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朝はシリアルと決めている

映写室の亡霊

 その日のK市は、朝からどんよりとした灰色の雲が空を覆っていた。あまりにも厚い雲なので、天と地の距離がぐっと近づいたように感じられるほどであった。
 海がある西側からは乱暴なほどに潮風が吹き、七月に入ったというのに何か羽織るものがないと肌寒く感じるほどである。
台風が、近づいているのだ。
元々人口が少ないK市ではあるが、台風が来るかもしれないとなれば外を出歩くような人はほぼ皆無である。いつ雨が降り出してもおかしくない空は、涙をこらえているようにも見えた。
そんな中、K市の中で最も海辺に近いとある中学校では、年に一度の映画鑑賞会が行われようとしていた。

「今年はもうちょっと面白い映画がいいな」
「しっ。先生だって一生懸命用意してくれているのよ」
「それもそうね」

今年でちょうど創立百周年を迎えるこの中学校は、創立当初からある長方形型の旧校舎と、昭和中期に新たに建設されたL字型の新校舎の二つがある。この二つは一階の玄関、そして二階にある旧校舎側の体育館の後方出入口と東側にある出入り口から伸びる渡り廊下でつながっている。
 今まさに、その体育館に全校生徒がひしめきって体育座りをしている。後方出入口には三年生の、東側の出入り口には一年生と二年生の下駄箱がそれぞれ設けられており、ここで体育館用の靴に履き替える。
 後方出入口から体育館に入り、向かって右側から順番に一年生、二年生、三年生の順番にクラスごとに座るのがこの中学校での決まりである。
 今年二年生になった大谷美咲は、それに従ってちょうど体育館の中央部に座っている。ぐるっと周りを見渡せる席であり、何より前方に設けられた白いスクリーンをほぼ真正面から見られる席であった。

「それではこれより、今年度の映画鑑賞会を開催いたします」

 教頭先生の言葉に、生徒と先生が少し遠慮しがちに拍手をする。同時に外で吹いている風が立てつけの悪い窓を叩き、ガタガタと音を鳴らす。
 美咲は、この映画鑑賞会という行事が大好きだった。小さいころからしょっちゅうレンタルショップに通っては色んな作品を借りては、家で鑑賞して過ごしていた。真っ黒でボリュームのある髪を、校則にある通りに一つにまとめている。膝より少し長めの丈にしたスカートで上手に足を覆って座っている。

「今年は学園ものなのね。私たちにぴったり」

 くすくすと笑いながら、後ろに座っていた小野玲子が美咲に話しかけてくる。ショートヘアーで活発な印象を受ける彼女は、美咲の小学校時代からの親友である。

「私、これ見てみたかったんだぁ」

 配られたプリントを見ながら、美咲は目をキラキラさせている。今年の上映映画は、令子が言う通り、学園ものである。とある学校の、とあるクラスメイト達が合唱祭優勝に向けて奮闘するという内容だった。
 前方で教頭先生が上映中の注意をつらつらと読み上げる。上映中は携帯の電源を切ること、おしゃべりをしないこと、そして寝ないこと。
 正直に言ってしまえば、上映中、体育館の電気は全て落とされるので寝ていても高確率で気付かれずにすむだろう。仮に気付かれたとしても注意するために先生が動こうものなら他の人の上映の妨げになってしまう。したがって寝てはいけないと言われていても、実際寝てしまったところでその場では注意されないのだ。
 やがて体育館のカーテンが閉め切られる。遮光性の高い黒のカーテンは、十年くらい前に取り付けられたものであり、今日のように曇りならもちろん、からっからに晴れた日であっても日の光を一切通さない優れものである。
 電気も落とされ、スクリーンだけが白く光っている状態になる。右下に小さく再生の文字が浮かび上がり、やがて映像が始まった。

 映画は、美咲の期待通り面白い内容であった。合唱をめぐるクラスメイトの熱意、練習中の風景、衝突、そして緊張感の中で迎える本番。子役たちの演技はもちろん、随所に見られる小道具にも細やかな心遣いが見えた。

「……面白かったー!」
「いいお話だったねー!」

 上映が終わって、始まりよりも大きい拍手が体育館に響いた。ぼそぼそと映画に感想を言い合う声も聞こえる。美咲も、暗闇の中で玲子と感想を言い合っていた。
 しかし、なかなか体育館の電気がつかない。
 トントン、と教頭先生が持っているマイクの頭を叩く音が聞こえる。

「あー、あー……。ちょっと電気の接触が悪いようで……しばらく座って待っていてください」
「カーテン開けばいいじゃんね」
「ねー」

 美咲たちがそんなことを言っていると、やっと先生たちも気付いたのかカーテンが開かれた。外を見ると、やはりと言うべきか雨が降り始めており、しかも結構強い。

「おい、鍵が開かないぞ! どうなってるんだ!」

 熱血漢の体育教師が後方出入口のドア付近で叫んだ。一斉に全生徒が後方に注目をする。体育教師という事もあり力はあるはずなのだが、どれほど押してもドアはぴくりとも動かない。
 東側の出入り口はどうかと他の先生が試してみたが、やはりこちらも動かない。
 次第に生徒の間にも焦りと不安が見え始める。

「どうして開かないの? いたずら?」
「でも生徒は全員ここにいるはずなのに。出ていったら気付くだろうし」
「じゃあ先生ってことになるけど」
「ますますありえないよね」

 この不思議な出来事に不安を感じているのは美咲も玲子も同じあった。
 先生たちが静かにしろと生徒をなだめるが、ざわつきは収まるばかりかむしろ大きくなっていくばかりである。
 上映が終わって十分くらいだっただろうか。
 それは、どこからともなく聞こえてきた。

 カタカタカタカタカタカタ…… カタカタカタカタカタ……

「何?」
「なんか変な音が聞こえるわね」

 美咲はあたりを見渡してみるが、どこにもそんな音を立てるような要素は見つからない。
 生徒は座っているし、先生は立っているが不審な動きをしている人はいない。
 そんなこんなで体育館に缶詰状態になった生徒と先生は、どうすることも出来ず、ひたすらその奇怪な音を聞いているしかなかった。

 カタカタカタ…… カタカタ……

 音は一向に鳴りやむ気配はなさそうだ。
美咲がそう思った瞬間、体育館は再び暗闇に包まれた。

「きゃあ!」
「何!? どうしてまた!?」
「どうなってるの!?」

 四方八方から驚きと恐れに満ちた叫び声が聞こえてくる。カーテンが、勝手に閉まりだしたのだ。
 相変わらず音は鳴りやまない。暗くなってしばらくすると、再びスクリーンが白く光りだし、やがて映像が流れ始めた。

