大きさを称賛していた。
 彼らもハゼ釣りが趣味なようで、純粋にヴィルマが羨ましいようだ。

 物差しなどで、釣れたハゼの長さを計って盛り上がっている。

「このサイズでも、年に数匹あがるかどうかみたいだぞ」

 ここでカタリーナがヘソを曲げると困るので、俺はフォローを入れておく。
 別に、カタリーナがヴィルマに隔意があるわけではないが、彼女は勝負になると周りが見えなくなる事があるし。

「……」

「カタリーナ?」

「ならば、私は明日の朝、マズメの時間にこれよりも大きなハゼを釣りましょう! そう、この川のハゼのボスを釣り上げるくらいの覚悟で!」

「この川に、ハゼのボスなんているのか?」

 そんな話は聞いた事がない。

「ヴェンデリンさん、魔物の領域には必ずいるではないですか。きっと、この川にも人知れずいると、私は思うのです!」

「(いるわけないだろうに……)」

 某釣り漫画でもあるまいし、ここは普通の川で魔物の領域でもないし。
 俺は、カタリーナの言い分にただ呆れるばかりであった。




「暗い、寒い、まだ日が昇る気配もない」

 そして次の日の早朝、マズメの時間と言われる時刻。
 季節は冬なので、まだ日が昇る気配もない。
 そんな中、俺、導師、カタリーナ、ヴィルマ、フィリーネの五名は、宿泊したゲストハウスから少し離れた川の河口にいた。

「バウマイスター伯爵様、このポイントですだ」

「ここか……」

 昨晩は、『ハゼのボスなんているか!』と思った俺であったが、実は存在すると、普段川を管理している老人に言われ、俺も急遽参加する事にしたのだ。

 なぜって?
 釣り漫画のような展開で面白かったからだ。

「ハゼは一年から二年で死んでしまうんですが、そのボスハゼは何十年、何百年も生きているって噂でさぁ。ワシの爺さんも見た事があるって言うておりました」

 彼の家は、ミズホ公爵家専用の釣り場であるこの川を普段から管理している一族である。
 毎日密漁者対策で川を見回りしているそうだが、何回か川底に見える全長二メートルほどの巨大ハゼを見た事があるという。

「二メートルは凄いな」

 ハゼは産卵をすると死んでしまうので、それを放棄して成長、生き続ける個体か。
 何か、段々と話が盛り上がってきたような気がする。

「でも、二メートルのハゼだと昨日の仕掛けでは通用しないか」

「そう思って、準備しておいた」

 さすがは、釣りでは妥協しない女、別名『釣りガールヴィルマ』。
 昨日の内に、世話役の老人に頼んで仕掛けを準備していたようだ。

「しかし、なぜヴィルマが準備を? ボスを釣るって言っていたのはカタリーナだったような……」

「私、今まで魚は魔法でしか獲った事がないのです。そこで、ライバルであるヴィルマさんに頼みましたわ」

「おい……」

 物は言いようである。
 釣りの勝負なのに、超初心者が超ベテランをライバルだと言い張れるのだから。

「つまり、カタリーナ嬢はビギナーズラックを狙っているのであるか。ならば、某にもチャンスがあるのである」

「導師様、私も大物釣りたいです」

 導師とフィリーネも竿を取り、ボス釣りに参加を表明する。
 今回、エリーゼ、イーナ、ルイーゼ、ハルカは不参加であった。

『何か釣れたら、朝食用に調理しますね』

 エリーゼ達は、もう少し遅く起きてから朝食の準備をするそうだ。
 メニューは、俺達の釣果にかかっている。

「ゴツイ仕掛けですね、ヴィルマ様」

「このくらいじゃないと、ボスがかかると対処できないから」

 磯竿のようにゴツイ竿、デカいリール、昨日使ったマダラ大クモの糸を六本もより合わせてから特殊な加工をしたライン、重いオモリ、大きな針と。
 これなら、ちっとやそっとの大物でもバラす心配はないであろう。

「餌は?」

「これ」

 ヴィルマが差し出したバケツの中には、小さな蛇に見える大ミミズが入っていた。

「このくらい大きくないと、大物が食わない」

「ハルカは連れてこなくて正解だな」

 普通のイソメでも駄目なのに、こんな化け物ミミズを見たら卒倒するかもしれない。
 そして、エルがそれを介抱する……そんなリア充の光景など、ボス釣りのロマンには不要なのだ。

