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ディナー
作:松本 由樹彦



チャプター19


 僕と吉川があれほどクレイジーかつグロテスクな週末を過ごしていたというのに期末テストは無慈悲なくらい事務的に予定通り執り行われ、僕は高校入学以来もっとも手ごたえを得られぬまま試験週間を終えることとなった。
 この調子では姉から吉川のことを聞かされて、ついでに僕がこの一ヶ月塾をさぼり続けていたことまで知った母親に塾の日数を増やされるのは必至だろう。吉川の成績や進路希望を僕はよく知らないのだが、果たして大丈夫なのだろうか。吉川が勉強しているような様子は微塵もないが、それほど成績が悪いとも思えず、もし僕よりも良いのだとしたらそれはやりきれないものがあるし、またそれは十分ありえる話のような気がするのだ。 


 期末テスト終了と同じ頃、山笠村には野犬が出没するようになり、村民を襲った。重傷を負ったものもいたが、幸い死者は出なかった。そして野犬駆除に駆り出された保健所職員によって、おかあさんと男の遺体が発見された。どういうわけか詳細は伏せられていたが、おそらく二人の遺体はありのままに公表すると社会に悪影響を及ぼしかねない状態になっていたのだろう。
 二人についてのいくつかの情報も断片的に伝えられた。
 おかあさんは五十四歳。数年前に交通事故で夫を亡くし、以来人付き合いを避けるようになり、山奥のあの家で一人で暮らしていたらしい。
 あの男はやはりてっちゃんで、やはりおかあさんの実の息子で、やはり三十歳。高校卒業と同時に村を離れ、各地で職を転々としていたとのことだが、死亡時の肩書きは無職だった。
 野犬はほどなく駆除されて、山笠村はまたもとの牧歌的な平穏を取り戻した。
 そう新聞に書いてあった。
 でもじゅんこのことはどこにも載っていなかった。
 じゅんことはいったい何者だったのだろう。実在する人物なのだろうか。それとも人ですらないのだろうか。では、あのゴミ箱に捨てられていた足は何だったのだろう。あの夜、僕は一体何を食べてしまったのだろうか―――――、などと一応色々考えてみるのだが、どうやら僕はそのことについてあまり関心が持てないようだ。じゅんこの正体は不明なままだが、少なくとも吉川はじゅんこではなかった。それだけは火を見るよりも明らかであり、あの地下室で五体満足な吉川を目にしたときから、僕はじゅんこに対する興味をほとんど失ってしまったのだ。今となってはたとえそれが人間だろうが恐竜だろうがエイリアンだろうが何でもよかった。変わった味の肉を食べた。ただそれだけのことだ。別に体調に異変をきたしているわけでもないし、寝ている間に別人格が目を覚ますなんてことももちろんない。僕が興味を抱ける要素は、何もない。


 一学期最後の日。
 終業式が終わって、僕と吉川はもはや当然のようにロレンスにいる。言うまでもなく今日も客は僕たちしかいない。
 明日から夏休みだ。だというのに、吉川は相変わらずホットココアを飲んでいる。額に汗を浮かべながらふーふー息を吹きかけて、そろそろとカップに口をつける吉川を見ていて、不覚にも僕は頬を緩めてしまう。吉川はそんな僕をチラリと見て、首を傾げながら目をそらし、斜め上を向いて、湯気を立てるココアを少しずつ口に含んだ。
 吉川はあの次に会ったときにはすっかり平時の調子を取り戻していて、僕としても肩の荷が下りたというと少し違うかもしれないがずいぶんほっとした気分になったのだが、それはともかくいまだにタクシーの釣りを返してくれないのはどういうことだ。
「岡部さん、夏休みのご予定は?」
「週五日、塾で夏期講習」
 吉川はココアを吹き出しそうになっていた。
「なにそれ?学校と変わらないじゃない」
「成績が下がったから親がうるさいんだよ。最近遊びすぎなんじゃないかって」
 僕は吉川をチクリと刺すつもりで言ったのだが、まるで効果がなかった。
「頭がいいだけが取り柄のくせに」
 そう言って吉川はあきれた顔をする。
 まったく、誰のせいだ。吉川のせいにしても仕方がないし、というか最初から吉川のせいにしているはずなのだが、そんなことは何の気休めにもならないということに僕は最近になってようやく気づき始めていた。母親に「僕の成績が下がったのは全部吉川のせいなんです」なんて言えるわけがない。自分の首を絞めるだけだ。
「吉川は夏休み何するんだよ」
「何にも」
 吉川は『日本一高い山は富士山です』とでも言うように、
「夏休みは何にもしないためにあるのよ」と言った。
 僕はその見解について特に異論を挟まないことにして、オレンジジュースをストローで吸った。
「とりあえず、明日は映画を見に行くわよ」
 その宣言を受けて、僕は初日から夏期講習を休むことになった。


 翌日。
 僕は吉川と十時に駅で待ち合わせて街に出て、いつものミニシアターでフランス映画を観た。
 空気の澄んだ農村よりもごみごみした街のほうがいいと、今の僕にははっきりとそう思えた。夏休み初日ということで街はいつもより平均年齢が低く、中高生で溢れていて、随所で同級生に出くわし、好奇と羨望の眼差しがまとわりつくのを感じたが、そんなこともさほど気にはならなかった。
 吉川に一日散々連れまわされて、夕方、電車に乗って帰った。今日の吉川はレトロでサイケな半袖シャツと、裾の長いラメ入りグレーのTシャツと、ピンクチェックの短いスカートと、エレガントでメタリックなブルーのサンダルを買っていた。特に言われたわけではないのだが、なんとなく目で語られて、僕はそれらが入ったきらびやかな袋を持っている。
 電車に乗り込むといち早く車両の端の席を確保した吉川は、壁にもたれてすぐに寝息を立て始めた。今日の吉川はやけにはしゃいでいた気がする。夏休みだからだろうか。
 僕は吉川の荷物から抜き取った映画のパンフレットのページをめくって退屈をしのいでいたのだが、隣で眠る無防備な姫の服装があの日と同じワンピースなのを思い出して、静かにパンフレットを閉じた。
 吉川がしっかり寝ていることを確認してから、そっと、肩にかかる黒髪を上げた。痴漢にでもなった気分だった。遊び疲れた吉川はとても気持ち良さそうにぐっすりと眠っていて、僕は白くて透明な皮膚の裏側を華やかに彩る可愛い血管に思う存分見惚れることができた。
 

 吉川の首にナイフを当てたときのことを思い出す。
 いまだ吉川は疑っているようだが、誰に誓ってもいい。
 僕は吉川を殺そうなんて一片たりとも思わなかった。

 あのとき。

 僕はただ、吉川の血が見たかった。

 




 
 こんにちは。
 ヘンゼルとグレーテルみたいなダークメルヘンを書こうと思っていたらこんな感じになりました。松本由樹彦です。
『ディナー』いかがでしたでしょうか。今回、完全な見切り発車でテンションが上がってあんまり固まってない状態で始めてしまったので、結構序盤からいっぱいいっぱいでした。やりきった感よりやりすぎた感のほうが強いですが、現時点での精一杯は出せたと思っています。少しでもお楽しみいただけたのであれば幸いです。
 前作共々たくさんの方にお読みいただけて本当にうれしい限りです。しっかり考えてからまた続き書きます。
 どうもありがとうございました。

★以下、続編です★
第三部『ダリア』
http://ncode.syosetu.com/n0293f/novel.html













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