「何これ……二本目?」
「でもプログラムにはそんなこと……」

 先生たちが慌てている様子から考えても二本立てではないようだ。
 流れ出したのは、白黒の映像であった。先ほどから聞こえているカタカタ音も、なるほどこれが原因だったらしい。
 映像は激しく乱れており、とても見れたものではない。音声も全くしない。目を凝らして見ると、映像の中には美咲たちと同じ制服を着た女子が一人写っている。ボール遊びをしたり、プールで泳いだりしていると思えば、授業中にこっそり撮られたと思われる映像もあった。しかし保存状態があまり良くないのか、はっきりと見える部分は一つもなく、映像に何本も折り重なる黒い線のせいで部分的にしかその女子生徒が何をしているのかは伺うことは出来なかった。

「プロジェクターを止めなさい!」
「先生! プロジェクターは動いてませんよ」
「じゃあどこから……」

 美咲はちらっと後ろを振り返った。映像を映す光をたどっていくと、たしかにプロジェクターにはつながらなかった。
 光の線がつながっていたのは、体育館の上にある丸い穴であった。

「あ、あれは映写室。どうして」
「もう使っていないはずなのに……」

 旧校舎の構造はこうである。一階には校長室、職員室、放送室が、二階にはどんと大きなこの体育館が、その上には屋上があるのだが、この体育館と屋上の間に、2.5階と呼ぶべきフロアが存在しているのである。
 そこにはまさしく今映像を映し出していると思われる映写室がある。
 映写室は、その昔、映画ブームに乗っかって増設された施設である。当時は最新の設備を誇り、校内行事のみならず、市の催しごとにも頻繁に利用されていたとされる。
 しかし、次々と発売されるビデオカメラ等の影響で、やがて使用される頻度が少なくなっていき、プロジェクタの登場とともに、映写室はその役目を終えた。
 ……と、美咲は入学した当初のガイダンスで聞いていた。

「くそ、誰がこんな悪戯を……」

 ぎりぎりと歯ぎしりが聞こえてきそうな声で、教頭が呟く。
 映像はしばらく続き、やがて女子生徒がカメラに近づいて顔がアップになる。アップになったところでやはり映像にまたがる黒い線が邪魔をしてはっきりと顔を確認することは出来ない。
 ぐぐっと顔が近づいたところで、突然ブツリと映像が途切れた。
同時に、あのカタカタ音も止んだ。

「終わりなの?」
「そうみたい。美咲、今の何だと思う?」
「さぁ? 手ぶれが激しいからプロの作品ではないと思うけど……」

 美咲は腕組みをしてうーんと考え込んだ。外では雨風が一層激しくなっているようで、カーテン越しにも窓がガタガタしているのが聞こえている。

「まだ電気つかないの?」
「一体どうなってんだ」

 生徒たちの恐怖と不安はもはや頂点であった。体育館に缶詰にされたと思ったらいきなり古い映像が流れ、しかもそれが今は使われていないはずの映写室から流れているとなると、震えあがるのも当然であった。
 ただの悪戯か、それとも別の……。
 映像にすっかり気を取られていた先生たちは、はっと我に返ると急いでカーテンが開け始めた。
 すべてのカーテンを開き、先生たちが全員体育館のステージに上がってくる。
 最後の先生がステージに上がると同時に、窓が今まで以上に激しく揺れ、そしてすべての窓が一斉に、ガシャンと激しい音を立てて割れた。

「もういや!」
「た、助けて!」
「怪奇現象が起きてる!」

 もはや平常心を失った生徒たちは、我先にと体育館の二つの入り口に殺到した。先ほどまで体育教師がどれだけ力を込めても開かなかったドアは、あっさりと開いて生徒たちを外へ逃がした。

「私たちも行こう!」
「うん!」

 玲子に手を引かれて美咲も出口へと走り出す。上靴は東口にあるのだが、パニック状態の生徒にもみくちゃにされ、後方の出入り口に押されていく。
 その最中、美咲はもう一度、丸い穴がある映写室のほうを見た。

「あっ」

 思わず短い悲鳴を上げる。
 穴から微かに人の顔が見えたのである。
 それは血の気のない青白い顔に、今にも飛び出しそうな真っ赤に充血した目をした女性の顔であった。ぎゅっと固く閉ざされた唇からは何の感情も読み取れない。髪が乱れているのか、少々顔にかかっている。ただひたすらに、このパニック状態の体育館を見下ろしていた。
 まるで、誰かを探しているかのように、

「ほら美咲行くよ!」
「う、うん」

 玲子に腕を引っ張られ、絞り上げるような声をあげて美咲はまた一歩踏み出す。
 そして体育館を出る直前、もう一度上を見た。
 ……やはりいる。
 しかし、次に見たその顔は、無表情ではなかった。探し物を見つけたのだろうか、これでもかというほどに左右の口角を吊り上げ、目を細めてニタニタと笑っていた。不気味な笑顔に背筋が凍りそうになった美咲は、慌てて視線を下に戻す。


 先生たちは体育館で起きた事件を不審者の仕業だと判断し、その日は集団下校となった。
 中には泣き出す生徒もおり、そのような生徒は保護者に迎えに来てもらっていた。
美咲と玲子は、泣くこともなかったので、とぼとぼと集団下校の中に混じっている。
雨は一層激しくなり、美咲と玲子、そして他の生徒も両手でしっかりと傘を握っている。

「ねえ、あれ絶対にただの悪戯とかじゃないよね」
「う、うん」

 興奮気味に語る玲子に、歯切れ悪く返事をする美咲。どうしても、あの映写室の中にいたと思われる女の顔が頭から離れなかった。
 全くと言っていいほどに生気が感じられないあの女性は、どのように学校に侵入し、そしてどのようにあの映写室にもぐりこんだのか。何のためにあんなわけのわからない映像を流し、そして……誰かを探していたとしたら、一体誰を探していたというのか。
 考えれば考えるほどに、美咲は気が遠くなりそうだった。そもそも映写室は厳重に鍵がかけられており、生徒はもちろん、先生ですら易々と入られる部屋ではない。
 それに、映画鑑賞会をした体育館には間違いなく全校生徒、そして校長先生を含む学校中の先生がいたはずなのだ。窓だって、いくら風が強いからとすべてが同時に割れるなんてこと、ありうるのだろうか。
 しかも、割れていたのは体育館の窓だけで、新校舎や旧校舎の一階の窓は一枚もわれていないのだ。

「じゃあねー美咲」
「え? ああ、うん。また明日ね」

 気付けばもう、玲子が住むマンションの前まで来ていた。軽く手を振って玲子を見送る。
 美咲も、そのあとまもなく無事に家にたどり着いた。

「おかえり美咲! 大丈夫だった!?」
「ん、怪我とかはしてないよ」
「そう、良かったわ無事で……連絡網が回ってきてすごく心配してたのよ」

 玄関に入るなり、美咲の母・清美はどたどたと廊下を走ってきた。すこし小太りではあるが、動作はきびきびしている。美咲の顔を見ると、ほっと溜息をつき、傘では庇いきれずにところどころ濡れてしまった美咲の体を、優しく抱きしめた。

