第三十七話 聖女との初デート。
「とてもお似合いですよ」
「普段着として良いね」
「はい」
婚約者となったホーエンハイム枢機卿の孫娘エリーゼとの初デートは、俺が思っていたよりも上手く行っていた。
正直なところ、王都に不慣れな俺が彼女をエスコートなど出来ないし、貴族の箱入り娘で見習い修道女であるエリーゼが、王都の観光地や名店に詳しいはずもなく。
当然、今回のデートの段取りは、どこから見てもパーフェクト執事であるセバスチャン氏が段取りをしていた。
執事付きのデートと言うのもどうかと思うのだが、共に貴族でまだ十二歳なので二人きりで王都の街中を歩けるはずもなく、これは仕方が無い事であろう。
防犯などの理由もあり、二人きりでデートという事は有り得ないのだから。
実際他に、セバスチャン氏以外にも、こちらを密かに監視している連中が数名いるようだ。
間違いなく、ホーエンハイム枢機卿の手の者と思われるが。
ただ、さすがは執事の鑑であるセバスチャン。
必要が無い時には俺達の視界に一切入らず、必要な時にはすぐに傍に居て的確にフォローを行っていたのだから。
「(執事とか、ブライヒレーダー辺境伯様の屋敷で、チラっと見た程度だったからな)」
当然、我が実家バウマイスター家では存在しない生き物であった。
名目上はいたのだが、それはただの村の老人で、執事というよりはただの使用人と言った方が正確であったからだ。
実家における使用人とは、年を取ったので農作業が辛くなった人向けの、簡単なお手伝いと言った方が良い代物であった。
一応、外部には使用人が居るとアピール出来て、通いで無茶をさせない分給金が安く済みと。
バウマイスター本家の使用人の数に興味がある他の貴族なんて、間違いなく一人もいないはずなのだが、これも貴族の見栄という物なのであろう。
「では、この服を包んで貰いましょう」
王都の観光地やお店などに詳しくは無かったが、エリーゼほどの実家になると、服などは大抵オーダーメイドで作って貰ったりする。
なので、彼女の服などのセンスはとても良かった。
十二歳まで、兄達のお下がりしか着た事がなく。
前世でも、○ニクロや○マムラがメイン戦場であった俺に、ファッションセンスなどという物は存在しなかった。
服なんて、着れておかしくなければ良いと思っていたのだから当然であろう。
俺が持っている少し洒落た服とは、誕生日などにエーリッヒ兄さんがプレゼントしてくれた物だけなのだから。
「そうだね、ありがとう」
「いえ、私に出来る事はこれくらいですから」
俺は、久々に楽しい時間を過ごしていた。
デート云々は置いておいて、見た目は最高の優しい美少女と王都で買い物に、食事に、観光にと。
これで楽しくないわけがない。
ここのところ、喰えない陛下に、欲深な貴族達に、筋肉導師にと。
彼らへの対応のせいで乾いてばかりであった俺の心に、久々に潤いを与えてくれたのだから。
「あのレストランはいかがでしかたか?」
「美味しかった。素材を上手く生かして料理してあったね」
「セバスチャン、お勧めのお店ですから」
それに、エリーゼも凄く良い娘のようだ。
昼食を取ったレストランを探したのはセバスチャンであると、正直に言ってしまうのだから。
「(ヴェンデリン様、せっかく楽しかった初デートでございます。ここは、男の甲斐性として記念の品などを……)」
しかも、セバスチャンの方もなかなかに執事としては優秀らしい。
主人の孫娘であるエリーゼへの配慮を欠かさず、俺に小声でプレゼントを贈れと絶好のタイミングで言ってくるのだから。
「(さすがは、セバス。執事の鑑だな)エリーゼ、俺達は無事に婚約をしたわけだし、今日は初のデートをしたわけで。記念に何かを贈ろうと思うんだ」
「あの、宜しいのでしょうか?」
「竜退治で、懐は暖かいから」
婚約者に、アクセサリーくらいは余裕で贈れる金はある。
しかし、この余裕が前世のあの時にあれば……。
もう終った事なので、記憶の引き出しに仕舞って置く事とする。
「(ヴェンデリン様。この通りに、良い品を売る宝飾店がございまして)」
続けて、また俺にしか聞こえない小声で、絶妙なアドバイスを送るセバスチャンであった。
しかも、何気に俺達を目的の店近くまで誘導していて、俺の中でますますセバスチャンの株が上がっていく。
正直、俺の執事に欲しいくらいであった。
「これはこれは、ようこそおいで下さいました。若様は、こちらの可憐なご令嬢に贈り物かと推察しますが」
セバスチャンが教えてくれた宝飾店に入ると、中から恰幅の良い店主らしき中年男性が現れる。
このお店は高級な宝飾品を扱っている関係で貴族のお客が多いらしく、まだ成人前の俺達がお客なのを見て貴族であると思ったようだ。
付かず離れずで、執事のセバスチャンがいたという理由もあったようだが。
「ご婚約の贈り物でしょうか?」
「ああ」
