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救われし世界のシンフォニア 作者:折坂勇生
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5・ゾンビアトラクションデートも乙なものよ


 七階に到達した。
 カーペット張りの廊下は、カビのにおいがした。真っ暗だ。非常口のピクトグラムがダイアモンドのように光っている。ドーン!ドーン!と爆撃を受けているような地響きがするが、それにしては不気味なほど静かなものだ。
 705号室の前に、ゾンビが二人突っ立っていた。頭だけを左右に動かしている。見張り役だろう。その付近に、何人かの人が食われていた。
 ゾンビの顔がこちらを向く前に、脳みそを撃った。続けて、もう一人も撃つ。
 両方とも倒れた。
 ドアノブを捻るが動かない。鍵が掛かっていた。
「ちっ、せっかく着いたのにこれかよ……」
 ゾンビの衣服から鍵を探すが、見あたらなかった。
 ドアをガンガン蹴ったり、銃を撃ったりするも、ビクともしない。おむすびの封も開けられない不器用な俺だ。ピッキングの技術なんて持っているわけがない。どうするか。フロントに戻って、マスターキーをもらってくるなんて、自殺行為もいいところだ。
 706号室、707号室と、鍵の閉め忘れはないか順番に確認する。710号室のドアがうっすらと開かれていた。助かった。
 ダブルベッドの上で「ノーミソ、ノーミソ」と唸りながら、ゾンビが仰向けに倒れていた。なんらかで足を潰され、起き上がらなくなっていた。そいつを斬って、機能停止させた。
 カタンという音がした。
 クローゼットを開けると、若い女が隠れていた。グラリと頭から倒れていった。死んではいない。かすかに身体が震えている。
「大丈夫か?」
 女の目が開かれた。真っ白い目だ。
「ノーミ……」
 射殺した。ゾンビに構っていられない。彼女が生きていたなら、メインヒロインとなって、ラブストーリーが展開していたかもしれないというのに、残念なことだ。少なくとも、ベットシーンまでは生きていてほしかった。
 窓を静かに開けてベランダに入った。イッヤーソンの胴体が真横にあった。ビルをはい上がるキングコングのように、ホテルを登っている。
「あっかさわくーん、どこですか。かくれんぼはおしまいですよ」
 俺が最上階にいると思っているようだ。部屋の中に手を突っ込んで、ガラクタ類やゾンビを捕まえていた。外壁や窓ガラスなどが派手に落ちてくる。
「赤沢くーん、こっちですかな? でてきてください。逃げてばかりじゃつまらないですよ」
 アリの巣をほじくっているかのように、上の階をかき回している。
 今の内だ。
 俺は、奴に気付かれないように慎重になって、ベランダを渡った。
 ありがたいことに705号室は無傷だ。荒らされた跡はない。拳銃のグリップでコンコンと窓ガラスを叩く。反応なし。カーテンが敷いてあるので、中の様子は見えなかった。
「そろそろ、出てきてもいいじゃないですか」
 イッヤーソンが、上階にある部屋を叩き壊すタイミングで、705号室の窓ガラスを割った。
「待たせたな」
 銃を構えたまま、中に入っていく。
「遅いわよ」
 苦労して参上したというのに、冷たい出迎えだ。
 サイドチェアに、一人の少女が腰掛けていた。
 篠崎の屋敷で会った黒セーラー服の少女。
「やはりおまえか。妹じゃなくて残念だ」
 部屋を見回し、クローゼット、洗面所、トイレと調べるが、彼女しかいなかった。
「ドアをノックしたんだぞ」
「聞こえてたわ」
「なら、開けてくれ。遠回りをすることになったじゃないか」
