第七十話 急展開
前章でも注意書きにしましたが、念のため今章でも。
地名について。
この時代正しくは箱館であり、大坂なのですが、こういった地名はわかりやすさを重視してすべて現在の文字で書いております。ご了承ください。
ロシア。日本の北西に位置するヨーロッパの国で、その支配域はヨーロッパのある大陸の北部大部分という巨大な国だ。成立は今からおよそ300年前、国の形態は帝政の絶対君主制。
ただし、その国力はヨーロッパの各国の中では低いほうだ。イギリスやオーストリア辺りが強いんだけど、立地が立地だけに、どうしても伸び悩んでるみたいだね。
何せこの世界……というより地球の北半球という区域は、北に行けばいくほど寒い。そしてロシアは現在、この世界でほぼ最北端の国だ。つまり超寒いわけで、そんな環境で大量の食糧を自給するのは難しい。
さらに、持ってる港の大半は冬になれば凍ってしまって使えない。海の資源を手に入れるのも難しいし、外国との取引にも支障が出る。そんな事情が、ロシアの伸長を阻害してる感じかな。
そんなわけで、ロシアの国是は長いこと南進で、今もそれは継続しているみたいだ。っていうか、現在進行形でヨーロッパ各国が戦ってるクリミア戦争がずばりそれだ。
それはあくまで大陸の西部での話ではあるけど、大陸の東西を貫くロシアは、東部でも南に来たい。そのためにも彼らは、日本との関係性を重視している。戦うにしろ結ぶにしても、だね。
今回日本に来たロシアの使者とやらも、目的はそれらしい。っていうか、昔からロシアは日本と交渉を結びたくて2回ほど使者を送ってきてたらしいんだけど、あいにくと外国との接触を断ってた日本は全部すげなく追い返してたようだ。
っていうか、今回来た使者さん、実は正弘君たちがペリー君と再度交渉に来る前、普通に長崎まで交渉にに来てたらしい。誰も気にしてなかったからボクちっとも知らなかったよ。
まあ知らないままだった、ってことはうまいこと追い返したんだろうし、調べたらのらりくらりと交わして帰ってもらってたようだ。
けれど先だって日本がアメリカと交渉を持ち、条約を結んだことでそうも言ってられなくなった。ロシアとしても、日米の条約締結は寝耳に水だったんだろう。なんか、慌ててぶっ飛んできたって感じらしい。
幕府はとりあえず目下の相手だったアメリカをなんとかさばいたけど、今回はさてどうするのかな?
「函館では国政に関する決定権と聞いて、彼らは大阪に向かったようです」
「……何故大阪に?」
「さあ……理由はよくわかりませんが、ともあれ西回りで来るようです」
「かつてはそれでよかったですが、現状の我が国の状態を考えると、正直江戸から遠すぎて話がしづらいですな」
「ではとりあえず下田か浦賀辺りまで来させますかな」
「それがよろしかろう。交渉は以前ロシアと交渉を行った川路に、今回も任せますか」
「うむ、異議はござらぬ」
なんて会話をしてたあたり、ロシアは明らかにアメリカより下に見られてるんだろうなあ。
この態度の違いはやっぱり、船の多寡と兵器の有無だろう。そしてそれを使者に持たせられているかどうかって点からも、ロシアという国の力は決して圧倒的に日本より上とは言えないんだろうな。
とはいえ、何もしないままってのも油断が過ぎる。たとえロシアがアメリカより弱かったとしても、日本より国力があるのはほぼ間違いないわけだし。
というわけで、ユヴィルとラケリーナに監視を命じる。二人には、ロシア語のスキルがついたアイテムを装備させて送り出したから、簡単な諜報もできるだろう。
藤乃ちゃんもそこに投じたかったけど、ロシアの使者の現在位置から言って察するに、大阪に来るまで一ヶ月くらいかかるはず。さすがに彼女をそんな長期間、外国の船に乗せておくのはちょっとね。彼女は大阪で合流してもらうことにした。
それからはユヴィルたちと情報をやり取りしつつ、ロシュアネスに幕府との調整を進めさせて、と。最終的な場所は下田に決まり、カメラなんかも事前に用意。
