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第五十八話 渡米せよ~提督の決断、宰相の決断~

 決行のタイミングは、あの日寅次郎君たちが船への乗り込みを敢行したよりそこそこ早い時間だった。日が沈み、けれどまだ月がしっかりと空にある時間帯だ。


 普通だったらこんな状況で動いたら、あっさりばれる。夜の明かりがほとんどないこの世界では、月明かりってのは思ってるよりも相当な明るさがあるものだし。

 でもそこはボクがいる。魔法を一切知らない人たちを、魔法でだますのはそりゃもう簡単なことだ。


 というわけで、ボクはいつものように(?)人に変身して、小舟の上にいる。隣には、正弘君が指定した彼の名代、堀田正篤まさひろだ。


 ……どっちも「まさひろ」でわかりづらい。

 ベラルモースでは人の名前をそっくりそのまま使う風習なんてない(ちなむことはある)し、表意文字は使われてないから文字を変えても発音は同じ、なんて事態はそうそう滅多に起こらないんだけど。おかげでボクには余計わかりづらいんだよね。なんとかなんないかな、これ。

 まあそれは、彼らに名前をつけた人に対して失礼だから、思っても言わないけどさ。


 その正篤君は、いかにも人のよさそうなおじさんって感じの風体をしていた。年齢は四十代の半ばくらいかな? 中肉中背……を、一歩肥満に進めた感じの体格。少し薄くなり始めてる髪の毛。でも、悪巧みを感じさせない温厚な顔立ちは、なるほど使者としてもちょうどいい印象を与えそうだ。

 一方で、政治の頂点をやらせるにはちょっと物足りなさそうな気もする。なんっていうか、ナンバーツーのほうが似合いそう。正弘君も最初は似たような感じがあったけど、最近はだいぶ「化けた」からねえ。こっちの正篤君も、そういう感じで覚醒してくればいいんだけど。


 そんなボクの思考とは裏腹に、当の本人は誰も櫂を動かしてないのに勝手に動いてる小舟を、怯えた表情でちらちらと何度も見てる。

 ちょっとした風の魔法なんだから、気にしないでほしい。って言っても、さすがにまだ彼にはボクの正体や魔法などの存在は教えられてないみたいだし、仕方ないことではあるんだけど。


 乗組員はボクら二人だけだ。とはいえ、周辺にはユヴィルが抜かりなく監視のために鳥を動かしてるし、なんだったら藤乃ちゃんも待機してる。問題なんて起こりようがない。

 起こるとしたら、これからかな!


「さ、そろそろですね」

「う、うむ……緊張して来たわい」


 ボクの言葉に、居住まいを正した正篤が言う。


 余談だけど、ボクのことはちょっと前に使った「アメリカ人を祖父に持つ下級官吏で、英語ができる」って設定で紹介されてる。だから、最近ぜんぜん使ってなかった敬語を使ってる。

 別に、敬語ができない若者なんかじゃないぞ。普段から使う必要がなかっただけで、状況に応じてちゃんと使い分けれるんだからね。


 そんな話は置いといて。そんなわけだから、今回は本当に通訳に専念するつもりだ。まあ、日本に不利な話が出てくるなら多少はでしゃばるつもりだけど。


 なんてことを考えながら、遂に来ました船の前。ここから英語で船の中に呼びかける。

 幸い、人はすぐに来た。正直あのハルっていう人とペリー君以外はほとんど記憶にないんだけど、向こうはボクのことを覚えてくれてた人が何人かいてくれたおかげで、比較的スムーズに乗せてくれた。


 それから彼らに、幕府の要人が名代を立てて手紙を持ってきてるってことを伝えて、ペリー君への取り次ぎを頼む。

 これにはアメリカ側も相当驚いたみたいで、やや騒然となりながらも一人がすごい勢いで走り去っていった。


「……と、まあ今はこんな感じですかね」

「なるほど……」


 ボクの概要説明に頷きながらも、正篤君は船の様子に興味津々だ。

 彼自身は、先日の横浜でのアメリカ艦隊来航には直接かかわってなかったからねえ。外から蒸気船の様子は見てたかもしれないし、その様子は人をやれば知ることもできるだろうけど、船の中のことは乗らないとわかんないもんね。

 はてさて、開国派の彼はこの船の様子をなんて思ってるのかな?


