第七十九話 彼女の進化
剣客たちの実力を調べた日から数日。ボクはいつものように研究室で研究を続けていた。
最近は地震エネルギーの研究を中心に、世界の管理システムを合間にやる感じだ。後者は今のところ、本当に息抜き程度だけどね。
江戸近辺で地震が起こる可能性は、日に日に上昇し続けてる。優先順位はしばらく揺らがないだろう。
ダンジョン内ではどうかというと、田植えが大体終わって本格的に住人達がやることがなくなった。
ま、こちらはだいぶ改善されつつある。あの5人が内政に奔走してくれてるおかげで、教育を中心に仕組みができてきている。娯楽方面は、闘技場のおかげで見世物には困らない。
最近は、時間に余裕のできた人の中から演劇をやる人たちや、絵を描く人たちも出てきている。小さいながらも経済の動きも見られるようになったし、順調と言えるだろう。
やっぱりこういうのは、できる人に任せるに限る。ボクは方針を決めて最終判断するだけでいいや。
翻ってダンジョンの外は、というと、こちらも特に大きな動きはない。強いて言うなら、こないだうちに来た男谷信友君が筆頭になって、講武所という戦闘技術を教える養成所ができたくらいかな。
その特徴は、今までの中心だった武芸の修練よりも、ヨーロッパ式の軍隊の調練を中心にしていることだ。既に幕府は、自分たちの戦闘力が平和になる以前から進歩していないことを完全に理解している。だからこそ、あちらの進んだ方式を率先して受け入れるために、講武所は作られたのだ。
一応中心は陸海の軍隊についてだけど、それとは別にダンジョンに潜る探索者を養成する科もある。ダンジョンでの戦いにより特化はしたけど、こちらは今までのやり方に近いかな。
ただ、いざという時は双方がこの国のために戦う存在になるだろう。日本初の軍学校と言ってもいいかもしれない。今はひとまず武士階級だけではあるけど、いずれすべての国民に門戸が開かれるようになるはずだ。
これと並行して、知識を教える昌平坂学問所のカリキュラムも大幅に見直され、より実践的な内容になった。外国語はもちろん、これからの日本を率いるために必要な(正確には手探りなので、必要と思われる)知識を広める形になる。
武士の教養である朱子学なんかはこれに伴い、授業数を減らしている。失くなったわけじゃない。今はまだ、この国は封建制の真っただ中で、これからの数十年はその過渡期になるだろう。いきなりこれを断絶させると、急進的な改革になってその分軋轢も大きくなると思われるからね。
この辺りのことには、うちも一枚かんでる。ヨーロッパの国々が今どういう軍隊を作り、保有し、戦っているかといった、この国で圧倒的に足りない情報はうちが補っているのだ。正確には、オランダやアメリカ、ロシア、イギリスから手にした情報を補完した、かな。他にも細かい改善点の指摘なんかも一通りね。
そしてこれらの改革を、長崎のほうでもやってるようだ。日本も広く、相応の人口がいる。江戸に一極集中してる事情はあるにしても、やっぱり江戸以外でもできるほうがいいだろう、って判断があったようだ。
長崎は、鎖国してた当時は唯一の外国との窓口があった場所。その関係で、ヨーロッパ人から直接指導を受けられるのは長崎のほうの特徴になりそうとのこと。
逆に、江戸ではボクたちの介入で、現在のヨーロッパ各国が持っているノウハウを知ることができるようになっている。それを教える側も手探りというデメリットはあれど、学べる範囲はこちらのほうが深い。基礎を学ぶという意味では、江戸のほうが有利かな?
どちらを選ぶかは住んでる土地にもよるけど、幕府はこうした機関に入るためなら国内の移動の制限を緩和する方策を取った。この結果、将来有望な若者たちが江戸や長崎に大挙して押し寄せてるみたいだね。
当たり前だけど、人材が一人前にになるまでには相応の時間がかかる。ヨーロッパの各国が日本に目を向けるようになるまでに、できる限り国の状態を整えられることを願うよ。
そのためにも、地震は起こさせない。……いやそれはたぶん無理だけど、少しでも被害が減るようにしたい……。
「旦那様! 旦那様!」
ふと手を休めたところで、かよちゃんが珍しく声を上げながら研究室に入ってきた。彼女はいつも物静かで、楚々としてる女性だ。こんなことは滅多にない。
「どうかしたの? そんな慌てて」
「は、はいっ、あの、実はですね、私、れべるが100になりました!」
「……お? お、おおぉぉ、ホントだ、100になってる!」
言われて思わず【鑑定】してみたけど、確かにかよちゃんのレベルがカンストしてる!
