「うっわあ、かわいい」
毛利探偵事務所のドアが開き、耳に飛び込んできた第一声がこれだった。突然の訪問者に、新一は視線をやる。
「いきなり来て、言うことはそれだけか?服部」
「はは、元気にしとったか?工藤。しかし、相変わらずしけた事務所やなあ」
「何しに来たんだよ」
新一は迷惑そうに言い、読みかけの本をテーブルの上に置く。
「なんや、その嫌そうな顔は。こっちに用があったから、ついでに様子を見に来てやったのに。・・・な、それにしてもその犬どうしたん?でっかい、犬やな」
平次は新一の隣に座っている白い大型犬を顎でさす。犬は平次の姿を見て、人懐っこく、尾を振っていた。
「ああ、蘭が預かってきたんだよ。飼い主が今日引き取りに来るって言ってんだけど、まだ来ねえんだよ」
「それで、留守番かいな。あの二人はドコいってん」
「おっちゃんは仕事で、蘭は空手の試合だと。ったく、俺に犬を押し付けていきやがって・・・俺にも予定があったんだぞ」
次第に声が不機嫌になってゆく新一の様子に、平次は聞き返す。
「予定?」
「そうだよっ、久しぶりにサッカーの試合を見に行くはずだったのによぉ、飼い主は来ねえし・・・」
「なんや、それで不機嫌だったんかいな、サッカーなんていつでも見れるやんか」
「せっかくチケット手に入れたのに・・・」
「この犬ええ顔しとるなあ。ごっつう、かわいいやん」
新一の愚痴を無視し、犬の頭を撫でる。意外にも犬好きのようだ。それを見て、新一は席を立つ。平次に愚痴をこぼしても仕方がないと思ったのだろう。
「なあ、この犬なんて名前?」
「バロン」
犬缶を手に、新一は席に戻る。そろそろ飯時なのだ。
「しっかし、大きいなあ。工藤お前やったら、乗れるんちゃうか」
「えっ、ばかっ、やめろ」
ふいに訪れた浮遊感。気付いたら、抱え上げられていた。子供の姿である新一は、抵抗も虚しく平次の腕の中だ。あけかけの犬缶の中身が飛び散り、体に降りかかった。
「ほら、余裕で乗れる。ははは、ごっつう似合っとるわ。かわいいなあ」
「服部ぃ、その台詞、まさか、俺込みで言ってんじゃねえだろうな」
犬の背に乗せられた新一は、平次を睨みつけた。大体、高校生である男に<かわいい>などという台詞をはくなんて、もってのほかだ。
新一は勘違いしたが、平次はもちろん犬に言った台詞だったのだが・・・。
新一が本気で嫌がっているのを見て、平次は面白半分に新一をからかう。
「ええやん。今は小学生なんやし、ああ〜コナン君、かっわいい」
「バロン、行け」
「え、ちょ、ちょう待ちいや」
平次に飛びかかれという合図だった。それを悟った平次は後退る。こんなに大きな犬に飛びかかりでもされたら、洒落にならない。
「悪かった。工藤。そんな怒りなや、たんなる冗談やんか」
「知らねえなあ。・・・バロン、やってしまえ!」
その声にバロンが起こした行動は、新一の思惑とは反するものだった。
「わあぁっ、ばか、やめろ」
「工藤・・・?」
何をどう解釈してそうなったのか、バロンは背中に乗る新一に向かって飛びかかった。新一の体には先程飛び散らせたドッグフード(生タイプ)がついている。バロンは尻尾を激しく振り、実に楽しそうに新一の顔をナメていた。これでは、じゃれているのか、ドッグフードが目当てなのかよくわからない。
「くすぐったいっ、やめろってば!」
「・・・なんだかなあ」
平次は新一と犬がじゃれているのを見て拍子抜けした。これではちょっとびびった自分が馬鹿みたいだ。
(しかし、他の奴らが見たら、まるっきり犬に襲いかかられている子供の姿やろうなあ)
「ははっはは、本当にくすぐってえ。やめろったらっ」
バロンには新一の言うことを少しも聴く気がないらしい。新一は我慢できずに笑い転げている。実に微笑ましい姿だ。
(はは・・・誰もこいつの中身が高校生やなんて言っても信用せんやろうなぁ。ホンマ、ごっつう可愛いんですけど・・・って、何言うてんねん俺!)
