第五十九話 渡米せよ~マッチポンプ~
迎えた決行の日は、4月14日(5月10日)。この日、ボクは数人の仲間を連れて伝馬町牢屋敷まで来ていた。
ボクたちの今回の仕事は、寅次郎君と重之輔君を救出し、下田に停泊してるアメリカ艦隊のもとまで送り届けることだ。前回のやり取りで日米には秘密裏に協定が結ばれてるから、受け入れを断られることはない……はず。
ただ、渡航の禁止はいまだに解かれていない。なので、彼ら二人はやはり密航という扱いになる。このため、正面から行くことはできない。だから表向きは協力者の手で脱走し、追手を振り切りつつ下田まで駆け抜ける、ってことになる。
当然だけど、密約は「秘密」。二人の道行きがこっそりと保証されてることなんてほとんどの人間が知らないから、正真正銘の捕り物になるだろう。
だからこそ、朝から曇り空で今も月明かりがほとんど見えない今日が決行日になった。
まあ、とはいえボクたちがいるんだ。うっかり再逮捕、なんてことにはならない。っていうか、させない。二人にはまさに大船に乗ったつもりでいてほしいところだ。
今回のお供は、いつものメンバーじゃない。ユヴィルは下田の監視を続けてもらってるし、藤乃ちゃんはボクたちの移動ルート確保のためにいろいろやっているし。
あと、実は今、幟子ちゃんを正弘君の補佐のために一時的に派遣してある。先だって京で起きた大火災の収拾をつけるための手伝い、なんだけど……いや、正弘君が過労で死にそうだったんだよね……。同時にやらなきゃいけないこと、彼にしか現状できないことが多すぎるんだなあ……。
だからこそわりと高水準でなんでもできる幟子ちゃんに、どうしてもダンジョン外に出張ってもらう必要があったのだ。元々の顔を知ってる人がいる可能性はあったけど、今の彼女になるに当たって外見が変わってるし、そもそも見た目子供だし、特に心配はしてない。
そんなわけで今ボクの周辺にいるのは、以前に対価の支払いの際に元密偵として連れてこられた人たちだ。総勢3人。ボクを含めて4人だね。
もちろん、【眷属指定】は済んでいる。地球じゃありえないスキルを持っている、この世界では一騎当千に値するだろう。
メンバーの大半は男なのがちょっと不満だけど、まあ仕方ない。そもそもこの国は、っていうか江戸の周辺は、男女比がおかしいのだ。
ちなみに、寅次郎君たちについていく予定になっているのは、島津さんちの元密偵だ。江戸の生まれなのに、琉球相手の密貿易や、養豚業の恩恵を目当てにわざわざ遠国薩摩の密偵になったっていう、ちょっとアレな経緯な持ち主だ。
そして、肉食が忌避されがちな日本にいながら普段から肉食しまくってる人でもある。おかげで、明らかに他の人間より体格がいい。
そんなだからか、彼は保留してた密偵たちでも一番最初に【眷属指定】を受け入れた。今回の話でも、アメリカ行きに金の匂いを感じ、あっちの食生活が主に肉食っていう噂から、唯一立候補したっていう逸材だ。
ちなみに、江戸の生まれと言っても武士じゃない。武士じゃないけど、お金で武士の身分を買ったって言うまたなんともアレな逸材だ。所有スキルも、武芸関係のものはほとんどなかった。
なかったけど、別に攻め込むわけじゃないしね。彼に求めるのは戦いじゃないのだ。その手のスキルは最低限でいい。
そして彼の本領は商売や交渉事。情報収集には商売、ってのはある意味王道だし、そっち方面で才能を発揮してほしいところだ。
そんな彼、木島忠太に目を向けながら、ボクは改めて全員に言う。
「それじゃみんな、手筈通りにね」
「はっ!」
3人はそう答えるとともに、二手に分かれて行動を開始した。