「あのですね、先ほどまで闘技場で、藤乃様にお手伝いしていただいて訓練をしていたんです! そうしたら、頭の中で『レベルが100になりました』って……!」
「うんうん、戦うことで効率よくレベルが上がったんだね。いいことだ」
「それで……ですね、あの。この後のことについて知っておきたくて……」
「……この後のこと?」
彼女の意図がわからず、ボクは首をかしげる。
「えっと、れべるが100になった時に、一緒に『進化条件を満たしました、進化先を選べます』みたいなことも言われたんですけど……それをどうすればいいのかわからなくて……」
「あ、そっか。かよちゃんはボクの眷属じゃないもんね」
わかった。うん、よくわかった。
ベラルモースの生き物は、本能で自身のステータス管理方法を理解している。だから進化を選べと言われれば、どうすればいいかもわかってて、すぐに進化を実行するだろう。
でも、かよちゃんはベラルモース人じゃない。管理システムはベラルモースのものに移行してるけど、それについての情報が魂に刷り込まれているわけでもない。
これが【眷属指定】で仲間にした連中なら、そもそも進化やステータスの情報をボクが管理するから、わからなくてもいいんだけど。
なるほどなあ、単にシステムを移行させただけだとこうなるんだね。一つ勉強になった。
「……おっけ、それじゃ進化しよっか。おいで」
「は、はい」
ボクが道具を置いて手招きすると、かよちゃんは少し恥ずかしそうに頷いた。
そのままボクの向かいに座って、「よろしくお願いします」と頭を下げる。そこまでしなくってもいいのにね。
「さて、と。進化についてだけど、普通ベラルモースの生き物は自分で自分のステータスを把握できるんだよね。意識すると脳裏に浮かぶんだけど、それはできるかな?」
「えーっと……たまに失敗しますけど、一応……」
たまに失敗する、か……。乳幼児でもなければそうそうないんだけど、やっぱり本来のベラルモース人じゃないからなのかなあ?
大人になってから水泳なんかを学んでも、なかなか覚えられないのと似たようなものだろうか。うーん。要研究だな、ここは。
「……一応できるなら、それでいいや。まずは開いてごらん?」
「はい……んー……っ」
目を閉じて何やらぷるぷるしだすかよちゃん。精神を集中させてるんだろうけど、傍から見ると小動物のようにしか見えない。思わず表情が緩んじゃうな。
それがしばらく続く。ボクが飽きもせずかよちゃんを眺めていると、不意に彼女が「あっ」と声を上げて目を見開いた。
「どうかした?」
「見えました! それで下のほうに、進化先がたくさん載ってます!」
「でしょでしょ……たくさん?」
「はい、たくさんです!」
「……そう言えば、藤乃ちゃんも滅茶苦茶たくさん進化先あったっけか……」
かよちゃんも同じなのか……。二人が特別なのか、それともこの世界の人間種がそうなのか、どっちだろう?
「こ、こんなにたくさんあると迷っちゃいますね……」
「……いくつあるかはボクからは見えないけど、普通そんなたくさんはないからね?」
「……え?」
「多くても4つくらいかなあ。種族によっては選択肢が1つしかないことだって珍しくないよ」
「そ、そうなんですか?」
「そうなんだよ」
かよちゃんが目を丸くしてる。そんなにたくさんあるのか。
……あるんだろうなあ。
「……まあ、それは置いといて。どういう進化先があるのか、書き出してみよう。普通なら進化先がどういう種族なのかわからないけど、ボクには【真理の扉】があるからね。メリットもデメリットも全部把握したうえで選べるから、わざわざ外れを引かなくて済むよ」
「……外れとか、あるんですか?」
「あるね。たとえばボクらアルラウネ種だと、その場から一切動けなくなるヒュージ系とか、ね……」
「……ヤですね、それ……」
「でしょ? でもそういうデメリットがあるかどうか普通はわかんないんだ。だから調べられるなら調べたほうがいいわけ」
「わかりました。えっと、よろしくお願いします」
「任せといてよ」
と、安請け合いをした結果、かよちゃんの進化先候補が48個もあって思わず葉っぱ散らしそうになった。
いくらなんでも多すぎるよ! ばか!
