第七十六話 奇跡は起こすもの
「ぬしさまー! ぬしさまやー!!」
どたどたと騒がしい音と共に、ボクを呼ぶ声が聞こえる。
このダンジョンでボクをこんな風に呼ぶのは一人しかいない。伝説の大妖怪(笑)こと、幟子ちゃんだ。
ダンジョンのマスターフロアは防音が整ってるのに、ボクの部屋にまで聞こえてくるってどういうことだよ。何か声関係のスキル使ってるな?
なんてことを思うと同時にボクはため息を一つついて、それから入口のほうに顔を向けた。
そしてその瞬間。
「ぬしさまああああー!!」
大音声と共に、入口のドアがものすごい勢いで開かれた。
あの勢いで壊れないのはさすがの調整力だけど、そんなことより最初から自制してほしいところだ。
「はいはい聞こえてるよ……で、どうかした? 君がそんな風に言うってことは、何かあったんでしょ?」
もふもふの九本の尻尾をばっさばっさ言うくらいの勢いで振りまくりながら、ぴょんぴょん飛び跳ねつつ迫ってくる幟子ちゃんにジト目をくれてやりつつ言う。
まあ、もう慣れてはいるんだけど。いつもに増して彼女がオーバーリアクションだから、ついね。一応、ボクだって研究の真っ最中なわけでさ?
「聞いてくれぬしさま! 妾は遂に成し遂げたぞよ! 例の魔法式、改良できたのじゃよー!!」
「な……!?」
ところが、出てきた言葉はボクを絶句させるには十分だった。
例の魔法式って、あれでしょ。頼んでたらい病用のやつでしょ?
そうか、遂にできたのか!
「んふふふふ、すごかろ? 妾、すごかろ!? ぬしさまたっての頼みじゃ、妾ちょっと本気だしちゃったぞよ!!」
驚くボクに対して、満面の笑みでドヤる幟子ちゃん。
くっ、ウザいけど正直本当にすごいことだから何も言えない! ボクじゃ1年で完成まで持っていくのはできなかったと思う! さすがに5000年のキャリアは伊達じゃないか……!
「ああ、うん……びっくりした、正直すんごく驚いたよ。さすが、って言えばいいのかなあ」
「んっふっふっふ、そうじゃろそうじゃろ!」
「よし、じゃあ早速その式を見せてもらおうか!」
「了解なのじゃよ!」
ボクに頷くと同時に、幟子ちゃんは作り上げたと言う魔法式をその場で構築し始めた。
もうね、すぐにわかる。どうした幟子ちゃん、すっごくきれいな魔法式だぞ!?
元になった魔法は幟子ちゃんをして非常識と言わしめたほど複雑怪奇な魔法式だったから、あれよりは確実に見やすくはなると思ってたけど、まさかこれほどとは……。
っていうか、こういう構築もできるなら、ボクとだって普通にタッグ組めそうなものだけど……。以前一緒にやった時の見づらいやり方が本来なのか、それとも今回のきれいなやり方が本来なのか……。
……あー、でもこれ、これだけ絞ってるにもかかわらず、まだ少なくとも構築力が1000はいるなあ……。過不足なく、短時間でスムーズにやるためには3000くらいか。
元が1万必要だったことを考えれば、破格の軽量化と言えるんだろうけど……まだこの段階でも、うちのダンジョンで使える人間はボクと幟子ちゃんの二人だけだ。
必要魔力の観点でも、5000ほどだった消費量が1000ちょいになってるのはすごいことだけど……こっちも、ボクと幟子ちゃんしか使えない量なんだよなあ。
成功ではあるんだけど……うーん……。
「こんなところじゃな! どうじゃぬしさま! 随分とわかりやすくなったじゃろ!?」
「うん、間違いないね。半分以下にまで圧縮してくれたのは素直にすごいと思う」
「じゃろ! じゃろ!」
「できればもっと圧縮して、難易度を下げたいところだけど……これ以上は削れるところがないよねえ……」
「うむ……そう言うと思って、妾も結構試してみたんじゃが……ここらが限界じゃと思うぞえ。せいぜいここと……ここ、ここらをほんの少しだけ削れるくらいかのう」