「結界」
「ん?」
「束縛の結界を張られているから、身動き取れないのよ」
 よく見ると、彼女の下は魔法陣のようなものが描かれてある。
「そいつはすまんかった。ずっとそのままならトイレいきたいだろう。漏らしちまったか?」
「解放してくれるなら、ご褒美に飲ませてあげてもいいわよ」
「それで喜ぶような野郎に、おまえは助けられたいのか?」
「舌を噛んだ方がマシな気がしてきたわ」
「安心しろ。俺はそんな性癖を持ってない」
「持っている人は、自分の性癖を否定するものよ」
「おまえは助けられたいのか? 放置されたいのか? そのうち、イッヤーソンが、この部屋を破壊する。そうなったら、あんたは確実に死ぬぜ」
「ああ、さっきから続いている地震はイッヤーソンだったのね」
「なんだと思ったんだ?」
「知らないわよ。部屋に閉じこめられているから、まったく状況が分かってないの。分かるのは、馬鹿がホテルを壊していることぐらい」
「ゾンビがコテンパーンになって、イッヤーソンがそれに取り憑いたんだ」
「すべてを把握したわ。分かりやすい説明ありがとう。コテンパーンなんて、懐かしい名前を聞いたものね。何年ぶりかしら」
「高速理解素晴らしいぜ。で、どうすれば結界がとける?」
「特別な方法はいらないわ。惚れた女の名前を叫んで、私を引っ張ればいいだけ」
「なんだそりゃ?」
「恥じらいが解放のエネルギーとなってくれるのよ」
「代わりに俺が結界に閉じこめられるというオチはないよな?」
「用心深いのは悪いことではないわ。束縛の術をかけられたのは私よ。そういう罠はないから安心しなさい」
「助ける前に質問だ。あんたには聞きたいことが山ほどある」
「その余裕はないんじゃない?」
「後で答えてくれるか?」
「私に分かることなら、なんでも」
「俺の妹の居場所もか?」
「教えるわ。そのためにあなたを呼んだんだもの」
「一つだけ質問だ」
「時間オーバー。後ろを見なさい」
 振り向くと、窓には巨大な目があった。
「みーつけた」
 イッヤーソンだ。奴の顔が笑った。
「そういえばお姫様は、そこにいたのですねぇ。赤沢くんに夢中で忘れておりましたよ」
「一生、忘れてくれると嬉しかったわね」
「赤沢くんもいいですが、姫さまの脳は最高に美味しいでしょうな。無敵の力を手に入れられそうです」
「集合体ゾンビの体をのっとったばかりに、知能が低下してしまったようね。いい気味だわ」
「さてと、ノーミソをいただくとしましょう」
 奴の手が伸びた。部屋の中に3メートルはある指が突っ込んでくる。
「質問だ。姫さんの名前は?」
「小麦美桜」
 やはり彼女か。
「小麦美桜、来い!」
 俺は美桜の手を取った。
 結界から抜け出せた。ドアを開けて、廊下を出る。美桜をひっばりながら、非常階段を目指す。
 705号室を破壊したイッヤーソンの手が廊下まで届いていた。鉄球のような握り拳。704、703号室の壁を壊しながら、こちらへ向かってくる。突き当たりの壁をぶち破った時は、俺たちは非常階段を駆け下りていた。
「速い。手がちぎれそうよ」
「奴に殺されたくなきゃ我慢しな」
「お姫様だっこして」
「足が遅くなる」
 地面がぐらついている。急いで脱出しなければ、ぺしゃんこになってしまう。
「あなた、私に惚れたわけ?」
「まずは交換日記から始めようか」
「軽口はあなたの趣味なのかしら?」
「恐怖を和らげるために必要なものさ。おまえこそ、あの状況でよく、惚れた女の名前を叫べなんて嘘をつけるな」
「あなたの弱みを握ろうとしたのよ」
「ガキじゃねぇんだ。言ったって気にならん」
「じゃあ、誰に惚れてるの?」
「小麦美桜ちゃん。その黒い髪をチューしたいぜ」
「ゾッとしたわ」