「……こんなになるとは思いませんでした」
「久々に異世界に来たんだなって気になったよ……」
ベラルモースでの進化選択肢の最大理論値て、いくつなんだろう……。それでもこんなにはいかないと思うなあ……。
まあ、選択肢の大半は妖怪っていう日本独自の化け物たちみたいなんだけど。
これは藤乃ちゃんの時もそうだった。その条件が日本語のスキルレベルだから、日本人をこちらに引き込んだらみんなこうなるのかもしれない。
他の国の人はどうなるんだろう? ちょっと気になるところだよね……。
不思議なのは、妖怪と呼ばれる存在のほとんどが恐らく魔人系統に属することだ。
確かに人間種ってのは汎用性で他の種族に勝る種族で、進化の選択肢も比較的他より多いのが特徴ではある。だから魔人系統に行く人だってそれなりにいる。それでも、魔人系統に進化するのは簡単じゃない……はず、なんだけどな……。
「……うん、わかんないや。とりあえず、原因究明は後にしよう」
「はい」
「進化先を選ぶ理由は人それぞれだから、あまり口を出すものでもないけど、一般的には正統進化系統を選ぶのがいいとされてるね」
前に少し触れたけど、正統進化系統ってのは下位種から最上位種までの五段階、すべてに至れる系統のことだ。種族によっては、上位種で進化が打ち止めになったりするんだよね。それがない系統と思ってほしい。
「最上位種はレベルの上限がないんだ。だから、寿命が許す限りいくらでも成長できる。だからそこに至るのが一番正解だろう、っていうのが世間一般の認識なんだ」
「なるほど……では、旦那様も?」
「もちろんさ。ボクだけでなく、このダンジョンの仲間はみんなそうだよ」
「でしたら、私もそうしたほうがいい……ですか?」
「どうしてもなりたいってのがあるならその限りではないけど、ボクはそう思う。ちなみに、進化が途中で止まるやつを除くとこうなる」
言いながら、ボクはペンで一覧にバツ印を書き込んでいく。その結果、48あった選択肢は15まで減った。
……これでも大した数だけど、それでもかなり減った。どうやら妖怪ってのは、進化をほとんどしない種族が多いみたいだ。
「もし今除いた中にどうしても進化したいのがあるなら、ボクは止めないけど……どう?」
その問いに、かよちゃんは小さく頷いて書き出した一覧に目を向けた。その視線が少しずつ上から下へ移っていく。
「……えっと、大丈夫です。河童とか、雪女はちょっと……」
「わかった。じゃ、残ったやつの特徴なんかを書きだしてこうか。それを見て決めよう」
「はい」
というわけで、【真理の扉】連発だ。久々だな、これも。
さて、かよちゃんは何を選ぶかな?
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個体名:木下・かよ
種族:鬼姫
職業:ダンジョンサブマスター
性別:女
状態:普通
Lv:1/300
生命力:1721/1721
魔力:852/852
攻撃力:199
防御力:201
構築力:388
精神力:172
器用:270
敏捷力:185
属性1:光 属性2:妖(New!) 属性3:冥(New!)
スキル
体術Lv2(New!) 魅了Lv5(Up!) 性技Lv6(Up!) 房中術Lv6(Up!) 霊能Lv1(New!) 魔眼Lv1(New!)
妖術Lv3(optimization!)
魔力探知Lv6 (Up!)魔力遮断Lv10EX 精神耐性Lv5(Up!) 時空耐性Lv4(Up!) 自属性攻撃吸収・微Lv1(New!)
魔力抵抗・中Lv1(Grade Up!) 魔力自動回復・中Lv1(Grade Up!) 物理抵抗・微Lv1(New!) 生命力自動回復・微Lv1(New!)
料理Lv6(Up!) 裁縫Lv4(Up!) 舞踊Lv5(Up!) 和算Lv5(Up!) 祈祷Lv5(Up!) 祭事Lv5(Up!) 魔法工学Lv4(Up!) 儀礼Lv2(New!)
称号:クインの婚姻契約者
ダンジョン【江戸前ダンジョン】の副主
エレメンタルマスター(Grade Up!)
聖魔両族(New!)
始祖(New!)
装備:魔絹の髪飾り(取得経験値アップ・大Lv5)
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「ちょ……っっっと待った!!」
「ふえっ!? あ、あの、い、いけませんでしたか……?」
「あ、いや、かよちゃんの決定に不満があるわけじゃないんだ……あまりにもベラルモースじゃありえない強化の仕方したから、理不尽を感じてついね……」
「は、はあ……」
そう言って、不安そうに眉をハの字にするかよちゃんの瞳は、ヴァンパイア種とよく似た真紅になっていた。スキル【魔眼】発動時にもこの色になるから、ベラルモースでは赤目=強敵と言われるくらいには、有名な色でもある。
けど、何より目を引くのは額に生えた角だろう。ロシュアネスのそれに近い小ぶりな角だけど、彼女の角と違って肌の色のまま突き出たかよちゃんの角は、同じ角とは言えないと思う。それが2本だ。
口からのぞく歯も、少し鋭くなったかな?
