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八男って、それはないでしょう!  作者:Y.A
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第百五話 交渉のお仕事。

 アーカート神聖帝国皇帝アーカート十三世はニュルンベルク公爵討伐に失敗して戦死し、その跡をその三男であるペーターが強引に継いだ。
 誰が見てもクーデターであったが、思ったよりも反発は出ていない。

 皇帝を討ったニュルンベルク公爵の軍勢がいつ押し寄せるか不安なので、誰もが頼れるトップを期待した。
 いや、半ば敗戦を覚悟しているが故に、ニュルンベルク公爵と直接矛を交える危険を犯したくないのであろう。

 皇后の実家であるアーレ侯爵家を始め、ペーターが脅かすと呆気ないほど簡単に役職を降りている。
 ニュルンベルク公爵が帝都を落とした後に、また媚びて役職を得ようと考えているのであろう。

 彼らは爵位を奪われたわけではないので、今職を辞しても生活に困る事は無いのだから。

『そこで、その穴を僕が選んだ人材で埋めるわけだ』

 ペーターが密かに引き入れていたり、抜擢した貴族には爵位が低い者が多い。
 実力本位で選んだ連中であったが、こんな無茶は今のような戦時だから通用するとも言える。

『そう。今は通用する。そして功績を挙げてしまえば、あのボンクラ共は戦後も無役だ。爵位と年金はあるんだ。生かして貰えるだけありがたく思って欲しいな』

 ペーターの言い方は酷いが、もしペーターが負けたとしてニュルンベルク公爵が彼らを生かすとも思えない。
 今の状況の方が幸せという考え方もあった。

 現在の帝都では、夜間外出禁止命令が出ている。
 迎撃に向けた準備も摂政に就任したペーターが中心となって進んでいて、帝国軍の再編も進んでいる。
 帝都南部の拠点やペーターを支持する貴族が諸侯軍などを送ってきて、徐々にその数を増やしていた。

 ニュルンベルク公爵軍の追撃を避けて上手く逃げてきた部隊もあり、そういう人達は最高司令官に就任したギルベルトさんが昇進させて配属させている。

『こういう目端の利く将校や指揮官は使える』

 なぜか爵位が高い上級指揮官が少なかったが、彼らは数が多いので勝てると志願して前線で略奪などをしながら進み、ニュルンベルク公爵軍に呆気なく殺されるか捕縛されたそうだ。
 その悪行により恨まれているので、味方の士気を上げるために被害を受けた領民達に向けて首が曝されているらしい。

 あとは、敗走した軍勢に落ち武者狩りも行われているそうだ。
 勝ちに逸って奥地にいた指揮官や兵ほど、生きて戻れる可能性は少なかった。

『地元の領民を敵に回すとはな。バカ以外の何者でもない』

 ギルベルトさんによると、いくら兵力数に差があったとはいえ、地元の住民に恨まれればその地域に住む女・子供・老人までもが全て落ち武者狩りになって、兵力差など簡単にひっくり返されてしまうそうだ。

『奪われまい、犯されまいと必死に抵抗するし、敗走してきて疲れているのに、地の利のある連中にいつでも好きな時間に襲撃されるのだ。眠っている暇すら無いだろうな……』

 どうしてこんな事になってしまったのかと言えば、一言で言えば皇帝の力が無かったからだ。
 いくら略奪などを禁止しても、それが守られなければ意味が無い。

『取り巻き連中は、皇帝に報告しなかったんだろう。気が付かない皇帝も悪い』

 亡くなったとはいえ皇帝相手に酷い言い方だが、この大敗戦の責任者なのでギルベルトさんの論評は帝国軍中で支持を受けていた。
 彼らのせいで不利な防衛戦を行わなければならないので当然であろう。

『バウマイスター伯爵達の戦力も頼りにしている。フィリップ殿もいるからな』

 俺の中ではまだ評価が微妙なフィリップであったが、周囲の評価は高い。

 エルとハルカは軍の指揮について色々と教えて貰える良い教官だといい、ペーターも良将だと評価しているし、ギルベルトさんや同じく抜擢で参謀長に就任したポッペクさんなどは、五千人の王国軍組と共に精鋭として当てにしている。