「針を隠すようにつけてから、仕掛けを狙ったポイントに投入する」

 大きな針に大ミミズをつけたヴィルマは、ゴツイ竿を軽く振って狙いのポイントに仕掛けを下ろす。
 狙い通りのポイントに投げられたようで、やはり彼女はイカス(死語)釣りガールであった。

「餌が底に沈むのを待ってから、糸フケを取ってアタリを待つ」

「誘いは必要ないのか?」

「水の中でミミズが暴れるから必要ない」

 なるほど、これほどのお化けミミズだ。
 さぞや暴れて、魚の興味を引くのであろう。

「そして、待ちながら甘酒を飲む」

「ヴィルマ様、甘酒が美味しいですね」

「これも寒い時期の釣りの楽しみ」

 最後のはいらないような気もするが、今は冬の早朝なので寒い。
 世話役の老人が甘酒を温めていて、みんなに配ってくれる。
 空腹に、温かくて甘い甘酒は最高であった。

「じゃあ、俺達も始めるか」

 ヴィルマの見本に従って、俺達も餌をつけてから仕掛けを投入する。

「(『きゃあーーー、ミミズ怖い』とか言う女子はいないね……)」

「ヴェンデリンさん、何かおっしゃいましたか?」

「ううん、何も」

 いたらいたでムカっとするのかもしれないが、一人もいないというか、唯一いたのがエルの嫁という時点で少しモヤっとした。
 カタリーナも、平気な顔をして針にミミズを付けている。

「狙った場所に仕掛けを投げ入れるのは難しいな」

 大きな竿に慣れず、なかなか思った所に仕掛けを投入できないが、多少ズレていても何とかなるであろう。

「最後に、某が絶妙なポイントに投入するのである。ふんぬ!」

 などと言っていた癖に、導師は川の向こう岸まで仕掛けを飛ばしてしまう。
 釣りなのだから、最低限水の中に仕掛けを入れないと意味がないのに。

「導師……」

「仕掛けが切れていないか心配」

「私よりも下手ですわね……」

 つい冷たい視線で見てしまう俺達であったが、唯一の例外がいた。

「導師様、凄い力ですね」

「であろう? やはりフィリーネはわかっているのである」

 なぜか、フィリーネだけが目を輝かせて喜んでいた。 
 導師も褒められて満更でもないようで、この二人、血は繋がっていないがまるで親子のように息が合う。

「次は、もう少し力を抑えて投げるのである」

 幸い、木の枝などには引っかかっていなかったようで、導師はリールを巻いて仕掛けを回収していた。
 すると、突然物凄いヒキが導師を襲う。

「何か釣れたのである!」

「凄いです、導師様」

 導師のファーストヒットにフィリーネも喜んでいるが、何かがおかしい。
 地面で引いている仕掛けに、魚がかかるわけがないからだ。

「明らかに魚ではありませんわよね?」

「水の中じゃないから当然」

「何が釣れたかは、仕掛けを巻いてみればいいのである」

 物凄いヒキのようだが、導師のパワーにかかれば特に問題もないようだ。
 ゴリゴリと音を立てながら止まる事なく仕掛けが巻かれていき、俺達の視界にようやく獲物の姿が見える。

「猪?」

 掛かっていたのは、少し小さめの猪であった。

「何で、猪が?」

「この辺の猪は、この大ミミズが好物なんでさぁ」

 世話役の老人が説明を始める。

「大ミミズが生息するこの近辺は猪の猟場でもありまして、猪はよく地面を掘って大ミミズを探しているんでさぁ」

 猪狩りに来た猟師は大ミミズがいそうなポイントを探るし、成果が芳しくない時には大ミミズを掘って釣り具屋に売りに行くそうだ。

「猪が獲れない時でも、お小遣い程度にはなりますので」

「へえ、そうなんだ」

 そんな話をしている内に、憐れな猪は導師によって向こう岸から川の中に引き摺り込まれ、段々とこちらに引き寄せられていく。
 よく見ると、その口に針が刺さっていた。

 外れるのかと思ったが、思ったよりも深く突き刺さって抜けないらしい。

 導師の傍まで引き寄せられた猪は、彼に一撃で殴り殺されてその命を終える。
 憐れな猪は、すぐに近くの木にロープで吊るされて血を抜かれていた。

「某が、一番最初に釣ったのである」

「導師様、凄いです」

「明らかに釣りの成果じゃないですし、本来の目的は巨大ハゼなんですけど……」

 釣りに来て猪を釣るなんて奇跡を起こせるのは、間違いなく導師だけであろう。
 カタリーナとヴィルマも俺と同じ意見のようだが、なぜかフィリーネだけは一人導師を褒めている。