『おいクイン! 提督がお会いになってくださるそうだ!』

『おー、ありがとー!』

『それはいいが、くれぐれも粗相のないようにな!』

『わかってるよ、いくらなんでもそんなへまはしないってば』


 戻ってきた水夫とそんな会話をしつつ、彼の案内で船の中へと入っていく。

 船の内部構造自体は、幕府に設計図を渡した時におおまかにだけど記憶してるんだけどね、実は。その仕組みや内部事情がばれてるってことは、思ってもみないだろうねえ……。


『ペリー提督! 使者殿をお連れしました!』

『よろしい、入ってもらいたまえ』

『はっ!』


 かくして扉が開き、ボクたちはペリー君の……恐らくは執務室と思われる部屋に入った。案内に来ていた水夫は、すぐに立ち去る。


 出迎えてくれたのは、まあ言わずもがなペリー君。相変わらずでかい。ボクの背丈で言うと、思いっきり上を見上げないと顔が見えないなあ。

 それは、正篤君としてもあんまり違わないんだけどね。こうして見ると、日本人ってやっぱり小柄だ。


「ようこそいらっしゃいマーシタ、私が提督の、ペリーデース」


 初めて見る超長身の外国人に、正篤君は完全に硬直してた。

 友好的な笑顔を浮かべつつも、手を出しながらずいっとペリー君が迫ってきたものだから、正篤君がびっくりして後ずさったのも仕方ないことだと思う。

 握手はあっちの挨拶の一つって教えておいたんだけど……見た目のインパクトが強すぎたみたいだ。


 とはいえ、ボクが先に手を出すわけにはいかない。立場ってものがあるのだ。なので、正篤君の肩をつかんで前に出す。


「堀田様、片言ですけど日本語ですよ。さあ、まずは挨拶のほうを……」

「あ、う、うむ、左様であるな……」


 ボクの手には、彼が想像するよりも強い力があったんだろう。一瞬ぎょっとした顔を見せたものの、なんとか取り繕って前を見据えた。

 そして、緊張した表情と声音ながら、ぴしっと背筋を伸ばして口を開く。


「こ、このたび幕府より使者として参上つかまつった、堀田正篤と申す。なにとぞ、見知りおきの程を」


 それを通訳し終わると同時に、彼は決死の覚悟をにじませる表情で進み出ると、ペリー君にゆっくりと手を出した。

 それが微笑ましかったのか、嬉しかったのか。よくわかんないけど、ペリー君はにっこりと笑って、その手をそっと握る。そうして少しだけ、二人は握手した手を上下に動かしていた。


 やがて握手を終えると、ペリー君の視線が始めてボクに向く。


『はじめまして、提督閣下。ボクは今回通訳のために同行いたしましたクインと申します。どうぞお見知りおきを』

「イエス、君のことはヘンリーから聞いてマース。あなたの英語、とっても上手ネ。文字は、読めマースか?」

『はい、よっぽど小難しい文章じゃなければ、大体は』

「イエスイエス、それならノープローブレム! この場の通訳はあなたにお任せしマース!」


 ボクの受け答えのどのあたりがよかったのかは正直わかんないけど、ペリー君は上機嫌でそう言った。


 それから、彼が進めたイスに正篤君が座り、その正面でペリー君も座ったところで、ようやく仕事が本格的に始まる。


 以下、ボクがいちいち間に挟まる描写をしても面倒なだけだから、二人の会話をボクが通訳したものってことでやっていくよ。ペリー君が英語と日本語でキャラ違うから、違和感あるかもだけど。そこは勘弁してね。


 まず正篤君が、


「こちらに、我が国の老中首座より、秘密の書状を預かっておりますれば……まずはこちらをご一読くだされ」


 と言って、懐から正弘君の手紙をうやうやしく差し出した。


 それを受け取ったペリー君は、少し困ったような顔をしてから中身を開き……ものすごく驚いた顔をした。


「これはあなたが書いたのか?」

「はい。閣下がお読みになるということで、貧身が知恵を絞らさせていただきました」

「……まさか、日本にこれだけしっかりと英文を書ける人間がいるとは、思ってもみなかった。漢文かオランダ語の手紙かと思ったのだが……」


 ペリー君が困ったような顔をしたのは、そういうことだろう。


 実際、通常の交渉の場でも中浜万次郎君がいなかったら、誰の母語でもない言葉で二度手間のかかるやり取りをしなくっちゃいけなかったわけで。今回の手紙が、まさにそういう代物と思ってしまったのは、仕方ない話だ。

