私にはアトレーユがいないので
「これは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう」
題名とこのフレーズでピンと来たのなら、あなたはきっとあの本をお読みになった人でしょう。
そう、ミヒャエル・エンデが書いた児童文学の傑作、『はてしない物語』です。
読んだことがないという方も、『ネバーエンディング・ストーリー』という映画や歌なら聞き覚えがあるのではないでしょうか。もっとも映画は原作とは結末が異なりますし、2以降は原作とは別物です。私としては、ぜひぜひ原作を読んでみてください、おもしろいですよー、と強くオススメしたいところです。
改めてこの本を読み返して思います。「いやこれ、やっぱ面白いわ」と。
ファンの方には申し訳ありませんが、個人的にはハリー・ポッターシリーズよりもずっと面白いと思っています。とはいえ、この本が出版されたのは1979年。もう40年も前です。日本語版は1982年ですが、いずれにせよ「アラフォー」の物語です。ちなみにハリー・ポッターは第一巻が1997年(日本語版は1999年)と、18年も差があります。ハリー・ポッターの作者J・K・ローリングも、きっと『はてしない物語』を読んでいたのではないでしょうか?
その『はてしない物語』には二人の主人公がいます。
現実世界の少年バスチアンと、物語の世界「ファンタージエン」の少年アトレーユです。物語の前半はアトレーユの物語で、後半はバスチアンの物語となります。
後半は、なろうの書き手・読み手にはおなじみの「異世界転移もの」と言えるでしょう。「ファンタージエン」に行ったバスチアン少年は、チートアイテム「アウリン」の力を借りて帝王になります。なんと「ざまあ」や「俺つえぇぇ!」の世界なんです。このテーマ、この頃からあったんですねえ。ひょっとして人類普遍のテーマなんでしょうか。
おっと話が逸れました。それは別のテーマですね。
「これは別の物語、いつかまた、別のときにはなす」ことにしましょう。(笑)
この、物語の冒頭から度々出てくるフレーズが、物語の結末部分でドンと重みを持ってきます。「俺つえぇぇ」してたバスチアン少年が、手痛いしっぺ返しを食らいます。
「チートで粋がってただけじゃん、ほらツケ払えよ、払わないなら現実に帰らせないよ」
と言われるバスチアン。(※注 実際はもっと気品のある書き方です)
そのツケとは、彼が「ファンタージエン」で作り出し、始めた物語全てを終わらせることです。
……それ、キッツ。
書き手の皆様ならきっとそう思うでしょう。私もそう思います。
終わらせてない話はいくつあったっけ?
広げるだけ広げた風呂敷どうするよ?
埋めまくった伏線、どう回収するつもりだったっけ?
ひょっとしてプロットも結末まで書いて終わらせないとダメ?
はい、言い訳は聞いてもらえません。全部終わらせないと帰れません。「帰れま10」なんて生易しいものではありません。チートアイテム使ってたバスチアンが生み出した物語は数もスケールも桁違い、始まった物語からまた別の物語が分岐して、もはや天文学的な数の物語が生まれています。
それをすべて終わらせる。
このムリゲーを、バスチアンに代わって引き受けるのがアトレーユです。
……アトレーユくんと出会いたい。
私、そう思いました。書きたいことは次々と湧いて出てくるのに、終わらせることができません。アトレーユくんがいてくれたら、きっと私に代わって終わらせてくれるのに。
最先端人工知能「アトレーユ」。
小説家を目指す方に朗報、「彼」が物語を終わらせる手助けをしてくれます。
なんて言ってGAFAのどこかが売り出さないかな、と考えて……おおう、また新しい物語が生まれてしまいそうです。だめだ、いつまでたっても終わらないじゃないですか。
ええそうです、終わらないんです、物語は。
それこそ、次から次へと、ほんのちょっと首をひねるだけで物語の芽が生えてくるんです。
でもそれって……よく考えたら、楽しいんじゃね?
バスチアンに代わって物語を終わらせに出発したアトレーユ。
彼はその後、どんな物語を紡いでいったのでしょう。書かれていない物語を考えると、なんだかワクワクしてきませんか?
そうそう、『はてしない物語』のシェア・ワールド小説として「ファンタージェン」シリーズも出ています。別の作家が「ファンタージェン」を舞台に小説を書いているのです。それこそ物語は「はてしなく」続いているのです。
これって、すごくないですか?
残念ながら、私にはアトレーユがいません。
だったら、私が始めた物語は、私でないと終わらせられません。
ならがんばって書くしかないです。しんどいときも、うんざりするときも、アホらしくなる時もあります。誰も読んでくれなくて情けなくなる時もあります。
でも、やっぱり楽しいじゃないですか、物語考えるのって。
はてしなく生まれて続く物語。それを終わらせることは、ひょっとしたらできないのかもしれないけれど。それでも私は、これからもきっと、好きなように書いていくのだと思います。
そうしたら、いまわのきわぐらいに、アトレーユに会えるかもしれません。
そんな物語も、楽しそうですね。