「句読点を削ってるような感覚だね……」
努力と言うにはあまりにもわびしい。なんだっけ、焼け石に水っていうんだっけ? こういうのって。
「……でも、一応ボクたちは十分使えるレベルだから、とりあえず使ってみようか。実際の効果のほどを知りたい」
「うむ、早速見せてしんぜようぞ!」
「よし、じゃあ時空魔法【ホーム】」
発動と同時に、周りの景色が切り替わる。久々の【ホーム】だね。
例のらい病患者5人は、専用に構築したこの【ホーム】の中で1年間生活してもらってきた。それぞれに個室を用意して、共同スペースに調理場なんかも用意してだ。ルームシェアみたいな感じだね。
で、その間ベラルモースの情報、知識を勉強してもらっていたのだ。快癒した暁には、ぜひうちの幹部としてがんばってもらいたくってね。元々優秀な人たちだったらしいから、行けると思ったんだよね。
「というわけで、治療のめどが立ちました」
「おお……!」
「つ、遂に!」
「やった、やったぞ!」
「おおおお……!」
「万歳! 万歳!」
まだ治るって確約したわけでもないのにこのリアクション。いかに彼らがこれまで苦労してたかがうかがえるねえ……。祈ってる人までいるし……。
「喜んでるところ悪いけど、まだ治療魔法が完全だと決まったわけじゃないよ。理論上は問題ないけど、実際に使ってみてどうなるかはまだわからない。動物実験をする動物もないから、君たちで試すしかない。それでもいいのかい?」
「「「「「構いません!」」」」」
「そ、そっか。おっけ、わかったよ。じゃあ、試すよ。誰がやる?」
直前の問いには即答した彼らだったけど、この問いには全員が少し躊躇したように互いを見た。
まあ、なんとなく考えてることはわかる。一番手に名乗りを上げてすぐにでも治りたいって気持ちと、もしかしたら失敗したらどうしようって気持ち、あるいは他を蹴落とすようなまねをしていいのかって気持ち。その辺のが混ざって、複雑な心境なんだろうな。
と思ってると、今度は5人が5人とも譲り合いだした。全員でどうぞどうぞって、なんだろう、うちの主神様の伝統芸じゃあるまいし。
「……きりがないから、こっちで決めるね?」
「あ、はい!」
「わかりました!」
「よろしくお願いします!」
「誰が選ばれても文句はありません!」
「です!」
日本人の譲り合い助け合いの精神は美徳だけど、こういうところでは発揮しなくてもいいと思う。
それは置いといて……。
「じゃあ、君ね。前まで出てくれる?」
「はっ!? はい!!」
ボクがとっさに選んだのは、日本人としては体格のいい男。当然だけど、らい病に罹患してるので顔にはそれによる跡がある。1年前より進行してるっぽいな。早く治してあげたいね。
その彼が、おずおずとボクの前までやってくる。
「よし。じゃあ、幟子ちゃん」
「任せるのじゃよ! ……【アンチレプラ】!」
かしこまった様子の男とは裏腹に、一切気負うことなく魔法を発動させる幟子ちゃん。
その瞬間、紫色の光が男の体幹辺りから放たれた。さながら男の体内に光源があるかのような光り方だ。そのまましばらく男の身体は光り続ける。
……うーん、実際に稼働しているところをこうして見ると、やっぱりまだまだ規格外の魔法だな。問題はないみたいだけど、難易度の点で使用者が限定されるのが問題って言えば問題になるかなあ。
っと、どうやら終わったようだ。光が次第に薄れ、男の姿が露わになっていく……。
「……ん、どうやら成功みたいだね」
「無論じゃとも! 妾が手ずから作り上げた魔法じゃからの!」
光が消えた後の男を見て、ボクたちは頷き合う。
そう、現れた男の顔は、いや全身は、らい病による影響が一切消え、健康な姿を取り戻していたのだ。【鑑定】してみても、問題はなくなっている。疑う余地なく成功だ!