その背中に【ステルス】コンボをかけながら、人数の少ないほう……忠太君にボクも追随する。それと同時に、幟子ちゃんに教えてもらった完全変化の魔法、【如意羽衣】を発動させた。そして、ボクの身体が一瞬にしてそこらにいそうな、特徴の薄い男の姿に変わる。
この魔法、外見は完全に自分以外の存在になることができるというかなり規格外の魔法だ。普通の変身じゃこうはいかない。彼女を味方にして色んな恩恵を得たけど、これはその中でも特に大きい。
まあ、消耗が激しいからあんまり乱用はできないんだけどね。所有魔力なら幟子ちゃんにも勝るボクだからこそできる、とも言えるかも。
前を行く忠太君にぴたりと寄り添うようにして、移動を続ける。今回は、まだレベルが藤乃ちゃんほど高くない3人のレベル上げも兼ねてるから、あまり手は貸さないつもりだ。それでもさすがに一人でどうこうするのは難しいだろうから、見張りなんかはやる。
って言っても、特に問題なく目的地にたどり着けたんだけどね。
ボクたちが向かっていたのは、重之輔君が入ってる牢屋だ。寅次郎君と彼は身分が違うから、入れられてる牢屋も違うのだ。
さて重之輔君だけど、どうやら既に眠っていたようだ。とはいえ、牢屋の中には彼以外の人も入っている。彼だけを起こすってのは、ちょっと難しい。
普通の人なら、ね。あいにくとボクは普通の人じゃない。
「頭」
「ん、任せなよ」
忠太君に頷きながら、ボクが発動させたのは水魔法【スリープミスト】。文字通り、広範囲に対して睡眠の状態異常を付与する魔法だ。
これで全員を眠らせたうえで、重之輔君だけを起こせばいい。ね、簡単でしょ?
さて、全員が眠ったのを確認したところで、牢を開けよう。こちらは、忠太君に任せた。わりとあっさり鍵を開けるあたり、彼もなかなかどうして有能かも?
ともあれ中に入ったボクたちは、重之輔君に水魔法【リフレッシュ】をかける。お察しの通り、状態異常……特に、肉体に依存する異常を解く魔法だ。
そして魔法がかかると同時に、忠太君が重之輔君を起こす。
「ふあ……!? な、何が起きて……!?」
彼はパニックになりかけたけど、すぐに口を塞いで事情を説明する。
彼らの行動を聞いて感化されたこと、行動を共にすべく救出に来たこと、などなど。もちろん大嘘なんだけどね。
とはいえ、重之輔君はまだ二十歳ちょいってところか。ボクたちの言葉に感激して、目頭を押さえるほどあっさりと信じてくれた。
いいことだ。
「では、吉田殿と合流しましょう」
「先生もここから連れ出してくれるんですか!」
「もちろんだ。かの方のような勇気と行動力のあふれた人は、どうしても必要だろう?」
「その通りですよ!」
忠太君、すっかり重之輔君に信じてもらってる。この辺りはさすがの手管ってところかな。
あとは、この場の始末をして立ち去る。途中で、寅次郎君を連れ出してきた2人とも合流して、牢屋敷から脱出だ。
「おお、重之輔君!」
「先生! よかった、ご無事で!」
「君こそ無事なようで何よりだ……」
師弟の感動の再会……と、言いたいところだけど、まだまだ終わりじゃない。
このタイミングで、牢屋敷のほうから脱走を嗅ぎつけた役人たちの声が響き、にわかに騒がしくなる。
知らせたの? もちろんボクです。この脱走劇に信憑性をつけるために、そして疑問を持つ暇を与えないために、ある程度追いかけてもらいたいからね。
ってわけで……。
「御免! 今はともかく、ここを離れ下田へ!」
「あ、はいっ、そうですね!」
「うむ、そうしよう。私たちは、まだ一歩も前へ出ていないのだから!」
二人を連れて、ダッシュで牢屋敷から離れるのだ!
