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ディナー
作:松本 由樹彦



チャプター6


 そして迎えた土曜日。
 先週とはうって変っての快晴。昨今めずらしくも今年の夏は冷夏との予報で、本日の最高気温も三十度には満たないらしいが、それでも夏日には違いない。
 期末テスト二日前なのに朝からいそいそと身支度をする息子に小言を唱え続ける教育熱心な母親の前でコーンフレークと牛乳の簡単な朝食を済ませ、十時には家を出た。
 共に休日の父親と姉はまだそれぞれの部屋で朝寝を続けている。僕だってできることなら母親の言うとおりエアコンを効かせた快適な自室で一日中勉強していたい。
 

 駅前で吉川と合流し、すっかり運賃を覚えてしまった切符を買って電車に乗る。込み合う上り列車とは違い、僕と吉川の乗る下り列車は例によって閑散としていた。これからまた村からの強烈な拒絶を味わうことになるのかと思うと、やはりどうしても気が滅入る。
 今日から七月ということで、季節感を重んじる僕たちの服装も一気に夏の装いへと変わった。僕は黒いTシャツにクロップドジーンズにベースボールキャップを被っていて、吉川にいたってはスリーブレスのワンピースだ。その白いワンピースの足元にはタウンユースのレザースニーカー。つややかな黒髪に効果的に配された赤いヘアーエクステンションがなんというかよく似合う。
 あまり農村を訪れるのに適した格好とは思えないが、今日はそれほどハードに動き回るつもりはないという吉川の意思表示かもしれない。電車が動き出してしばらくすると、吉川は銀色の手すりに頭をもたせて、静かに寝息を立て始めた。最後の遠足。僕は少しだけ安心して、英文法の復習を始めた。


 山笠村の無人駅に着くと、吉川は恒例になった深呼吸をして、すぐにバスに乗ると言った。村民に見られながら村を練り歩くことを恐れていた僕はその言葉にひどく安堵した。
 駅前からバスで山へ。ゆっくりハイキングロードを登って、芝生広場で早めの昼食をすませると、吉川は広場を離れ、森の中へと僕を誘った。この先に地元の人しか知らないきれいな滝があるの、と吉川は言った。
「昨日ネットで調べたのよ」
 地元住民しか知らない名所の情報すら共有できてしまう時代だ。木々の間を器用にすり抜けていく吉川に置き去りにされないように、僕は黙々と斜面を下った。


 三時間後。
「……絶対迷ってるよね」
 僕と吉川はいまだに滝にたどり着けないでいた。
「迷ってないわよ」
 憮然とした表情で前を歩く吉川が言う。その言葉はもう数え切れないくらい聞いた。
 完全に登山道をはずれ、登っていたかと思えばいつの間にか下っている。その繰り返し。何度も同じところを回っているような気もするし、そうではない気もする。まるで特徴のない無個性な森の中だ。携帯電話はとっくに圏外。
「どうするんだよ」
「男のくせにうるさいわね!騒いだら帰れるわけでもないでしょ!」
 やっぱり迷ってるんじゃないか。
 僕は途方に暮れてため息をついた。それすら吉川に、「うるさい!」と叱られた。ちょうど座れそうな大きさのつるっとした岩を見つけて、「ちょっと休憩する」と吉川が腰を下ろして、ペットボトルのアイスティーを飲んだ。僕はその真横の大木にもたれかかってコーラで喉を潤しながら、首の後ろを掻いた。
 森の中は終始木陰で涼しかった。でもその代わりに先週まではほとんどいなかったはずの蚊が大量発生していて、僕もずいぶん刺されるはめになったのだが、腕と脚をむき出しにしている吉川は文字通り血祭りにあげられていた。さっきから吉川は体中につけられた赤い痕跡にひとつひとつ爪あとをつけている。僕はその所作を眺めながら、
「そんな格好してくるからだよ」
「…もう少し離れてよ。暑苦しい」
 僕は黙って一つ隣の木へと移動した。
 沈黙。セミの声。
 吉川は唇を尖らせて、前かがみ。膝に肘を突き立てて、両手にあごを埋めている。僕は後ろに手を組んで空を見上げた。木々に遮られながらも間隙を縫って太陽光線が僕の頬を暖める。でも僕はどちらかというとワイドに広がる空が見たかった。三時間か。最後にして最悪の遠足。
「何かある」
 声に気付いて視線を下げると、吉川が歩き出していた。ちょっと見てくる、という歩調ではなかったので僕も急いで後を追う。こんなところではぐれたら再会できる気がしない。吉川は木々の隙間に細い体をすべり込ませて、するすると進んで行く。歩くのがやたら早い。後ろから名前を呼んでも完全に無視。何度か見失いそうになりながらも、ようやく追いつけた場所は、奔放に育った緑の雑草に覆われた正方形の平地だった。細長い木造の平屋が一軒建っている。それ以外は何もない。吉川は隣に並んだ僕をチラッと見て、僕が見返したころにはすでに視線を前に戻していた。
「家」
「そうだね」
 近づいていく。すべての窓は雨戸に閉ざされ、外壁は長年風雨にさらされ続けたことを訴えるように色あせていて、玄関には鍵がかかっていた。
「これ、絶対人住んでないよね?」
 確かめるように吉川が言う。
「だろうね」
 こんなところに住むとしたら下界との接触をほぼ完全に絶たなければならない。畑などがあれば自給自足も可能だろうが、そんなものは見当たらない。こことは別の場所にあるのかもしれないが、そんな可能性を探るのが馬鹿らしくなるくらいに、それはどこからどう見ても、何年も放置されたままの空き家だった。
 さっきから吉川はすりガラスの引き戸を両手で掴んでがちゃがちゃと揺らしている。
「疲れたし、ちょっと中で休みましょうか」
「鍵かかってるから」
 僕がそう言い終わる前に吉川はその辺に落ちていた石を拾って、扉のガラスを殴り割って鍵を開けた。呆気にとられる僕を横目に吉川は扉をスライドさせて、薄暗い玄関に一歩入り込んで振り返った。
 ニヤリ。
「おいで」













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