「アタリが来ましたわ!」

 釣りを再開した直後、本当の意味での最初の釣果はカタリーナが獲得した。

「巨大ハゼではないと思いますが……」

 カタリーナも暫くリールを巻いて奮闘していたが、あがった獲物はスズキによく似た魚……いやどう見てもスズキであった。

「いいサイズの『シロ』ですな」

 世話役の老人が、タモで八十センチほどのスズキを掬う。
 この世界では、スズキではなくシロが正式名称のようだ。

「洗い、煮魚、焼き魚、揚げものなど。何にでも料理できる白身の魚なのでシロという名前だとか」

「一つ勉強になったな」

 世話役の老人から豆知識を得てから、俺達は更に釣りを続行する。
 その間に、彼は猪の解体を行い、カタリーナが釣ったシロを締めてから血を抜き、内臓とエラを取る作業を熟練の技で行っていた。

「おっ! 釣れたぞ!」

「バウマイスター伯爵様、私も釣れました」

「某も釣れたのである」

 マズメの時間なので、アタリは多い。
 全て大型のシロであったが、大物ばかり釣れるので意外と面白い。
 これだけ釣れれば、エリーゼ達へのお土産も十分であろう。

「これは大物」

 ヴィルマは一メートルを超えるシロを連続して釣って、その腕前のよさを証明した。
 これだけ大きい魚なのでヒキも凄いが、怪力のヴィルマはラインの強さも利用してゴボウ抜きにしてしまう。

「大漁で、ご案内した甲斐がありますなぁ」

 釣れた魚を締めながら、世話役の老人が安堵した表情を浮かべる。
 事前にミズホ公爵から、俺達が大切な客だと言われていたのであろう。

「お化けハゼは釣れていないけど、まあしょうがないか」

 警戒心が強いからこそ、今まで釣れていなかったのだ。
 昨日今日で、そう簡単に釣れるものでもないのであろう。

「お化けハゼは、この川にいてこそのボスなのだと思いますわ」

 最初に自分が釣りたいと言った癖に、カタリーナは大物のシロを釣ると満足してしまったようだ。
 負け惜しみなのか、悟ってしまったのかよくわからないが、釣り漫画でヌシがいるポイント近くに住む住民のような事を言っている。

「結構釣れたし、朝飯でこれを塩焼きにしようぜ」

「美味しそうですね、導師様」

「うむ、楽しみなのである」

 こちらも、大物が釣れて満足したのであろう。
 導師は、素直に仕掛けを巻いて帰る準備を始める。
 フィリーネも、導師と一緒に釣竿の片付けを始めた。

「じゃあ、そろそろ終わりにする」

 ヴィルマも仕掛けを巻いて回収し始めた時、唯一釣りを続けていたカタリーナの竿にアタリがくる。
 だが、それほどの大物というわけでもないようだ。

「三十センチくらいのシロですわ」

 抵抗もあまりないようで、カタリーナはリールを巻いて簡単に魚を水面まで手繰り寄せた。

「そのくらいですと、我らは『シロコ』って呼ぶんでさぁ」

 スズキと同じく、成長の度合いに応じて呼び方が変わるようだ。
 ただ、スズキのようにいくつも呼び方が分かれてはいない。
 三十センチ以下のものをシロコと呼ぶだけだそうだ。

「このくらいのサイズですと、リリースですわね」

 魚の鼻を水面の上に出しながら、カタリーナが余裕でリールを巻いていた。
 あとは、一旦取り込んでから針を外して放流するだけだとみんなが思ったその時、突然水底から巨大な影が現れ、カタリーナが釣った小さなシロを呑み込む。

「バウマイスター伯爵様、物凄く大きな魚が釣れましたよ」

「凄い、ツキがイマイチのカタリーナが奇跡を起こした」

 フィリーネは大喜びで、ヴィルマは何気に酷い事を言っている。

 大きな魚は瞬時に小さなシロコを呑み込み、そのまま水底へと泳いでいく。
 運よく小さなシロコに掛かっていたハリがそのまま大きな魚にも掛かり、カタリーナは川に引き込まれるかのようなヒキに襲われた。