「先にお風呂入っておいで。夕食作るから」

 そう促され、美咲は軽く頷いた。
 風呂に入っている最中、美咲は風で窓がガタガタ言うたびに心細い気持ちになった。体育館の窓よりも弱そうな窓が割れたりしないだろうか。そして窓の音が小さくなったら小さくなったで、その音が次はあの映像を流した時に聞こえたカタカタという音のように聞こえ、美咲は怖くなる。もう何度、あの女の顔を思い出しているのか。

「美咲、今日学校に不審者が出たんだって?」

 夕食の最中、あまり事情を詳しく知らない父・直人が何気なく聞いてくる。

「やめてよ、あなた。美咲は怖い思いしたんだから」

 やんわりと清美がその話題を遮ると、美咲は箸を止めて俯いてしまった。

「いや、やはり母校のことだから気になるだろう」
「もう、あなたってば!」

 直人は生まれも育ちもK市であり、かつて美咲が今通っている中学校の生徒であった。それもう軽く二十年以上前のことになるが、直人は地元大好き人間なので今でも当時の友人たちと飲みに行ったり、釣りに行ったりと交流がある。
 中学時代はいわゆる不良であったらしく、日々先生と衝突し、近所の中学生とのけんかに明け暮れ、体中に傷を作って帰って来たらしいが、今となってはかけがえのない思い出だそうだ。
そんなヤンチャな時代を過ごした直人が、今や子煩悩な父親になろうとは当時のクラスメイトを始め、校区内全員は全く予想もしていなかった。

「お父さんの時代ってさ」

 俯いたまま、美咲が呟く。直前まで清美に怒られて笑いながら謝っていた直人は、ふと視線を美咲に向けた。

「映写室……まだ使ってた?」

 美咲の声は微かにふるえていた。

「映写室? ああ、体育館の上のか。そうだなぁお父さんが二年生の夏までは使ってたな」
「二年生まで」
「ああ。ちょっと問題があってな」
「問題?」
「映写室でな、女子生徒が自殺したんだよ」

 美咲は背中に冷や汗がにじむのをはっきりと感じた。

「お父さん! これ以上美咲を怖がらせてどうするつもりなの?」

 清美がきっと直人を睨む。一瞬怯んだが、すぐに笑顔に戻った。

「ははは、冗談だよ、冗談。とにかく、お父さんがいた頃は途中まで使われていたことは確かだよ」

 冗談には、思えなかった。
 だって、美咲ははっきりと、あの映写室の中に女性の顔を見たのだから。
 ではやはり、あれは生身の人間じゃなかったのか……。

「……ごちそうさま」
「あらもういいの?」
「うん、食欲なくて……」
「じゃあお父さんが代わりに食べてあげよう」
「もう! お父さんが変な作り話するからでしょ!」

 清美が声を荒げて直人を叱りつけた。

(作り話なんかじゃない。お父さんの話はきっと……本当だよ)

 美咲は心の中でそう思いながら、ふらふらと立ち上がって自室へと思った。
 その日は、恐さで頭がいっぱいになり、電気を付けたまま眠りについた。
暗闇にいると、またカタカタ音が聞こえてくるような気がしてならなかったのだ。


 次の日、学校は警察の立ち入り検査が行われた。生徒たちが授業を受けている間に、数人の警察が旧校舎に集まった。

「本当に映写室から映像が?」
「間違いありません。昨日、校内全ての人間が目撃していますので」
「窓が割れたときの様子は?」
「映像が終わり、教師が全員舞台に上がった瞬間でした。左右にそれぞれ八枚ずつある窓が一斉に割れたのです」
「うーむ」

 立ち合いの教頭が、当時の様子について話している。警察は頷きはするものの、苦々しい表情を崩すことはなかった。
 話を整理するとこうである。
 昨日の二時ごろから映画鑑賞会が始まり、三時半にいったん終了した。
 だが、体育館の電気がつかず、カーテンがいきなり閉まり、何者かが上映室に侵入して謎の映像を流し始めた。
 それが終わって慌ててカーテンを開き、教師陣が舞台に上がった途端、ガタガタと震えていた体育館の窓が全て割れたのだ。
 最終的にパニックを起こした生徒が出入り口に殺到し、最後に体育館を出た教頭が、その際に腕時計を確認した時には、午後五時を回っていたという。

「体育館から映写室が覗けると思うのですが、人がいたような気配は?」
「さあ、暗くてよく見えませんでした」
「でも映像は間違いなく映写室から?」
「それは確かです。私がプロジェクタを消すように指示した時、そばにいた先生方が、プロジェクタの電源は切られていると言っていたので。それに映像を映している光をたどると間違いなく映写室がある穴につながっていましたから」
「ふむ……窓については偶然の突風が原因だと考えるとして、いきなり意味不明な映像が、映写室から流れだしたというのがどうも……」

 現実主義の警察たちは一様に首をひねった。というのも、警察が念のために映写室を調べたとき、やはり人が立ち入った気配がなかったのだ。
 第一に、映写室は鍵が閉まっていたはずなのだ。今朝、特別に開けてもらって警察が入った時、長年使われておらず放置されていたせいか、中はとても埃っぽくなっていた。
 機材には分厚い埃がたまり、棚にはぎっしりとテープが詰まっており、床には収まりきらなかったと思われる数本のテープが転がっていた。
 昨日、誰かが映写室に侵入して映像を流したとするのであれば、部分的に埃は払われているはずである。それが全く払われていない。しかも、機器を動かそうと警察が試みたところ、古くなってしまったそれらは電源も入らずぴくりとも動かなかったのだ。
また、テープについても、映写室に保管されているのは体育祭や文化祭と言った行事を記録したものばかりであり、特定の女子生徒を映したと思われるようなテープは見つからなかった。

「集団催眠とかなのでは?」
「そんな馬鹿な」
「例えば、初めに見た映像にそういった仕掛けがあったとか」
「まさか。あれは単純に近所のレンタルショップで借りてきただけですよ」

 警察はまた頭を抱えてしまった。この一連の騒ぎは、不可解な点が多すぎる。
 とりあえず学校周辺の警備強化と、引き続きの調査を約束して警察は帰っていった。



「ね、今日映写室こっそり見に行ってみない?」
「え?!」

 K市の小中学校は給食である。座席どうしをくっつけて班を作り、給食を食す。
 美咲は、隣の班にいる玲子からこっそりとそんな提案を受けた。
 またしても美咲の背中を、冷汗がツツツ……と流れる。

