ぽかぽか陽気に誘われて、机の上においた腕に顔をうずめる。
今が授業中なのは、承知の上。
いすに座った瞬間に睡魔に襲われるのは、ある意味特技といってもいいと思う。
私は顔の向きをかえた。
隣は優等生でかっこいい萩原君。
だから、どうしたっていうんだ。
私は彼に影響なんてされない。
彼に見習って勉強をする気もないし、普通の女子みたいに、彼に惹かれたりなんかするもんか。
横にチラッと目をやると、彼はこちらを見ていた。
「何よ。」
先生に聞こえないように小さな声でつぶやく。
彼は爽やかな笑顔で、口を開いた。
「気持ちよさそうだね。」
「やってみれば?」
「ううん、僕はいいよ。僕にはちゃんと役目があるから。」
それもそうね。
優等生の彼には勉強がお似合いだ。
私はまた顔を腕にうずめて、遠のく意識を簡単に手放した。
水の上に立って、紅葉が目の前に広がっている。もみじの木と私の間には縮まらない距離があった。
ふと、赤いもみじの葉がひらひら舞って、私の頬にふれて落ちる。
風が髪の毛をかき、また葉が、今度は瞼にあたった。
私はくすぐったくて身をよじった。
ー起きないなら、口にしちゃうよ。
もみじが喋るなんて、なんておかしな夢だろう。
唇に、何か柔らかいものがふれる。
私はそっと目をあけた。
「あ、起きた。」
まだ蘇らない意識をふるいおこす。
「萩原君…?」
「おはよ。もう放課後だよ。」
教室には私と彼しかいなかった。
私は手を自分の唇にあてた。
何、あの感覚は。
まさか、まさか…キ、キス?
顔にボッと火がつくのがわかる。
「どうしたの?」
「あの…。あのさ、今私が寝てる時…」
「ん?気持ちよさそうな寝顔だったよ?」
あんまり爽やかに笑うもんだから、唇に残る感覚は、私の思い込みなんだよね。
それは何故か心寂しくて。
寂しい?
こんな優等生に興味がないはずなのに。
「起こしてくれてどうも。萩原君クラブは?」
「うん、そろそろ行くよ。」
私はあくびをしながら、彼の後ろ姿をぼやけた目で追った。
ゆうに2時間ほど寝ていたらしく、体のふしぶしが痛かった。
「あまりに気持ちよさそうだったからさ…」
ドアから出ようとして、彼は足を止めた。
「キスしちゃった。ごちそう様。」
振り向いて、手をあわせてお辞儀する。
そして、ぽかんと口を開けた私を見てニヤッと笑い、満足げに去っていった。
「な、何よあの顔。優等生の顔じゃないわ…」
まるで悪魔じゃない。
じわじわと顔が熱をもってくるのがわかる。
「いや、ちょっと待って私。今までのことは幻覚よ。そうに決まってる。」
別にクラスで特別可愛いわけでもない私が、頭も並で授業中寝てる私が、あの王子のようだと絶大な人気を誇る、あの萩原真幸にキスされた?
あるわけないじゃない。
バカな事考えるのはやめて帰ろ。
私は自然と早くなる足を必死におさえ、努めて平常心で帰った。
こんなにも憂鬱な学校は初めてだ。
テストの時よりも、数学の授業が連続の日よりも行きたくない。
どんな顔であったら良いのだろうか?
教室の前で足が止まる。
落ち着け私。
昨日のは幻覚じゃない!