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翌日の昼。ボクたち一行は、2人減っていた。
これはここまでの道中、追手に対して時間稼ぎをするために離脱していったからだ。
もちろん彼らを死なすつもりなんてなくて、ある程度のところで眷属特有の能力とも言うべき、コアルームへの帰還を利用して退避してもらってる。その辺りのことも含めて、足止めだ。
でも、寅次郎君たちはそんな事情なんて知るわけない。彼らは、自分たちを渡米させるために既に二人も犠牲になってることに申し訳なさをにじませながら、複雑な表情をしていた。
ここは、街道から少し離れた木立の中。まったく周囲が見えないわけじゃないから、安心はしきれないだろうけど。それでも夜通しここまで走ってきたんだから、とりあえずは休ませないとね。
「二人とも、ものを調達してきたぞ。これで武士としても恥ずかしくないだろう」
そこに、忠太君が服や剣を持って戻ってきた。
寅次郎君たちは牢屋から出てそのままの状態でここまで来たので、どうしても着替えなんかは必要だったのだ。
目立つわけにはいかないし、二人としても身なりには最低限気を付けたいだろうからね。
「木島殿、かたじけない」
「ありがとうございます」
「なんの、同志が負った苦労に比べればこのくらい」
そんな会話を聞こえてくる。忠太君はうまくやってるみたいで何より。
ちなみに、ボクは寡黙な忍びってキャラロールをしてるから基本的にしゃべらない。今も3人とは距離を取り、見張りに徹してる。
どうせ彼らは後で、嫌ってほど協力しなきゃいけない時間が来るんだ。しかもそこは逃げ場のない船の上になる。今からああやって互いの友好度を稼いでおくにこしたことはない。ボクは悪役というか、嫌われ役になるかもしれないけど、そういう役がいたほうが結束は強くなるのが人間だし。
というわけでなるべく二人には関わらないボクだけど、こっそりと観察はしてる。
寅次郎君は面長の三白眼で、正直あんまり人相はいいとはいえない。特に三白眼がいけないんだろうけど、どうしても悪そうに見えちゃう。すらりと細身の身体と相まって、美形の部類に入ると思うんだけどな。
【鑑定】のほうは、ステータスのほうは見るまでには至らなかったけど、レベルや称号なんかで特に気になる点はなかった。こう言うとあれだけど、そこらにいる他の侍とそこまで違いはない気がする。
人は見た目じゃないっていうけど、【鑑定】情報だけでもわからないことは多いもんだねえ。
次いで重之輔君。彼はなんっていうか、あれだ。田舎の純朴青年って感じ。確か二十歳は過ぎてるはずだけど、それにしては少し幼く見える。童顔なんだなあ。そして、牢屋でボクたちの言い分と即座に信じたあたり、どうも人をあんまり疑うことを知らないんじゃないだろうか。ちょっと心配になる。
ステータスのほうは、これまた特筆することはない。強いて言うなら、同じ侍でも寅次郎君とは違い足軽(一兵卒のことらしい)で、武士と農民のグレーゾーン的な扱いを受けてたくらいか。
牢屋敷でもその他大勢な扱いされてたみたいだし、うっかりあのまま刑が執行されてたら、重之輔君だけ死刑なんてことになってたりしてね。
そんなことを考えながら休憩を取り、順番に仮眠をしつつ日が暮れるのを待つ。
やがて太陽が沈んだ頃、ボクたちは再び行動を開始した。
改めて役人たちに追いかけられつつ。絶妙な位置取りをして、なんとか下田までやって来た。
ところが、用意しておいた小舟に乗り込もうってところで、遂に追いつかれてしまった。まだ見つかったわけじゃないけど、周りからは役人たちの声が聞こえるし、騒々しい雰囲気。ああどうしよう、絶体絶命だ!
