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ディナー
作:松本 由樹彦



チャプター7


 家の中は真っ暗だった。
 知らない家特有の芳香剤のような匂いが漂っていて、雨戸を閉め切っているにもかかわらず、奇妙にひんやりとしていた。吉川が当然のように靴のまま廊下に上がったので、若干気が引けたものの僕も同じようにした。
 僕と吉川は手前の部屋から順番に雨戸を開けていくことにした。まっすぐ廊下が伸びていて、その左側に部屋が並んでいた。一番手前はキッチン兼ダイニング。食器や調理道具は何一つ見当たらないが、四人掛けのテーブルと椅子が残されたままだった。冷蔵庫もあった。一応中を開けてみたが、空っぽ。冷気は漂わず明かりも灯らなかった。
 その次からはまったく同じ間取りの六畳の和室が三部屋続いた。どの部屋にも家具は一切残されておらず、壁にポスターが貼られていることもなかったが、ふたつめの部屋の襖には黄色いクレヨンで車の絵が描いてあった。
「岡部見て」
 僕が一番奥の部屋の雨戸を開けたとき、背後で吉川が言った。
「血」
 直立して真下を指差す吉川の足元には、牛乳の蓋ぐらいの大きさの凝固した古い血液が貼りついていた。鼻血を一滴ぽたりと落として、そのまま取れなくなってしまったという感じの残り方だった。吉川はしばらく絵画を鑑賞するような目付きでそれを眺めてから、おもむろにしゃがみこんで膝を抱き、赤黒い血の残骸を繊細な指先でさらさらと撫で始めた。畳で擦れる黒い髪と白いワンピース。危うくて儚げな表情。僕は写真が撮りたかった。でもカメラを持っていなかった。
 やがて吉川はかりかりとつめをたててこびりついた血液を剥がしだした。僕はなんだか興醒めしてしまい、一人で他の部屋を確認して回ることにした。
 
 
 玄関から見て、左側にダイニングと三つの和室。その反対側は狭かった。トイレに洗面所にバスルーム。空っぽの部屋にはかつて洗濯機でも置かれていたのだろう。下を向いて歩いていると、廊下に四角い扉がついているのを見つけた。だいたい一メートル四方。地下室、というよりは食料貯蔵庫といった感じのものだろう。やはりかつてここで人が暮らしていて、畑を耕して作物を作り、この下の貯蔵庫に保管して少しずつ食べて冬を越していたのだろう。扉の取っ手を引き出して引っ張ってみた。鍵がかかっていた。廊下には電話台と電話機が残されていた。だめもとで受話器を耳に当ててみた。プーともツーとも言わなかった。
 僕は一番手前の和室に戻り、ここで暮らしていたのはどういう家族だったのだろうかと考えてみた。ダイニングに椅子が四つあったことから推測すると、四人家族だったのだろうか。そう頻繁に客人が訪れるとも思えない。
 四人。父、母、姉、弟。
 それは僕の家族だ。違う。
 でも、きっとそんな感じだ。二人の親と二人の子ども。子どもたちはここから毎日麓の学校に通っていたのだろうか。一体片道何時間かかる?雨が降ったら土砂災害で死んでしまいそうだ。どこに住むのも親の勝手だが、行き過ぎた自然教育は子どもに甚大なる苦痛とトラウマを与える。だから彼らはここを去ったのだ。
 それにしても、これからどうしよう。日没までの猶予はあるが果たして山を降りられるだろうか。もし麓までたどり着けなければ山の中で一夜を越すことになる。凍死する季節ではないし、熊が出るとも思えないが、それでもやはり危険が伴う。それならいっそ、今日はここにいたほうがずっとましだ。しかし食料が何もない。飲み物もそれぞれ飲みかけの500mmペットボトルがあるだけだ。しかも明後日から期末テスト。こんなところで一泊している場合ではない。それも吉川と二人きりで。
 やはりなんとしても帰らなければならない。
 気が付くと僕の真後ろに吉川が立っていた。吉川は冷たい目で僕を見下ろしていた。考えながら僕は障子に指で穴を開けて遊んでいたのだ。
「……子ども」
 吉川はあきれた声で言った。


 二人で家中の障子に穴を開けて遊んだ。
 吉川は両手の人差し指と中指を固めて脇を締めて、「あたたたたたたたたたた!」という奇声を発しながらものすごく楽しそうに凄まじいペースで障子を貫きまくっていた。どっちが子どもだ。吉川の手の届く範囲の障子はあっという間に吉川百裂拳の餌食となり、僕は吉川の手が届かない高さの障子を丁寧にくり抜いた。すべての障子に穴を開けてしまうと、また一番手前の六畳間に戻った。吉川は足を投げ出して手を後ろについて、さもすっきりしたという顔で網戸越しの緑を眺めた。
「これからどうするんだよ」
 僕は壁にもたれてあぐらをかいている。
「最悪、泊まるしかないわね」
 吉川が何でもないことのように言う。
「勘弁してよ」
「でも、どうやって帰るのよ。もう疲れたわ。歩きたくない」
「明後日テストだよ」
「あんたなんか持ってたじゃない」
「英文のチェックノートだけだよ。あれだけじゃまるで不十分だ」
「大丈夫よ。私も一緒に勉強してあげるから」
 自分もテストだろ。
「泊まるにしたってどうするんだよ。食べ物も飲み物もない」
 吉川は眉をひそめた。
「それが痛いのよね。岡部、ちょっとイノシシかなんか捕まえてきてよ。水は大丈夫だから」
 僕は答えるのも面倒くさかったので下を向いて首を振った。
 って、ちょっと待て。
「……水は大丈夫ってどういう意味?」
「水出るわよ。さっき手洗ったもん」
 吉川は笑って小さなてのひらを見せる。
 ちょっと待て。
「ただいまー」
 ちょっと待て。












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