最後の方は無意識に思った事だった。頭に血が上り、顔が赤くなる。平次はハッと我に返り、一人で自分の台詞にツッコミを入れた。
(いかん、あいつの外見に、騙されたらあかん!相手は高校生やぞ、しかも男相手に何考えてんねん!今のはナシや、今のはナシっ)
頭を激しく振り、浮かんだ言葉を吹き飛ばそうとする。
「服部ぃ!み、見てないで、助け・・・ろ、ははっ」
「お、おおっ」
新一が、苦しそうなに喘いでいるのを見て、平次は慌ててバロンを取り押さえようとするが、バロンはそれを遊んでくれるもだと思い、今度は平次に飛びかかった。
大型犬の力は半端じゃない。ちょっとじゃれられるだけでも一苦労だ。また、バロンはそこらの大型犬よりも一回り大きかった。種類分からないが二本足で立たれると、平次の身長と同じぐらいになる。
「この、アホ犬っ、人間様をなんだと思ってんだ!いい加減、大人しくせえ!」
「バロン!」
しばらく息も絶え絶えになっていた新一は、ようやく起き上がり、平次に加勢する。バロンは意外にすばしっこく、いっこうに大人しくする様子もない。二人の呼びかけも、いつしか懇願のそれへと変わっていた。暴れたせいで、ドッグフードや色々なモノが散乱し、見るも無惨だ。
「何をしてるのあなたた達!」
その時だった。部屋中に一喝が飛ぶ。その声に驚き、あれほど言うことを聞かなかったバロンの動きがピタッと止まる。二人ももちろん例外ではない。
ドアの前にはいつのまにか蘭の姿があった。その顔が真っ赤になっている。そうとう怒っているようだ。部屋の状態を見れば無理もない。新一は蘭の様子に一気に血の気が引く。
「蘭姉ちゃん・・・」
「おお、帰って来たか。邪魔してるで。」
「ちょっと・・・練習試合から疲れて帰ってみれば・・・なんのよこのありさまは」
「帰って来てくれて助かったわ。ちょお、聞いてくれるか、このあほ犬がなあ・・・」
「は、服部っ」
何の悪びれもなく蘭に話しかけようとした平次に、新一は慌てた。蘭の幼なじみである新一には、今どれだけ蘭の機嫌が悪いのかよくわかっていた。声を張り上げるのでもなく、逆にトーンを落として喋る。こういう時に話しかけるのは相当マズい。そっとしておくのが一番なのだ。
「部屋、片付けといてよね、二人とも」
「は、はーい、蘭姉ちゃん」
「なんや、俺も?俺は客やで?」
「ばかっ」
事務所を出ようとしていた蘭の足がピタリと止まる。新一にはその動きが恐ろしかった。
「何か・・・言った?服部君・・・」
ゆっくりと振り向く蘭の額に青筋が見える。顔は笑っているが、拳をバキバキと鳴らしていた。
「な、何でもありません。ほな、片付けよかー!ぼうず」
有無も言わせぬ蘭の様子に、平次はようやく悟る。(こわい・・・)
「そう?気のせいだったかしら。バロン・・・邪魔しちゃだめよ」
バロンは床の上に寝転がり、腹を上に向けてクンクンと鳴いている。犬は正直だった。
事務所の扉が閉じ、新一と平次はほっと肩を撫で下ろす。
「こっわぁ。ありゃ、半端やないぞ」
「はははは」
新一には笑うしかなかった。
「しかし、これ、二人で片付けるんか」
部屋を見渡すと、よくこれだけ散らばったものだと思う。見てるだけで気が重くなってきた。
結局全てを片付けるのに三時間を要した。ただ、顔を見に寄っただけなのに、何故こんな事になってしまったのか。
思わぬ重労働に、新一はすっかりバテてしまい、ソファーの上で、寝息をたてている。
(やっぱ、体が小さいと体力も違うもんか)
平次はこっそり、新一の顔を覗き込み、そう思った。
中身が高校生でも寝てると小学生。ちょっと可愛いかもと、よぎった言葉を頭のスミに追いやりつつ、でも、意外に楽しかったかな。と思い直す。
(そやな、掃除はしんどかったけど工藤といると、飽きへんかったな)
また暇な時来よう。平次はそう思い、事務所を後にするのだった。 |