体格や髪色のほうは変化なしだけど、その辺りの変化はいかにも妖や冥属性っぽいね。
しかし、しかしだ。看過できない点がある。
「この生命力と魔力の数値は、世界樹の花蜜を常飲してるからってことでまあ、納得はできる。それはまあ、ね。そういうつもりでボクも飲ませてたし! でも、何この称号の【始祖】って! 何があった!?」
そもそも【始祖】という称号は、例外を除いてその種族で最初に発生した個体にしか与えられない称号だ。ボクが知る限り、今のベラルモースで人間、魔人の別なくこの称号を持ってるのは、件の主神をはじめとした神々くらいなんだぞ!
ベラルモース的に妖怪は初だから、って理由ならわからなくはないけど、それならジュイやユヴィルや藤乃ちゃんにもなきゃおかしい! なのになんでかよちゃんにこれがついた!?
称号の条件通りだとするなら、この世界で鬼姫という種族が誕生したのはかよちゃんが最初ってことになるんですけど!?
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【始祖】
その種族の最初の個体であることを示す称号。すべてはここから始まった。
取得条件:世界で最初に発生した種族であること。
あるいは、絶滅後に世界で最初に再発生した種族であること。
称号効果:この個体から誕生する個体は、この個体と同じ系統の種族となる(例外はある)
称号特典:生命力+1000
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……んんんんん!?
ってことは、ジュイたち三人の種族はどれも絶滅してないってことか!?
だとしたらそれは由々しき事態だし、滅茶苦茶興味深いぞ!?
ダメだ、研究者としての血が騒ぐ……!
「……あの、旦那様?」
「はっ」
いけないいけない、自分の世界に入りかけてた。
こほんと一つ咳払いをして、ボクは改めてかよちゃんに向き直る。
「……かよちゃん、ステータスを確認してごらん」
「はい……えっ?」
言われるままに自分のステータスを確認したかよちゃんが、硬直した。
さっきまでに比べて、明らかに迅速にステータスを見れてるんだけど、それよりも相当驚いたんだろう。
「な、ん、です……か……? これ……?」
「……ね、ボクが驚くのもわかるでしょ?」
ボクの苦笑に、かよちゃんはこくこくと頷くだけだ。
いやしかし、かよちゃんの称号欄がわけわかんないことになっていくな。全属性の魔法を取得して得られる【エレメンタルマスター】も大概だけど、神系統(神、天、光)と妖系統(妖、冥、闇)の属性を両方持つことで得られる【聖魔両族】とかレア中のレア称号だぞ。普通じゃありえないからね、これ。
サブダンマスも十分レア度は高いし、なんていうか一人レア称号祭りみたいなことになってる。そのうち固有称号とか手に入れちゃうんじゃないの……?
「……と、とりあえず、強くなったのは間違いないからね。うん」
「は、はい……そう、ですよね。えっと……これで私、もっと旦那様のお手伝いもできます、よね?」
「もちろんだよ」
構築力にはまだ少し不安はあるけど、生命力が4ケタに乗っただけでも結構なものだ。魔力が4ケタ目前ともなれば、普通に実験にも付き合わせられそう。
……ん? 待てよ、生命力が4ケタってことは、これ他のこともできるな?
「……あと、あれだね」
「はい?」
なんでしょうか、と小首をかしげるかよちゃん。そんな彼女の耳元で、ボクはにやっと笑ってささやいた。
「1000以上生命力があるなら、アルラウネの種を出産しても大丈夫だと思う」
「……っ!?」
そう、これだけの生命力があるなら、種の出産にしっかり耐えられるはずだ。進化前の生命力だとギリギリだったかな。
長い戦いだったなあ。ひたすら世界樹の花蜜を飲ませ続けて生命力を底上げしてきた努力がついに実ったと言えよう。
いや、予想より大幅に早かったけどね。【始祖】がつかなかったら、安全を期してもう少し間を置いただろう。気になる点が多い称号だけど、ここはとりあえず、素直に喜んでおくとしよう。
「かよちゃん」
「は、は、はい……っ」
真っ赤な顔を隠すことなく、おろおろとかろうじて返事をしたかよちゃん。
その身体を抱き寄せて、ボクは言う。
「今夜からもっとがんばるからね」
「……はひ……」
これ以上ないくらい真っ赤になったかよちゃんだったけど、彼女は確かに、しっかりと頷いたのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
遂にヒロインが進化しました。最初期は人間の方向でまっとうに行こうかとも思ってましたが、わりと最初のうちから彼女は鬼姫にするつもりでした。
普通に順当に進化させたら面白くないなあって思って……。