 ミズホ伯国軍と共に、帝国軍駐屯地の幾つかを割り当てられて帝国軍と同じ扱いを受けていた。
 エルとハルカも、フィリップの手伝いで忙しかった。

「そして俺達は、再び土木工事の仕事をね」

「ヴェルは、結局引き受けたのね」

「退屈な皇宮にいるよりはいいさ」

 そんな中、俺達一向は帝都西部にある城壁近くへと向かっていた。
 ペーターからの依頼内容は、西部城壁の崩れた部分を急ぎ修復して欲しいというものである。

「城壁が崩れているんだ。でも、何で今まで直さなかったのかな?」

「一番の理由は予算不足ですね」

 ルイーゼの疑問に、俺達と行動を共にしているエメラが答える。

「予算不足?」

「はい。他に優先すべき工事などがありますから」

「でも、帝都だよ」

「帝都は、成立以来敵勢力に攻められた経験がありませんから」

 エメラの説明は続く。
 帝国が成立以降、領地を東西南北に広げるために攻めるばかりであったので、帝都の防衛能力の低さを問題にする人がいなかったそうだ。
 工事予算も、他に回されてしまう事が多いと言う。

「商業地の再開発、皇宮北部居住区の拡張がここ十数年は優先されておりまして」

「ですが、壊れた城壁では治安を乱す方々も入ってくるでしょう」

「城壁が壊れているのは、他にも原因があります」

 エリーゼに答える代わりに、エメラは前方に視線を送る。
 次第に西部の城壁に近づくと、周辺の空気が悪くなったような気がする。
 石造りの家が減っていき、ボロい木造の簡易的な造りの家が増えていったからだ。

「スラムがあるのですか?」

「はい。彼らは城壁の内と外を勝手に出入りしておりまして……」

 エメラの答えに、カタリーナは納得したような表情を浮かべていた。

「スラムの問題はどこでも同じですか……」

 農村で自分の農地が貰えない農民の子が、一旗あげようと夢を抱いて帝都に上京する。
 地元で不始末を起こして、逃げるように帝都へと向かう。

 ところが平民でも、紹介状やツテが無ければ碌な仕事に就けない。
 日雇い仕事などしか出来ず低収入のため、スラム街を形成してそこに住む羽目になってしまうのだ。

「スラムか」

「ブライヒブルクにもあるものね」

 スラムは、ある程度の都市になれば必ず発生する。
 王都にも当然あるし、ブライヒブルクに住んでいたルイーゼとイーナは当然知っている。

「最近は減ったらしいけどね」

 バウマイスター伯爵領の開発が進んでいるので、そこに送り込んでいるからだ。
 だが、もう百年もすれば今度はバウルブルクにもスラムは出来るであろう。
 為政者は無くしたいのであろうが、完璧にゼロにするなど神様でも難しいはずだ。

「要するに、スラムの住民が生活のために城壁の一部を壊してそこから出入りしているわけだ」

「はい」

 城壁の外に畑を作ったり、狩猟や採集などをして食料を得ている連中がいるのだそうだ。

「よく今まで放置してきたな」

「無理に城壁の工事をしても、またすぐに壊されるからです」

 スラムの住民達からすれば、そこが開いていないと農作業や狩猟に行けないのだから死活問題というわけだ。

「待ってくれ。西部に入り口は無いのか?」

「当然ありますが、スラムの住民には出入りは不可能です」

 身分を証明する物を持っていないので、門からの出入りは不可能だそうだ。
 身分証を発行しようにも、スラムの住民にそんな物は発行できない。
 低収入なだけならともかく、犯罪者や犯罪組織の一員も多いので、彼らにその身分証を使って堂々と悪事を働かれても困るからだ。

「じゃあ、放置しよう」

「開いている城壁ですよ。防衛に重大な支障が出ます」

「ボク達が強引に塞いでも、すぐに壊されるんじゃないの?」

「それは……」

 ルイーゼの指摘に、エメラの表情は曇る。

「つまり、それを含めて解決しろと?」

 俺と手を繋いで歩いているヴィルマが、更に踏み込んでエメラに質問をぶつける。
 先日、亀の狙撃で活躍して二人だけのデートを約束したものの、時間が無くてなかなか実行できないために、今日は手を繋いで歩いていたのだ。

「そういう政治的な案件は、そっちでやれよ」

「そうであるな。王国人が手を出しても碌な事にならないのである」

 スラムの露店で売っている何の肉かわからない串焼きを食べながら、ブランタークさんと導師も続けて文句を言う。
 串焼きの他にエールが入ったボトルを交替で回し飲みしていて、タケオミさんが渋い顔をしていた。
 真面目な彼からすると、仕事中に堂々と飲酒する二人の行動が信じられないのであろう。

