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蝉時雨
作:日暮ひかり



<一>



「嫌いなんだ、セミの死骸って」

「……はあ?」

 さっきまでの会話からはまるで予想外のその言葉に、思わずおかしな顔をしてしまったのが自分でもよくわかった。

「いや、リッちゃんさあ。気持ち悪くない?」

 例えば人前で堂々とイチャつくカップルって気持ち悪くない? と聞くときと同じような感じで、桜庭さくらばつくしがこんな突拍子もないことを聞いてきたのは、一学期の期末テスト明けの下校途中のことだった。
 わたしはそう聞かれて、ふと桜庭が視線を投げているほうを見る。
 なるほど。
 植え込みの土からちょっとはみでた歩道の隅っこに、セミの死骸が転がっていた。
 夏も本格的に始まりつつある今日、ますます威勢がよくなってきた太陽の日差しと、それに負けじと熱を吸い取り応戦する地面に挟まれて、ぴくりとも動かずにいる。
 ……うん、死んでいるな。
 それを確認して顔を上げると、いかにも、いやなもん見た、という感じで眉間にしわを寄せている桜庭の顔が見えたのだった。

「えーと……うん……っつか生き物の死体って、大体気持ち悪いんじゃない……?」

 それにしたって突然すぎると思う。
 というか、正直こんなこと聞かれても困ると思ってしまった。
 こいつ可哀想とかそういうのないのかなー、とか思ったりもしつつ、どう答えていいのかわからなかったので、とりあえず訊かれたことに対してわたし的にふつうの回答を返してみた。
 ところが、そんなわたしの混乱なんかどこ吹く風という具合に、桜庭はいやそうじゃないね、という顔でかぶりをふって、

「セミは特別」

 こう断言する。

「……へー」
 そんな桜庭に見せつけるように、わたしはわざと気のない返事をしてみせた。
 まったく、こいつときたら……
 たくさんの亮栄りょうえい高生に地獄を見せた期末テストもようやく明けて、これからいよいよ夏休みが始まるっていうのに。
 これ以上なく晴れ晴れした気分の今なのに、たからかに笑い声を上げてぐるぐる回りながら路上を駆けていきたいような今なのに、こんな話題で盛り上がりたくない。
 というより、これ以上盛り上げようのない話だし、早く終わりにしたかった。
 何が悲しくて初夏の青い空の下、男女二人でセミの死体の話などしなければいけないのだろう。この花のテスト明けに!
 わたしのせいいっぱいの気のない返事はそれなりに効果があったようで、桜庭がそれ以上言葉を続けてくることはなかった。

 わたしはほっと胸を撫で下ろして、前を見た。

 同じ服を着た高校生たちが、思い思いの会話を楽しみながら、思い思いのスピードで足を進めている。
 みんな晴れやかだった。
 歩道橋のかかる大通りをぎゅんぎゅんと走り去っていく車の滑走音にも負けない勢いを持ったわたしたちのうきうきとした気持ちは、ここちよく暑い空気に染み入って、通学路中を照らしていただろうと思う。
 八百屋に並べられた大玉スイカが誇らしげに胸を張り、二階の窓辺に吊るされた風鈴が静かに風にゆられていた。

 そんな光景を眺めていると、ほんのちょっとだけ下がったテンションもすぐに盛り返してくるのだから、夏という季節はすごい。
 気分がよかった。
 きれいじゃないのは分かりきっている東京都心の空気だけど、なんとなくそうしたくなってわたしは深く息を吸い込んだ。テストも悪くない、そう思いながら。
 桜庭と目が合った。こんなところで深呼吸なんかしているバカを一目見ると、桜庭はおかしそうにふっと笑みを浮かべて前を向いた。
 そしてまた、二人分のしずけさが初夏の町並みへ静かに溶けていく。

 もう何年間も会っていなかったというのに、不思議と気まずさは感じなかった。
 並んで歩いているだけで、どこか澄んだ空気のような、家族にも似た居心地のよさをくれる。
 桜庭尽は、そういう奴。












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