第八十話 未来の兆し
※3/10あとがきに追記しました。
さらに時間は進み、7月。日本の夏は湿度が高くて参るけど、三年目ともなればだいぶ慣れてきた。
ダンジョン内はその辺りの設定も大まかにだけどできる。できるけど、米作りのためには日本の気候を再現しなくちゃなので、わりとばっちり蒸し暑い。
まあ、マスタールームは一年を通して快適な環境ではあるけどね。
で。
実は最近、ダンジョンでは結婚が相次いでいる。さすがに三年目にもなれば、さもありなんってところか。それに、地震が起きた時に多く人が流入したしね。
あの時入ってきたのは主に孤児なんだけど、この国の結婚適齢期はベラルモースのそれに比べれば低いから、問題はないだろう。それに、本当に互いが好きなら、そこに年齢は関係ないはずだ。
ちなみに日本の結婚の習慣は、ボク自身が結婚式を挙げた時にある程度把握したけど、ダンジョンの住人たちには日本式、ベラルモース式(正確にはボクたちがやったようなごちゃまぜのスタイル)、好きなほうを選んでもらってる。今のところ、半々くらいで選ばれてる感じかな。
やっぱり、慣れたやり方知ってるやり方でやりたいって人は結構いるもんだ。でも、その一方で物珍しさから違うやり方を選ぶって人だっている。この辺りは本人たちの自由意思だから、ボクが口を挟むことじゃない。
……ボクたちがやったのは、本当にいろいろ混ぜちゃったし、ボク自身も結構はっちゃけたところがあるから、それを見習われるのは正直照れくさいんだけどね。
ただ、結婚指輪は現状指輪を作る技術が住人達の間にはないから、そこはしばらくボクが【アイテムクリエイト】で代行してる。早くアクセサリ職人とかも生まれてほしいだ。
日本はアクセサリの概念が希薄だった国だから、ゼロからのスタートになるけど、日本式の結婚式を挙げたカップルも、なぜか結婚指輪のスタイルはやりたがるから、いずれそういう職人は生まれると思う。
その日はまだまだ先だろうけど、それでも決して遠くはならないんじゃないかな。やりたいって人が出てきたら、ボクはそれを全力で応援するつもりさ。
まあその辺りのことはさておき、結婚ラッシュが続いてるわけだ。おかげで戸籍の管理が一時的にオーバーワークになってるんだけど、今回ボクは結婚した人たちに好きに苗字を名乗る許し(名乗っても名乗らなくてもいい)を与えた。
日本では現在、公式に苗字を名乗ることができるのは武士だけだ。でも、一般人も代々受け継いできた苗字はある。それを公の場で使えないだけでね。あ、もちろん本当にない人もいるんだけどさ。
けれど、ダンジョンの中は日本じゃない。ベラルモースだ。そしてベラルモースは、苗字宣誓の自由ってものがある。これは好きなように苗字を用いていいってもので、かつては神々とそれらに王権を与えられた王族以外は苗字を名乗ることが許されていなかった時代の名残だ。
昔から苗字がなくてもよかった世界だから、今でも名乗ってない人はいる。ボクみたいにね。それでも、今では自由な権利の一つということで各地の法律に載っているってわけ。
で、ボクはそれを実施した。ただし今回は、結婚した人に限る。誰にでも自由に与えたかったけど、今まで苗字を禁止されてた人たちだ。いきなり「どうぞ!」って言われても困るだろうから。それに、元武士の人たちはいい顔をしないだろうし。
というわけで、夫婦、あるいは子供という、自分以外に責任を負う存在を持った、守るべき家がある人にのみ許す、ということにした。
まあ、これによって離婚を言い出しづらくなるだろうけど……現状、人口が足りないダンジョンでは離婚されるのはちょっと困るし。いずれ時機を見て撤廃するってことでいいだろう。
ちなみに、家紋も好きにしていいことにしてある。自由にデザインしてくれて構わない。
ただ、今のところカタバミ紋ばっかりで面白味がないのだけは残念だ。遠慮せずに葵紋とか巴紋とか、使ってくれていいのに……。
「本日二組の夫婦が誕生しました。どちらも新家名を申請する予定とのことです」
「それに当たって、閣下に苗字を考えていただきたいと陳情が来てますが……」
「……ボクに日本風の命名を頼まれても困るよ……」
あとね、いくら今まで名乗ってなくって勝手がわからないからって、ボクに決めてもらおうとするのはやめてもらいたいかな!
そりゃさ、本当に苗字を持ってなかった人からすれば、苗字に造詣がなくっても仕方ないと思うけどさ? ボクが日本人の苗字を知ってるわけないじゃん!
徳川と岩瀬と阿部と堀田と松平と遠山と堀田くらいだよ!
「でしょうね」
「いつも通り、イメージさえいただければ後は我々で何とかしますので……」
「……いつも悪いね」
「いえ、閣下に命を救われた恩に比べればこれくらい」
そう言って、報告に来ていた二人が笑う。
二人は、あの元らい病患者だ。早くも行政の長としての立ち居振る舞いが板についている。信用に値する幹部だ。五人をまとめてみんなからは五大老って呼ばれてるらしい。
これは昔の統治機構にならった呼び方みたいだ。ボクとしても、特に呼称は考えてなかったからちょうどいいやってことで、便乗してそう呼んでる。語呂いいし。
「閣下! 閣下! 大変です!」
そこに、もう一人の五大老がやってきた。
「どうかした? まずは落ち着いて」
「は……っ、あ、いえ、悪い知らせではないのですが、何分当ダンジョンで恐らく初めてだと思われますので、つい!」
「ほう……ではいい知らせなのか?」
「無論だ。明るい知らせだぞ」
「いいニュースなら、遠慮なく聞けるね。何があったの?」
「はっ! 先日結婚した夫婦に、やや子ができたようです!」
「なんと!」
「おお!」
「妊娠かあ……! そりゃいいことだね!」
遂に、遂にダンジョン初となる子供ができたのか!
