10:職員室の悪魔
「みんな☆おはよー」
二階の職員室のドアを開けると、数人の教師たちが事務机にむかって、それぞれの仕事をこなしていた。
「おはようございます。校長先生」
入口近くにいた若い男性教師が、笑顔で挨拶を返してくれた。
この教師は、わたしと同じ防衛省出向組なので、わたしにいろいろと気をつかってくれる。
「おはよー☆おしごとつづけてね」
他の教師たちにも愛想よく笑顔を振りまきつつ、わたしはさっさと懸案を済ませることにする。
「これはこれは新校長、おはようございます。ずいぶんとお待ちしておりましたよ」
職員室の北側突きあたりには、月間スケジュール用の大きな黒板があったが、そこには教頭席もあった。
「おはよー☆はじめまして」
席で待ち構えていた教頭に、私はめいっぱいのスマイルで挨拶をした。
もし彼が潜在的なロリコンならば、この時点でほぼ九割方、わたしにメロメロのはずだ。
「おはよー☆……ではありません。大遅刻です。すでに二時間目の授業が始まっておりますよ」
残念ながら、この人物に幼女を愛でるという隠れた趣味はないらしい。
見れば、実に神経質そうな顔つきや服装をしていた。
「着任早々、そんなことでは、生徒や他の教師連中に示しがつきません。困ります」
五十二歳という年齢の割りには、黒々とした髪で、シワの見当たらないスーツと、地味な柴色のネクタイ。
教頭は、文部科学省の課長だった経歴にふさわしい外貌をしていた。
世界が激変したあの日から数ヶ月後、この教頭が、カドミウム学園立ち上げメンバーとして、文科省から出向してきたのだ。
「ごめんね☆こんなぱもみをゆるして」
わたしは、ふたつの小さな手の平を、おへその前で組んでみせ、もじもじと甘えるような仕草をしてみせる。
「校長、だめですよ甘えて見せても。あなたは、ただでさえ我が学園の長としてふさわしくない容貌をして……いや失敬。とにかく、しっかりと校長の自覚を持っていただかないと、困ります。あなたは防衛畑の人間で、教育現場のことなど、なにもご存知ないのですからね」
まったくもって容赦のない嫌味を言ってくれる。前任者の苦労を想像するのは、そう難しくなかった。
わたしの前任者、つまりカドミウム学園の初代校長は、現在、体調不良で入院している。
本人は、体面のこともあり言い渋っているらしいが、原因は、この文科省出身のキャリア教頭との長きにわたる確執にあるということだった。
慢性の胃潰瘍だという噂だ。
「ぱもみのこと☆あんまりいじめないでね」
職位でいえば、校長であるわたしの方が上なのだが、このカドミウム学園の円滑な運営を担っているのは、この教頭の手腕によるものなのだから、ここは我慢のしどころだった。
「ガミガミ……ツベコベ……ガミガミ……」
そのことは防衛省側も評価していて、慢性胃潰瘍を患わされてしまった前任の校長のことを差し引いても、学園の運営を磐石なものとしておくためには、この嫌味な敏腕教頭に従う方が得策だといえた。
「校長であるあなたをイジメるなどと人聞きの悪いことを……私は、教師たちを統率し生徒たちを指導する立場の人間として、教育現場の右も左もトイレの場所もロクにわからないであろう新米校長であるあなたに、至極当たり前の要求をしているにすぎません」
背筋をピンっと伸ばし、淀みのないよく通る声で、教頭はわたしに説教じみたことを始める。
わたしは前任者とは違い、胃に穴が開くことなどは無いと思うが、このままグチグチやられ続けようものなら、どうなるかわからなかった。
「この栄誉あるカドミウム学園に赴任してきたということは、校長もわたしと同じ母校のご出身でしょう。ならば、職位はあなたの方が上だが、わたしは母校の先輩ということになる。そういうことであれば、かわいい後輩のために、立場とは関係なく、厳しく指導させていただきますから、覚悟してください」
頭の良すぎる人間というのは、どうしてこうも早口で身勝手なのだろうか。
確かに、こういう人間の言うことや行うことにはソツがなく正しい事が多いのだが、たとえそうだとしても「自分がいちばん正しい」と思っているところが、とても鼻についた。
「そっかー☆きょうとうはせんぱいなのかー」
わたしは、ここらでカウンターパンチをかましてやろうと思った。
「え? まだ、私はあなたの経歴書を拝見しておりませんが、ここ栄誉あるカドミウム学園の長に任命されるくらいですから、それ相応の学府出身であるはずでしょう。違うのですか?」
そう早口でまくしたてた教頭の表情は、強い自信の念に満ちていた。
自分は、この国の最高学府の出身者であるという矜持心が強いのだろう。
「きょうとうは☆どこのだいがく?」
わたしは、不敵な笑みを浮かべたい気持ちを抑えつつ、無邪気に尋ねる。
「わたしは、いまから三〇年以上前に東京大学法学部を首席で卒業しました。校長は、どちらの学部のご出身ですか?」
学校名を省いて、いきなり学部から尋ねるところがイヤらしい。
「ぱもみは☆すーぱーとうきょうだいがくをそつぎょうしたよ」
さらりと、何の屈託もなく、わたしは答えてみせた。 |