「なんかありそうだよね、あそこ」
「そう……かなぁ」

 美咲は乗り気ではなかった。もし映写室に行って、間近であの女性に出くわしたらと思うと怖くてたまらなかった。何しろ相手は人間ではないかもしれないのである。
 正直に言ってしまえば、美咲は映写室どころかもう旧校舎には協力近づきたいくないほどである。

「ねえ、行ってみようよ。何か分かるかも」
「でも、教頭先生が今日警察と検証しているんでしょう?」
「そうだけどさぁ、どーせその情報、私たちには入ってこないじゃん」
「無事だったしいいじゃない、もう」
「えー気になるよお」

 さりげなく玲子の行く気を削ごうとしているのだが、好奇心の強さを滲ませる玲子には何の効果もなかった。
 結局、放課後美咲は玲子と共に、映写室に向かうことになってしまった。



 映写室の前は、美咲や玲子のように映写室に興味を持った生徒が大勢集まっていた。立ち入り禁止のテープが貼られており、中に入ることは難しい。それでも調査のために開け放されたドアはそのままになっていたので、中を除くことは可能だった。

「全然前見えないよー」
「ね、もう諦めよ」
「えー!」

 美咲は玲子の袖をひっぱる。玲子は口をとがらせる。やがてぴょんぴょんと何度か飛び跳ねて、中の様子をうかがった。

「ほら、美咲も! ジャンプすれば一瞬見れるよ」
「いいってば」
「なあに? もしかして怖いの?」
「そ、そんなわけないよ! ほら!」

 玲子のからかいに、つい乗ってしまい、美咲は精一杯ジャンプをして見せた。
 その一瞬、見えた映写室は何ともいない不気味さを帯びていた。
 長年使われていなかったからか、部屋にある小さな窓から僅かに入ってくる光のせいで空気中を舞う埃が肉眼で確認できる。
 床に散らばる数本のビデオテープを見て、美咲は嫌な気分になった。のちに警察も同じところを気にかけていたことを美咲は知るのだが、きちんと整理されて物が置かれている中で、なぜその数本だけが散らばっているのかが不自然に見えたのだ。
 しかも、そのテープは全てテープ部分がケースから飛び出している。意図的に誰かが再生できないようにするためにテープを引っ張り出したように。

「コラァ! お前ら早く帰れ!」
「やべえ、吉野だ!」
「逃げろ!!」
「お前ら何してんだ! さっさと帰れ! ほらっ!」

 しばらくすると、体育教師の吉野隆弘が映写室のほうに猛スピードで駆け寄ってきた。野次馬のように集まる生徒たちを怒鳴り散らす。
 吉野は元々柔道の選手を目指していたこともあり、がっちりとした体格をしている。顔も強面で迫力抜群だ。一年生の中には顔を見ただけでも泣きそうになる生徒が毎年一人は必ずいる。
 そんな吉野が、大声で、しかも怒りで顔を真っ赤にして迫りくるものだから映写室に集まっていた生徒はみな一斉に四方八方へと逃げていった。もちろん美咲と玲子も、大声にびっくりして慌てて映写室の前を離れた。
 走ったせいで乱れてしまった息をととのえ、校門を潜り抜ける。

「あーびっくりしたー。吉野先生ほんとおっかないわ」
「ねー」

 美咲も思わず苦笑する。

「正義感強くて熱血なのはわかるけどさ」
「あはは」

 美咲が、曖昧にしか笑えないのには理由があった。それは、吉野が、美咲の父親でのある直人の先輩にあたるからである。学校ではほとんど話すことはないが、吉野は時々美咲の家に遊びに来る。金曜日や土曜日の夜になると、直人と吉野はその時都合がつく仲間を後二人呼び出して徹夜で麻雀をすることもあった。
 家に遊びに来る吉野は、学校で見るような厳格さはなく、豪快に笑い、今を楽しんで生きているようにも見えた。そしてそんな吉野を、直人はとても慕っていたので、娘である美咲も、あまり下手なことは言えないのである。
 実際、美咲は吉野のことを好きでも嫌いでもどっちでもなかった。

その晩のことである。

「おい美咲、吉野先輩最近どうだ?」

 今日怒鳴っていた吉野を見たばかりなので、美咲はぎくっとする。

「どうって?」

 それでも何とか冷静であると装って、返事をした。

「今年から赴任だろ?」
「ん、そうだね」

 吉野は大学を出てすぐに教師になった。去年までは別の中学校で教えていたのだが、今年から美咲たちが通う中学……すなわち吉野自身の母校に赴任してきた。
 中学時代の吉野を知っている先生はごくわずかで、みな口をそろえて吉野が教師になるなんてと驚いた様子であった。

「先輩、正義感強くてかっこいいだろ?」
「かっこいいかは分からないけど……そうだね正義感は強いかな」

 強すぎるくらいにね、と美咲は心の中で付け加えた。悪さをする生徒がいれば迫力満点で叱る。逆にいいことをすれば、一応褒めてくれる。ただ、褒めるほうに関してはあまり慣れていないのか、場合によってはその時すら怖く見えることもある。
 実際はぶっきらぼうなだけなのだが。

「美咲も体育の授業は吉野先生なのか?」
「うん」
「そうかそうか。真面目に受けるんだぞ」

 吉野の話をする直人は、いつだって上機嫌だった。今でもこの調子なのだから、中学生時代はもっと上機嫌だったのだろう。
 どうだ、先輩すごいだろ? と、得意げに言っている中学生の直人を、美咲は想像してなんだか笑いそうになってしまった。

「そうだ、吉野先輩、明日来るから」
「あら、もう金曜日? また麻雀?」
「そうだ。今回は完全に徹夜するからな」

 わっはっはと笑う直人を見て、清美はやれやれと呆れた笑顔を見せる。清美が吉野についてどういう印象を持っているかはわからない。清美はK市から少し離れたT市から嫁いできたため、周囲に知り合いはあまりいない。それこそ定期的に顔を合わせる吉野をはじめとする直人の幼馴染や友人くらいしか知り合いはいないともいえる。
 美咲が尋ねたところ、直人と清美はお見合い結婚だという事だが、どうも直人のほうが積極的だったようで、直人よりも一つ下の清美が、何度もアタックしてくる直人に根負けしたというのが強い。
 結婚して数年ほどはやはり清美の、直人に対する愛情は薄かったようだが、とはいっても何年も一緒にいると情はもちろん、家族愛というのも生まれたようで、今は清美にとって直人は大事な存在になっているのも確かだ。
 いつまでも少年らしさが抜けない直人を、しっかり者の清美が支える。精神年齢はどうやら清美のほうが断然上のようだ。