「イッヤーソンほどじゃねぇだろ、おっと……」
 三階へと続く階段の途中で、急ブレーキをかけた。
 大穴ができていた。
 壁だった所から外の景色が見渡せた。薄暗く、廃墟の町のように静かだ。戦車や戦闘ヘリがやってきて、ミサイルをぶっ放して欲しいものだが、上空からも、地上からも、そのような支援が来そうになかった。
 新鮮さなどどこにもない、生暖かな風が気分を悪くさせてくれる。
 足元は崖だ。
 真下を見れば、一階の瓦礫の山がナイフのように俺たちを迎えている。飛び降りたら死ぬ。生きられる場所といえば、穴を超えた先にある三階の廊下ぐらいだ。距離はあるが、一か八かやってみるしかない。
「飛べるか?」
「か弱い女の子の私に、なんという無茶ぶり」
「か弱いというのに疑問はあるが、姫さまのようだしな。リクエストに応えてやる」
 持っていろに日本刀を渡すと、美桜の体を両腕で持ち上げた。
「重いな」
「女にたいして最低最悪なセリフを口にしないでもらいたいわ」
「篠崎の屋敷で会った時は、紙みたいにぺらぺらに軽かったじゃないか。魔法であれぐらいの体重に落としてくれ」
「この私は本物だから無理。それに、みたいじゃなく、紙だったのよ。風で飛ばされるから、あそこまで行くの大変だったんだから」
「後ろを歩いてりゃ、パンツ見放題だったな」
「スパッツって便利よね」
「残念すぎて涙がでてくるぜ。歯を食いしばってろよ。刀を俺に当てるんじゃないぞ」
 階段を何段か上がってから、助走を付けて勢いよく飛んだ。
 着地。足がジーンと来た。
「あらやだ、惚れそうになったじゃない」
「そのセリフを、うっとりとした顔で、感情込めてもう一度言ってくれ」
「そこまでサービスできないわ」
 美桜を降ろして、日本刀を手に取った。
「おやおや、二人なかよくデートですかな?」
 見上げれば、横穴からイッヤーソンの入りきれない顔があった。奴はすでに五階の高さまで大きくなっている。かがみ込んで、俺たちのことを見ていた。
「お義父さん、娘さんを下さい」
「すでにお腹の中に赤ちゃんがいるの」
「それはけしからんですね。最近の若いものはブツブツ。お腹の子もまとめて食べてしまいましょう」
 穴に入りきれない顔を無理矢理に押し込んで、巨大な顔を近づけてきた。大口を開けた。奥が光っている。
「ちっ、逃げるぞ!」
 口からどす黒い光線が発射された。美桜に向かってジャンプをし、彼女を庇いながら廊下の方へグルグルと転がっていった。
「くそっ、食べたいのか、殺したいのか、どっちかにしろ!」
 爆発音。
 強烈な地響きがした。俺たちがさっきいた場所は、跡形もなく消えていた。視界は、ニタニタと笑うイッヤーソンの姿と、外の景色が広がっている。
「上っ!」
 天井が崩れてくる。美桜を強く抱きしめたまま、体を回して左方向に回避する。
 が、その方向には床がなかった。ぺしゃんこにはならなかったが、二階へ向けて落下する。
 背中に大きな衝撃がきた。
「生きてるか?」
「あんたの体、臭いわ」
「惚れたら良いにおいになるぜ」
「絶対にならない自信あるわ。なんであんたとベッドで抱き合っているのよ」
「映画でいうベットシーンだな」
「ロマンもなんもないけどね」
 運の良いことに、俺が落ちた先はエステのマッサージ用ベッドの上だった。クッション部がダメージを和らげてくれた。人間二人が落ちた衝撃で、ベッドの中央部が割れてしまい、使い物にならなくなっていた。
「姫さんよりも、命を捨てて俺を救ってくれたマッサージベッドちゃんに恋をしそうだ」
「んな高さから落ちたところで、死にやしないわよ」
 美桜はベッドから起き上がる。
「立てる?」
「立とうとしてるんだが」