「ヴェンデリンさん! やりましたわよ!」

「偶然とはいえ、凄いな」

 釣って取り込み中の小さな魚を食べようとして、本命の大魚がかかった。
 今日ばかりは、カタリーナの運が勝ったというわけだ。

「頑張って取り込むんだ」

「えっ? 手伝ってくれないのですか?」

「あれ? 自分一人で釣らないと意味がないのでは?」

 私が釣ったと自慢するためには、自分一人で最後まで取り込まないと意味がない。
 それに、カタリーナには魔法があるのだ。
 何とかどころか、十分に一人で釣れるはずだ。

「『身体強化』があるじゃないか」

「私、風の系統が得意なので、機動力を上げる魔法しか習得しておりませんので」

「系統は関係ないだろうが……」

 火はパワーで、風はスピードとか、『身体強化』に系統なんて関係ない。
 ただ、カタリーナが習得できなかっただけだ。
 まあ、彼女は後方で魔法を放つ戦法を行使するので、無理に導師のような『身体強化』を使う必要はないのだが。

「ヴェンデリンさん、急いでくれないと私が川に引き込まれるのですが……」

「凄いパワーだな」

 たかがハゼとはいえ、さすがに全長ニメートルを超えているとパワーも凄いようだ。
 カタリーナが川の方に引き摺り込まれそうになり、リールからもラインが出っ放しである。

 俺は急ぎ、自分に『身体強化』をかけてカタリーナから竿を受け取る。

「本当にいるとなれば、この川のボス。釣らせて貰うぜ!」

 ただし、俺の釣りの腕前も素人も毛が生えた程度であった。
 魔法で強化したパワーを使って、リールを強引にゴリゴリと巻いていくだけだ。

 それでも、針が掛かった場所が良かったのか、バレる事なく獲物を引き揚げる事に成功した。

「デカっ!」

 日本どころか地球上でもあり得ない、全長二メートルを超えるハゼは実在した。
 したのだが……。

「若干グロイな……」

「そうですわね……」

 せっかくの大物が釣れたのだが、なぜかあまり感動しない。
 一日目で釣れてしまったからなのか?
 よく見ると、物凄く怖い顔をしているからなのか?

 いや、普通のマハゼだって、よく見ると口がギザギザだったりして意外と怖いのだ。
 それが二メートルもあれば、怖くて当たり前か……。

「噛まれたら怪我をしそう」

 相手は、三十センチ近い魚を丸のみするような奴だ。
 口のギザギザも鋭いし、ヴィルマの言うとおりに噛まれると大怪我をするかもしれない。

「導師様、このハゼ、可愛いですね」

 ただし、フィリーネだけは少し美的感覚がズレていて、楽しそうに河原にあがったハゼを眺めているが。
 さすがは、導師がお気に入りだけの事はあった。
 色々な意味でゲテモノ好きなのだと思う。

「これ、どうする?」

「うん? 食べないのであるか?」

 導師の問いに、誰も答えなかった。

「いや、実際に釣ってみて思ったんですけど……食べたくない?」

「調理も大変ではないですか?」

 シロなら切り身にすればいいわけで……ああ、この巨大ハゼも切り身に?
 してもいいと思うのだが、なぜかあまり食べる気にならない。
 やはり、見た目の問題なのであろうか?

「から揚げや天ぷらにすると、美味いと思うのであるが」

「火が通り難そうですなぁ」

「「「それだ!」」」

 世話役の老人の意見に、俺、カタリーナ、ヴィルマが同意する。

「切り身にすればいいのである」

「それだと風情がない」

 そう、ハゼは頭を取り、背開きにして、中骨を取り、それを天ぷらにするのが美味しいのだ。
 切り身にしてしまうと、何の魚を天ぷらにしたのかわからなくなってしまう。
 ヴィルマは大食いだが、実はそういう部分も大切にする女であった。
 だからこそ、俺の嫁が務まるのだ。

「頭と骨が固そうだから、から揚げは不可能に近い」

「これを丸揚げは難しいよな……」

 そんな特別製の鍋など、そう簡単には手に入らないであろう。
 ミズホ公爵に頼んだとしても、絶対に注文生産になるはず。
 どうにか調理しても、食べると骨がアタリそうで嫌である。