「何時にいらっしゃるの?」
「大体八時には来ると思うが」
「夕食は?」
「もちろんうちで食べてもらうさ。清美、よろしくな」
「はい」

 すぐに返事はしたものの、清美はすっと立ち上がって当日の夕食の献立を何にしようかと悩んでいた。

「私、宿題してくる」
「はーい、頑張ってね」

 美咲は部屋に戻って机の電気をつけた。椅子に座ってテキストを開く。
 正直、美咲にとって吉野がいつ遊びに来ようが、あまり関係のないことだ。
 いつも部屋に籠って、ゲームをしたり勉強したりして過ごしているのだから。
 しかし、金曜日に吉野が大谷家に来ることはなかった。




「あ、お巡りさん! こっちです!」

 吉野が麻雀をしに来るはずだった金曜日。
 朝から中学校はざわついていた。
「ほらほら君たちは教室に帰りなさい!」
 昨日の放課後と同じように映写室に群がる中学生たちを追い払う教頭。中にはあまりの衝撃に嘔吐する生徒も数人いた。ふらっと気絶する生徒もいる。

「先生方、保健室へ連れて行ってあげてください」
「はい! ほら、立てる?」

 なるべく映写室の中を見ないように配慮しながら、しゃがみこむ生徒に手を差し伸べる教師陣。そっと涙を拭いてあげたり、吐しゃ物の処理をしたりと慌ただしく動き回っている。
 その中に、吉野の姿はなかった。昨日のように顔を真っ赤にして怒ってきてもおかしくないのだが、吉野にその力はなかった。
 彼は、昨日とは正反対に、顔が真っ青になっていた。体中の血液が全て抜かれているようにすら見える。
 そんな状態で、彼は床から足を浮かせてぶらぶらと揺れていた。


 ――映写室で、首を吊って。


 吉野が映写室で首をつって死んでいるという話は、瞬く間に広まった。昨日の夕方まで特におかしい様子もなく、いつも通り生徒を怒鳴り散らしていたというのに、一晩で何があったというのか。

「じゃ、ゆっくり下ろすぞ、せーの」
「はいっ」

 吉野の死体が、いまゆっくりと床に降ろされる。死後硬直の様子から見ると、どうやら死んだのは昨日夕方くらいとのことだった。
まさしく、生徒を怒鳴り散らして帰したすぐ後だと言える。
第一発見者は、引き続き一昨日起きた事件の調査に来た警察だった。立ち入り禁止のテープが剥がされていたので不審に思いながら中に入ると、ぎしぎしと何かが軋む音と、コツコツと何かが床もしくは壁を微かに叩く音が聞こえたという。
ますます不審に思ってぐるっと見渡したところ、映写室の窓の少し出っ張っている枠にロープをひっかけて首を吊っている吉野を発見したということだった。
かっと目を見開き、歯をくいしばって死んでいる吉野の顔は、今までのどの表情よりも鬼気迫るものがあった。よほど苦しかったのか、それともその目は、驚きのあまり見開かれたのか――。

「今日は急きょ、学校はお休みになりました。一昨日と同じく集団下校します」

 もちろん、美咲のクラスにも吉野の死はショッキングな出来事として伝播していた。朝早く来て吉野の死体を見た一部のクラスメイトが、その様子について事細かに説明している。
 そんな話を聞きたくないと思い、美咲は必死に耳を塞ぐのだが、興奮のあまり大声で話すクラスメイトの声を完全にかき消すことは出来なかった。

「すごい苦しそうな顔だったぜ」
「やだもう、やめてよ」
「あいつ、自殺するような要素あったか?」
「さあな。一部の生徒からは怖がられて、暑苦しいって嫌われたからとか?」

 無責任なうわさも入り混じるその話題に、美咲の恐怖と不快さは我慢の限界に達しそうだった。
 そんな美咲を見かね、昨日は興味本位に映写室に誘った玲子が立ち上がる。

「はいはい、その話はおしまい! 怖がってる子もいるから辞めよう」
「はあ? お前だって昨日映写室来てたじゃねえか」
「昨日は昨日! 今日は今日! そして明日は明日の風が吹く!」
「なんじゃそら」

 さきほどまで暗い雰囲気に包まれていた教室は、玲子の意味不明な発言により一瞬にして明るさを取り戻した。

「じゃ、帰る支度してねー」

 その雰囲気を壊すまいと先生も声をかける。
 運動場に出る途中、旧校舎と新校舎の間にある廊下を歩いていると、美咲はつい映写室がある方向を見てしまった。
 中ではまだ現場検証が行われているのだろうかと思いながら、上を見上げたら美咲は一昨日と同じくまた短い悲鳴を挙げそうになった。
 上映会が行われたあの日、映写室から不気味に体育館を見下ろしていたあの女子が、またしても映写室の中にいるのだ。
 窓から僅かに見える彼女の表情は、その長い髪に隠れてよくは見えなかったが、視線が床にあるところを見ると、おそらく吉野の死体を眺めているに違いない。

「どうしたの?」

 何も知らない玲子が、声をかける。

「あ、あれ……」
「あれ?」

 美咲が指さす方を見た玲子は、表情を一切崩さなかった。

「何? 映写室がどうしたの?」
「え……」

 まだ彼女の姿ははっきりと見えている。少なくとも美咲には。
 けれども、玲子には姿が見えないらしく、何があるのかと少し困った顔をして見せた。

「あ、いやなんでもない! 行こう」
「ちょ、ちょっと美咲?」
「ごめんごめん勘違いだった」

 適当に取り繕いながら、美咲は玲子の背中を押した。



 その後、学校は一週間休校という措置が取られた。
 普通なら休みになったと喜ぶべきところだが、理由が理由なので美咲は複雑だった。
 その間に行われた吉野の告別式にも出席したが、美咲は自分の父親がわんわん泣ているのを見て少しぎょっとした。

「せ、先輩……どうして……金曜日にまた会おうって約束したじゃないですか……」
「あなた、次の人が」
「うるさい! せんぱ……い……」

 清美が宥めるが、泣き止む気配などこれっぽっちもなかった。
 遺影の中でも無愛想な表情の吉野を見て、直人は嗚咽を漏らした。

「なんであんなところで……あの子と同じところで自殺してどうするんですか!」
「!?」

 興奮のあまり、大声で直人が叫ぶ。その言葉の「あの子」という言葉に、式場にいた全員が反応した。直人の暴走に、清美は声を荒げる。

「いい加減にしてください! 行きますよ!」

 最終的に、直人は清美に引っ張られて式場を後にした。
 その帰り道、直人は吉野との思い出話をしようという幼馴染たちに誘われてK市内にある居酒屋に向かった。
 喪服を着た清美と、制服姿の美咲が肩を並べて歩いている。
 しばらくの沈黙。それを破ったのは清美の方だった。

