第六十三話 異文化コミュニケーション
大変お待たせいたしました、更新再開いたします!
今までのあらすじ:異世界ベラルモースから、飽和したダンジョン業界の隙間を狙って地球に転移してきたダンジョンマスターのクイン。彼は日本の江戸市中ほど近くにダンジョンを構築し、日本と同盟を結んだ。
その同盟に基づき、力不足の江戸幕府がアメリカとの交渉で有利に立てるよう、様々な便宜を図ったのだった!
アメリカとの交渉も終わって、政治的、外交的なあれこれが落ち着いたので、ボクはしばらくの間のんびりしつつ、本分であるダンジョンの内政と魔法道具の研究、開発に力を注いでいた。
いやあ、やっぱりこういうことやってるのが一番楽しい。つくづく、ボクってこっちの畑の人間なんだなあって思うよ。
したいことだけをして生きていけたらどんだけいいことか……。ま、それは簡単にできることじゃないんだけどね。
それはともかく、時は嘉永7年の6月16日(1854年7月10日)。ボクはかねてからの約束だからってことで、家定君のところを訪ねていた。
いつものように時空魔法【アイソレーション】で隔離した謁見の間で、ボクと家定君は黄色の生地のお菓子を挟んで談笑していた。
そう、カステイラだ! 彼は約束通り、自分で作ったこのお菓子を振る舞うためにボクを誘ってくれたのだ。
ちなみに、今回の同席者はいつもの阿部正弘君じゃなくって、ちょっと前に老中に新しく入った堀田正篤君だ。正弘君のほうは、今緊急の仕事が入ったとかでそっちの対応に当たってる。
正篤君は老中の中では教育担当大臣とも言うべき仕事を担っていて、来年以降の各種教習所開設に向けて忙しいはずなんだけど……。「上様と息抜きができるなんて名誉ですな」とかって言いながらほいほいこっちに来たあたり、意外と食えない人だ。ガス抜きをするのがうまいって言えばいいんだろうか。
そんなわけで今ボクたちは、正篤君も加えてお菓子を食べてるところだ。これが正弘君だと、自分からボクたちの会話に入ってくることがなかったから、この辺りは正反対だ。
家定君の態度から察するに、正篤君の対応のほうが彼としては嬉しそうだけどね。やっぱり、本質的には人懐っこい性格なんだろう。
「うーん、カステイラおいしい。日本のお菓子とはやっぱちょっと違うけど、方向性が違う感じから単純には比べられないよね」
「そうですなあ、慣れぬ味ではありますがなかなかに……」
「そうだろう、そうだろうっ」
舌鼓を打つボクたちに、家定君が満足そうにうんうんと頷く。その顔は、心底嬉しそうな表情をしている。輝いてるなあ……。
それから彼は、ここまで来るまでの苦労話と自慢話を始める。どうやらほぼ手さぐりの状態で始めたみたいで、それを聞くとよくぞここまでって思っちゃうな。だって半年程度しか経ってないんだよ。生半可な努力じゃこうはいかないだろう。これは自慢していい。
「特になっ、焼くというのは余が思っていた以上に難しかったなっ!」
「へえ、どの辺が? だって焼くって、一番単純な調理方法だよね?」
「それがな、それがなっ、そうでもないのだ! カステイラはな、同じくらいの温度をずーっと保つ必要があってなっ! これがもう、大層骨が折れるっ!」
「温度を保つ?……あー、そっか、こっちにはまだオーブンとかないんだっけ」
そりゃ大変だ。温度も時間も、目分量で何とかするしかないなんて、ボクにはとてもできない。
「ほうほう。クイン殿、今仰られたおーぶんとはいかなるもので?」
そこで、今までほとんど発言がなかった正篤君がすっと会話に入ってくる。
彼は日本にない物事を聞くと、こうやって聞き出そうとして来る。たぶん、ベラルモースの進んだ技術を少しでも取り入れたいんだろう。
初めて会った時はどことなく頼りなさげだったけど、そもそも彼は「蘭癖」と呼ばれるくらい外国の道具や知識を集めまくってた人だ。ベラルモース技術にも興味を示すのは、むしろ当然だろう。
「ボクも料理は男の手習い程度にしかできないから、詳しくは知らないけど……」
一人暮らしの時に自炊してた男、程度の腕前のボクなので、当然ながらオーブンなんて使ったことはない。かよちゃんは使いこなしてるみたいだけど、ともあれボクは料理は決して得意じゃない。そう断ったうえで、知ってる範囲のことを説明する。