「しかしながら、他に解決できそうな人がいませんので……」

「というか、誰も解決できないだろう」

「そうであるな。強引に城壁を補修して戻っても、ニュルンベルク公爵が攻めてくる頃には元の木阿弥という可能性も高いのであるからして」

 城壁を直すのは簡単だが、それを壊させないようにする方法に責任が持てない。
 導師の意見に、エメラは困ったような表情を浮かべていた。

「そうよね。外の畑の作物や、狩猟の成果が生活の糧なんでしょう?」

「しかしながら、当然お上の許可も得ないで違法状態なのです」

 スラムの住民達は、許可も得ずに勝手に城壁の外に畑を作り、狩猟や採集を行っている。
 当然納税などしていないが、彼らは元々貧しいのでそれでも生活はギリギリだ。
 役所が徴税に行こうにも、それをするとスラムの住民達が反発して騒乱になりかねない。
 それを抑えるために兵士達を連れて行っても、手間やコストを考えると見て見ぬ振りの方が効率が良いと判断して放置していたのが、今までの帝国政府であった。

 ニュルンベルク公爵を帝都で迎え撃つに当たって、今まで放置していたスラム問題が一気に顕在化したわけだ。
 城壁が崩れて存在していないので最大の弱点となり、それをニュルンベルク公爵が知らぬはずが無いのだから。

「今まで放置していたツケをボク達に押し付けないで欲しいな」

 ルイーゼの発言に、エリーゼまでもが首を縦に振っていた。

「それで、何か新しい方針でもあるの?」

「方針ですか?」

「前の皇帝ならいざ知らず、ペーターが何の策も無しに俺達をいきなりここに送り込むのか?」

「実は、ここのスラムのボスがバウマイスター伯爵様に会いたいと言ってきまして」

「俺に? 知り合いかな?」

「多分、それはないかと。スラムのボスは、通称『男爵様』と呼ばれています」

「貴族なのか?」

「いえ。あくまでもあだ名です。ただ、貴族の私生児だという噂はあります」

 そのスラムの主『男爵様』は、数年前にフラっとスラムに姿を現したそうだ。

「魔力量は中級ながら、治癒魔法の使い手です」

「どうしてそんな人がスラムの主に?」

「さあ?」

 真面目で常識的なエメラには理解できないはずだ。
 それだけのスキルがあれば、スラムになど住まなくてもいくらでも豊かな暮らしを送れるのだから。

「『男爵様』は、薬学にも長けているそうです。スラムの真ん中で治療院を開き、貧しい人達からはお金を取らずに治療をするとか。最初はならず者達や犯罪組織と対立しました」

 手駒というか、自分達のためだけに利用しようと拉致などを企んだ。
 だが、彼はスラムの希望の星である。
 男爵様が奪われるのを座視できない住民達が集まって自警団を形成し、命がけで彼を守ったそうだ。 

「男爵様に人を統べる能力があるのかはわかりません。ですが、結果的に男爵様はスラムの主に収まりました」

 そして、その体制をお上は黙認した。
 なぜなら、男爵様のおかげで帝都の治安が改善されたからだ。

「万が一の怪我や病気が無料で治るのは、スラムの住民達にとっては大きな救いでしょう。城壁を壊して農業や狩猟・採集を強化したのは男爵様の命令だという噂があります。これによってギリギリで飢えなくなり、スラムの住民による犯罪は減っているのです」

 更に言うと、一部犯罪者や犯罪組織と男爵様達は対立関係にある。
 たまに非公式でそういう連中の情報が警備隊に流れて、摘発率は上がっていたそうだ。

「警備隊の機密費から、情報提供料の名目で男爵様に支払われていますね」

 お上がスラム街の徴税を行わないのには、そういう事情も存在するようだ。

「行政的にはグレーゾーンばかりだな。皇帝は決着をつけずか……」

「元々代々の皇帝陛下も手を付けませんでしたから、この件に関してはアーカート十七世陛下だけが悪とは言えません」

「世の中は白黒だけでは判断つかないってか。男爵様に会うだけ会ってみよう」

 エメラは、男爵様の居場所を知っているらしい。
 暫く彼女の案内で歩くと、古びた石造りの家が見えてくる。
 スラムの住民が独自に石を積んで作った歪な物であったが、周囲には木造のボロ家屋しかない。
 対比で、男爵様のお屋敷にも見えてしまう。