「吉野先生、残念だったわね」
「うん……」
「直人さんったら式場であんなに叫ぶんだもの。びっくりしちゃったわ」
「うん。あの子って誰なんだろう」

 何気なく呟いたその言葉に、清美はぴたりと足を止めた。

「お母さん?」
「……今から話すこと、お父さんには内緒よ」

 清美から語られたのは、あの映写室で起きた事件のことだった。



 当時十四歳だった清美は、当然まだK市には住んでいなかった。
 しかし、毎月買っていた漫画雑誌の文通募集コーナーで、K市に住んでいたある一人の女の子との文通を始めることになったのである。
 清美もその女の子も非常にまめで、非常にたくさん手紙のやり取りをしたという。

「文章が上手くてね、いつも楽しい学校生活の話を書いてくれてたの」

 清美は頑張っていたテニス部の話を、そしてその女の子は映画同好会の話を、よく書いていたという。

「映画……同好会……」
「当時映画がブームだったのよ」

 美咲は、映画という言葉に過剰に反応を示した。じわりじわりと、あの映写室に潜む彼女の影が美咲の脳裏に浮かび上がってくる。

「とにかく、映画が大好きな子だった。将来は映画監督になるのが夢だって言ってたわね」

 そんな、映画大好きな女の子と清美の文通が半年ほど続いたある日のことだった。

「文化祭で自主製作の映画を流すことになったんですって」

 美咲たちの学校では毎年十一月に文化祭は行われる。現在はクラス単位での参加が主で、あとは文化部が何かを展示したり披露したりする程度だ。
 ちなみに、映画同好会というものは現在存在せず、デジカメやハンディカメラの普及でより映像を撮ることが身近になったので部活に昇格し、活動内容も映像に縛られず昼休み野ラジオであったり、たまに学校の有名人を取材したりと幅広くなったので、映画同好会ではなく放送部と名前が変わっている。

「あの子、はりきってたわ。すごいものを作るから、遠いけれどぜひ見に来てほしいって」

 けれど、それは叶うことはなかった。完成直前に、彼女は死んでしまったのだ。

「自殺……しちゃったのよ……」
「それって……」
「直人さんが言ってたのは、間違いなく、昔お母さんが文通していたその子に違いないわ」

 女の子が死んだという知らせを、清美が受けたのはすでに告別式を終えた後だった。その子の両親から、清美宛てに手紙が届いたのだという。
「当時はね、あまりにも衝撃的過ぎて実感わかなかったな。一度だけ写真を交換したことあるけど、とても綺麗な子だった。手紙だって明るくて、悩みなんてなさそうに見えたのに。人って分からないものね」
 当時を思い出したのか、清美の目には涙がたまっていた。先ほど吉野の告別式で大泣きしていた直人に比べるととても静かな泣き方だったが、どちらも故人を大切に思っているという部分では同じなのかもしれない。

「綺麗って……どんな感じだったの?」

 美咲が尋ねる。

「髪が長くて、目が大きくて……色が白くてすごく華奢な子だった。写真だけどね」

 間違いない。美咲が二度にわたって目撃している映写室の彼女と、清美のかつての文通相手は同一人物だ。
 ただし、美咲が見た現在の女の子は苦しんで死んでいったからなのか、どす黒いオーラを身にまとった、不気味な存在と化している。
 もしかしたら、彼女は……。



 映写室で吉野が殺され、学校が休校となり、そして久々に授業再開となった初日。
 だるい、眠いと言いながら登校する生徒もいれば、久々に友人に会えて楽しそうにしている生徒もいる。

「ほんと、恐い事件だったね」
「ねー」

 美咲だけは、そわそわと落ち着かない様子だった。
 まだ、この事件は終わりを迎えていないんじゃないのかという考えがあったからだ。
 やがて先生が教室に入ってくる。

「起立! 気を付け! 礼!」

 日直の元気な掛け声とともに、クラスメイト達は一斉に頭を下げる。
 授業は滞りなく進み、あっという間に放課後になった。

「よし、帰ろう美咲」
「うん」

 カバンを下げた玲子が美咲の机の前に立っている。窓から見える夕日が美しい。
 教室に、オレンジの光が差し込んでいる。
 美咲が机の中の教科書を取り出し、かばんにつめた、その時だった。


 ピーンポーンパーンポーン……
  只今より、映画同好会による上映会を実施いたします
   お時間がありましたら、体育館へお越しください。
    繰り返します……


「なになに上映会?」
「れ、玲子……」

 昨日、彼女の姿が見えなかった玲子にも、この放送は聞こえたようだった。
 教室がざわついている様子を見ると、二人だけではなく、ちゃんと他のクラスメイトにもこの放送は聞こえているようだ。

「映画同好会? そんなのうちあったかあ?」
「放送部の間違いじゃね?」
「とにかく行ってみようぜ!」

 面白半分に、残っていた生徒たちが体育館に向かって走り出す。

「私たちも行ってみよ!」
「え?! で、でも」

 本当なら、行きたくない……でも。

『一度でいいから、会ってみたかったよ、その子に』

 吉野の告別式の帰り。映写室で起きた悲しい自殺の話をしてくれた清美は、ぽつりとそう呟いた。その言葉が、美咲の心に強く残っていた。
 あの女の子は、何を思って死んでいったのだろう。

「い、行こう」

 美咲は意を決して体育館へと足を運んだ。




 体育館は好奇心旺盛な生徒ですでにいっぱいになっていた。
 先生たちが必死に帰るように説得するが、誰一人として聞くものがいなかった。
 やがてどこからともなく、映画館で聞くようなブザー音が鳴る。
 勝手にカーテンが閉まり、体育館の照明が落とされた。
 キャアともワアともつかない悲鳴が、あちこちで聞こえてくる。
 そしてまた、前回の上映かと同じようにカタカタという音が聞こえてきた。

『因果の花』

「いんがのはな?」

 目の前のスクリーンに、縦書きで映し出されたそれは、これから始まる映画のタイトルだろうか。一気に体育館に静けさが広まる。つい先ほどまで生徒に呼びかけていた先生方も黙り込んでしまった。室内にいる全員が、スクリーンに自然を注いでいた。
 映画の画質はとても良いものとは思えない。しかし、この間のように黒い線が入っていることはなく、映像全体がきっちりと分かるようになっていた。
 前回と同じものだと思う映像が、まずは流れ出した。

『じゃあいくぞー!』

 今度は音声までばっちり聞こえる。同じ年くらいの男子の声だった。

『せーの!』

 声に合わせてボールが宙を舞う。

『はい、次!』
『もっと頑張れよ!』

 プールではしゃぐ生徒たちが水しぶきを上げている。

『さあ、分かるかなー?』

 授業中、勢いよく手を挙げる生徒たちの中、女子生徒が恐る恐る手を挙げだす。
 ただ、よく見るとそれは学校ではなさそうだった。塾のようなところだろうか。

「……」
「うそだろ……」

 ひそひそと話声が漏れる。

「美咲……これって……」

 不安になったのか、玲子がぎゅっと美咲の腕にしがみついた。
 その腕をそっと抑える美咲もまた、暗闇の中で不安そうな表情になっていた。
 やがてシーンは、あの女子生徒がアップになっていくところに差し掛かる。

