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ディナー
作:松本 由樹彦



チャプター12


 絶対に眠れるわけがないと思っていた。
 それでも僕はいつしかまどろみ、さほど長い時間ではないにしろ、ちゃんと眠った。
 見も心も疲弊しきっていたというのに、僕には異様に浅い眠りしか訪れなかった。
 明け方に僕は吉川の夢を見た。
 まあ、僕の夢に吉川が出てくるなんて、めずらしいことではないのだが―――。


 夢の中の吉川は、真っ赤なデザインチェアーに脚を組んで腰掛けて、いつかの印象的な無表情で僕を見ていた。
 足首から先はない。
 それは僕の両手に握られていた。
 足をなくした吉川は、そんなものなくても何の支障もないの、と言うように立ち上がり、切断面を地につけて歩いて僕に近づいた。見ていて痛々しかった。
『どうして私の足を持っているの?』
 いつもより低い位置から僕を見上げて、吉川が尋ねた。
『捨てられないんだ』と僕は言った。
『返したほうがいい?』
『いらない』
 吉川は口から血を流している。
 僕は吉川の唇に指を触れさせて血を拭った。吉川はほんの少しあごを上げて、気持ち良さそうに目を閉じた。
『痛かった?』と僕は尋ねた。
 死んだとき、痛かった?
『岡部は、痛くないの?』と吉川が尋ね返した。
 何のことだろう。
 僕の心のことだろうか。
 吉川は僕の体を見ている。
 僕は吉川の視線をなぞった。
 僕の腹には大きな穴が開いていて、内臓はほとんどこぼれてしまっていた。
 ああ、そうか。吉川は僕の腹を食い破って出てきたのだ。
『まいったな』 
 僕は頭を掻いた。
『こんな体じゃ生きていけない』
『そうね』
 吉川は僕を慰めるように頬をそっと撫でてくれた。
『食べてもいい?』と吉川が言った。
『いいよ』
 吉川は雪どけのようにやさしく笑って、僕の首筋に噛み付いた。
 最後に見る表情としては悪くないな、と僕は思った。

 
 そういう夢だった。
 浅く眠る僕は何度も覚醒しかけてしまい、そのたびにストーリーの続きを求め、眠りを求めた。


 携帯電話で時間を確認する。午前十一時。
 僕は布団の中でぐずぐずしていた。
 腹の熱さも頭のシンバルもいくらかましにはなっていたが、喉の渇きは一層ひどくなっていた。でもまだ部屋から出たくなかった。おかあさんが起こしに来るまでは、この部屋に一人でいようと思った。
 シンバル問題はともかくとして、僕の頭の中にはどこにも辿りつけない腐った感情が絶えず渦巻き続けていた。ほんの少しでも気を緩めると、僕が吉川を殺してしまったのだというダークな幻想が浮かんでくるのだ。それは事実とほとんど違わないのかもしれない。僕は吉川を見殺しにして、食い散らかし、骨まで舐めまわしたのだ。殺しただけのほうがまだよかった。僕は昨晩懸念したとおりの罪悪感にしっかり苛まれている。至極人間的な感情。でもこの感情すら虚構かもしれない。僕はもう何が何だかわからなくなっているのだから。
 ふと思い出して、押入れから吉川の鞄を出してみる。吉川が平日も休日も愛用していた茶色い革のショルダーバッグ。僕はそれを赤ん坊でも抱くみたいに両腕で大事に抱えて持って、ため息をついた。どうしてもこれを吉川の遺品、というふうにとらえてしまう。
 僕は壁に持たれて座り込んで鞄の中身を確認してみた。真っ先に飲みかけのアイスティーが目についた。僕はキャップを回して一息にそれを飲み干した。三分の一も残っていなかったというのに、どういうわけかそれで喉の渇きは完全に癒えた。
 吉川の持ち物は少なかった。黒い折りたたみ式の日傘と、アナスイの化粧ポーチと、ウェットティッシュとナイフケース。それに財布と携帯電話が入ったままだった。ということは、吉川は本当にトイレに行って、また押入れに戻ってくるつもりだったのだ。一人で山を降りたわけではない。感動的だが絶望的だ。これでわずかに残されていた希望も消えた。
 やっぱり吉川は死んでいる。
 僕は鞄を押入れに戻して襖を閉めた。
 おかあさんが僕を起こしに来なくても、少なくとも十二時には部屋を出てダイニングでおかあさんと吉川のカレーを食べなければならない。
 吉川の作ったカレー、ではなく吉川カレー。
 チキンカレー、カツカレー、吉川カレー。
 まったく、人格が崩壊しそうだ。天を仰いでジーザス、とでも言ってみようか。そんなのいよいよ僕じゃないな。
 とにかく今はまだ何も考えたくはない。寝転んで目を閉じていよう。
 何も考えない、なんてことをする自信はまったくなかった。でも、試みることはできるし、達成できなければそれでいい。何事も姿勢が大切なのだ。
 僕は布団をめくって足を差し込んだ。

 何かが倒れる音がした。

 わずか一瞬の間をおいて、知らない男の猛烈な怒声と、ロディがけたたましく吠える声と、おかあさんの悲しげな絶叫が、音速で絡み合って僕の鼓膜を揺さぶった。
 僕は目を閉じてつぶやいた。
「ジーザス」












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