意を決し、教室の戸を開けた。
友達に挨拶をしながら、1番後ろの日当たりの良い自分の席に近づいた。
開け放たれた窓からは、涼しい風が頬をなで、そして優等生の髪を揺らしていた。
「珍しい…優等生が居眠りだなんて。」
まだ授業も始まっていないしね、と納得しながら、彼の横である自分の席に腰かけた。
不思議と今日は眠くならず、珍しい彼の寝顔に魅入っていた。
「騒がれるだけあって、キレイな顔してる。」
チャイムが鳴って、先生が教室に入ってきた。
久しぶりに黒板に目をむける。
「惚れた?」
ふいにかけられた言葉に目を見開いた。
頬に何かがふれる。
「……へ?」
「おはよ。」
耳元で聞こえる甘い声に顔を赤くさせ、私はとっさに距離をとる。
彼は意地の悪い顔で口を隠しながら息もできないくらい笑っていた。
やっぱり悪魔だ…。
「な、な、何するのよ!」
出来るだけ小さな声で私は言った。
彼はまだ笑っていたが、私の言葉にニヤニヤして、筆箱からシャーペンを取り出した。
「おはようのキス?」
私は言葉を失った。
当たり前のように言うこの悪魔に、顔が青ざめた。
それと同時に、気分が悪くなってくる。
「先生ー…」
私は立ち上がった。
どうした坂口、という先生の言葉を待って、私は続けた。
「気分が悪くて…。保健室に行ってきても良いですか?」
先生は頭を掻きながら腕を組んだ。
「先生。心配なので、僕が連れて行きます。」
彼は私の横で立ち上がり、心配そうな顔で大丈夫?と聞いてきた。
クラスの女子からずるいだの良いなぁと、声があがる。
私は思わず首を横に振った。
「私、1人で大丈夫です!」
「いや、萩原、頼めるか?」
「はい。」
いつもの爽やかな笑顔を先生にむけ、私の手をそっと引き教室を後にした。
頭がぼーっとして、何も考えられない。
「なぁ、仮病を使ってまで、俺から離れたかった?」
私の手をひき、前を歩く彼から声が聞こえた。
少し怒ったような声だった。
俺なんていつも言わないのに。
ほんとに悪魔みたいな奴。
「仮病じゃない。」
「嘘つかなくていいよ。」
「嘘なんか…」
視界が歪む。
足下がふらふらして、真っ直ぐ歩けない。
「ちょっ…大丈夫か?」
倒れかけた体を受け止めて、彼は私をおぶった。
それから何も喋らず、保健室についた。
「先生、いらっしゃいますか?」
保健の先生の姿は無かった。
彼は軽く舌打ちして、私をベットの上におろしてくれた。
横になると、唐突に睡魔が襲う。
「萩原くん、ありがと。私、大丈夫だから、授業、行って?」
彼はまた意地悪く笑った。
「それは無理。坂口を起こすのは俺の役目だから。」
ケラケラと笑う彼に、悪魔が見えたのは、もう何度目だろう。
ゆっくり視界が消えていき、あまり寝たくはなかったが、意識が薄れていった。
また水の上に立っていた。
目の前のもみじの木と向き合って。
距離は縮まってはいなかった。
ー俺、本気だから。
木はおもむろに呟いた。
枝が優しく私の頬に触れる。
その枝にそっと自分の手を重ねた。
「萩原くん、寝てるの?」
私が目を覚ますと、ベットに顔をうめて、彼は目を閉じていた。
その寝顔があまりにも可愛くて、ため息がでる。
この中が悪魔だなんて、私しか知らないのよね。
何で私の前ではさらけ出すんだろう。
横目で彼をチラッと見る。
ホント言うと、ずっと萩原君が好きだった。
ただ、彼は人気者で私なんか相手にされないし、と自分の気持ちに嘘をついてきた。
彼の顔を見ないよう、授業中は眠りに徹した。
休み時間はなるべく教室にいないようにした。
夢の中のもみじの木を彼に照らし合わせながら、至福の幸せを感じてた。
もう1度、彼をチラッと盗み見る。
「私、最近夢を見るの。水の上に立って、もみじの木と向き合っててね。その木が、とても愛おしく感じるの。」
私はにっこり笑い、だんだんそんな話をした自分が馬鹿らしくなった。
何言ってんだろ、そう呟いて、自分にかかっているシーツをそっと彼にかける。
「ぅわッ」
腕を引っ張られて、体が前かがみになり悪魔の顔が目の前にあった。
「今のは坂口が悪い。」
「何がよ。私何も言ってない。」
心臓の音が聞こえないように。
赤くなった顔に気付かれないように。
声が震えてしまわないように。
必死に平常心を装った。
「俺、ずっと前から坂口が好きだった。」
「…………は?」
せっかく装った平常心はすぐさま消えていった。
顔がみるみるうちに赤くなる。
「でも坂口ってば、俺にまったく興味無いし、授業中何回アプローチしても寝てるし。」
「何の冗談を…」
「俺、本気だから。」
フラッシュバック。
私の目の前の彼がもみじの木に重なった。
「お返事は?」
彼は悪魔のような顔でニヤッと笑う。
もう私の気持ちに勘づいているに違いない。
何て憎らしい人。
「優等生のとこも、悪魔みたいなとこも……スキ、です。」
そして、何て愛しい人。
心の奥底にたまっていた思いが、今報われた。
顔も心も何もかもが熱くて、まるでいつもの自分じゃないみたいだった。
「良かった。それじゃ、僕は教室に戻るから。坂口さん、また放課後に。」
彼は優等生の顔をつきで優しく笑うと、急に立ち上がった。
「え…急にどうし…」
「あら、坂口さんと萩原くん。何してるのかしら?」
カーテンがさっと開いて、保健の先生が私たちをのぞき込んだ。
「坂口さんが授業中に気分が悪くなったみたいで…。先生がおられなかったので、僕が付き添っていました。」
「あらそう。ごめんなさいね坂口さん。ありがとう萩原くん。」
「いえ。それでは失礼します。」
私はゆっくり目をつむった。
もみじの葉が紅く染まって、笑いかけていた。
私は笑い返して、歩むよった。
もみじとの距離は
もう無くなった。
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