午前七時の目覚まし時計
普通の日常小説ではありませんので、ご安心を。
若干ハードな内容なので、ご注意ください。
テーマ「時計」となっている作品です。
では、あなたの横で目覚まし時計の音が鳴り始めます……。
―――ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ……。
耳障りな音が、俺の聴覚を刺激する。刺激されたとは言え、今の俺にはっきりとした意識など無く、虚ろに空かない瞼に力を入れてみた。
しかし、頭の中は半睡眠状態にあるらしく思い通りに言うことを聞かない。じれったいほどのスローペースで俺の命令を受諾した。
先ほどからうるさく耳元で甲高い音を発生させているのは、単針を七の位置に合わせて鳴る目覚まし時計だ。無論、用途は遅刻防止。早起きなどする必要も無いのだから、学校の時間三十分前にでも合わせておけばいいだろうと、毎日セットしている。
「…っるせぇなぁ」
目覚まし時計に手を伸ばした。丸い形をしたそれを掴んで、てっぺんのボタンを押す。どこぞの熱血学園コメディの主人公のように、不器用に叩いたりしないし、投げつけるなどもってのほかだ。資源は大切に、これがモットーだろ。
焦点の合わない目で、俺の部屋を見渡してみる。昨日の夜と何にも変わりは無い、締め切った白いカーテンに学習机の上に置かれたCDケース。盛りのある男子の中ではなかなか片付いているほうではないかと自負出来る俺の部屋は、何度見ても布団に入る前と変わっていなかった。
何か変化が欲しいわけじゃない。ただ、『寝る』という行為の後はいつもこう考える。
―――俺は本当に朝を迎えたのだろうか。
当然だが、人は死ぬ。人でなくても生物、いや有機物であるならば死は必ず存在する。人は心臓の機能を停止させ、植物は枯れるという事象によって命を落とす。
俺でなくても誰しも考えたことがあるはずだ。人が死ぬときって、どんな感覚なのだろうかと。
永眠という言葉がある。それはつまり言うところの『死』だ。だから思う、眠り続けることが死ならば、あの八時間の睡眠は八時間の死じゃないのかと。
だから俺は恐怖する。寝たら二度と起きれないんじゃないかって。死に至る病気にかかっているわけでもないのに、こんなことに恐怖する俺はおかしいだろうと自分でも思う。
例えば、ナルコレプシー患者が運転中に事故にあったらどうだろう。突如途切れた意識の中、何を感じるのだろうか。いつも通りの睡眠の感覚で寝たつもりが、二度と目を覚まさないだなんて思いもよらないし、幽体離脱したってその事象に気付くだろうか。
例えば、明晰夢を見ていたとしよう。夢の世界だって、現実味を帯びすぎているパターンもあるだろう。そんな夢の中で命を落としたらどうなるのだろうか。認知出来る空間での死は、本当の死で無いにしろ死である。そんな夢を見るくらいなら寝たくなくなってしまうなんてこともあるだろう?
