第五十七話 渡米せよ~松陰先生、乗船前に捕まる~
3月24日(4月21日)、アメリカ艦隊が下田に入り、了仙寺とやらで再び交渉が始まった。
とはいえ、今回の交渉内容は先に締結した日米和親条約の捕捉をするためのものなので、そこまで侃侃諤諤のやりとりにはならないだろう。
多くの幕閣が「越権行為だ」として修正を求めていた開港地周辺でのアメリカ人の移動範囲についても、正弘君たちが関係各所に説得に当たって、修正を求めないってことでなんとか落ち着いてる。
これを言うなら二カ月近くはかかったかもしれないけどね。
ただ、これとは別に幕府……というよりは、正弘君を筆頭とした開国派の人間は、アメリカになんとか人を送れないか交渉したいらしい。これが長引きそうだ。
主に、幕閣の中で。
そもそも、渡航行為は幕府にしてみれば国禁だ。それでも、とかく前例や慣習を重要視するこの国では、幕府の要職にある彼らでも覆すのは一筋縄じゃいかないらしい。
アメリカの視察と共に、領事を置くための布石にしたいってのが派遣理由になるけど、それでどれだけの人間が認めるかなあ。そもそも、その意義を理解できない人も結構いるんじゃないだろうか。
ボク個人の意見を言わせてもらうなら、状況に応じて国の形も変えられないのは愚かでしかないと思うんだけど、ね。
ちなみに日本側の代表は、和親条約の時と同じで林復斎君。まあ、彼ならよっぽどのことがない限り下手はしないだろう。通訳も変わらず、中浜万次郎君だ。
そしてボクは、前回と同じように忠震君と一緒にモニタールームで監視。
アメリカ側が、あるいは攘夷過激派が下手なことしないように、事件を未然に防ぐのもボクたちの仕事ってわけだね。
「交渉が終わる前に、なんとか渡航禁止を解ければいいのですが」
「ちょっとそれは無理かもね。それをするためには、まだ正弘君には政敵も多いもの」
「やはりそう思いますか……彼らの出立に間に合わせたいのですが」
「無理なら無理で仕方ないよ。いくらなんでも、老中首座が自分からルールを破るわけにはいかないしね」
「……仰る通りです」
横浜護国寺より圧倒的に狭いモニタールームで、ボクたちはそんな感じで言葉を交わす。
案の定って言ったらあれだけど、今のところ特に問題になりそうな話は出てこないから、少しだけ気楽だ。
「そういえば、黒船が一隻いなくなっていますが、それが例の?」
「ああ、サラトガ号だね。うん、事前に知らせた通りアメリカに向けて動いてるから」
「さすがに、海を越える電信はできないのですね……その偉業は、わが国で成し遂げたいものです」
「うん、同感だ」
電気関係の話はまだよくわからないから、その辺りは日本に丸投げすることになりそうだけどね。
でも、興味はあるから研究の場所には顔を出してみたいな。もしかしたら、魔法工学にも流用できる技術とか素材があるかもしれないし。
そんなことを考えながら始まった会談は、少なくとも初日の段階ではとても穏やかなムードが漂っていた。
長くなるのか、短くて済むのか。ボク個人としてはもちろん短いほうがいいけど、それで不利なことになるわけにはいかない。
林君にはがんばってほしいところだな。そう思ってたんだけど。
ほどなくして、事態は会談とは別の場所で動き始める。
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それは、3月28日(4月25日)の未明のことだ。
ユヴィルから「下田沖に停泊しているアメリカのポーハタン号に向かう小舟あり」との知らせを受けたボクは、幕府の警備員たちに通報して急行させた。
彼らの行動は迅速で、問題の小舟は即座に拿捕されて乗っていた二人の男もまた、捕縛された。
捕まった男の名前は吉田寅次郎、および金子重之輔。共に長州出身の若い男だ。
取り調べによると、アメリカまで連れて行ってほしいとペリー君に訴えるつもりだったんだとか。なんでも、海外の進んだ事物を実際に目で見て学びたかったらしい。
けど、ホントか?
