舞阪柳刀。
「あら、リュウちゃん、今私呼びに行こうかと思って」
「……ああ、佐緒里か。悪かったな、もう少しして落ち着いたら上がろうと思ってたんだ」
二人は階段ではち合わせた。佐緒里にリュウちゃんと呼ばれた少年は、男子としては長い前髪から鋭い目つきで佐緒里を見上げながら答えたが、睨むなどと言う意図はなく、目つきが悪いだけなのだ。佐緒里も彼と顔を見合わせても微動だにしない。少年――リュウはそのまま佐緒里の前まで上がって来た。並んでみると佐緒里より20センチほど背が高い。
「今日は、学校行ってたんだよね」
そう問いかけて、佐緒里がやさしく微笑む。
「ああ、どう言う気遣いだか知らねえが、ツグと一緒に呼び出されだんだよな。本来ならあいつは特に、全く関係ないんだが、話の内容が内容でな。つまり、その、気遣いって事なんだろうが……」佐緒里の問いに答えたリュウは、何やら困った顔をしている。低血圧そうな表情からは、先ほどの鋭さは消えていたが、目つきの悪さは変わらない。
「――どうしたもんか、面倒な事になっちまった」面倒、と口にした所で、リュウの眉間に皺がよった。
「そう。どう面倒なの」
「面倒。言っといて何だが少し違う、いや……なに、決定事項として突き付けられても、俺は案外大した事なかったが、問題はあいつで――ああ、まいったな」
そう言って頭をかきながら、俯いて唸るリュウだったが、佐緒里は続けて言った。
「詳しい話は、私の部屋でゆっくり聞きます。とりあえず、今日はここの新入りさん歓迎お鍋パーティだから、先に行って挨拶でもしておいてね」
頭をかく手を止め、顔を上げたが、問題つながりで佐緒里に言わねばならない事があるのだった。
「ああ、そうだな。――それでだ、ツグの奴なんだけどな」
「そうよ、一緒じゃなかったの、ヒバちゃん、どうかしたの」
「その、……呼びに行っても部屋にはいないんだ。今頃は咲矢間神社に居ると思う」
「うーん、あなたがそう私に言うって事は、と言うと、私が連れて来た方が良いのかしら」
「俺が行くとこじれるだろうしな。お願いして良いか」
「もちろん。行ってくるね」
玄関から出て行く佐緒里を見送り、リュウは204号室の戸を開けて中へ入る。炬燵には鍋が準備されており、そこに居た見知らぬ――外国人にしか見えない少女にとりあえずお辞儀をした。あれか、留学生とかなんだろうか。ともすれば帰国子女と言うやつだろう。
ロゼッタはお辞儀を返した。ガラが悪いと言うのは恐らく見た目の事であって、その点どうやら本当らしいが、まずお辞儀をされたので緊張は解けた。悪い人ではなさそうだ。目つきが悪いけど。
「あー、さみい」
「あ、炬燵どうぞ」
何の事もなく交わされた日本語のやりとり。これだけでリュウは目の前の外人さんは日本語大丈夫だと判断した。狙って言ったのか解らない辺りすごいのかすごくないのか、良く解らない。
「ああ、悪いな。――うう、あったけえ」ロゼッタと向き合う形で炬燵に脚を入れ、一息つく。ロゼッタはただ眺めていた。緊張しているのだ。今は他人の部屋で他人と二人きり。少し気まずい。
「えっと、うん。初対面だしな、俺から言うべきだろう。俺は舞阪柳刀ってもんだ。多分解ってると思うけど、佐緒里からはリュウちゃんなんて呼ばれてる。まあ、そんな事はたいした問題じゃない。だろう」
見た目ガラの悪い舞阪は、佐緒里から何と呼ばれようと無関心らしい。低血圧っぽい表情から、何となくロゼッタは親しみを感じた。
「私は、朱鷺沢ロゼッタです。四月から咲矢間高校に通う事になっています、よろしくお願いします」
「――――………………あー、そうだったよな。そう言ってた、聞いてる。だったよな。うん。俺も咲矢間だけどもよ」