 なのに、ふたを開けてみれば出てきたのはちゃんとした英語の手紙。驚くなっていうほうが無理かもね。


 お察しの通り、そしてボク自身も言った通り、この手紙はボクが書いたものだ。正弘君が書いた日本語の文章を元にしてる。英語のできる人間が幕府には他にいないけど、「間違いないだろう」って言いきってくれた正弘君はすごいと思う。

 まあ、さすがにサインは代筆するわけにはいかなかったから、彼の名前を別の紙に英語表記して「この通りにサインして」って方法で対処したんだけどね。


 ちなみに、正篤君自身は当然ながら英文は読めないので、彼は日本語の原文を持参してる。何か言われたら、それを元に受け答えしてもらうことになる。


「……ふむう……」


 その手紙を一通り読み終わって、ペリー君は腕を組んで唸った。

 さすがに内容が内容だもんな。彼の反応も無理はない話だよね。


「……日本の法律を破ってでも、新たな知識を得ようと命を賭けた二人には、敬意を表する。そして同じ理由で、既存の法律を変えようと動くミスター阿部には感服する」


 たっぷり時間を取って考えてたペリー君の、新しい発言はそんな内容だった。

 そしてそれは、


「さらには、捕縛された二人に理解を示し、ならばと自らの政治家生命を賭した彼の行動力は、手放しの賞賛に値する。同じことをしろと言われて、できる人間が一体どれほどいることか……」


 そう続いた。


 似たような思想を持ち、また日々身を削っている宰相への賞賛に、正篤君もどこか誇らしげだった。


「ただ、ミスター堀田……正直に申し上げて、件の二名がここに乗り込んできていても、私は彼らの要求は断るだろう。彼らを受け入れることで、両国の交渉に支障をきたすと判断して。なぜならば、私はアメリカ合衆国の代表であり、国の利益を最優先にして行動する義務があるからだ」


 けど、次の言葉に肩を落とした。きっと、正弘君の申し出も断られると思ったんだろう。


「しかし、個人的な感情では、受け入れてあげたい。あなたがた日本人が疑いなく研究熱心な国民であり、その道徳的、知的能力を増やす機会は喜んで迎えるべきだと思うからだ。

 ……だから、ミスター堀田。この申し出、私からの条件を受け入れてくれるのであれば、我々はこの要請に応えようと思う」


 そして最後にそう締めくくったペリー君に対して、正篤君は地獄で神様に合ったような表情で顔を上げた。

 彼の百面相は見ていて飽きないけど、今はそれどころじゃない。このタイミングで、一切情に流されないで国の利益を確保しようとするペリー君は、軍人やるより政治家になったほうがいいんじゃないかな。


 まあ、彼らのほうが国力の上でも強いわけで、その対応もわかるけどね……。心意気とか感情とか、そういうのはそもそも本来の政治交渉では最優先すべきことじゃないし。

 知っててもできないやつだっているのにね。誰とは言わない。誰とは。


「条件、でござるか……」


 ……正篤君? そこでボクを見られても困るよ?

 実際はどうあれ、名目上ボクは君の下っ端なんだからさ。そこはもうちょっとこう……こう……がんばって!


「それは、一体どのようなものでござろう?」

「何、さほど難しいことではない。この地の調査をさせてもらいたいだけだ」

「調査……?」

「そう。ミスター堀田がご存じかはわからないが、我々は大統領から日本の環境調査も命令を受けている。そのため、上陸する機会のあった部下たちには、様々な情報を積極的に集めるように言っているのだが……」


 ああ、それ知ってる。あっちこっちで写真撮ってる人いるよね。それに、横浜もそうだし下田でもそうだけど、村の様子を見聞きしてる人とか、食べ物について質問してる人とか結構いた。

 当然、っていうかなんていうか、それを監視する形で幕府の役人が案内してるし、ボクもユヴィル伝いで鳥たちに調査を妨害をさせてる。特に写真の妨害は積極的にやってもらってる。