いや、その理由自体はすごいと思うよ。今の日本に足りてないのは、自分たちより進んだものを持っている外国を素直に認めること、それを取り入れるため柔軟な発想をすることだ。だから、国禁の渡航を犯してまで外国に行こうとした、それは素晴らしいことだと思う。
たださあ。そんなすごい人材がいたのか! と思って調べたみたら寅次郎君ってば、去年ペリー君が来た時の所感を友人宛ての手紙で「次に来る時こそ我が日本刀の切れ味を見せてやりたい」なんて書いてるんだよね。
うん? って思うよね。
で、そこから詳しく調べてみたら、何のことはない。彼らは生粋の尊王攘夷派でした。
しかも、めちゃくちゃ過激なの。特に寅次郎君なんか、国のためには幕府の政治家たちを殺してでも排除しなければならないとか言っちゃってるの。考え方がただのテロリストだ。自分の意見を通すために他人を殺すなんて、人として間違ってるだろう。魔人のボクが言っても説得力はないかもしれないけどさ。
そして案の定、先の取り調べでの供述は、ペリー君を暗殺するという目的を隠すための嘘だった。
黒です。めっちゃくちゃ黒です。
ただ、彼らの行動は完全に独断だった。前回の横浜と違い、扇動者がいたとかそういうことはない。だから、あんまりことを大きくする意味はない。
江戸に送って、幕府の法に従った処罰を受けてもらえばいいだろう。そう思って、警備員たちに任せたんだ。
……任せたんだけど。
その後、江戸にいる正弘君から急きょ彼らのことで相談したいことがある、って連絡が来た(正弘君には通信アイテムを渡してある)んだ。
はてさて何があったんだろう? って思って江戸の彼の屋敷に飛んでみると。
「あの二人を渡米させたく思うのだが、力を貸していただけないだろうか?」
「……まじで?」
「拙者は本気ですぞ」
思わず聞き返したけど、確かに正弘君は真顔だった。その目には一切の揺らぎもなく、ただボクの目だけを見ている。
「理由を聞いても?」
「素直に、アメリカという国を直に見聞きした人間を増やしたい、という理由が一番ですな。やはり、彼の国と我が国は、文化の違いを差し引いても相当に技術に開きがあることは認めなければ」
「ふむ。一番、ってことは他にもあるんだよね。っていうか、それは多分建前でしょ? 本音は?」
「貴殿の部下を、少しでも早くアメリカに潜入させたく」
「……うん?」
ちょっと一瞬理解が遅れて、思わず首をひねった。
数拍開けて、ようやく理解が追いついたボクはなるほどと頷く。
「まあ、そうか。ヨーロッパの情報をできるだけ素早く確実に手に入れたいのはボクも君たちと一緒だもんね。でも、そこに幕府の人間が行くのは、まだ難しい」
「左様。さらには、我らには情報を伝える手段がありませぬ。ですが、貴殿たちは違う。距離に関係なく、情報量に関係なく、伝達することができる」
「なるほどなるほど」
うん、利害は一致した上で、ボクたちにしかできない仕事だ。
でもこれをただ依頼するだけだと、決して小さくはない借りを作ることになる。何せ、さすがのボクたちもアメリカに今すぐ乗り込むだけの余力はまだないし。
だから渡米を掲げてアメリカ船に乗り込もうとした人間を、過激派とわかっていても利用しようってことか。そうすれば、自分たちも視察って名目を得て船を利用できる。それに便乗させるって形を取れば、うちと日本の関係は実際はどうあれ表向きは対等になる。
だからこそ「相談」か……考えてるなあ。
「じゃあ、うちの誰かを彼らの友人か何かって言って送り込むかい?」
「いや……ここは脱獄の手引きをしていただきたい」
「ふむん。つまり、過激派の仲間と偽って救出させる?」
「然り。連中には身内に甘いという特徴がある。特にあれくらいの若い人間はそれが顕著ですからな。同じ志を持つ者が助けに来たと言えば、態度は軟化するはず」
「それで、一緒にペリー君のところに行ってもらう、と」
「これは林大学頭らから聞いた話を元にした拙者の勝手な想像ですが、彼の御仁は国を想って知識を得ようとする人間を無下にはしますまい。それだけの器を持った御仁であろうと」
「んー……まあ、頼られれば悪い気はしないだろうけど。ただ、彼の性格からいうと、たぶん断られるよ。彼は人情より任務を取ると思う。現状で日本の法律を犯すことを助けるのは、交渉人としては立場悪くするだろうし」
「む……左様か……」
「事前に幕府の偉い人……たとえば君クラスの要人から、話を通しておく必要があるかもね。国是に反する行為だが、今すぐにでも他国の優れたところを知らねばならないと思い、とかなんとか理由をでっち上げて」
でっち上げるって言いつつも、それは今の日本に必要なことだと思うことだけどさ。
それでも、簡単にできることじゃないよね。特に、ペリー君と話をつけるって簡単に言うけど、そもそも日本的には国是を破るわけだし。いかに政府高官って言っても、やっていいことと悪いことがある。
「ならばその責は拙者が負えばよろしかろう。この首を祖国にささげられるならば、それは名誉というもの」
ところが、正弘君はためらうことなくそう言った。
どうしたんだ。前々から思ってたけど、本当にキャラ変わったよね。
「……君も最初に比べてだいぶ変わったね」
「変わらざるを得なかった……と言ったほうが、正しいでしょうな。貴殿を通じてより多く、より正確な情報を知れば知るほど、強力な指導者が大ナタを振るわねばどうにもならぬ状況だと思うようになったのです」
「だからって、一人でしょい込まなくってもいいと思うけどね。あんまり一人で抱えてると、後に響くよ?」
「……そうですな、信頼できる腹心はより多く必要ですな」
「あとは、後継者かな。君もまだそこそこ若いほうだけど、人が死ぬタイミングなんて誰にもわかんないだしさ」
「……肝に銘じておきましょう」
今の発言は、直前に「首を捧げる」なんて言った人に言うのはちょっとまずかったかな?
