彼女は、笑顔以外を残して消えた。
物心ついてからずっと、違和感はあった。
詳しくは太宰治の人間失格の前半あたりを読んで欲しい、あれがそのまま、ぼくの幼少期だった。
どの集団に混じっても、変だと言われていた。
普通、というものが分からない。
そんなことは常識だろう! と怒られることが多かった。
それでも小学校くらいになると、自分がどう振る舞うべきかがわかってくる。他の人と同じことはできない。なら、それをわざとやっているように見せればいいんだ。そうすれば“馬鹿”じゃなくて“道化”になる。お笑い芸人はスターだ。
それですべてをごまかしてきた。内心ではいつも舞台上の芸人さながらの緊張感のなか、学校生活を送っていた。
ただ、結局ずっと騙し通すことはできなかった。
僕は人を殺しかけたのだ。
中学三年生のころ、僕は少しだけ本性を見せた。それまでアホの道化だった僕は、誰一人気づかない間に一流高校に合格していた。みんな、僕がそこを受験することは知っていたが、それはただのジョークだと思っていたようだ。実は直前に行われた模試で成績優秀者として名前が載っていたりしたのだが、それは「同姓同名の別人」ということになっていた。
騙されたことを知ったみんなは、ぼくに怒りを向けた。卒業まで秒読みの段階だったが、耐え切れないほどの苦痛だった。
ぼくはスイッチを切り替えた。
人気者としてやっていくことから、恐れられる者として。もう解散が近いコミュニティでいい顔をする必要はない。ただ、いじめられるのを何とかするなら、怖がらせるのがいちばんいいだろうな、と計算した。
標的はクラスで一番恐れられている奴だ。運動神経がよく、弁が立ち、加減をしらない暴君。誰もが、そいつを恐れる者。ぼくはその地位が欲しい。
放課後、帰り道で襲いかかった。なんとなく選んだ剣道部だったが、このときばかりは役にたった。やはり、普段から人を打っていると実戦になっても違う。サッカー部のエースはすぐに、畑のあぜ道の上に突っ伏した。
復讐されるのが怖かったので、徹底的に痛めつけた。殺してしまえれば楽なのにな、と思いながら執拗に蹴った。怖がらせるためにいろいろなことをやった。
やりすぎだった。
その後、家でそしらぬ顔で夕飯を食べている時学校から電話があって、全てが白日の下になった。幸運にも警察沙汰にはならなかったものの、進学先の高校からは合格の辞退を提案され、精神科の受診を薦められた。
どちらも、半ば強制だ。
精神科医はひと目でぼくの異常を見ぬいた。ぼくの性格は個性などではなく、障害なのだと断言された。診断はADHDとアスペルガーの併発型、広汎性発達障害(P・D・D)。親は泣いていたが、ぼくの気分は爽快だった。やっとぼくという存在が認められた気がしたのだ。ずっと、人間という名前に満足できなかった。
進学先をなくしたぼくは、特別支援学校に行くことになった。
これは屈辱だった。
一流の高校に入れる実力があったのに、結果としては底辺ですらないところにいる。教員は、知的障害者と同じようにぼくを扱った。
いろんなものを恨みながら、日々を送っていた。教師の授業は一切聞かず、黙々と参考書を読み、問題を解いていた。ぼくはこんなところにいるべき人間じゃない。お前らとは違うんだ、というメッセージを全身から送り続けていた。もう本性はバレていて、隠す必要なんて無い。素顔の自分は、どこまでも嫌なやつだった。
ふつうの学校ならまず爪弾きにされていただろう。
だけど、そこは場所が場所だけに、空気を読んでくれない奴も多かった。
ある放課後、読んでいた参考書が叩き落とされた。いきなり開かれた視界に、満面の笑顔。
「人数が足らないっ!」
それだけだ。それだけ言って彼女はぼくの腕を掴み、立たせると、どことも言わず連行していく。ぼくは唖然としてついて行った。今から思えば、あの手を振り払わなかったのは不思議だ。状況が読みきれず、頭がフリーズしてしまったのか。元々やっていたサービス精神旺盛な道化の癖が抜けていなかったのか。下心か、寂しかったのだろうか。
連れて行かれた先は遊戯室だった。いろいろな問題があって、クラブ活動ができない生徒のための部屋だ。卓球、ビリヤード、カラオケマシン、各種ボードゲーム、ふた世代くらい前のものながら、テレビゲームもある。
「つれてきた!」
それだけ言うと、彼女は席に座った。
そこは麻雀卓だった。
既に三つの席が埋まっており、正面のそれだけが空いている。
「おー!」と歓声があがった。拍手も。