 それが邪魔、ってことか……。


「案内という名目で、あまりに大勢の人間をつけるのはやめていただきたいのだ。横浜の時から要請はしていたが、結局この要請は通らなかったのでね。それに……」

「……それに……なんでござろう?」

「……鳥に芸を仕込むのも、やめていただきたいものだ」

「……鳥?」


 あ、あれバレてたんだ。いや、あんだけ露骨に写真を邪魔したら、勘づくか。


 正篤君は野鳥による妨害活動は当然知らされてないみたいで、たた首をかしげるだけだ。ここはボクもしらばっくれて、不思議そうな顔をしておこう。


「ミスター阿部に言っていただければ、恐らく彼には伝わるだろう」

「はあ……承知つかまつった……」


 ペリー君はそれでも、断言する形で締めくくった。

 まだ疑問はあるだろうけど、とりあえず正篤君はそれに頷く。


「……ああ、これも申し上げておかなくてはならない。定員と食料のことだ」


 けど、ペリー君はまだ畳み掛けてくる。


「仮に私の要請が通ったとしても、渡航を望む人間すべてを乗せるわけにはいかない。私は祖国が作り上げた船に自信と誇りを持っているが、過信はしていない。どれだけ多く考えても、連れていける人間は五人がせいぜいと言ったところだろう」

「五人でござるか……」

「我々の手法で、我々の船の航行を手伝える技術がある人間なら、もう少し譲歩できるのだがね」

「……それは無理でござろう。我々はまだ、西洋船の構造すらほとんど知らないのだ……そうか、足手まといを増やすわけにはいかない、と……」

「ご賢察痛み入る。そう、だからこそ最大でも五人だ」


 ペリー君の指摘が妥当なのかどうかは、ボクにもわからない。ボクだって、船のことは素人なのだ。


 それにしても、なんていうかペリー君はホントにドライだな。こういうところで自分たちの不利益になりそうなこと、リスクは極力避けようとしてるような感じだ。


「それから、そちらから乗る人数に応じて食料の追加補給をお願いしたい」

「乗る人間の分は、我らがすべて負担しろ、と申されるのか?」

「そうとも言えるかもしれない。しかし、これは理解していただきたい。蒸気機関の発明によって遠距離後悔は格段に容易になったが、食料の問題だけはどうにもならないのだ。画期的な食糧保存方法でもあれば、話は別だがね」


 うん、まあ、そりゃそうだ。これについては全面的に向こうの言い分が正しいだろうね。

 まして、日米の間には陸地がほとんどないし。魚はまあ、がんばって釣れるにしても、野菜とか水なんかはそうそう簡単に手に入るものじゃないよね。


 ……冷蔵庫とか、なんなら時空保存庫でもあればだいぶ楽だろうけど。それはわざわざ彼らに与えていいものでもない。


「……その旨、しかとお伝えいたしまする」

「よろしくお願いする。では、私も返事を書こう。少々お待ちいただきたい」

「承ってござる」


 と、まあ大体こんな感じで、手紙のやり取りはなんとか無事に終わった。


 正弘君の返事は、ほぼ「了承」の即答だった。翌日には返事を出し、正篤君を名代として密約をさっさと結んでしまったのだ。彼はやっぱり何かに目覚めたんだろう。


 これによって、アメリカ人たちは下田周辺での行動にかかっていた制限から解き放たれた。そして、これまで滞っていた調査を一気に進めようとしてか、かなりの人が船から降りてきたみたい。

 ペリー君が、人数制限を設けて日本側に益を与えないよう軽挙妄動を密に取り締まってたのは、さすがって言うべきかな。


 まあ、とはいえ彼らの監視がなくなったわけじゃないけどね。彼らを見ていたのは、日本人だけじゃないから。そして、鳥はわりとどこにでもいるものだ。


 これに前後して、ボクは寅次郎君たちと一緒に渡米させる人材の選定に入る。

 とはいえ、すぐに人を用意できるわけでもないから、それまでは通常の仕事……表向きの交渉も、継続して見守るのも忘れちゃいけない。


 そんな感じで、11日があっという間に過ぎていった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


ペリーはできる人だというのが作者の見解です。主人公がどんどんしょぼくなっていく気がする……w

日本語と英語でまるでキャラが違いますが、彼の場合キャラが違うというより意図的に使い分けてるというイメージで。

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