『何か一言どうぞ』
『……私は、横田先輩が好き』

 そういうと、スクリーンの中の女子生徒が段々アップになる。
 前には分からなかったが、女子生徒は確かに涙を流していた。

「……そういうことだったのね」

 美咲は何もかも悟ってしまった。それでも最後まで見届けようと美咲は玲子の腕をつかむ手にぎゅっと力を込めた。
 女子生徒のアップがしばらく流れたら、映像は終わりのはずだった。
 しかし、今日の上映会はそこで終わらない。
 場面がいきなり変わる。大人の男性が、何かを必死に探しているようだった。

『ネエ』
『くそ、早く見つけないと』
『ネェ……』

 呼びかけが気付かないのか、男は一心に何かを探していた。
 それが映写室の中だと言うことに、美咲が気付いた。

『何ヲ……探シテルノ……』
『うるさいな! 早く帰れって言っただろう!』

「あっ!」
「えっ!」
「きゃあ!」

 不機嫌そうに振り返った男――それは、先週殺された吉野だった。
 怖い顔をして振り向いた吉野は、すぐに表情を一変させ、口をパクパクさせている。

『お、お前……』
『コレ……?』

 カメラには、話しかけている女の姿は映っていない。
 どうやら女が話しながらカメラを回しているらしい。
 多少ブレを生じさせながら、カメラが吉野に近づいていく。

『お前……どうして……』
 でかい図体をしているというのに、吉野はすっかり怖がっている。
 腰を抜かして、地面にしゃがみこむ吉野に、もはや威厳などはなかった。

『映画ヲ……作ッテルノヨ……完成サセナキャ……』
『う、恨んでいるのか……俺のこと』
『恨ム……アア、アナタ』

 ――吉野先輩ダッタンデスネ。先生ノ役シテルノ?



 女が言いきらないうちに吉野の叫び声があがった。
 一瞬ブラックアウトし、次のシーンは背景に窓が見える。
 すぐ前に吉野が立たされている。その首には、ロープがつけられている。

『ホラ、演技シテ』
『や、やめろ……』
『ダッテ、吉野先輩ガ、言ッタンデハナイデスカ。――今年ノ映画、テーマヲイジメニシヨウト』

 女の表情は相変わらず分からないが、きっと前に見たようにニタニタと笑っていたのだろうと美咲は想像した。そして、ぶるっと身震いをする。

『ゆ、許してくれ……ほんの、冗談だったんだ……』
『ジョウダン? 私ハ、本気デシタ』
『なっ……』

 映像に、女の手と思われる白い手が写りこむ。そっと、吉野の頬を撫でていた。

『先輩ノ言ウ通リニ、イジメラレッ子ノ役ヲ頑張ッタノ二?』
『ぐっ……』
『ボールヲ、ブツケラレテ、痛カッタ、プールデ、無理ヤリ沈メラレテ、苦シカッタ』
『わ、悪かった! 謝るから!』
『先輩ノ通ウ塾ニ、紛レテ分カラナイ問題ニ答エサセラエテ、辛カッタ』
『た、頼むからこのロープを外してくれ!』
『カメラニ向カッテ、好キナ人ノ名前ヲ、言ワサレテ……死ヌホド、恥ズカシカッタ
デモ、イジメヲ失クス為ダカラ。ソノ言葉ヲ、信ジテ耐エタノ二……!!』
『ぎゃああああああ』

 吉野の、断末魔が響く。反射的に顔をそむける大勢の生徒。
 美咲は、恐がりつつも決して目を逸らさなかった。
 またまたブラックアウトし、次に映った吉野はすでに事切れていた。
 必死の形相を浮かべながら、ロープを外そうとしたのだろうか、両手の指が首とロープの間に挟まっている。安らかな眠りとは程遠い、吉野の最期だった。

「うわああああああああ!」

 生徒たちが一斉に叫びだす。

『ウン、テーマニピッタリな映画ガ撮レタ』

 叫んでいる生徒とは正反対に、スクリーンの中の女の子の声は、どことなく嬉しそうだった。

『先輩、オツカレサマデシタ』

 その言葉が最後のセリフのようだ。
 やがてエンドロールが流れる。



いじめられっこ: 牧田 優
いじめっこ:吉野 隆弘
制作:映画同好会



 スクリーンは真っ白になった。その場にいた全員がぐったりと疲れている。
 中には吉野が死ぬシーンで気絶した生徒や先生もいた。

 パチパチパチ……

「え!?」

 美咲は思わず振り返った。まだ体育館の照明はついていない。あるのはスクリーンの真っ白な光だけ。
 後ろを振り返ると、その光の中にぼうっと人影が浮かび上がっている。
 目を凝らすと、そこには間違いなく、あの女の子――いじめられっ子役だった子が立っていた。パチパチと手の甲どうしで拍手をしている。
 ニタニタと嬉しそうに笑っている。首つりで死んだ影響だろうか、顔ががくっと左に傾いており、首にはくっきりと黒っぽい紫色のロープの跡がついていた。

「出たー!!」
「逃げろー!」
「た、助けて!!」

 生徒たちが一気にパニック状態を起こす。美咲はもはや立ち上がることすらできなかった。そんな状態で、女の子と目が合ってしまう。
 女の子は、美咲の姿を見つけると幽霊らしく、スススッ……と寄ってきた。

「いや……いや……」
「清美チャン……」

 彼女なりの嬉しそうな顔で、美咲に話しかけてくる。
しかし、すぐに悲しそうな顔になった。

「清美チャン……ゴメンネ……嘘……吐ツイテタノ……」
 突然の謝罪に、美咲は怖がることを忘れた。しかも、先ほどから聞いていると、この女の子は、美咲のことを清美ちゃんと呼んでいる。
 そう、女の子は、美咲を、いつか写真で見た清美だと思っているのだ。

「キヨ……ミ……チャン」
「な、なに?」

 ここは、母親である清美ということで通そうと、美咲はとっさに判断した。

「ゴメンネ……私ネ、友達イッパイイル、ソウ書イテタケド、嘘ダッタ」
「え……」
「ホントハ、イジメラレテタノ、分カッテタ。デモ、清美チャンニ嫌ワレタクナクテ……」