「患者が並んでいるな」

 男爵様の家は治療院でもあり、老若男女の患者が多数列を成していた。
 スラム街で唯一まともな治療院なのであろう。
 その数は数十人にも及んでいた。

「大人気だな」

「摂政の飼い犬の女か」

「随分な言い方ですね」

 俺達の姿を見つけて、医院を警備している十数名の男達が集まってくる。
 リーダーは、赤銅色の肌と筋肉に包まれた逞しい体が特徴の五十歳くらいの男性で、エメラの事を知っているらしい。
 彼女をペーターの飼い犬と呼んで、二人は睨み合いを始める。

「おいおい。バウマイスター伯爵様との面会希望なんじゃないのか? あんたらのお館様は」

 ブランタークさんが場を和ませようと二人の間に割って入った。
 こういう対人折衝能力では、やはり人生経験豊富なブランタークさんに軍配が上がる。

「すまんな。俺としては、帝都の皇宮に住んでいるのは総じてクソだと思っているんだが、帝都の住民の中には三男坊を英雄視する頭の弱い奴らが多くてな」

 その原因は、彼が摂政に就任するのと同時に帝都中央の広場に飾られた陸亀王レインボーアサルトの虹色の甲羅にある。
 結局二つになってしまったが、あの大きさの甲羅二つのインパクトが大きかった。
 あの大亀を倒せるのならと、民衆からペーターへの支持が集まっていたのだ。

「あの詐欺師はお笑いな事をする。全部バウマイスター伯爵様のおかげじゃねえか」

「殿下を詐欺師扱いですか!」

「うちの男爵様が言っていたぜ。テレーゼもペーターも、外国貴族であるバウマイスター伯爵様に頼って帝国の再統一とは笑えるとな」

「では、反逆者であるニュルンベルク公爵に帝国を委ねろと?」

「別に、俺達はそれでも構わないよ」

「そんな……」

 普段はペーターに冷たそうに見えて、エメラは彼の人格と能力を評価しているようだ。
 警備隊リーダーの悪口に、珍しく感情を表に出して反論していた。

「(バウマイスター伯爵、これは思った以上に難儀な仕事であるぞ)」

「(ですよねぇ……)」

 逆上しているエメラは、この事実に気が付いているのであろうか?
 これはただの城壁の修繕の話ではなくて、ペーターにもニュルンベルク公爵にも組していない男爵様以下スラムの住民達の引き抜き工作なのだと。

「俺達は、帝国に捨てられた人間だぜ。口先摂政にも、前の皇帝にも、その前の皇帝にも恩なんて何も無いわけだ」

 反乱前から棄民扱いの彼らからすれば、テレーゼとペーターは味方でも何でもない。
 そもそも、帝都の住民にもカウントされていないのだから。

「それはそうだな。君達は、ニュルンベルク公爵に破れた城壁を売って褒美を得る事もできる。男爵様は優秀な治癒魔法使いとか? 彼の配下になれば、子爵以上は堅いな。どうせ、帝都の貴族は大掃除で消える。男爵様に与える領地も沢山あるわけだ。スラムの住民を連れて新領地の開発も可能と。なるほど、君達は交渉がしたいわけだ」

「何でぇ、一番若いバウマイスター伯爵様がよほど理解しているじゃねえか」

 警備隊のリーダーは、エメラをバカにしたような顔で一瞥してから俺に笑顔を向けていた。

「しかし、何で俺に交渉させるかね? まあいい。まずは会って話を聞こうじゃないか」

「バウマイスター伯爵様は、彼らと交渉するのですか?」

「しないと、いくら防衛体制を整えても西側城壁から攻められるけどね」

 多分、ペーターが俺に交渉させるのは、普通の帝国貴族や役人だと向こうが感情的になってしまうからだと思っているのかもしれない。
 しかし、俺達に真の目的を教えないとは、人を試しているようであまり感心はできない。

「案内はするが、男爵様は忙しいから少し待って欲しい」

 警備兵のリーダーの案内で建物の中に入ると、そこには三十歳前後でローブ姿の細身の男性が順番に患者の治療を行っていた。
 椅子に座って治療をしているが、身長は百九十センチ以上はあるであろう。
 顔は知的で、眼鏡をかけているのでまるで学者のようにも見える。

