チャプター5
「岡部ー。お前急激に日焼けしてるけど何かスポーツでも始めたんか?」
一ヶ月あまりが過ぎた、雨が降る六月のとある昼休み。学食で武田が僕に問いかけた。
「毎週遠足だよ」
僕は自嘲気味にそう答えた。
「吉川と?」
別の友人が口を挟む。僕は紙パックの緑茶のラベルを眺めながらうなずく。
「え、吉川さん白いままじゃん」
また別の友人が遠くのテーブルで昼食を取っている吉川を振り返って言った。
「あいつは日焼け止め塗って、日傘まで差してるんだよ」
とたんに友人たちはめいめいガーガー騒ぎ出した。どうやら僕が吉川のことを『あいつ』呼ばわりしたのが気に入らなかったらしい。僕自身そんな言い方をするつもりはなかったし、そんなふうに呼んだこともなかった。しかし、その呼称に込められていたのが親しみではなく憎しみだということには誰も気付けなかっただろう。
「あーあー楽しそうだねえ。一回くらい代わってほしいぜ」
武田が吐き捨てるように言う。
僕は、「一回くらいならいいよ」と言ってしまいそうになって、すんでのところで言葉を潰した。
そう。僕と吉川はいまだ山笠村に通い続けている。それと並行して街で映画も観ているので、土曜日は街に出て、日曜日は山笠村へ行くという、理不尽極まりないスケジュールが組まれているのだ。
高校入学以来、僕の日曜は朝の十一時から夕方六時まで塾で勉強する日と決まっているわけであり、つまり僕はこの一ヶ月、塾をさぼっている。一応、普段塾へ行くときと同じ時間に家を出るようにはしているので、まだ母親に感づかれてはいないようだが、さすがにもうばれるのは時間の問題だと思う。
武田の言うように定期的に野外を歩き回ったおかげで僕は夏を前にずいぶん日焼けしてしまったのだが、日焼け止めを塗って日傘を差している吉川の肌はずっと雪の白さを保っていた。元々焼けにくい体質でもあるのだろう。僕はロレンスや電車の中でたびたび自分の腕と吉川の腕の色を見比べて、うんざりとした気分になった。ブラックアンドホワイト。こういうのは僕向きではないのだ。
毎週無意味に訪れる僕たちに向けられる二十一世紀型の排他的な山笠村民の視線は次第に懐疑的なものへと変わり、週を追うごとに僕は村全体から石を投げつけられているような強烈な疎外感を味わわされている。相変わらず人影は少なくゴーストタウン然としているものの、閉ざされた民家のカーテンの隙間から見られているような気がして気味が悪く、それはただの被害妄想というわけでもなく、実際に縁側から僕たちを疎ましいもののように見る老婆と目が合うことがしばしばあった。僕が思い切って老婆と視線を絡ませてみても、老婆はまったく視線を外そうとせず、結局僕が根負けして目を逸らすことになる。ヘルメットを被った小学生の集団は、何故か自転車から降りて立ち止まって僕たちを見てくる。高二にもなって小学生に白眼視されるというのは、なかなかみじめだ。時折すれ違う腰の曲がった年老いた男はボンネットに落ちた鳥の糞を見るような吐き気すら覚える視線を投げかけてきて、僕はもう、「なにかご用ですか?」と言ってしまいたくもなるのだが、吉川がそういうことを特に気にする様子がないので、そこも無言で通過していく。
そう、吉川の機嫌が良すぎるのだ。
先週なんかは大雨の中、大きな傘を差して長靴を履いた吉川のテンションが異様にハイで、僕は水溜りの水を蹴り浴びせられたり、増幅した川に突き落とされかけたり、ハイキングロードを外れて山の中に入ってまったく無意味に泥だらけになったりしていた。
その日の帰り道、泥だらけで歩く僕たちを見る村民の目はひときわ冷ややかで、それでもやはり吉川が気にする様子はまるでなく、駅に着いたら運悪くちょうど電車が来たところで、僕はずぶぬれのまま飛び込んだ車内でも、周りの冷たい視線とか、足元に自然にできる水溜りとか、濡れたシャツが貼りついた吉川の膨らみとかが、気になって仕方がなかった。
六月の最終週。細かい雨が窓を叩くロレンス。
今、吉川はホットココアを飲みながら週末のプランをやたら熱心に話しているのだが、僕は窓ガラスをゆっくり伝う水滴を目で追いながら、ほぼすべてを聞き流していた。
今週の土曜日はもう七月に入る。来週の月曜からは期末テストだ。どうしても今週末は家と塾で静かに集中的に勉強がしたい。
「吉川」
僕は覚悟を決めて切り出した。
「ん?」
「ちょっと話があるんだけど」
「何よ、あらたまって。告白するの?」
吉川は楽しそうに笑う。
「もう山笠村に行くのやめないか」
僕はうつむいてアイスコーヒーを飲むふりをした。単純に怖いのだ。そのまましばらく頭上に罵声が降り注ぐのを待った。でも吉川は何も言わなかった。恐々上目に見てみる。口元に手を当てて、じっと僕を見据えている吉川と目が合った。さっきまでと印象が全然違う。でも、その眼差しには見覚えがあった。
僕が遠山美奈を殺した夜に吉川が見せた、不安と躊躇いと弱さと恐怖が少しずつブレンドされたような、あまりに吉川世梨的でない目付き。僕は苛立ち、それ以上に動揺して目を伏せた。
どうして今このタイミングでそんな目で僕を見る?
「……どうして?」
どうしてとかそういう声質で言うな。頼むから。
「……もう楽しくないの?」
「…いや、楽しくなくはないけど……。ちょっと、飽きてきたかな…、と」
僕はストローで氷をつつきながら言った。
無言。無音。今日に限って老人がテレビを見ていないことに気付く。予想だにしていなかった硬質なムードの訪れに思考が上手く順応できない。頭頂部を押さえつけるような重たい視線を感じる。きっと吉川は口を開かない。それならもう少し僕が何かを話すべきだろうが、しかし、何を言う?
とにかく僕はストローをくわえた。
しかし。
「確かにちょっとまんねり気味かもね」
おや、と思って顔を上げると、吉川はもう平時の状態に戻っていた。わずかに眉をひそめてホットココアから立ち上る湯気に手をかざしている。演技だったのだろうか。よくわからないが。
「そろそろ塾をさぼってるのがばれそうなんだよ」
ひそかに胸を撫で下ろしながら僕は言った。
「じゃあ、今週は映画なしにして土曜日に行きましょうか」
もう一押しだ。
「それに来週から期末テストだ」
それを聞いて吉川は、カップの縁に唇を押し当てながら僕の頭上の空間を見つめて、時間をかけて考えていた。
「そこまで言うならわかったわ。今週で最後にしましょう」
頭が痛い。
「あのさ、来週が期末テストって言ったし、言われなくても知ってるよね?来週の土曜はもうテスト終わってるんだけど…」
吉川はようやく僕をきっと睨みつけて、
「だから、土曜日に行くって言ってるでしょ!」
と言って、カップをゴツンとテーブルに置いた。
もうどうでもいいと思った。
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