俺達くらいの年齢で婚約をして、その足で指輪をプレゼントという貴族は珍しくないらしい。
店主らしき人物は、もみ手で俺達に声をかけてくる。
「これはこれは、可憐なお嬢様ですな」
エリーゼは、『ホーエンハイム家の聖女』と呼ばれていて王都でも有名な存在ではあった。
だが、今日は普段の修道服姿ではなかったので、店主も彼女の正体には気が付かなかったようだ。
水色のワンピースだからというわけではないが、店主が良く目立つけしからん胸の部分に一瞬だけ視線を送ったのに俺は気が付く。
『俺の物なのに!』とか、セコイ事は言わない。
男なら、まず普通に視線を送るであろうからだ。
「それで、ご予算の方ですが……」
「相場って、どのくらいなんだ? 正直、良くわからん」
前世で女性に宝飾品くらいは贈った経験はあるのだが、学生がバイトをして彼女にクリスマスプレゼントを贈るのと、婚約した貴族の令嬢に指輪を贈るのではまるで条件が違う事は明白だ。
しかも、俺の実家は貴族のしきたりなどとはあまり無縁な家であった。
まだ子供の俺に教えてくれる人もおらず、その辺の部分が良くからなかったのだ。
「普通は、金貨一枚から上ですな」
日本円にして、約百万円くらい。
貴族が婚約者に贈る指輪なので、まあ妥当な金額とも言えた。
婚姻指輪ともなれば、また相場が違うそうだが。
「そのくらいは普通か」
「ええ、貴族様があまり安物を付けているものどうかと思う次第でして」
高い指輪が売れれば儲かるという店主の欲もあるのだろうが、貴族に安物を薦めると逆に失礼という事もあるし、でもやっぱり高い物を売り付けたいんだろうなと俺は考えていた。
「あの指輪は変わっているな」
俺は店主から色々な指輪を勧められていく中で、数多くの商品の中からケースの端に陳列された指輪が気になり始める。
「はい。特殊な魔晶石を中央にあつらえた特別製ですから」
魔晶石は、基本的には大きい方が多くの魔力を蓄えられるので、値段が高額となる。
ただ限度はあるが、極少数の魔道具造りの職人の中には、小さくても効率良く多くの魔力を篭められる魔晶石を製造可能な者もいる。
この指輪は、そういう魔道具職人の作らしい。
ただこの技術は、小さな魔晶石にしか使えないらしい。
理由は簡単で、魔導飛行船などで使うレベルの巨大な魔晶石にこの処置を施そうとすると、肝心の魔道具職人の方が魔力切れで瞬時に気絶してしまうからだそうだ。
更に言うと、中級クラスの魔法使いが持つ魔力を使っても、魔導飛行船は浮きもしない。
なるほど、その運賃が高いのも納得できると言う物だ。
「魔晶石の効率化には限度がありますが、それでもこの指輪に付いている魔晶石は、中級魔法使い分程度の魔力を蓄えられます。それと、当然当店に置いてありますので、宝飾品としても使えます」
「宝飾品としても?」
「これは 魔力が篭められていない状態でして。篭めると、エメラルドのように光るのです」
しかしながら、当然下手な宝石など相手にもならないほど高価であるらしい。
「実は、少し扱いに困る商品でして……」
売れると思って、わざわざ高名な魔道具職人に発注までして仕入れたのだが、一向に売れる気配が無いそうなのだ。
「考えてみますと、魔法が使える貴族の方というのは案外少なく……」
魔法の才能と遺伝はまるで関係ない。
昔にわざわざ統計まで取った高名な研究者が断言していたし、そもそも遺伝が関わっているのなら、とっくに貴族は魔法使いだらけであろう。
一部功績を挙げた魔法使いを叙勲はするが、その後の子孫はまるでパっとせず。
このような例に、枚挙が無いらしい。
となると、エリーゼの一族はかなりレアな存在とも言える。
アームストロング導師と合わせて、伯父姪二名の高名な魔法使いがいるのだから。
「この指輪を買えるお金があれば、もっと大きくて綺麗な宝石が付いた他の指輪が買えますので」
「普通の魔法使いからすれば、宝飾のせいで高額になったから買い難いと?」
「はい」
確かに良く見るとリングの素材は白金だし、魔晶石の周りには小さなダイヤなどで飾られてもいた。
魔道具なので高いのは当然であったが、他にも宝飾品としての値段も上乗せされてしまっているので、余計に高くなっているのだから。
「幾らなんだ?」
「はい、白金貨三枚です」
日本円にして三億円。
いくら貴族でも、そう簡単に手が出る品物ではなかった。
「本当は白金貨五枚だったのですが、こう売れないと値引きするしかなく」
店主は苦渋の決断で値引きをしたような口調であったが、どこの世界でも商人が滅多な事で損をするような商売はしない。
大方、利益は僅かか、仕入れ代金の回収くらいに考えているのであろう。
「魔力を事前に篭めておけば、魔力が無い時にも魔法が使えるんだな?」
「勿論でございます。高性能な魔道具なので、魔力質の共通化で誰が魔力を篭めても使えますです。はい」