 そんな彼は魔力の節約のためであろう。
 治癒魔法の必要性が低い患者には、助手である数名の神官に投薬などの指示を出している。

「男爵様は、医者の知識もあるのか」

「そうだ。俺の部下達が交替で城壁の外に薬草を摘みに行っていてな。それを材料に色々と作るんだ。これが良く効くと評判でな」

 魔法だけの俺とは違い、薬学に長けている秀才肌の人物のようだ。

「おばあちゃん、腰の具合は大丈夫かな?」

「はい。男爵様の湿布のおかげで大分良くなりました」

「追加で貰って帰ってね。腰は冷やしては駄目だよ」

「ありがとうございます。あのこれを……」

「お金はいいんだよ。おばあちゃん」

「そんな事を言わずに。男爵様と新天地に向かった時に開発の足しにしてくだせぇ」

「ありがとう。じゃあこれは全額貯めておくからね」 

 男爵様は緑色のローブ姿が良く似合っている。
 俺などよりも、よほど高名な魔法使いに見えてしまうほどだ。

「(ブランタークさん。これって……)」

「(あの殿下、厄介な案件を押し付けやがって……)」

 このやり取りだけで、俺はこの男爵様が恐ろしく有能な事に気がついてしまう。
 彼がスラムの真ん中で治療院を開いただけで、スラムの住民の大半は彼を神様のように崇めている。
 貧しいながらもスラムに規律と安定を作りつつ、帝国政府への納税義務は、敵対する犯罪組織の情報を警備隊に売るという方法でかわしていた。
 更に、彼はスラムのリーダーで人生を終えるつもりないようだ。

 いつか彼らを連れて新天地に向かいたいと願っている。
 領主になって、領民として彼らを養おうと考えているのだ。
 あのリーダーが率いる警備隊は、かなり訓練されている。
 男爵様のおかげというよりも、口は悪いがあの赤銅色の肌の男の功績であろう。
 そして、彼は男爵様に主君と同じように仕えている。
 要するに、このスラムには事実上の男爵様の領地があるのに等しいのだ。

「実質、第三勢力に近いのである」

 導師の発言を否定する者はいなかった。

「(油断はならないが……)」

 彼は善性の人だと思う。
 領主でもないのに、スラムの住民達の生活と安全に常に気を配っている。
 彼に魅かれた人達は、自然とその下について手を貸しているのだから。

 そして、独りよがりでも偽善でもない。
 その最終目標に、スラムの住民達を領民とした領地の確保を目論んでいる。
 彼らの生活のために、ニュルンベルク公爵に破れた城壁を売ってもいいと考える潔さまで持っているのだから。

「ねえ、どうしてここに神官がいるの?」

 などと考えていると、ルイーゼがエリーゼに質問をしていた。 
 そういえば、スラムには教会の神官達も入らないと聞いていたからだ。

「あなた。あの人達はカソリックの神官です」

「なるほど。そういう事か……」

 国教に指定されているプロテスタントの神官達は、国の意向に従ってスラムに人を派遣していない。
 王国の教会はスラムにも人を派遣して定期的に奉仕活動を行っているので、これは自分達が見捨てられていると思われても当然であろう。

 一方、信者数の少ないカソリックの教会は、男爵様の手伝いに神官を派遣しているようだ。
 手伝いをする事で信者を増やし、帝国では劣勢なカソリックの勢力拡大を図りたい。
 男爵様とはお互いに利益があると判断したのであろう。
 生粋の皇族や貴族なら国教に認定されているプロテスタントへの配慮が必要だが、男爵様にはそういう縛りがない。
 利用できるものは利用したい彼からすると好都合なわけだ。