「白身なら、切り身でシロが沢山ある」

 五人で二十匹以上も釣りあげ、平均サイズは八十センチほどだ。
 暫くは、塩焼きに、煮魚に、フライにと材料に困らないはず。

 だから、無理にこの巨大ハゼを食べる必要はなかった。

「ヴェンデリンさん、最初は不気味だと思ったのですが、よく顔を見ると意外と愛嬌のある顔をしていますわよ」

「そう言われるとそうだな」

 目も真丸だし、釣りあげて河原に鎮座させているのに、動かないでこちらを見ている姿は可愛いかもしれない。
 段々と、フィリーネに毒されている可能性もあったが。

「バウマイスター伯爵様、このお魚さんは長年この川に住んでいたんですよね?」

「ある意味、この川のボスとしてこの川を見守っていたのである」

「導師様、逃がしてあげましょう」

「バウマイスター伯爵、某もフィリーネの意見に賛成である」

 普段は皆殺しが基本なのに、珍しく導師が巨大ハゼを逃がそうと言う。
 このデストロイヤーに仏心を出させるなんて、実はフィリーネは凄い少女なのかもしれない。

「その存在は確認できたし、朝ごはんのおかずはシロで十分」

「ヴェンデリンさん、たまには逃がすのも悪くありませんわ」

「そうだな、逃がしてやるか」

 ヴィルマとカタリーナにも促され、運よく巨大ハゼは放流される事となった。
 こちらの会話がわかっているのか?
 針を外す時にもまったく抵抗せず、巨大ハゼは川へと戻される。

「導師様、あれ」

「おおっ!」

 導師が巨大ハゼを抱えて川に戻すと、放流されたハゼを迎えるように、それよりももう一回り大きな巨大ハゼが姿を見せる。

「二匹いたのか!」

「私もこの川の管理を始めて六十年以上経ちますが、二匹いたとは知りませんでしたなぁ」

 世話役の老人も、巨大ハゼが二匹いた事に驚いていた。

「ヴェンデリンさん、夫婦なのでしょうか?」

「かもしれないな」

 偶然かもしれないが、俺には大きい方のハゼが奥さんを心配して見に来たようにしか思えなかった。
 地球のハゼにはそんな習性はないが、どう考えてもそうだとしか思えなかったのだ。

「ハゼさん達、これからも仲良くね」

「この川の行く末を見守ってくださいね」

 フィリーネとカタリーナが、日の出の美しい光景の中、川の深い流心部分への向かう二匹の巨大ハゼに声をかける。
 俺達も二匹で寄り添うように泳ぐハゼを見送りながら、早朝の釣りを終えるのであった。

