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ディナー
作:松本 由樹彦



チャプター1


「遠足行かない?」
 吉川世梨がにっこり笑ってそう言った。
 唐突すぎてよく意味がわからなかったので、僕は壁に頭をもたせかけたまま、細長いストローでアイスコーヒーをゆっくりと吸い込みながら、上向きにとがった三角形の小さな鼻にできる限りのうつろな視線を浴びせてみた。
 吉川は笑顔の仮面を貼り付けたまま、頬に手を添えてじいっと僕を見据えていて、口を開く気配がない。
 仕方なく僕は口からストローを離してグラスを置いて、少し間も置いてから、「何それ」と冷ややかに言った。
「えんそく」と吉川が楽しそうに言った。
「えんそく」と僕は無感動に言った。
 僕たちはそれをくどくどたんたん延々と繰り返した。次第に何か別の意味を持つ言葉のように聞こえてきた。
 僕が十一回目の、「えんそく」を事務的に言い終えた後に吉川が、
「街で映画観てぶらぶらして遊ぶのも楽しいけど毎週だと少し飽きてくるじゃない?」と早口で言った。
 僕はそんなのとっくに飽きているのだが、そんなことは口が裂けても言えないので、
「そうだね」とだけ言った。
 吉川はマグカップから湯気を立てる暖かいココア、すなわちホットココアに唇の先をそっと浸した。
「だから今週は少し趣向を変えて、違うことをしてみましょうよ」
 今週は趣向を変えてどこにも行かずに各自自宅でのんびり過ごしましょうよ、というふうには考え付かないのだろうか。考え付かないんだろうな。
「それで、遠足って何だよ?」
 吉川はニヤリと笑う。
「昔遠足で訪れたことのある近場の穴場を再訪するツアーよ」
 そんなしたり顔で言うほどの名案だろうか。
「候補地は?」
「山笠村。この辺で小学生やってた子なら一度は行ったことのある遠足のメッカよ」
 たしかにそこなら僕も小学校の行事で山登りに行った記憶がある。何年生のときだったかはもう定かではないが。
「山笠村なんて山しかないだろう?」
「でも空気はきれいだったわよ」
 吉川は指に髪の毛をくるくる巻き付けながら言った。だった。
「つい最近行ってきたような口ぶりだね」
「この前の日曜にね。例の生徒会主催のボランティアでさ、山笠村のハイキングロードのゴミを拾うっていうのをやったんだけど」
「いまどき殊勝な女子高生だね」
 吉川は横目で僕をちょっと睨む。
「それ、皮肉?」
「感心してるんだよ」
「いつもの付き合いよ。他所のゴミ拾う前に学校の周りきれいにしろって感じで、私もめんどくさくて嫌だったんだけどさ。でも行ってみたら案外いいのよ山笠村。日曜なのに人は少ないし、さっきも言ったけど空気はきれいだし、鳥の鳴き声が聞こえたりしてさ、道端にきれいな花が咲いてて、ぽかぽかしてて気持ちがいいの」
 吉川があんまり普通の女の子みたいなことを言うのでかえって気味が悪かった。
 僕は頬を指でつつきながらしばらく考えてみた。そして、テーブル脇のシュガースプーンに映る湾曲した吉川に向かって、
「たまにはいいかもしれないね」
「でしょ?」
 吉川がうれしそうに言う。
「たまにはね」
「じゃあ決まり。今週は遠足ね」
 僕はテーブルに肘を置いて、またアイスコーヒーを飲んだ。暑苦しい夏が訪れる前に気候のいい晩春の野山をのんびりと歩くことで日ごろの運動不足が多少なりとも改善されるとするならば、それはなかなか気分のいいことだろう。それに僕は人混みアレルギー、とまではいかないが、街中や込み合った電車の中にいることに対して少なからずストレスを感じてしまうタイプの人間なので、吉川がさっき言った、「日曜なのに人が少ない」というフレーズは結構魅力的だった。久しぶりに少し週末が楽しみになってきた。僕は本当にそう思ったのだ。
 すっかりご機嫌な吉川は、両手でカップを持ってリズミカルに肩を揺らしながら、ホットココアを喉に流している。
 大量の絵の具をぶちまけたような、濃密なブルーが窓から見える。
 ずいぶん日が長くなった。
 中間テストが終わったばかり。梅雨入りはまだ先の水曜日の午後、ロレンスだった。













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