「交渉で公正を期すために神官とか派遣したら、その時点で交渉決裂ね」

 イーナの言うとおりで、だから外国人である俺が交渉の使者に任命されたのであろう。
 向こうも、俺を指名したのだけどけど。

「あなた、私もお手伝いをします」

「そうだな、俺達も手伝おう。その方が早く話し合いが始まる」

 俺、エリーゼ、カタリーナの三人は、魔法で男爵様を手伝う事にする。

「某も……」

「伯父様は大丈夫ですよ」

「そうであるか?」

 エリーゼがやんわりと断る。
 女、子供、老人が多いので、彼に抱き付かれると大変な事になってしまうかもと思ったのであろう。

「あなたは……」

「まずは、仕事を終えた方が話し合いがしやすいでしょう? 手伝います」

「助かります」

 これで治癒魔法使いは四人になったが、全員が能力に差があるので別れて仕事を行う事にする。

「ホーエンハイム家の聖女様ですか。お噂はかねがね」

「今は共に神のために奉仕を行う身。それで宜しいではありませんか」

「それはそうですね。エリーゼ殿の手助けに感謝します」

 エリーゼは、同じカソリックの神官達と挨拶をしてから、主に重症患者達の治療を始める。
 帝国に来てから、あまり同宗派の人達と話をしていなかったので少し安心しているようだ。
 国の仕事で来ていたので、国教ではないカソリックの教会を訪ねたり神官と話をするのを避けていたのだ。

「私が重症の方を見ましょう」

 エリーゼの治癒魔法の実力から言えば当然であった。

「男爵様と同じくらい凄い……」

 エリーゼの治癒魔法に、男爵様も神官達も驚いているようだ。
 男爵様もかなりの実力を持っているようだが、魔力量で劣る彼は効率を重視した魔法の使い方でなるべく多くの患者を助けるという手法だ。
 次々と治癒魔法をかけて患者を治してしまうエリーゼの存在は驚異的なのであろう。

「あまり重傷じゃない人はこちらです」

 次に俺であったが、やはり治癒魔法の腕前ではエリーゼに劣ってしまう。
 それでも数はこなせるので、それほど重傷でない患者ばかり次々と治癒魔法をかけて治していた。

「やはり、治癒魔法は苦手ですわ……」

 最後にカタリーナであったが、彼女の治癒魔法能力は低い。
 練習も兼ねて、軽傷の患者を中心に治している。

「おばちゃん。膝をすりむいたの」 

「おっ! おばちゃん!」

「大丈夫、テレーゼよりは若く見えるから」

「ヴェンデリンさん、それは慰めになっていません!」

「おばちゃん、早く治して」

「はい……」

 カタリーナは、小さい子供に『おばちゃん』呼ばわりされて盛大に凹んでいた。
 彼女は二十歳くらいに見えるので、小さい子供だとおばちゃんと呼んでも不思議はないというわけだ。

 言われた本人は、盛大に落ち込んでいたが。

「いやあ、助かりました」

 今まで一人でやっていた治療を四人で行ったので、お昼までには並んでいた全員の治療を終えていた。
 男爵様は丁寧にお礼を言い、ようやく時間が空いたので話し合いを始める事にする。

「ささやかな食事ですが、一緒にいかがですか?」

「ご馳走になりましょう」

 俺達は男爵様の案内で、治療室の奥にある部屋に案内される。
 一度に十数名が食事可能な部屋になっているが、壁は石のままで調度品も粗末であった。
 すぐに食事が出されるが、このメニューには見覚えがある。

「昔の実家の食事だな」

 野菜と細切れ肉が入った薄い塩スープ、ジャガイモを蒸かした物に、硬いライ麦パンと。
 悪く言うと質素、よく言えば健康に気を配った食事と呼ばれるものだ。

 いや、ジャガイモがあるから向こうの勝ちか……。
 というか、昔の実家の飯はスラムにも負けていた。
 客が来たから品数を増やしたのであろうという事情を差し引いてもだ。

「これでも、以前よりは大分マシになったのですよ」

 質素な食事をしながら、男爵様が昔の話を始める。

「昔は一日一人パン一個とか。それも、時間が経って硬くなっていまして。薪代節約のために一度に大量のパンを焼くのです。その硬いパンを水を飲みながら食べましてね」

 栄養不足に、水の衛生面にも不安があるので、子供や年寄りがよく病気になった。
 当然、死んでしまう者も多かったそうだ。

「死んでも、スラムの住民は減りません」

 他所からすぐに供給されるからだ。

「我々は、帝国に見捨てられた棄民なのです。だから、素直に城壁を塞ぐと思いますか?」

「いいえ、俺が同じ立場でもニュルンベルク公爵に高く売る案を考えます」

「バウマイスター伯爵!」

「エメラはなぜ怒るんだ? 人はそれぞれ事情や立場が異なるのに?」

「あなたがそんな考えでは交渉は纏まりません!」

「そうか?」

 俺がペーターに選ばれたのは、他所の国の人間だからだ。
 これを帝国貴族や役人に任せると、エメラと同じような事を言って平行線を辿るだけ。
 強引に排除して城壁を修理する案は、スラムの住民数を考えると愚策である。