そこにいた二人も女子だった。全く面識のない女子だった。これは後に知ることだが、この学校では女子は病的なまでに人懐っこく、男子はその反対な傾向がある。
ぼくは促されるまま席についた。麻雀なんてなにもしらなかったけれど、あまりに自然に誘われたので、知っていて当然なことなんだろうなと誤解し、恥ずかしくて知らないと言い出せなかった。
見よう見まねでゲームを回した。
数時間やったが結局、誰一人としてルールを教えてくれなかった。当然、まったくおもしろくない。
それでもぼくを強制連行した彼女は、あたりまえのように言った。
「じゃあまた、明日三時にねっ!」
一見して彼女に身体的な異常はない。病弱そうにも見えないし、彼女はぼくとご同類なのだろうと思った。
彼女はつねにハイテンションだった。
どんな些細なひとことにもエクスクラメーション・マーク(!)がつく。声が大きいし、ミュージカルみたいな抑揚がある。常にと言っていいほど笑顔で、すべての動作が大げさだ。
彼女はADHDという障害を持っていた。
翌日三時に教室で待っていたが、三十分経っても彼女はこなかった。遊戯室に集合なのかと思って出向いてみると、そこにもいない。結局、四時頃ぼくの教室に彼女は来た。それが彼女のデフォルトだった。
廊下でたまたま会ったりすると必ずなにかされた。頭をはたかれたり、ローキックされたり、ものをぶつけられたり。
簡単にいえば、高校生の体をもった子どもだった。なんでもしたいことをして、我慢が効かない。
でも、自分勝手に見えるけれど、エゴイストではなかった。
実は麻雀ができないことにきづいてくれたのは彼女だ。そして献身的に教えてくれた。役の絵をびっしりと書いた模造紙を渡され、「これを部屋に貼っとくといいよ!」と言われたことを覚えている。ポスター四枚にもなる大作によって、ぼくの四畳半の部屋は占拠された。どこを見ても女子特有のカラフルさで塗られた牌が眼に飛び込んできて、否応なく覚えさせられてしまった。
将来の夢は保母さんか、看護婦だと言っていた。
けれど彼女のADHDという特徴は、致命的なまでにそれらの職に向いていなかった。
うまくとけ込めはするのだろうが、管理するということが無理なのだ。彼女の注意は散漫で、注意深く見守るということが決定的にできなかった。人の命を握る、うっかりミスが絶対に許されないところに彼女はいられない。
結局彼女は、三年次に進路を変更した。一般職のOLという道へ。
彼女にはADHDの特効薬、リタリンがよく効いたので、難なく就職は決まった。
薬が入ると、彼女は変身した。雰囲気ががらっと変わる。普通の人になるのだ。その変化はあまりに劇的で、傍から見ていても薬が切れたタイミングがわかるほどだった。
そのことが、みんなから羨ましがられていた。薬の効きには個人差が大きいのだ。ぼくもADHDを持っているはずだが、あまり効かず、やっぱり彼女を羨んだ。
ただ、彼女の天真爛漫さはどこかへ行ってしまったようだった。
一時的とはいえ大人の視点を持つことによって、普段の自分がいかにおかしいか、ということが分かってしまったのか、それとも就職をするからそのために訓練でもしていたのか。そういえば「私がなにかへんなことしてたら言ってね」と言われていたことを思い出す。そのころにはエクスクラメーションマークは消えていた。
卒業を控えるころには、彼女はどこからどう見てもまともな人間になっていた。もう衝動的にぼくをはたくこともなく、落ち着いた声で話すし、笑っても微笑むくらいだ。ぼくはいつも、その人を“彼女”と同じ名前で呼ぶことに抵抗を感じていた。
ぼくは大学に進学し、彼女は就職をした。たしか交わした最後の言葉は、「君は頭よくていいねー」「ぼくには君のが羨ましいよ」とか、そんなこと。
彼女は就職してから三年目の秋に、死んでしまった。自殺だった。詳しくは知らないけれど、恋愛がらみらしい。
その知らせを聞いた時、薄情にもぼくはなんとも思わなかった。
なんにも感じない自分に驚いた。彼女は――なんにもなかったけれど――ぼくの初めての彼女だった。だいたい恩人だ。彼女があの時声をかけてくれなかったら、ぼくはどんな人間になっていたか、想像もしたくない。
葬儀に出たけれど、それでも、なにも。
けれどもそこで分かった。
遺影は、最近の彼女を写した写真だった。口の端をきゅっと小さく上げて、澄ました笑いを浮かべている。
違うのだ。そんな笑い方をするのは彼女じゃない。
ぼくは気づいた。ちっとも悲しくない理由。
ぼくの好きだった彼女は、エクスクラメーション・マークとともに、とっくの昔に消えてしまっていたのだ。
それに気づいて、初めて涙がでた。