 この川でいつまでも、あの巨大ハゼが生きていける事を願って。






「えっ? 巨大ハゼが釣れたけど逃がした? 何かなぁ……」

 せっかくの感動話なのに、俺達がゲストハウスに戻ってエルにその話をすると、彼は明らかに嘘くさいといった表情を浮かべる。

「いや、本当に釣ったんだって! 噂どおりに二メートル以上あったし!」

「うーーーん」

「何が引っかかるんだよ?」

「いやね、導師、ヴィルマ、ヴェルの三人がいて、せっかく釣れた獲物を逃がすなんて、教会の聖人のような真似をするのかなと……」

 食べられる物を獲っておきながら、それを可哀想だと逃がしてしまう。
 エルからすると、俺達がそんな事をするわけがないと思っているようだ。

「俺が導師と一括りにされている点はあとで問うとして、フィリーネもいたんだ。情操教育に必要だったとは思わないのか?」

「ヴェルなら『食べ物を得るためには、生き物を殺さないといけないのです』とか言って、容赦なく殺すと思うけど……」

「うっ!」

 なまじエルの言い分に納得できる部分があったために、俺の反論は鈍ってしまう。

「とにかく、カタリーナだって、フィリーネだって実際現場に居合わせているんだ。巨大ハゼは釣れたんだ」

「いや、世話役の爺さんもそう言っているから疑ってはいないぜ。ただ、釈然としないだけ」

「釈然としないのは俺の方だよ!」

 某釣り漫画のように、その川を守ってきたボスを釣り上げたあとに放流する感動のシーンなのに、この世界の人間はほとんどわかってくれないとか。

 俺、父親に勧められて読んだ『釣りキチ〇〇』大好きだったのに……。




「それでも、楽しい釣り接待だったな」

 ハゼとシロは釣れたし、お土産も沢山貰ったり買ったり出来た。
 フィリーネも喜んでいたし、いい接待旅行であった。

 などと思いながら、今日はバウマイスター伯爵領内で魔法による土木工事を行っていると、突然、携帯魔導通信機に着信が入る。

「もしもし?」

「こらぁーーー! バウマイスター伯爵!」

 突然、携帯魔導通信機越しに怒鳴り声が聞こえる。
 声の主は、エドガー軍務卿であった。

「俺は、バウマイスター伯爵の義理とはいえ父親だぞ! 楽しそうな接待旅行に俺を誘わないとかあり得ないだろうが!」

 なぜ自分を接待旅行に連れて行かないのかと、エドガー軍務卿から大声で怒鳴られてしまう。
 この怖さたるや、ヤクザも真っ青なほどだ。

「えっ? そんな時間があるんですか?」

「誘われれば、予定を空けたに決まっているだろうが! ヴィルマが土産を渡してくれなかったら、もっと怒っているところだ!」

「ええっ! でも……」

 内乱後の軍備、軍政改革が忙しいから誘っても来ないと思っていたのが不覚だったかもしれない。

「アームストロング伯爵も怒っているぞ! 弟はハゼの天ぷら食べ放題なのに、こっちは土産だけかって!」

「ええと……次は必ず誘いますので」

「なるべく早くにな!」

 暴風雨のようなエドガー軍務卿からの通話が切れて安堵していると、今度はルックナー財務卿、ホーエンハイム枢機卿からも続けて通信が入る。

「もう大分付き合いも長いのに、ワシを誘わないとは……」

「エリーゼを大切にしてくれているのはわかるが、たまには義祖父孝行も必要だと思うぞ、婿殿」

 体育会系肌で直接苦情を言うエドガー軍務卿と違って、文系肌の二人は言い方は遠回しだったが、接待釣行に誘わなかった件を恨んでいるのは同じのようだ。

 年寄りというのは、釣りが好きなのであろうか?
 酒と、旅行先の美味しい食事も目当てかもしれないが。

「必ず、次はお誘いしますので」

「必ずだぞ!」

「なるべく早めに頼むぞ、婿殿」

 連続した着信が切れて安堵していると、今度は初めての番号から通信が入ってくる。

「もしもし?」

「私だ」

 いや、私だと言われても誰だかわからなかった。

「ええと、どちら様で?」

「バウマイスター伯爵、そなたも他の貴族達と同じ事を言うのだな。確かに、私は父である陛下に比べて目立たないと言われている。なぜか友達も少ないしな。だが、この前の帝国との講和交渉では、そなたの権利確保のために努力もしたのだ。ここは、接待釣行に誘うくらいの配慮があっても……」

「王太子殿下ですか?」

 まさかそんな偉い人から通信がくるとは思わなかった。
 それと、あの程度の軽い接待旅行に王太子殿下が付いて来るとは俺も思っておらず、やはり声をかけていなかったのだ。

 決して、その存在すら忘れていたわけではない。

「他に誰がいる?」

「申し訳ありません!」

 つい、前世の商社マン時代の癖で頭を下げてしまう。
 魔導携帯通信機越しなので、相手にはまったく見えないから意味ないのだが、それでも昔の習性とは恐ろしいものだ。

「必ず次はお誘いしますので」

「本当か? 期待して待っているからな!」

 王太子殿下は、なぜか必死であった。
 『誘うくらいはしろよな、俺は忙しいから行けないけど』というスタンスではなく、本当に誘ったら付いて来る気のようだ。

 王太子殿下という身分にあるのだから、この程度の誘いはいくらでもあるような気がするのだが……。

「待っているからな! 絶対に私も誘うのだぞ!」

「勿論です、殿下」

「その言葉が聞きたかった」

 満足したような声を最後に、殿下から通信が切れる。
 どうやら、誘ってもらえると聞いてとても嬉しかったようだ。

「王族なのにボッチなのか……」

 そういえば、今まで何度か顔を合わせた事があるのに一度も会話をした記憶がなかった。
 どんな人かよくわからなかったのだが、俺と同じようなボッチ気質である事を知ったらなぜか親近感を覚えてしまう。

「何かあったら、絶対に誘うか……」

 その後、どんな誘いでも王太子殿下は必ず出席し、後に俺は彼と親友になるのであった。
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