 数万人もいる彼らを完全に排除など出来ない。
 双方の戦いが長引けば、彼らは帝都中に散ってゲリラのように抵抗する可能性が高い。
 生き残るために、ニュルンベルク公爵に内応する可能性だってあるのだ。

「しかし、エメラは意外とペーターラブなんだな。ツンデレさんだ」

「あの……。ツンデレって何ですか?」

「ヴェルが作った謎の言葉よ」

「はあ……。そうですか……」

 イーナの説明に、エメラは溜息をついた。
 理解できないと言った感じだ。

「帝国人同士で交渉すると、ただ城壁を工事するから邪魔するな。最悪立ち退けという話になってしまう。他に行き場の無いスラムの住民達からすれば堪ったものじゃない」

「そういうわけです。続けていいですよ。バウマイスター伯爵」

 男爵様は、俺に話を続けるようにと促す。

「せめてどこかに領地でもくれると約束でもしてくれたら、これから始めるニュルンベルク公爵との戦闘で協力する事もやぶさかではない。勿論、食料や資金の提供を条件に。何しろ、城壁を塞ぐと外の畑や狩猟と採集が困難になるので」

「その通りです」

「しかしながら、領地を貰うと言っても既存の領地では自分に付いてきてくれる人々全員を養えない。昔からの住民がいますからね。彼らを追い出すわけにもいかないし」

「はい」

「そこで、俺達が解放した領域が重要となる。あの町はサーカットの町とのアクセスがいい。開発できれば、いい領地になる。そこが欲しいな。出来れば資金や食料の援助も欲しいと」

「正解です。バウマイスター伯爵」

 男爵様は、拍手をしながら俺の推論を褒めていた。

「あの領域を全部? あの領域は帝国の物で!」

「違うね。俺達の物だ」

 領域のボスである陸亀王レインボーアサルトは、俺とヴィルマが共同して倒した。
 他の魔物狩りに帝国軍も出ていたが、あの軍勢は俺が養っていたものだ。
 ペーターはレインボーアサルトの甲羅の報酬に関しては条件を提示したが、領域については何も言わなかった。

 つまり、あの領域の権利は俺にあるわけだ。
 ペーターは意図的に領域の領有権をボカしていた可能性がある。
 彼が油断ならない人物である証拠でもあった。

「私も少しは手伝いましたが」

「後で、報酬を俺から貰ったよね?」

 狙撃の間に襲ってきた魔物を駆逐するのに貢献したので、俺は既定のお礼をエメラに払っている。
 これは、彼女が正式に冒険者登録をしているからだ。
 こういう事は、国が変わっても怠ってはいけない。

「エメラは受け取ったよね? 異議があるのなら、その時に言わないと」

 逆に言うと、報酬を貰った時点で彼女に領域の権利は無くなる。
 それを見越して、俺は報酬を支払ったのだが。

「それは、私が殿下の護衛だからで……」

「ならば、あの領域の権利は俺にあるのでは?」

 エメラが冒険者では無くペーターの護衛だと言うのであれば、余計に領域への権利は無い。
 なぜなら、陸亀王レインボーアサルトの討伐に参加していないと自ら宣言したに等しいのだから。

「最初から、ペーターはこの条件で狙っているんだろうな。男爵様を領主に、サーカット北部の解放された領域を領地に与える。スラムの住民の移住を認める。開発に関しては、帝国が援助を行う」

