第六十話 お見舞い
日米和親条約付録が締結された数日後、ボクは正弘君の屋敷に来ていた。
普段なら忠震君とかを目印にして飛んでくるんだけど、今日はいろいろな魔法を組み合わせてごまかしつつ、一人だ。
今、ボクの前では正弘君が布団で横になっている。その表情に覇気はなく、どことなく青白い。
実は、少し前に彼が倒れたのだ。その知らせを受けて、ボクは急きょここまで来た、ってわけだね。
一体何が、と思ったけど、【鑑定】してみたらその結果はすぐにわかった。
過労だ。つまりは、働きすぎ。生命力もかなり減っていて、正直怪我や病気がないのに危険水域まで減った生命力は初めて見たよ。
まあね、確かに、とは思う。元々老中という役職は忙しいポジションらしいんだけど、ここ数か月の彼は特に忙しかっただろうから。
アメリカとの交渉に直接出向いてはいないものの、その調整や折衝、あるいは処々の準備など、彼がやっていたことはかなり多かった。
そこに京で大火事が起きてそっちにも対応しなきゃいけないってなって、離れた土地の案件を同時進行でやってたところで、寅次郎君たちを渡米させるための調整で奔走する羽目になったんだ。そりゃ、倒れても仕方ないよ。
京のほうの件に関しては、距離があるんだし無理しなくてもいいのにってボクは言ったんだけど、彼はそれを退けて動いた。
なんでも、せっかく幕府寄りになりつつある天皇や宮家の心情を、より幕府側に寄せるためだって言ってた。
そこまでするかとも思ったけど……相手を問わず迅速に動いた彼の思惑は一定の成果を上げたから、ボクにはこれ以上あれこれ言う資格はないだろう。
そんなわけで、正弘君は過労だ。きっと、一連の苦労がほぼ同じタイミングで終わったから、気が抜けたんだろう。それまでため込んでたものが、一気に来たんじゃないかなあ。
「……いや、かたじけない」
そう言って力なく笑う彼ではあるけど、どうやら目は死んでいないようだった。
過労は、一緒に何らかの精神疾患を併発してしまいかねない。もしここで彼の心が折れてたらどうしよう……なんて思ってたけど、いらない心配だったな。
「そう言いながらも、今すぐにでもここを飛び出したいって目をしてるね」
「仕方ありますまい……拙者が不在となれば、どれだけ仕事が停滞することか……」
「気持ちはわかるけどね。焦ってもしょうがないよ、今はゆっくり養生しておいたほうがいいって」
「……わかってはいるんですがな」
わかってるようには見えないけどねえ。ボクは苦笑するしかない。
とはいえ、ボクも言った通り気持ちはわかるから、ここは魔法の力で解決するとしよう。
って言っても、傷や疾病なら魔法でなんとかなるけど、過労を治療する魔法はない。この状態異常は他と違って特殊で、生命力と直結してるからだ。
そして、生命力を直接回復させる魔法は難易度が高く、また瞬時に回復させる魔法となると、それこそ現状最高の回復魔法である天魔法【ゴッドブレス】くらいしかない。
ただ、それを使っていいものか。
何せ、【ゴッドブレス】は確かに生命力は回復するけど、精神的な疲労までは回復しないのだ。そして、精神の疲労を回復させる魔法はまだベラルモースにも存在しない。
だから、あまりすぐにまた無理をされると、せっかく回復した生命力が光の速さで減少して無意味になっちゃうのだ。ましてや、正弘君ってたぶんそれやったら、すぐ仕事に復帰するだろうし。
そして、これで味を占めて毎度毎度魔法による回復を頼られても困る。ボクの労力的にもそうだし、彼の身体にそういう悪い癖がついちゃうと、本当に将来、もう少し年を経てから痛い目を見るのだ。
だから……。
「今日はねえ、お見舞いにベラルモースの薬を持ってきたんだよ」
「ほう……?」
ボクが取り出した小瓶を見て、正弘君が興味深そうに目を凝らした。
小瓶の大きさは、ボクの手に収まる程度。材質は透明のガラスで、形状は恐らく、この世界ではまだまだ難しい均質な完成度を持ったなめらかなものだ。ちなみにラベルはない。手作りだからね。
中にあるのも、ほぼ透明な液体。どろりとしている。
「これはベラルモースに一本しかない神木、世界樹に咲く花からしか採れない世界樹の花蜜っていう蜜なんだ。これがね、滋養強壮にすっごく効くんだよ」
そう、みんなご存じ世界樹の花蜜だ。
今まで何度か紹介した通り、この蜜は不老不死の霊薬とも言われるくらい高い治癒効果を持つ。そして一定確率で生命力と魔力の最大値が上がるため、不老不死とまでは言わないけど、実際に寿命も延びる。ベラルモースでも滅多に手に入らない、伝説級アイテムなのだ。
まあ、そんなすごいアイテムがボクの魔力から半無限に取得できるのも、みんな知っての通りなんだけどね。おかげでボクの周辺に限って言えば、このアイテムはさして珍しくもない一般的なものでしかない。
だから、こうやって気楽にお見舞いで持ち込むお土産にちょうどいいのだ。
「味は蜜だから甘いんだけど、元々原液で飲むものじゃないからね。甘さとねばりっけは、水とかお湯で調節して飲むといいよ。ボクのおすすめはお湯8の蜜2の比率かな」
かよちゃんが好むのがこの比率だったりするのはここだけの話だ。
一応、ボクの【粘液】スキルはその辺りの濃度も自在に調整が効くんだけど、今回は外の人にあげるものだから、原液で持ってきてる。
「……よいのですかな、そのようなものをいただいても……」
「いいんだよ。薬の類はさ、後生大事に持ってたってしょうがないでしょ? こういうのは使うべき時に使わないとね。それに薬って言っても結局は蜜だから、あんまり日持ちしないんだ」