 起き上がれなかった。美桜は、俺の手を両手で引っ張ってくれる。それから、床に落ちていた日本刀を渡す。
 口は悪いが、頼りにしてくれているようだ。
 直立するが、真っ直ぐにならない。自分の体かと思ったが、そうではなかった。揺れているのはホテルだった。ミシミシとした亀裂の入る嫌な音も聞こえてくる。
「もうすぐ倒壊するわ」
「今までしなかったのが奇跡なぐらいだ」
 あれだけの攻撃を食らってよく耐えたものだ。建築三十年以上ありそうな古びたホテルだが、基礎がしっかりしているようで、頑丈にできている。
「入り口はふさがれてるな」
 エステのドアは、のしかかってきたコンクリートの重みで、ぺしゃんこに潰されていた。
「また、飛び降りるしかなさそうね」
「お姫様だっこしてやろうか?」
「そんな時間も……」
 イッヤーソンの片目が見えた。
 さきほどのビームで出来上がった穴から、ミニチュアをのぞき込むように、俺たちのこと眺めていた。奴の顔が動いた。口が見えた。大きな口だった。
 その奥からどす黒い光が漏れる。
「……なさそうだな」
 行動は、美桜の方が速かった。俺の手を取った。足を動かそうとすると、痛みで全身が悲鳴をあげた。立ち止まる暇はない。美桜は、エステの店の名前が逆向きに書かれてある横並びになった窓から、外の通りを素早く見まわす。
「こっちよ」
 鍵をあけ、窓を全開にする。その下にはネコさんマークの宅急便のトラックがあった。キャブがホテルに突っ込んでいる。ゾンビの怪物の登場にパニックとなり、事故を起こしたのだろう。
 美桜に引っ張られて、ドライバンの上に飛び下りる。髪の毛スレスレに、イッヤーソンが発したビームがかすった。手前にある駅の線路を破壊し、その先にある西口のビル群をも巻き込んでいく。もう少し遅ければ、脳みそを失うところだった。
 転ぶように荷台から降りる。手前にエンジンがかかったピンクの乗用車があった。運転席のドアを開ける。
「のうみそぉぉぉぉぉ!」
 発砲した。女の頭がハンドルにぶつかり、クラクションが盛大に鳴った。
「ちっ、弾の無駄遣いをしてしまった」
「なにやってるのよ」
「車で逃げようとしたんだ」
「この道でどうやって? 追いつかれる未来しか見えないわ」
 駅前の二車線の狭い通路は、無数の亀裂が出来ていた。下水管が破裂し、水が吹き出ている。通りにある自動車は、事故に遭ったり、炎上したり、ひっくり返ったりして、通行の邪魔をしている。
 運転者たちはといえば、「ノーミソだぁ」「ノーミソくわせろぉぉぉ」と元気よくウォーキング中だ。
「ドライブデートは中止か」
「ゾンビアトラクションデートも乙なものよ」
 日本刀を両手で握り、こちらにやってくるゾンビたちを斬った。
「いつになったら地獄のデートは終わるんだ?」
 ロケットが発射したかのような爆発音。
 ホテルアプロディーテが一瞬で崩れ落ちた。灰色の煙が立ちのぼるなか、イッヤーソンが巨大怪獣のようにのっそりと姿を現した。
 全長20メートルといったところだろうか。干涸らびた巨大な手を地面に付ける。指が六本あり、爪はなく、どれも人差し指のように同じ長さをしていた。首を伸ばし、両手をぎょろりと開けて、辺りを見回す。
 降りしきる灰によって、俺たちの姿は隠されていた。視力が悪いのだろう。近くにいるというのに、俺たちのことが分からないようだ。
「死ぬか、生き残るか、どっちかね」
 美桜は、囁くようにして言った。普通に声を発した所で、アラーム音でかき消えただろう。
「生き残ってやるさ。美桜、俺に付いてこい」
 俺も声を落として言った。

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