今さっきまで耳元でうるさく鳴っていた目覚まし時計の音が、幻想でなく現実だと判断する材料など無い。
「…なんて、朝から何考えてんだか」
目覚まし時計は止めた。学校は八時から、多少の黄昏も許されるだろう。
俺は重い身体を起こして、布団の外へ身体を出した。足が妙に温かい。いつもならフローリングの床に目覚めの一発代わりの冷たさが走るはずなのだが、今日はそれが無かった。靴下も履いていない、いつも通りだ。
「……?まぁいいか」
うんっ、と背伸びした、その瞬間だった。
―――ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ……。
目覚まし時計が鳴った。先ほどと何も変わらない、耳障りな甲高い音。
「あれ?さっき止めたはずなのに…」
もう一度ボタンを押して停止させる―――つもりだった。
止まらない。カチリッと確かに鳴った音も虚しく、一定のリズムを刻み続けて音は鳴り止まない。
焦燥感だけが胸の中を支配した。俺は何に恐れているのかも分からないまま、ただ必死にボタンを押し続ける。理論も根拠も無いが、直感が止めろと血液中を大きく脈動させて騒いでいた。
その光景は、出来ないことでいちいち苛立っている子供のような生易しいものではなく、殺人犯に追われていて、運悪く行き止まりに刺し当たってしまった可哀想な被害者。
「なんだよこれっ!止まれよっ!」
あまりの狼狽から口の中を噛んでしまった。暴れるようにして時計をいじっていたせいか、口から一筋の赤い血が流れる。
流石にそれに気付いて、俺は口元を舌で舐め取る。だが、それが俺を落ち着かせる最高材料となった。
血は本で良く読むが、鉄分の味がすると良く表現されていた。俺も実際血の味が鉄分の味なんだと思って、血を流すたびにそれに納得していた。
「あ、あはは……」
何故だろう。たかが目覚まし時計が鳴らないくらいで心に穴が開いてしまったように、放心状態になっている俺。有り得ない日常の中に、有り得る非日常が混在した気分だった。
俺が舐め取った赤い液体からは、その味がしなかった。
時計が俺の手を離れ、床に落ちた。時針を守っていたガラスは砕け散り、フローリングに撒いた水のように光る。
熱した鉄を急激に冷やしたように、俺の頭の中は驚くくらいに冷静になっていた。一体何に慌てていたのかを想像する前に、何もかもを推測する前に思ったことがある。
「今、何時だろう」
落とした衝撃にも耐えて、未だ鳴り続ける時計を拾った。ガラスが現実の矛先を向けるかのごとく、俺の手に傷をつけた。
針を見る。そこには何も期待は無かったし、だからと言って不安も無かった。
―――ただ、時針は七時と八時の間で彷徨っていた。
俺は昔から良く遅刻をする不良の類で、目覚まし時計なんてあってもなくても同じようなものだった。八時に起床して、半に到着する。先生からもこっぴどく叱られるが、そんなもので改心する俺ではなかった。
だが、ある日のことである。俺が通る通学路は、昔から車の交通量が多く事故多発現場と言われていた。最近もトラック業者が小学生の列に突っ込んで、事件を起こしたらしい。
俺の目覚ましは、七時半に鳴っている。登校三十分前に起きるためであった。起きれたためしが無かったので、俺はその日、調子に乗って七時にセットしていた。
人というのは、稀に日常と違ったことをすると成功するらしく、七時と同時に目が覚めた。止めた後二度寝しようかと考えたが、不思議なことに眠気が起きない。
仕方なく起床した俺に待ち構えていたのは、なんとも残酷な結果だけだった。
「思い出した……」
散ったガラスの破片が足に刺さっているが、痛みは無い。無心になっているからではないし、極度の精神状態に入っているわけでもない。ただ、感じないだけだった。
朝早く出た俺が、パンを加えて路上を歩いていたその時。
キィィィィィィ!!!
後のことは覚えていないが、その後に位置するのは今だろう。
七時半を指して鳴り止まない目覚まし時計は、いつもと何も変わらない日常の象徴だった。
思い出したからといって、何が変わるんだろう。これが夢なのか、現実なのか判断する材料は無い。
ただ、目覚めた時の気だるさだけが身体に残っていた。不思議と凄く眠い。
あの日、二度寝していれば七時半に鳴ることは無かっただろうこの時計。俺はそれを元の位置に戻して、半ば吸い込まれるようにして布団の中に入った。
二度寝したら、きっと本当の朝が来るだろう。昨日セットした、七時に鳴る時計が、俺の朝を迎えてくれるだろう。
七時半に鳴り止まない時計の音が、次第に薄れていった……。
いかがだったでしょうか?
結果的に言いますと、主人公はトラックに轢かれて死んでいます。いわゆる幽体離脱というか、そんな感じでしょうね。
蜻蛉の連載小説「EYE's〜事実と真実の境界線〜」や、他短編もお楽しみください。
「ボクの世界のクリスマス」と「激流の水たまり、せせらぎの世界」が通常の短編。「〜〜聞かせてくれないか」シリーズは、倫理的内容となっておりますので、どうぞ。