「私も聞いてました。つまり舞阪さんは、先輩ですよね。舞阪先輩って呼んでも良いですか」ロゼッタは声も可愛い。抜群にだ。まだ二人の会話に、お互いの性別の話は出ていないが、そんな事に頓着する舞阪ではなかった。
「多分そうだ。そう。先輩」しかし、先輩と呼ばれて悪い気はしなかった。目の前の後輩は、澄んだ瞳で先輩と呼んでくれる。
舞阪は思った。
――確かに、本来ならばそれは間違いではないのだが。
「ロゼッタよ、人は見た目じゃ判断できない、概ねそうだよな」
「え、っと、はい。私も、そう思います」自分も見た目で判断される事の煩わしさは良く知っている。だからその通り返事をした。
「だが、見た目通りの輩ってのも、往々にして世の中には、いるもんだ。……と言うのが、俺がお前に話してやれる最初で最後の先輩らしい言葉だ」
「どういう事ですか」
「俺は今日、学校へ呼び出された。担任から直々にだ。この事が生徒に知らされるのは、――あれで親切のつもりらしい、一般的に本来ならもっと後になるんだが」
「どうしたんですか」
「俺たちは、春から〈同級生〉だ」
「…………え」
「ロゼッタよ、お前はハーフかなんかだろ、だから一応敢えて言うけど、俺の見た目的に言うなれば〈ダブった〉ってやつだ。これを解りやすく言うと〈留年確定しました〉って事だな。――まあ、そんなわけで俺は、色んな意味で一年多く学校生活を送ってる訳で先輩には間違いないが、春からは同級生って事だ」
「それは――私は、何と言ったらいいのか……」全く解らなかった。額面通りその言葉を受け取っては失礼になるのではないか、そんな事を考えると、ロゼッタには舞阪にかけるべき言葉が見つからなかったのだ。
「まあ、そんなのも、たいした問題じゃないんだ。俺自身はどうだっていいんだ。だが、他人は気にするかもしれない事だよな。だから先に言う、お前が気にする事は何一つない。俺はただ同級生としてよろしく、と、こう言いたいだけなんだな。もちろん、お前が俺にどう接しようが、それはお前の自由さ。どうする、先輩って呼ぶかね」
「ううん……」
「ちなみに。俺自身としては、先輩って呼ばれるのは全然悪い気分はしない。順調に二年に上がってればそうなってたとか、関係なしにな。特にお前みたいなかわいい後輩に先輩と呼ばれるのは、とても嬉しい」
「えっと……」
かわいい、と言われてしまった。いや、かわいい後輩と舞阪は言ったのだから、それはそれとして受け取っておけばいいのだろうが。やっぱり自分は女の子だと思われているのだろうか。
「ぶっちゃけ、な、俺だって先輩って呼ばれたい。だが同級生がそう呼んでくるって状況は、傍目には他人行儀で好ましくないような気がする。後で発表される、クラスメイトたちにも同じ事は言うつもりだが」
「そう言う事なら、舞阪さん……で良いですか」
「おう。了解だ。よろしくなロゼッタ」
「あと、…………私は、いちおう男なんです、けど……」
「あぁ、へえ。そうか、男か。了解だ」
「…………えっと」
「――……そうだな、今のうちに話しておこう。ここ、知っての通り風呂は共同なんだが、今ここに住んでる男ってな、俺と他にもう一人しかいないんだ。が、そいつ普段は出払っててあんまり帰ってこないし、実質俺一人の状況だ。それで、あの女共は嫌がらせかってくらい長風呂だ。俺は一人でゆっくり入れるが、お前はどうする」
「あ、今日この後の話ですか」
「まあな。せっかく男同士だし、背中でも流してもらいたいところだが、――いや、文化的な問題があるのかもしれないしそれは変かもしれないな……」
「いえ、お伴させていただきます」
「了解だ。それじゃ、この鍋をつつくとしよう。遠慮することは無い、いつも勝手に食ってるからな」
「そうですか、それじゃあ、いただきます」
「ん、――いただきます」