魔法使い同士での効率の良い魔力移転には、特殊な才能を必要とする。
魔力の最初の持ち主の性質というか、指紋や遺伝子のような要素が含まれてしまうので、他人に渡しても魔法として発動しないで無駄にしてしまうからだ。
それを可能にするには、ブランタークさんのように魔力質の共通化が行えるのが前提であった。
自分の魔力を、何かあった時のために魔晶石に込めておく魔法使いは多い。
俺も、万が一の時に備えて何十個も持っている。
だが、他人が魔晶石から魔力を引き出して魔法を使おうとしても蓄えられた魔力の5%も引き出せれば御の字であろう。
魔道具にはその制約が無い物が多いが、それは稀少な魔道具職人がブランタークさんと同じく魔力質の共通化を行える術式を道具に刻むからであった。
なお、ブランタークさんには魔道具造りの才能は無いので、彼の魔力転移は人間相手のみという事になる。
『才能も無いけどよ。俺は、ああいうチマチマとした作業が苦手だから不満はねえな』
本人は、至ってこんな感じであったが。
「本人用じゃなくて、汎用なのか?」
「はい、魔法が使える方なら、誰でも貯めてある魔力を引き出せます」
そしてこの指輪は、指輪の台座に篭められた特殊な術式により、誰が篭めた魔力でも装備者が自由に使う事が出来るようになっていた。
ブランタークさんの才能を、再現している指輪でもあったのだ。
「その分も含めて、値段が高いのか……。よし、買おう」
「ありがとうございます」
エリーゼもセバスチャンも驚いているようであったが、治癒魔法の名手であるエリーゼがこの指輪を持つ意味は大きい。
俺がブランタークさんのように魔法使い同士の魔力移転が出来ない以上、こういう魔道具にお金をケチるべきではなかった。
魔力を篭めた魔晶石で、他人に魔力を移転させるにはこのような高価な魔法具が必要だが、先の魔導飛行船のエネルギー源とするなら特に問題はないとか。
この世界の魔力とは、本当に面倒な物であった。
現在も王都アカデミーなどで研究中のようだが、まだ大した成果も出ていないようであった。
「あの……。こんなにお高い物はさすがに……」
「本当なら高いと思うんだけど。ここのところ、莫大な臨時収入があってね」
「ですが……」
「俺達は夫婦になるんだろう? 俺がその指輪の魔力を必要とするかもしれない」
討伐した竜二匹の素材の売却益に、師匠の遺産などもあって、俺はまだ白金貨千枚以上を持っていた。
なので半分感覚が麻痺していて、この指輪が特に高いとは思わなかったのだ。
「魔力を篭めて持っておけば、万が一何かあった際にも魔法が使えるじゃない」
「ですが……」
「教会だと、余計に治癒魔法が使えた方が良いでしょう?」
「ありがとうございます。大切にします」
ここで執拗に断ると、逆に失礼だと感じたのであろう。
エリーゼは、俺が購入した指輪を素直に受け取っていた。
「(それだけが理由じゃないけどね)」
一種の、ホーエンハイム枢機卿に対する脅しだ。
エリーゼほどの有名人が、これほどの高価な婚約指輪を付けていたら。
魔道具であり実用品なので、エリーゼはずっと指に填めるのでまず周囲の目に入る。
噂になるのは、そう遠くない事のはずだ。
その後、もしここまで貴族間の争いに巻き込んでおいて、突然俺を見捨てたり、梯子を外したりしたら?
白金貨三枚の婚約指輪を孫娘にプレゼントしたバウマイスター男爵なのに、その彼を見捨てた薄情な男としてホーエンハイム枢機卿は大きく評判を落すのは確実であった。
「(教会の力で、俺を守ってくれよ。半分、教会との婚約指輪なんだから)ああ、魔力を補充できるのか」
店主の説明通りに、魔晶石に触れながら魔力を流すイメージを送ると、今までは灰色だった魔晶石はエメラルドのように輝き始める。
「お客様は、やはり魔法使いでいらっしゃいましたか。そういえば、現在王都では竜殺しで名を挙げたバイマイスター男爵様がいらっしゃると。更に、『ホーエンハイム家の聖女』様が婚約者になられたとかで」
「何だ、気が付いていたのか」
どうやらこの店主。
俺とエリーゼの正体に気が付いていたようだ。
「半分は勘でしたが、これは魔晶石の指輪をお勧めすべきだと」
「商売人だな」
「はい、これで生活しておりますので」
見透かされていたようであったが、俺はエリーゼに美しさと実用性を兼ねた良い指輪を贈れたので良しとする事にする。
それに、この店主も俺達が来客した事をペラペラと周りに喋るつもりもないようであった。
「当店の品は高価でございます。防犯上の観点からも、顧客の情報は漏らさないように心がけていますので」
「(貴族が、あまり大っぴらに言えない女性にアクセサリーを贈る事もあるからでしょう?)」
俺は無事にエリーゼとの初デートを終わらせ、彼女に婚約指輪を買ってあげる事も出来て、ようやく心が落ち着いたような気がするのであった。