でも、封建時代なんてのは命の値段は軽い。政敵に隙を見せたら殺される可能性はベラルモースよりよっぽど高いだろう。備えといて損はないと思うんだ。
「さて話は戻して……責任を取る立場は君でいいとして。誰を使者にするの? 手紙を届けるくらいならボクでもいいけど、君たちの立場で発言はできないよ?」
「うむ……しからば……」
ボクの指摘を受けて、正弘君は少しだけ考えた。
けれど、その間は長くなかった。ほどなくして彼は口を開いたのだ。
「……佐倉の堀田正篤殿を名代といたそう」
「……確認のために一応聞いておくけど、そこは他の老中じゃないんだね。牧野忠雅君とか、松平乗全君とか……なんなら松平忠優君なんて、明確な開国派でしょ?」
「無論です。場所は我が国とはいえ、船の中は異国も同然。そんなところに、老中をそのまま使者に出すわけにはいきませぬよ。その点、堀田殿は適任と言えましょう。かつて老中を経験しながら今は要職にはなく、他よりも明確に開国を掲げるお方ゆえ」
「理路整然とした返答、ありがとう。そこまで考えてるなら、ボクから言えることはなにもないね」
わかってはいたことだけどね。
少なくとも、政治家としての器はボクなんかより正弘君のほうがよっぽど上だもの。
「その上で、一つ。護衛と、あと通訳として貴殿の側から一人用意していただきたいのだが……」
「ああ、いいよ。そうだよね、一人で行かせてもわかんないよね。向こうにも漢文やオランダ語がわかる人はいるみたいだけど、迂遠なのは間違いないし」
「左様。そして敵地にたった一人というのは、あまりにも酷……」
「おっけー、その話任された。せっかくだ、ボクが直接行こう。うちでも英語が使える人材はまだほとんどいないし、ペリー君の様子を直接見聞きできるいい機会だ」
「できれば、その時についでに映像機器も持ち込んでいただきたいのだが……」
「ああ、会話の記録と観察のためだね。任せてよ」
この世界のこの時代、詳細な記録機材はボクたちが持つ大きなアドバンテージの一つだ。これを使わない手はない。正弘君、わかってるね。
「うむ、ぜひお願いいたす。……それから決行についてだが、これは今しばらくお待ちいただきたい。堀田殿は近いとはいえ現在は国許においでだし、事情を納得していただくためには少々時間が必要になるゆえ」
「あはは、いくら開国派とはいっても、老中首座が国禁を積極的に破ろうとしてるなんて聞いたら驚くだろうね」
「左様。……まあ、堀田殿ならばその辺りのことはご理解いただけるはずと思っております。かのお方はただ開国するだけでなく、通商もいち早くすべきという意見をお持ちゆえ」
「そりゃまた相当だね。そこまで断言してる人は、まだなかなかいないのに」
「左様。ゆえに、拙者はそこまで心配はしておりませぬよ」
「おっけー。それじゃあ、準備ができたらまた呼んで。それまでは今まで通り、忠震君と一緒に交渉の監視をしてるからさ」
「了承いたした。では、その時にまた」
こんな感じで、この日の密談は終わった。
その後、寅次郎君と重之輔はボクにとってもなじみのある伝馬町牢屋敷に入れられて。いろんな人たちの思惑から「処刑すべき」「国許につき返すべき」なんて議論の対象になったみたいだ。
この議論に結論が出るよりも早くことを進めなきゃいけないってことで、正弘君も相当な綱渡りをしたみたいだね。そりゃあ、参勤交代の時期でもないのに国許にいる国主を呼び出すなんて、相当な事態だし。
まあ、その辺りの政治的な駆け引きはボクの領分じゃない。なんだかんだで上手く行ったみたいだし、ボクが口をはさむことでもなかっただろう。
そして4月3日(4月29日)。いよいよアメリカの船に、秘密裏に乗り込む時がやってきた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
皆さんお待たせしました、吉田松陰の登場です。まだ名前だけですが。
史実なら乗り込んで断られてから自首する流れですが、今作ではクインが見張りを置いてるのであっさり捕まりました。しかし……?
なお、彼がポーハタン号に乗り込む理由を今作では「ペリー暗殺」としていますが、この説は当時から根強いものです。
まあ、本人がそのあたりのことを明言することなく亡くなってるので、実際のところは誰にもわかりませんけどねー。