そうこうしてるうちに大阪の天保山ってところにロシア船が来航。大阪の奉行は予定通り下田へ移動するように告げて、ロシアはそれに従った。
従うんだ、って思ったのはボクだけ? まあ、いいんだけど。
ともあれそのタイミングで、藤乃ちゃんに潜り込んでもらう。そこでいろいろと情報を聞いてる限り、アメリカほど通商が目当てなわけではないみたいだった。
一番は日本近海でのロシア船の補給と、日本とロシアの国境周辺に関することってところかな。
ただ、争点が初めて外国との国境になるってことで、幕府には緊張が走ったようだ。まあ、日本って島国だからね。その辺りのことは歴史的にも疎いわけで、多少なりとも混乱したのも無理からぬ話。
かといって、ベラルモースの話は当てにできない。何せ、ベラルモースの国境の考え方は地球とかなり違う。モンスターがその辺にいるおかげで、国と国の間は空白地帯が多いんだよねえ……。
というわけで、残念ながら今回は日本を全面的に援護することができない。一応、ヨーロッパの国境に対する考え方を真理の記録から書類に抜粋して渡したから、なんとかなるとは思うけどさ。
と思ってたら、ロシア船が大阪に辿り着くよりも早く、イギリスの使者が長崎にやってきた。クリミア戦争でロシアと敵対してる国だね。どうやら、あちらはあちらでアジア地域でのロシアの南進を阻みたいようで、ロシアに先んじて日本と条約を結ぼうとしていた。
まあ日本としては、二国間の争いに関与するつもりなんてないわけで。
どちらか片方の言い分だけを受け入れることはなく、ロシアとイギリス、双方と同じ内容の条約を結ぶことで妥結した。ただその内容は、将来的な通商開始を見据えて日米和親条約とほぼ同じ内容でもある。
そしてイギリスの使者は、締結が終わると同時にさっと帰って行ったようだ。無理強いはせず、最低限の譲れないところだけを堅持していた辺り、優先順位の見極めのうまい人が来てたんだろうね。さすがにヨーロッパでも歴史のある国というか、その辺りの駆け引きはなかなか巧みだったって聞いた。
先を越されたロシアの使者……プチャーチン君は、下田で始まった交渉で頭を抱えたみたいだよ。完全に出し抜かれてたんだから、次に生かしてほしいところだ。次があるかどうかは知らないけど。
最近の日本を取り巻く国際情勢はそんなところかな?
その辺りのことは全部ロシュアネスに任せてたけど、彼女が特に問題視してないし、あまり気にしなくていいって判断してる。アメリカと違って攻撃的な姿勢で来たわけじゃないし、ボクはその間自分の研究に専念することができた。
え、働けって?
いや、そもそも幕府とのやり取りが大変になってきたからこそロシュアネスを作ったんだ。それを彼女に任せるのは当然でしょ。
そしてボクはそういう面倒な仕事は極力やりたくな……もとい、向いてないからね。こうやってダンジョンのための研究をしてたほうがいいんだよ。適材適所ってやつだ。
それはさておき、ボクは先日新しく造った研究室で、目の前にででんと鎮座する巨大な魔法道具を見上げてため息をついた。ここ最近で、ここまでこぎつけた地震エネルギー変換装置だ。
けど、どうにも前途は多難だ。
「うーん、ダメだ。地震エネルギーの密度が高すぎて魔力に変換しきれない。理論はこれであってるはずだけど、安全に適量を変換し続けるには神話級素材てんこもりの採算度外視な代物じゃないと……」
魔法道具……装置のコンソール(タッチパネルになってる)に表示される数値と手元の資料を見比べながらうなるボク。どうやら、地震を防ぎつつ魔力を得るのは、まだまだ難しそうだ。
途中までは順調だったんだけどねえ。自然エネルギーを属性つきの魔力に変換する技術はベラルモースでは既知だし、地属性の魔力を純粋な魔力にする部分は前も言った通り完全に実用化されている。だから行けると思ってたんだけど……。
ボクの予想をはるかに超えて、地球という空間が秘めているエネルギーの量が多すぎる。多すぎる上に密度も濃ければ、その質も良すぎる。地球のエネルギーを1としてそれを魔力に変換すると、実に1万まで膨れ上がるんだから末恐ろしい。ベラルモースだとせいぜい100に届くかどうか、なんだけど。
