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群青の燭影  作者: 狐塚仰麗(引退)
1.薔薇色の火のScherzo
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野ばら。

 ダンボールからその他の荷物を出して片付けた後、私はまた気分転換に外に出てみたくなってきた。

「……あら、見かけない顔。そっか、引っ越してきた人かしら」

「あっ――」

 私が部屋を出て戸の鍵をかけた所で、背後からふっと声をかけられた。それがとても澄んだ声で、振り返るとそこにはいくらか年上かと思われる女性が立っていた。何だか不思議な雰囲気の人だ。ほんの一瞬の事だったと思うが、私はその雰囲気にのまれ、彼女の方を向いたまま何も言えずに固まってしまっていた。

「あ、失礼、私は204号室の伊儀佐緒里いぎさおりです。あなたは何ていう名前なのかしら」と、惚けていたらしい私を見かねたように、彼女は先に自己紹介をしてくれた。

「あ、私は朱鷺沢ロゼッタです、今日越してきました。よろしくお願いします」

 不意にだったとは言え、呆けっとしていたせいで彼女に気を使わせてしまったのが何だか恥ずかしくて、少し声が上擦ってしまった。目の前の彼女、佐緒里さんはそれを聞いて、くすっと笑みを浮かべている。その悪戯っぽい表情で見つめられると、益々気恥ずかしく、私は誤魔化すように窓の方に視線を向けた。

「そうなんですか、ロゼッタちゃんね、これからよろしくお願いします」

 いやはや。しかしなんとも、この人――佐緒里さんは掴み所の無い人だという雰囲気だったが、表情はころころと変わるのである。そこに近寄り難さとか言うものは無く、むしろ親しみやす――

「すいません、いま何と」

「うん、これからよろしく、って」再びほほ笑んでくれる佐緒里さん。しかし私はそれを遮るように、続けて言う。

「その前です、前」

「あー、と、……ロゼッタちゃん、かな」

 なぜか焦った私を見て、困惑しているのか、――ちょっと、いや、ある種異様な剣幕で、突然な問い質しをしてしまった私を見て、驚いているような彼女は、――それでも随分平然と疑問を問いかけて来た。

「……ロゼッタちゃん?」

 ――参ったな。

 ただ、口には出していないのだが、私、何か悪いこと言っちゃったのかしら、と佐緒里さんのその表情が物語っていて、私も少し、どうしたらいいのか、わからなくなってしまった上、何だかものすごく悪いことをしている気分になって来るのだから、いたたまれない。緊張の極地である。

 しかし、答えなければなるまい。

 彼女の疑問に。

 その問いかけに、素直に。

「えっと、すみませんが――」

 ここで一息、息をのむ。口腔に広がった唾液を嚥下する喉の音が鳴った。佐緒里さんはきょとんとしてこちらの言葉を待っている。

 言おう。さあ、言おう。

「――私、一応、男なんです……」

 言ってしまった。

 緊張の一瞬、これを伝えるだけで、幾度となく私は瀬戸際に立たされてきたが、今またこうして。

 その一瞬が訪れた、と言うわけである。

「あら……そうだったんですか、ごめんなさい。でもあなた、すごく可愛いらしいのね」と、佐緒里さんは目を細めて、まじまじと上目遣いで私を眺める。

 彼女の身長は155センチくらいだろうか。サラサラとした、日本人女性らしいぬばたまの黒髪は、腰まで伸びている。肩にかかった髪を払う仕草は実に、気取っていなくて自然で趣深く、私は嘆息してしまった。先ほど息をのんでしまった感覚は、ここに起因するものであろうか。

 ――一応、私だって身の丈160センチほどはあるので、こういう形になるのは仕方ないとはいえ。口元に手を当ててほほ笑む佐緒里さんの仕草が更にとても女性的だった。まったく、綺麗な人である。美人と言うよりは、不思議なかわいらしい印象、というのは変わらない。

 しかし、そんな風にいつまでも見られていては、どうしたってこそばゆくなってきてしまう。彼女の視線は、ある意味で私の今の一言で変わったと言えるだろう。

 隣に越してきた、

 ×少女 → ○少年 

 と、言う具合に。

 認識がシフトしたのだから。

「気にする事なんてないわよ、改めてよろしくね」

「あはは……」

 しかし佐緒里さんの屈託ない素直な反応に、思わず私の口からは笑いが漏れるのだった。


 見ての通り、もうお分かりだと思うが、佐緒里さんは私を女の子だと勘違いしたのだ。

 それは私の容姿が極めて――いやあまりにも女性的である事が原因なのである。私の髪の色は、銀髪ともいうべき色で、ロゼッタと言う名前にしろ、純粋な日本人と言う訳ではない。だから綺麗な黒髪はうらやましい。とは言え、親から受け継いだ此の髪は大切なものに変わりは無い。

 実のところ、私自身それらの容姿的な事情については、別段特に深刻な問題として捉えてはいないのだが、こうして初対面の人と自分の容姿について話す事になるのは、ほとんどの場合において当然の成り行きである。しかしそれは今後、この年になってくるにつれ段々と感じ始めている事であるがきっと心労が絶えないものになっていく気がする。

 こうして佐緒里さんと比べてみても、男子としては160センチの私はお世辞にも背が高いとは言えないだろう。しかし、これから高校に入ってから伸びる人もたくさんいるだろうし、私だって恐らく例外って事は無いと信じたいのであるが、女子と違って男子の成長は大器晩成型なのである。多分。

「うん、そっか、そっかぁ、男の子なんだ。――……ねぇ、あなたは、ロゼッタちゃんって呼ばれるの、いやだった?」

「え? っと、いやって言うのではなくて、今のは、その勘違いですよって言う事をですね……」

「うん、それはもう解りました。でも」

「……?」

「私は、ロゼッタちゃん、って呼んでもいいかしら」

「いや、そ、それはっ」

「駄目かしら……」

「あ、え、いや駄目じゃないですけど、そういうのはちょっと慣れないというか、その。――もちろん、どう呼ぶかなんて自由ですよ、構いやしません。でも、なんで私を……そう呼びたいんですか?」

「だって……ロゼッタちゃんは、ロゼッタちゃんじゃない?」

 ああ、これはいつもの展開だ。

 天命だと悟った。

 ――この人には勝てない。

 いや、それどころか、この先どうあっても私は年上の女性には勝つことはできないのかもしれない。

 そもそも、実家に帰れば私には二人の〈姉〉がいる。一人暮らしを決意した理由の一端はそこにあったりもするが、この逃れ得ぬ宿命doomはどこまでも付きまとうと言う事かもしれない。

 ――勝てない? 

 そもそも何を以て勝ったと言えるのだろう。考えなければいけないのは、そこからだ。

 いや、答えはもう出ている。解っているさ。

 そう、すべてはここから始まる。


 一人でもやっていける。


 ――その証を立てる事なのだ。

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