「それで、我々は城壁の外の畑などを放棄ですか。食料援助はいただけるので?」

「大丈夫でしょう。その代わりに、男爵様は治癒魔法使いとして従軍。リーダー殿が率いている警備隊は、諸侯軍扱いで参加かな?」

「妥当なところですか。詳細な条件は?」

「今日俺が戻れば、ペーターが寄越すはずです」

「なるほど。わかりました」

 やはり、男爵様はただの慈善活動家では無かった。
 だが逆に、慈善活動家ではないからこそ、交渉の余地があったとも言える。

「私は名は言えませんが、これでも貴族の私生児でしてね。普通に欲はありますよ」

「男爵様が、スラムの住民達をよりよく導けるように願っています」

「鋭意努力します。ランドルフもそれでいいですね?」

 男爵様は、警備隊のリーダーに賛同を求める。

「俺は構いませんよ。そのために警備隊を率いてきたのですし」

「なあ。ランドルフ殿はラン族だよな?」

「正確に言うと半分そうだな。まあ、色々とあって今はスラムの住民だが」

 ブランタークさんの問いに、その名がランドルフだと判明したリーダーは素直に答える。

「半分?」

「ハーフなんだよ。そのせいで、兄妹による主導権争いのとばっちりを受けてな」

 ランドルフさんは、フィリップ公爵領でそこそこの家格の陪臣家の出だそうだ。

「テレーゼと兄二人が、彼女達の父親の死後に主導権争いを始めた」

 当主はテレーゼになったが、最初、兄二人は彼女を傀儡にしようと暗躍した。

「俺は、半分中央の血が混じっているからな。珍しく兄二人の方に付いていたわけだ」

 純粋なラン族の人間は、ほぼ百パーセントテレーゼ側に付いた。
 兄二人の方には、ランドルフさんのように混血の人間が付いたそうだ。

「さすがに死者は出ていないが、裏ではかなり激しい主導権争いがあったのさ」

 結局、先代の皇帝がテレーゼの後ろ盾になったり、テレーゼ自身の才覚もあって、彼女が独裁権を確保している。
 兄達は保身と自分の子供達のために膝を屈したが、彼女は再びの争いを恐れてその力を殺いだ。

「俺のように、運悪くフィリップ公爵領を追い出されたのがいるわけだ」

 そういう事情で追い出されたため、そう簡単に他家に仕官できるはずもなく、そのまま帝都のスラムに流れてきたそうだ。

「力はあるから、日雇いの仕事で家計を維持したんだがな……」

 三年ほど前に、妻と子供達が病気になってしまった。
 お金が無いので困っていたところに、男爵様が無料で治療をしてくれたのだとランドルフさんは語る。

「もし俺がテレーゼだとしたら、やはり俺を追い出しただろうな。小国に匹敵する公爵領の政治だ。綺麗事では済まないのはわかっているさ。だが、今の時点でテレーゼに様を付ける気にはならん。俺の仕えるべき人はここにいる」

 男爵様は多くの患者を無料で治していたが、それで犯罪組織に目を付けられた。

「最初は男爵様に頼まれたわけではない。ただ犯罪組織に奪われるわけにはいかないと思った。武具は古いが、ちゃんと手入れはしている。剣の訓練もサボってはいない。これでも、ある程度の諸侯軍を率いた経験もある。俺にも出来る事があったんだ」

 自分と同じように落ちぶれてスラムの住民になっている軍人経験者と、未経験の若者を鍛えて、今ではかなりの精鋭になった。
 男爵様を守るだけではなく、スラム全体の治安もある程度維持できるようになったのだと。

「男爵様が本物の男爵様になれるかの瀬戸際だ。俺も兵を率いて参加するさ」

「それは助かるな」

 何しろ、兵力が不足している。
 ある程度訓練された軍勢は貴重であった。

「だが、装備が心許無いぞ」

 ランドルフさんのように元々持っている人達はともかく、未経験組は粗末な武具を使っているので何とかして欲しいと彼に頼まれてしまう。

「それも大丈夫」

 帝国軍の倉庫に予備の武具があるはずである。
 他にも必要な物は支給していけばいい。

「伯爵様は太っ腹だな」

「なあに。どうせ摂政殿下の財布だからな」

「それもそうだな。俺達の腹は傷まない」

 俺とランドルフさんは笑い合う。
 こうして無事に交渉が纏まったのであったが……。

「ペーター、これ請求書ね」

「うわお。領域の代金も含めて、僕の借金もある意味偉業を達成したね」

 俺への借金が更に増えたペーターは、空元気なのか請求書を見ながら大笑いする。

「殿下、物凄い額ですけど……」

「大丈夫だって。借金を返すまで、貸主は僕を殺そうとなんて思わないから」

「ペーターを殺しても、俺は一セントも得しないからな。罪悪感も少しは感じるだろうし」

「でしょう? 生かして搾り取った方がいいよ」

 エメラは請求書を見て顔を青ざめさせていたが、ペーターの方は全く気にしていない様子だ。
 やはり、彼は大物なのかもしれない。
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