おかげで変換装置が耐えられないし、貯蔵部分も耐えられない。双方に重なってる部分なんかは、ものの十秒ももたず焼き切れてしまった。
そしてそれを改善するためには、何度計算しても金とかその程度の素材じゃ足りない。希少級素材で作ろうと思ったら、ダンジョンのワンフロアを丸々使っても下手したら足らない規模の大きさになっちゃう。
でもなー、そうは言ってもなー、神話級素材なんてそんな簡単に手に入るものじゃないし、DEで入手するにも値段が……。
となると、魔法式を改善していくしか目下のところは選択肢がないわけで。むむむ、腕の見せどころではあるけど、理論上到達できる限界点ってのはあって、今のままだとそれ以上が必要なんだよな……。
『閣下、大変です』
ボクが一人でうんうんうなっていると、幕府によるロシアの対応……の対応を任せていたロシュアネスから念話が飛んできた。
どうしたんだろう、ロシュアネスの声がかなり慌ててる感じだ。【冷静沈着】のサブ性格をつけてる彼女が、ここまで取り乱すなんて珍しいこともあるもんだ。
「どうかしたの? どっかの国が攻めてきた?」
『いえ……そうではなく、地震です。巨大地震が発生しました』
「……は?」
『今、そう今し方発生したので、詳細な被害状況はわかりかねますが……江戸でも普通の人間が立っていられないほどの揺れでしたので、被害は相応にあるものと……』
「……嘘でしょ……」
あまりの報告に、愕然となる。
けど、どうやらロシュアネスの報告に嘘はないようだ。間髪入れず、ユヴィルからやはり念話が飛んできたのだ。
『主、大変だ! 大地震が起きた! 今急いで部下たちに状況をまとめさせているが、どうも近畿から関東にかけての相当広い範囲で被害が出ているようだ!』
「うえぇぇ、近畿ってこないだの伊賀の国も入ってるじゃん!? いくらなんでもかわいそすぎるでしょ!」
神はいないのか! ……いなかったね、この世界。
いやそんなこと言ってる場合じゃない。近畿から関東にかけてだって? それって、この国の4分の1くらいの超広範囲じゃないか! しかも一番栄えてる地域って言ってもいいぞ!?
ボクたちの力で盛り返してきてはいるとはいえ、今の日本の経済はだいぶ崖っぷちなんだ。今までの苦労が無駄に終わりかねない! うかうかしてらんないぞ!
「ロシュアネス、君は幕府と復興支援についての話を詰めといて! こっちができる協力の線引きをすぐに考えるから、適宜やり取りしながら進めよう!」
『ハッ、御意にございます』
「ユヴィル、君はラケリーナと一緒に藤乃ちゃんたち隠密部隊と共同で被害状況の確認を! カメラ用意するから、映像記録の取得も忘れないようにね!」
『了解だ!』
あとは……あとボクにできることは……災害救助隊の出動か。全員を招集して、道具の確認なんかはやっておかないと。
でも、今回は範囲が広すぎる。近畿から関東なんて範囲を、ダンジョンの住人だけで賄うなんて到底不可能だ。悔しいけど、切り捨てなきゃいけない部分も出てくるだろう。それでも最善は尽くさないと!
そしてボクは急いで研究室を飛び出した。
『閣下、お聞きしたいことが』
「なんだい?」
そこに、再びロシュアネスから念話が飛んでくる。
『実は先の地震で発生した津波により、ロシアの船が座礁した模様で……海に投げ出された船員もいるようです。いかがなさいますか?』
それは……なんていうか……つくづく運がない人たちだね……。
「……救助する方向で」
『御意に』
何はともあれ忙しくなるぞ……研究はできなくなるけど、今回ばかりは仕方ない。がんばらないとね!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
地震第二弾です。
今回の地震はいわゆる東海地震で、今現在「来るーきっと来るー」と言われ続けてン十年経っている東海地震と同じものです。
この地域は一定周期で地震が起こるのですが、東海地震ときたらもちろん東南海地震ですね。
はい、もちろんセットですよ。ええ。