「産婆の経験のあるものが言うには、恐らく経過は四カ月くらいだろうとのことです」
「じゃあ、えーっと、人間は十月十日で生まれるから……年が明けて少ししたら生まれるくらいかな? ふふふ、楽しみだね」
「ですね!」
それからボクたちはひとしきりこの嬉しい知らせに盛り上がった。
そのついでに、ボクのほうにも世継ぎを、みたいに言ってくるのはちょっと勘弁してほしかったけどね。いや、この世界の人間より寿命が長いボクだから、その辺りのことは日本人とは考え方が違うんだよね。
うちのママとか、1000年単位で生きてるくせに100年単位で子供を作ってるし。そしてママの寿命はまだ普通に1000年以上ある。当然、世継ぎがどうとかいう話はない。
一方で、ボクらアルラウネ種の成人年齢は大体40歳前後。当たり前のようにボクも、ボクの兄姉も成人してる。中にはママの下でぐーたらしてるのもいるけど、大半は自分の生きる意味を求めて独立した。ボクだってそう。
だから、家を守るために、国を守るためにまずは子供を、という考え方は当てはまらないのだ。
それでもかよちゃんとの間に子供が欲しいとは思うけどね。そこはまあ、愛だ。
その辺りのことを言ったら、みんな絶句してた。そういえば、寿命のこと教えてなかったっけと思ったのはそれを見てからだった。
そうして研究室に戻ってから、一人考える。
実のところ、ボクは住人が懐妊するのをずっと待っていた。けどそれは、単に嬉しいからとかそう言う理由じゃない。声を大にして言うわけにはいかないけど、これは絶対に実験しておかなきゃいけないと思っていたからだ。
どういうことかっていうと。
このダンジョンの中で生まれた生き物が、果たしてどちらの世界管理システムの下に置かれるのか? これを知りたいのだ。
既に何回も言ってるけど、ダンジョンはそれに関係するものも含めてベラルモースのシステムで動いている。だから、そこから作られたモンスターが子をなした場合、生まれるのは当然ベラルモースのシステム下にあるはずだ。
でも、今住んでる人たちはみんなは地球のシステム下にある。そんな彼らが生む子供は……どうなるんだろうね?
場所自体はベラルモースだ。だからベラルモースのほうで生まれる可能性はあるだろう。でも、両親は共に地球。どっちに転んでもおかしくないだろう。こればっかりは、試してみないとわからない。
動物実験をするにしても、彼らとの意思疎通は難しい。ユヴィルやラケリーナは鳥と会話はできるけど、システム周りのことは複雑すぎるのだ。下位種の動物に、それを説明させても要領を得ないんだよね。
一応、フェリパがやってる養鶏場で生まれた若い個体とかに聞いてみた限り、ベラルモースのシステム下にあるとは思うんだけど……確証がないんだよなあ。あのニワトリたちが進化でもしてくれれば確定できるんだけど、家畜として飼ってる動物が進化に至るだけのレベルになるかっていうと、ほぼありえないし。
なんでそんなこと気にしてるのかっていうと、親と子が別のシステムとなると問題が起きかねないのだ。
ベラルモースのシステムは、存在を厳格に数値化して管理する。管理メッセージが逐次届き、自分という存在をより良くすることに向いている。そして何より、この中にあると魔法を使える。
で、当たり前だけど、これらはすべて地球のシステムには存在しない。
そうなると、地球システム下の親は、ベラルモースシステム下にある子供に、ステータスなどを子に教えることが、できないわけだ。
するとどうなるか?
教育に支障が出かねない。親子間の意思の疎通にも支障が出るかもしれない。最悪、攻撃魔法の使える子供が親に対してそれを使ってしまう可能性もある。っていうか、反抗期の子供が親に魔法でケンカを吹っ掛けるのは、ベラルモースではわりと普通の光景だ。
ただそれは、ベラルモースだから可能なだけで、地球でやるわけにはいかない。ただの反抗期程度で子供の親殺しとか、それだけは避けなきゃいけない。
「……システムに関する手引書か何かを、用意しておいた方がいいかもしれないなあ……」
もちろん、まだはっきりとしたことはわかってないから、動きづらいけど。
こういうのは、早いうちに備えておくに越したことはない。
ただまあ、どちらに転んでも、管理システムの移行っていうボクの研究テーマに一定の進展が出るだろうってのは、ほぼ間違いない。だから、いろんな意味で楽しみなのだ。
「……年明け、か。新年が待ち遠しいね。……まあ何はともあれ、出産設備を整えないといけないかな」
ベラルモースだと、種族が多すぎるから出産の形態も多種多様だ。そのために、出産のために病院とは別に特別な施設が街に一つはある。
今回は人間種の妊娠だけど、今後他の種族でそれがないとは言い切れない。せっかくだから、最新の設備も整えておこうっと。いつかボクたちも使うことになるだろうしね。
「……約12万DEか」
地震エネルギーを一回吸ったら軽く行ける量だ。
よし。
「こういう時は『善は急げ』って言うんだっけね、この国では」
かくしてボクは、新しい施設の造成のために案をまとめ始めたのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
明治時代、平民苗字必称義務令によって名字が一般に解禁されたことは歴史の授業で習うところでありますが、実のところはクインが劇中でも語った通り、わりとみんな名字は持っていました。
なので、皆さんが名乗ってらっしゃる名字も、きっと多くは由緒正しいものかも?
追記:書き溜めしていたストックが今回の話でなくなりました。
このため、明日から更新頻度を1日1回に落とします。
ご了承ください。