「……とまあそんな感じで、すんごく熱くした空気で乾燥させながら焼くための道具、かな。仕組み自体は陶器を焼くための窯と大体一緒かな。あれを料理用にしたやつ、って考えてもらえれば」
「へえー、そういう料理の仕方もあるのだなっ! 色々使えそうだ!」
「ああうん、色んな使い方があるみたいだね。うちにもあるけど、奥さんがよく使ってるし」
「ふむ、その仕組みを聞く限り、南蛮の主食である小麦を焼いた料理で使うというアレであろうかな」
「そういえば、ヨーロッパの主食はパンだったね。うん、たぶん似たようなのはあると思うな」
ベラルモースの主食もパンだもん。似たようなものが作られてるってことは、その工程も似たようなものだろうし。
「なあクイン殿、そのおーぶんとやら、余も使ってみたいんだが、だめかっ?」
「うーん……別に道具あげるのは構わないんだけど……」
身を乗り出してきた家定君の目は、これでもかってくらいきらきらしている。
でも、残念ながら。
「うちの国の道具って、動力が全部魔力なんだよね。この世界って魔力が自然発生しないから、ボクがいる時しか使えないってことになるのがオチだと思う……」
「そ、そうかあー……それは残念だなあ……」
そして本当に全力でがっかりして肩を落とすんだもんな。彼を見てると、手助けしたくなっちゃうよ。
一方の正篤君はというと、さすがに老中に抜擢される(ちなみに二度目)だけあって、何やら思案顔だ。
「……ベラルモースの優れた道具をぜひとも導入したいところだが、自国で賄えぬもので動くというのではのう……」
まったくもって、その通り。
まあ、すべて輸入で賄うのでも構わない、って言うなら、その時は値段次第で応じるけどさ。でもそれはそれで、国としてどうなの? て感じじゃない。
「一応、こっちの人でも魔法を使えるようにできないか、いろいろと試してみてはいるんだけどね。今のところ収穫がなくってね」
「左様でござるか……」
「魔法、余も使ってみたいぞ! クイン殿みたいに魔法が使えれば、こんな余でもきっと民を救えるはずだものな!」
そこでその発想に至る辺り、家定君って決して暗君ではないよね。
とはいえ魔法の力は、今ボクがこの世界に対して持つ最高のアドバンテージの一つだ。当然だけどこれを他の国に与えるつもりなんて一切ない。当然、漏えいはとっても困る。
でも、日本は同盟国であると同時に、ある意味でダンジョンの寄生相手でもある。日本の発展はボクたちの発展にもつながる以上、日本に対して魔法を与えるという選択肢は決して「ナシ」じゃない。軍事的な意味を筆頭に、ありとあらゆる分野で魔法は日本の発展を助けるからね。
ごくごく少数の選ばれた人間だけに魔法を解禁する、ってのが無難かなあ。治癒術士のような医療方面はもちろん、災害対策や近衛兵みたいに、エリートって言えるくらい優秀な人じゃないとできない役職は絶対あるだろうしさ。
「……一応、魔法を使うためには和算ができると修得が早まるってことはわかってるから、今のうちにやっとくといいかも」
「まことかっ! よし、では早速やってみよう!」
「待った待った、空間隔離してるから今出られないよ」
「おっと、そうだったっけか! はっはっは、つい生き急いでしまった!」
「その表現、君が言うと洒落にならないところあるから気をつけてね……」
自分が病弱ってわかった上での発言なら、なかなかブラックなジョークだとも思うけどさ……。
そんな感じで家定君に軽いツッコミを入れた後で、
「和算が魔法に貢献できるのですか」
と、スキを見て正篤君が入ってくる。彼もさすがだよ。
「うん、あの計算式が魔法を構築するための術式にかなり近いんだよね。だから将来のためにも、和算は残しといたほうがいいと思う。ボクもね、魔法の頒布には条件付きで賛成だから。……まあなんていうか、君たちは自分たちの文明が劣ってるって思ってるかもしれないけど、意外とそうじゃないものもあったりするのさ」
「ふむう……なんでもかんでも取り入れればいいというわけではないのですな」
「そういうことだね。自分たちがそう思ってても、他から見たらすごいって思うのって案外あったりするし、簡単に捨てるのはよくないよ。まあ、考えた末だったとしても、時代が下ってから再評価されることもあるから難しいところだけどね」