……白々しい? ごもっとも。ここまで全部、ボクたちの予定通りです。
それじゃ、予定通りボクも退場しようか。
「……ここは任せて、先に行け」
三人に告げて、ボクは小舟を沖に出す形で舳先を蹴った。
「全員が捕まっては元も子もない」
「し、しかし!」
「重之輔君、落ち着くんだ! 悔しいが……悔しいが、ここは彼の言う通りだ……」
「先生……でも!」
「同志!」
「木島殿、後は任せたぞ!」
「……わかっている!」
「ああっ!?」
棒でさらに小舟を押し出し、ボクは彼らに背中を向けた。
うん、一回やってみたかったんだよね。「ここは俺に任せて先に行け」。
まだ重之輔君が声を上げてたみたいだけど、じきに静かになった。寅次郎君か忠太君が、口をふさいだんだろう。
……うん、重之輔君はやっぱり人を信じすぎる。ろくに会話してなかったボクに、なんでそこまで肩入れするかな。嫌いじゃないけどさ。
さて……彼らが役人に気づかれないよう、ごくごく短時間で切れるように調整した【インビジブル】をかけて、っと。
そこで遂に、ボクは十数人の役人に包囲された。
「見つけたぞ!」
「神妙に縛につけぃ!」
全員が剣に手をかけつつ、じりじりとにじり寄ってくる。でも、怖くもなんともない。
最近は幟子ちゃんのせいでだいぶかすんでたけど、ボクだって魔法の世界ベラルモースから来た魔人だ。魔法職とはいえ、ただの人間に後れを取るほど弱くはないぞ。
ボクは薄く笑うと、今までずっと維持していた【如意羽衣】はそのままに、雷魔法【エンチャントサンダー】を拳にまとわせる。淡い紫電が、次の瞬間ぱしりと鳴った。
そして言う。
「できるものなら」
次の瞬間、ボクは一気に前へ出た。人間の身体で立ち回るのはまだ慣れてないけど、一直線に走るくらいわけはない。
ただし、その速度は人間が普通に出せる速度じゃない。変身していてもなお、ボクのステータスは落ちていないのだ(ちなみに【如意羽衣】は、自身のステータスを超えない範囲なら調整も可能だ)。
そしてすれ違いざまに、軽く拳を振るっていく。
雷属性を獲得したボクの拳を受けた役人たちは、全員が電撃を受けてその場に倒れ伏した。
ここまで、一瞬。残りがそれを認識したのは、さらに数拍置いてから。
けどその間は、致命的なスキだ。そして、それを見過ごすほどボクはお人よしじゃない。間髪入れず、残った人たちも気絶させていった。
「これでよし、っと」
そしてボクは、周りに誰もいないことを確認して元の姿に戻った。うん、やっぱこれが一番楽だ。
「さーて……あっちも見に行くかな」
忠太君に全部任せてもいいけど、やっぱりちょっと気になるし。様子見しておいて損はないだろう。
ってことで、毎度おなじみ【ヴォイドステルス】。ぬるぬるぬるっと空間を横切って、忠太君たちも通り越して、ポーハタン号に着地。
あとは三人が来るのを待つだけだ。
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というわけで、アメリカ艦隊に三人の日本人(一人はベラルモース人って言ったほうがいいかな?)が加わった。
え、飛ばしすぎ?
いや、だって本当に何もトラブルなかったから、特に言うことがないって言うか……。
寅次郎君たちも最初は暗殺とか考えてたみたいだけど、忠太君がそれは知らないふりしてあくまでに国のための遊学って言い続けてたからか、ばつが悪くなってかなりためらってたらしいし。
あとはせいぜい、ペリー君が拙い日本語で、あのオーバーリアクション気味に三人を出迎えてたくらい?
話の流れは全部知ってるくせに、感激して見せたり小さく演説ぶってみたりと、彼は役者もできる人だったよ。軍人辞めても普通に食べていけるんじゃないかな。マルチな才能だ。
ここまで来たら、もう彼らにペリー君を暗殺する芽はないだろう。最初のタイミングを逃したら、あとはもうペリー君が単独行動する状況なんてほぼないからね。
そして表向きの交渉のほうも、特に目立ったトラブルもなくスムーズに進んでいった。
まあ、ペリー君が「せっかく監視がいなくなったんだシー、もっと調査しておきたいデース!」って感じで、少し長引かせようとしてたみたいだけどね。
ボクが彼の立場でも、同じ感じで長引かせただろうからこれは仕方ないだろう。ここで相手に日本の情報を与えるリスクを冒してでも、ボクの仲間を渡米させるリターンが大きいって正弘君は判断したんだからね。
気になった点っていえばそれくらいだ。
かくして5月1日(5月27日)、下田の地で日米和親条約付録が締結されたのだった。
はてさて、後世の歴史家はこの日をどう語るんだろうね?
ここまで読んでいただきありがとうございます。
というわけで、吉田松陰はアメリカに行くことになりました。
アメリカでの松陰先生の活躍にご期待ください!
松下村塾? はて、なんのことだろう……?(すっとぼけ