「……わかり申した。ありがたく頂戴いたそう」
ボクの言葉に頷いて、正弘君は小瓶をそっと受け取った。
それから人を呼ぼうとして、ボクの存在を気にしてかやめた。ボクの正体をばらすわけにはいかないと思ったんだろう。
「……じゃあ、ボクはそろそろ帰るよ。ちゃんと使ってね?」
「うむ、そうさせていただこう……なるべく早く復帰するよう努めるゆえ、他の幕閣が暴走しないよう、注視していてくだされ」
「了解だよ。お大事にね」
「かたじけない」
彼に頷いて、ボクはそっと立ち上がる。
そうして辞去しようとしたボクの背中に、ぽつりとつぶやきが飛んできた。
「理解者、後継者の育成が急務ですな……」
この間彼に言った通りの事態が起こりかけたことで、そう痛感したんだろう。
つくづく、組織ってのは一人じゃどうにもならないよね。特に国なんて余計だろう。
うちも……そろそろ行政的な方面を任せられる人材がほしいな。ボクにそこまでの能力がないことは、わかってるつもりだし。
カギを握るのは、らい病に侵されてる5人か。彼らを治すことができれば、あるいは……。
幟子ちゃんが取り組んでる魔法の改良が、極力早く終わるのを待つしかないけど、ただ待ってるだけってのも芸がないな。早いうちに、ベラルモースの情報とダンジョンの政治的な運営について、学んでもらったほうがいいかもしれない。
そんなことを考えながら、ボクはダンジョンに戻ることにした。
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そして翌日。
「クイン殿、上様が病に倒れられた」
「彼もか!」
報告に来た遠山景纂君に、ボクは思わず言った。
いやまあ、元々彼は病弱だし。別に何もおかしくはないんだけどさ……。
「風邪のようだが、少々重い症状でな。もうダメだとおっしゃっていてなあ」
「気弱すぎるでしょ……って言っても、彼が言うと妙に信憑性あるね……」
「不本意だがその通りでなあ。それで死ぬ前にクイン殿に会いたいと……」
「また縁起でもない……っていうか、死ぬ死なない以前に、友達なんだからお見舞いくらいするさ。すぐ行っても大丈夫?」
「ああ、できるだけ早く来てほしいということだ。ただ、今回は病床にある上様を謁見の間に連れ出すわけにはいかない。それに、阿部様も静養中でクイン殿を上様に会わせるのは難しい」
ふむ。それってつまり。
「……大奥まで行かないといけないのか」
「そういうことだ。だが、大奥は男子禁制だ。それに、貴殿の存在が露見する可能性がある」
いわゆる後宮のことだよね、確か。そりゃ男が入れるわけがない。
厳密に言えばボクは両性で、男ではないんだど……それを言ったところで信じてもらえるわけないよな。彼らの前じゃ男って名乗ってるんだし、何より人前では人間の男に変身してるわけだし。
それに。
「ただ入るだけなら別にどれだけでも侵入できるけど、人の目が多い場所だよね? だったら、できるだけ正規の手段で入るか……」
そこまで言って言葉を切ったボクに、景纂君が機嫌をうかがうようにして目を向ける。
そんな彼に、ボクはにやっと笑ってみせた。
「いっそ彼にはこっちに来てもらうとか? 代役なら、こっちで用意できるし」
そしてそう言ったボクに、景纂君は目を丸くして素っ頓狂な声を上げたのだった。
うん。ほとんどその場の思いつきだったけど、これ案外いけるんじゃないかな。
寝てる間に彼を一時的にこっちに呼び寄せる。【ヴォイドステルス】が使えるボクにとっては、さして難しいことじゃないし。
なんだったら、空間そのものを入れ替えてしまえばいい。時空魔法の中でも特に難易度の高い魔法になるから、さすがにちょっと準備はいるけど。
代役は、あれだ。どんなものにも変身できる妖術、【如意羽衣】が使える幟子ちゃんに任せればいい。
演技力には不安が残るけど……そこは年の功でなんとかしてもらおう。
……ただ、彼女が仲間になってから、彼女一人に役割が集中がしがちな現状はなんとかしないとだよな。彼女は……まあ、ボクの言うことには大体従ってくれそうではあるけど。
でも、それだけじゃダメだよね。正弘君じゃないけど、彼女に続けるだけの実力者を育てないと。ボクも人のこと言えないや。
ジュイたちのレベリング、できれば早いうちにしときたいところだけど、さてどうしたものかな……。
「まあそれはともかく……病人を招待するってのは抵抗あるかもしれないけど、たぶんそれが一番現実的だと思うんだ。どうする?」
「ふむう……」
ボクの申し出に、景纂君が腕を組んでうなる。
まあそりゃ、この世界の人間にしてみれば現実味のない提案だよね。
「……よしわかった、それで行こう。ただ、やるなら場所を入れ替える? やつにしてくれないか。上様一人だけを、というのは負担が大きいだろう」
「確かに。わかったよ、それじゃその方向で動くから、近いうちにって家定君に伝えといて」
「わかった」
景纂君も決断が早いなあ。
彼が頷くのを見て、ボクも頷いた。
さて……久しぶりの大規模魔法だな。【世界跳躍】以来だ。早速準備に取り掛かるとしますかね。
あ、その前に、出迎える準備をしといてもらわなきゃ。お見舞いはお見舞いでも、うちに招くことに変わりはないんだし。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
一人が欠けることで機能マヒになる組織ってのは長くは続かないものですが、それでも大丈夫なように仕組みを整えたり人を整えるのも大変なもので。
その問題認識を両者にしっかりしてもらう回でした。