 見開いたまま固まって死んでしまったのだろう。女の子はまばたきが出来ない目から、大粒の涙をこぼしている。

「明ルイ子ヲ、手紙デ演ジテタノ」

 それは、二十五年以上の時を経ての告白だった。

「清美チャンハ、私ノ、唯一ノ、オ友達ダッタカラ……」
「……」

 美咲は何も言うことが出来なかった。

「吉野先輩ニ、告白サレタケド、横田先輩ガ好キダッタカラ断ッタ。ソシタラ……」

 プライドがひどく傷つけられたのだろう。吉野はこともあろうにこの牧田優という生徒を苛めだしたという。しかも周囲には自分が告白したとは言わず、逆に牧田が告白してきて断ったら付きまとわれていると言いふらしていたのだ。
 吉野はK市でもひときわ目立った生徒だった。隣の中学校の相手とけんか三昧、授業もまともに出ない。それでも当時はなかなかかっこ良かったし、喧嘩が強かったので女子からは人気だった。すっかり調子に乗っていた吉野にとって、女子に振られるなどありえないことだったのだ。それがしかも、後輩となればなおさらのことだった。

「抵抗デキナカッタ。ダッテ、映画ニカコツケテ……」

 吉野のやり口は卑怯だった。牧田優が所属する映画同好会に乗り込み、いじめ対策の映画を作ろうと提案してきたのだ。そこで牧田優をいじめられっこ役として抜擢し、これは映画だからと言い聞かせて身体的にも、精神的にも徹底的にいじめぬいた。
 最初は遠慮がちだった周りの生徒も、次第に感情が薄れ、ストレス発散とばかりに牧田優に対して積極的にいじめを行うまでになってしまった。
 最初の方は、牧田優もがんばっていた。それは清美との約束があったからだった。
 清美からの手紙と、映画を見せたいという思いだけが、彼女の支えだった。

「映画、遅クナッチャッテゴメンネ……清美チャン……」

 清美への思いより、苛めからくるストレスと、孤独や寂しさが上回ってしまったことで彼女はとうとう自殺してしまった。それでも映画を見せたかったという心残りが、彼女の魂をこの世に引き止めた。
 そして、イジメに勝てなかった弱さを何度も悔やみ、その悔しさは吉野への憎しみに変わり、彼女の心にはいつしか恐ろしい復讐の悪魔が住み着いてしまった。
 結果、吉野を殺害し、彼女なりの映画を完成させると言うことにつながったのである。

「私ハ、本当ニ、情ケナイ……」

 こうすることでしか、彼女の無念は晴らせなかったのだ。
 きっと今の吉野が正義感でいっぱいだったのは、この事件への償いの意味もあったの知れない。
 しかし、時すでに遅しである。
 呪殺で人を逮捕することは出来ない。しかも容疑者は幽霊である。
 美咲は、牧田優を人殺しだと責め立てる気は全く起きなかった。
 むしろ、よく一人で今まで映写室で過ごしたね、よく頑張ったねと褒めたいくらいだった。

「大丈夫だよ。映画……あなたの思いは伝わったから」
「ホント……?」
「本当だよ。すごくすごく、伝わった」

 映画のタイトルである『因果の花』。これこそ、牧田優が映画を通じて伝えたかったことである。いじめっこには必ずいつかしっぺ返しが来る。そしていじめられっこは、今は弱いかもしれないけれど必ず強くなれる日が来る。

「アリガト……清美チャン……」

 牧田優は、文字通り魂を削って映画を作り上げたのだ――。




「ほら美咲、起きなさい!」
「ん……ここ……」

 ベッドの上で、美咲は目が覚めた。ぼんやりと時計を見ると七時半を差していた。

「やばい、遅刻遅刻!」

 慌ててベッドから飛び起き、制服に着替える。
 階段を駆け下りると、腕組みをして清美が待ち受けていた。

「もう、いつまで寝てるのよ」
「ごめんなさーい」

 謝りながら椅子に座り、パンを頬張った。
 ――美咲は、昨日の夜どうやって帰って来たか覚えていなかった。
 牧田優の映画を見て、清美への懺悔を聞き、そして一緒に泣いた。
 美咲の記憶はここまでで、そのあとどうやって帰ったか、晩御飯は何だったか、そして何時ごろに寝たのかは全く記憶になかった。

「行ってきます!!……と、そうだお母さん」

 靴を履き終えてドアを開けかけたところで美咲は清美のほうを見た。

「もし、文通の子と一日でも会えていたら、何してた?」
「なあにいきなり。そうねぇ……」

 少し考え込む清美。

「お友達になりましょうって、改めて言ってたわ」
「そっか。うん、そうだよね」
「もう、なんなの?」
「ううん、なんにも? 行ってきまーす」
「変な美咲。いってらっしゃい気を付けるのよ」
「はーい!」

 軽く手を挙げて美咲は走り出す。



「おはよ美咲!」
「おはよ!」
「昨日大変だったよー、学校終わってすぐ帰って弟の世話だなんてさ」
「え? 昨日……一緒に帰らなかったっけ?」
「何言ってんの。それは一昨日だよ?」
「そうだっけ?」
「やだー、美咲ボケるには早いわ、よ!」
「いたあい!」

 アハハと玲子が笑う。
 この玲子の態度といい、そして何より教室に入った時に誰も昨日の上映会のことを離していないことと言い、どうやら牧田優の映画について覚えているのは美咲だけのようだ。

「はい、そっち抑えてください」
「こうですか?」
「そうそう」

 朝から先生たちが映写室の前で作業をしている。

「あちゃーもう完全封鎖されるんだねー」
「そりゃあんなこと起きたら……ねぇ」

 野次馬生徒がまたしても映写室に集まったが、もはや帰れと注意する先生はいなかった。
 牧田優の自殺後、映写室は厳重に鍵を掛けられていた。
 そして吉野の自殺(本当は他殺だが)後、再び映写室のトビラは閉じられた。
 今度は鍵だけではなく、しっかりと板を打ち付けられ、もう何人たりとも入ることは出来ない。

「美咲、体育館入ろう」
「うん」

 体育館に入ると、またいつものよう学年ごと、クラスごとに背の順で生徒たちが並んでいる。

「今日で一学期も終わり、明日からは夏休みです。くれぐれもハメを外しすぎないように」

 校長の長い話が終わり、校歌を歌い、終業式が終わった。校長の言う通り、明日からは楽しい夏休みが待っている。
 美咲は体育館から出るとき、またちらっと映写室のほうを見た。
 もう、誰もいない映写室。二度と使われることのない映写室。
 それでも美咲は少しだけ期待していたのだ。


 牧田優が、まだどこかに潜んでいることを。
 カタカタカタカタ……その音と共に、牧田優が自作の映画を流してくれることを。
 もし流れるとしたら、昨日のような悲しくて恐ろしい話はもうない。



今度はきっと、楽しくて心温かいストーリーになるはずなのだから。

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