「……さじ加減が難しいところですな」
「だね。守るべき文化、見直すべき文化……いろいろあるけど。結局正否は歴史になってからしかわからないから。ボクに言えるのは、後悔しないようにね、ってくらいかな」
「うむ……肝に銘じておきます」
今の幕府の首脳陣ならそうそうヘマはしないと思うけどね。とはいえ、どれを取捨選択するかはボクが口を出すことじゃない。
まあ……一言言わせてもらうなら、お歯黒は本当にもう絶対に勘弁してほしいってくらいかな……。
ちょんまげは、最近一周回ってなんとか行けるようになったけど、あればっかりはどうしても受け入れられないよ……。
ってことを、意見求められたしせっかくだからって言ったら、
「髷は千年以上前から続く我が国伝統の髪型ゆえ、いかがでござろうなあ」
「まじで……!?」
なんて返ってきて心底驚いた。そんなトラディショナルな髪型だったのか……。
そうだとしたら、さすがにやめさせるってのは無理だろうなあ……。うーん、カルチャーショック。
「お歯黒については、余も同感だっ! おなごは何より顔なのに、歯を黒くしてしまったら台無しだと思うっ!」
「うむ……正直これには拙者も同感でござるなあ」
「あ、あれは日本人でもナシな人いるんだね」
「女性としても、嫌がっている者はそれなりにいると思いますがなあ」
「何せ臭うからなっ。あとな、あとな、あれ絶対面倒だと思うっ」
「……聞けば聞くほどなんでやってるのかわかんないんだけど」
「そうだな!」
シャキーンて効果音を幻視するくらいいい勢いで、家定君が言い放った!
「うむ! そうだ堀田、余の婚儀もいずれまた来ると思うが、次はお歯黒とかそういうのは、やらないで行こう!」
「え、は……し、しかし一応の体裁というものが……」
「えぇー、よいではないか別にー! 面倒なことは簡単にしてしまおうではないかぁー!」
「うむう……まあ確かに、相応の出費もかさむわけですが……うーむ……」
正篤君が言いよどむ。あれはたぶん、その「相応の出費」で経済が動いてるところもあるんだろうなあ。あっちを立てればこっちが立たずって感じだ。
「……一応、次の老中審議で議題に上げてみましょう」
「おおっ、頼んだぞ堀田!」
あ、審議にはかけるんだ。少しでも出費を抑えたいのが幕府の本音かな?
うん、無駄な儀式が少しでも簡単になるといいね、家定君。その前に、相手まだ決まってないと思うけどさ。
その後は、ボクとかよちゃんについて聞かれたので、ベラルモースの夫婦生活や結婚式などについて色々と説明した。
とは言っても、種族が多すぎる上に神様が普通に顔を出すベラルモースでは、結婚式での厳格な決まりはほとんどなくってバラバラだ。だからそういう多すぎる事例は置いといて、実際にボクがやった内容を中心にしておいた。
すると、やっぱりアクセサリの概念が薄いこの国の人には、指輪交換についてのいい反応はあんまり得られなかった。ただ、既婚女性であることを示す意味でのお歯黒の代替案としては、素直に「その手があったか」みたいな反応だったから、総合的に見るとプラス印象じゃないかな。
……これを彼らに話したことで、日本の文化に変化が起きたりするんだろうか?
もしそうだとしたら、わりと風俗的な意味での歴史の転換点に今ボクはいるんじゃないだろうか。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
というわけで、皆さん大変お待たせいたしました。
江戸前ダンジョン繁盛記、実に二か月半ぶりに更新再開でございます。
一月末に、二月中にはなんとか更新再開したいと割烹に書きながらぎりぎりになってしまいましたが……それというのも水面下でいろいろやっていたおかげで本作の執筆だけに専念できなかったのです。
これからも恐らく本作のみに専念するのは難しいと思いますが、できる限り更新を続けていきますので、どうかよろしくお願いいたします!
差し当たって、今章もいつも通り、しばらくは午前1回午後1回の、1日2回更新でやっていきますので、どうぞお楽しみいただければ幸いでございます。