これは快挙って言ってもいいだろう。幟子ちゃんがない胸を盛大に張って得意げだけど、これはそれだけの価値があるって断言できるもんね。
一方、男のほうはどうなったのかわからず、きょとんとした顔を手でぺたぺたと触っている。
けれど、その顔はすぐに驚愕に変わった。彼の姿を見た他の4人が、絶叫に近い感嘆の雄叫びを上げたのだ。
そしてその後、5人はほぼ同時に感涙にむせび泣き始める。
それをボクたちは、彼らが落ち着くまで静かに見守っていた。
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その後、残る4人にはボクと幟子ちゃんで魔法をかけ、病気を治療した。
そうして無事に健康体に戻った彼らをボクは予定通り部下に加え、改めてダンジョンの住人とする。
その際にはばっちり【眷属指定】を実行したので、彼らもダンジョンキーパーとしてベラルモース世界システムの中に組み込まれた。彼らは藤乃ちゃん以下、諜報員以外では初めての人のダンジョンキーパーになる。
そしてボクは、彼らに方針を伝えて街づくりを基本的に委ねる形にしていくつもりだ。基本的には、立憲君主制に近いスタンスになるだろう。
何度も言ってるけど、ボク自身は決して政治家に向いてるわけじゃない。何かに没頭しがち、かと思えば気まぐれ。そんな人間がずっと政治に携わってたって、いいことなんてないだろう。
ダンジョンがまだ今くらいの規模ならそれでもいけるだろうけど、今後の発展を考えると、そろそろ行政については専門家に任せたいんだよね。
魔法工学にしたってそうだけど、そういう専門性の高い分野は専門家に任せるのが一番だもの。適材適所って奴だね。
そのためにこの1年間、彼らにはみっちり勉強してもらったのだ。
そのおかげもあって、彼らは既にベラルモース流のやり方を大まかにだけど理解していたし、元々武士階級として統治者としての教育を多少なりとも受けていたこともあって、ボクより間違いなくそっちの能力がありそうだったからね。
ダンジョンキーパーにしちゃってるから、反乱とか汚職の心配もしなくていい。既存の住人と協力して、よりよい街づくりをしてほしいところだ。
一方で、幟子ちゃんによる魔法の改良は続行してもらう。ただし、今度は既に一定の成果があるので、次のことも考えて1年という区切りを用意した。改善が進んでも進まなくても、この魔法に携わるのはひとまずあと1年とするのだ。ずっと1つの魔法改良にくぎ付けにしておくには、彼女の能力はもったいなさすぎるからね。
そんなわけで今後はらい病の治療のめども立ったから、幕府との交渉の際にはこれもカードの一つになっていくだろう。ロシュアネスには詳細を知らせて、今後の駆け引きの材料にするように伝える。
それとの組み合わせで、今後より多くの人材がうちに来てくれると嬉しいなあ。
ただ、今回のことで魔法方面の人材がいないことがはっきりした。
藤乃ちゃんやティルガナはそれになり得るんだけど、いかんせん高難度の魔法が必要になると彼女たちはまだまだ力不足を言わざるを得ない。
そして、彼女たちがその域に達する頃には、住人はより増えて、魔法が必要になる場面がきっと増えてるだろう。そうなった時に慌ててたら、結局今とおんなじだ。それだけは避けたい。
そのためには、今から魔法に長けた人材を育てていく必要がある。こっち方面にも気を配っていかないといけないと思うんだ。
かよちゃんみたいに、【取得経験値アップ】をつけてあげられればいいんだろうけど、あれは高い。もっと地震エネルギー変換装置が完成に近づけば、用意するのも簡単になるんだろうけど……今の段階ではせいぜい一つ二つ用意して、使いまわすくらいが精いっぱいだろうね。
あとそもそもの問題として、存在の管理システムを地球のからベラルモースのに上書きしないと、この世界の人間は魔法は使えるようにならない。けど、現状判明してる方法はダンジョンキーパーにするか、ダンジョンサブマスターにするかのどっちかだ。
でも、ボクはあんまりダンジョンキーパーを増やしたくないんだよね。ダンジョンの管理画面での管理が面倒になるし、何より彼らからはDEが手に入らなくなる。地震エネルギーの利用はまだ完全にはめどが立ってないんだから、今住人全員をダンジョンキーパーにするのはナンセンスだ。
だから、ダンジョンの機構に頼らずに管理システムを変更する方法が知りたい。それがわかれば、住人たちにもより選択肢が増える。
……まあ、逆に言えば地震エネルギー変換装置が完成したらこの辺の問題は大体解決するんだけどね。けどその日はまだまだ遠いわけで。
ボクはその研究を続けつつ、整うまでの間の策を考えること……が、今後の課題かな。
うん。
去年からの懸案の一つは解決したし、仲間も増えた。やるべきことも一つ明らかになったし、今日は有意義な日だったな。
これからもがんばってこうと思う。
ボクたちの快適な地球生活のためにもね!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
歴史ものでは、ある意味お約束ともいえるらい病ことハンセン病についてでした。前章で出てきたのはあんまり多くなかったので、伏線としては弱いかな……この辺りは要反省かも。