第五十五話 それぞれのその後
うわあ長くなった……。
クインから伝えられた徳川斉昭の所業は、寝ぼけ眼だった老中首座・阿部正弘を即刻覚醒させるには十分すぎた。
と同時に、彼はその内容に頭を抱える。この大変な時期になんということをしでかしてくれたのだ、というのが彼の偽らざる本音であった。
まだアメリカとの交渉は完全に終わっていない、というのが正弘の考えだ。こんな時期に大名家、しかも親藩の頂点に立つ御三家が起こした不始末となれば、国内にどれほどの影響を与えるのか、予想もつかないことであったのだ。
だが、ことはそれだけに収まらない。
そもそも、江戸時代において強姦は非常に重い犯罪である。その刑は重追放(犯罪を犯した国と主要国、それに武士ならば居住地からも追放)だ。まして、夫を持つ女を犯したとなれば、死罪になることすらあった。
もちろん身分制度のある時代のことだから、その内容はそれぞれの身分によって多少の違いは出るのだが。
問題はそれだけではない。
幟子という人物の出自は、皇室の一族である宮家である。もし彼女が男に生まれていたら、皇位継承権すら生じる家に生まれたのだ。
そしてこの時代の武士は、大なり小なり尊王の意識を持っていた。だからこそ外国人を打ち払おうという攘夷論がそこに組み付いて尊王攘夷論となるのであるが、それはさておき。
大半の人間が尊王の気風を持っている中で、その対象である天皇に最も近い宮家の娘を犯す。これがどれほどの大事であるかは、言うまでもないだろう。
ただでさえ重罪の強姦だ。しかも有夫の女に対して。ことの次第から言えば死罪はほぼ当然、水戸徳川家そのものが取り潰しになってもおかしくない。それくらいのことを、徳川斉昭と言う人物はやってのけたのである。
これがただの強姦であれば、御三家という立場からしてなんとかごまかすことはできただろう。そして史実通りに歩んでいた日本ならば、この大事も実際無理にでもなかったことにされていただろう。
だがこの世界では、その決断をするわけにはいかなかった。
幕府に強烈な支援を約束していたクインが、断固許さぬという態度を貫いたからである。
今の幕府にとってクイン、そして彼に連なるダンジョンの存在は、もはや無視できない。それだけの恩恵を、1年にも満たないわずかの間に受けてきたのだ。本人にその認識は薄いが、彼の発言はそれだけの影響力があるのである。
だからこそ、正弘は即時に配下を率いて動き、事態の収拾に当たった。そうして、その日のうちにことの顛末を「尊王の精神を持つべき武士にあるまじき蛮行」として公表するとともに、「帝より大政を委任された幕府として断じて許すわけにはいかぬ」と水戸徳川家を取り潰すことを発表する。そして有無を言わさず、その内容を迅速に遂行した。
水戸徳川家はもとより、諸藩から朝廷の公家たちに至るまで多くが当初はこれに反対したが、クインの差配によって正弘に届けられた証拠は、彼らを黙らせるには十分だった。
何せこの時代、現代のような進んだ道具や技術はなく、証拠となるのはそれこそ書類くらい、あとはせいぜい内部からの密告くらいだ。そしてその通りに現場に死体があった上に、密告してきた女は被害者である幟子本人からことを頼まれたと言っているのだ。
強要された自白すら十分な証拠だったこの時代においては、それだけでほとんどの人間を信じさせるに十分すぎるだあった。しかも、尋問によって上屋敷の人間から複数の証言も取られた。もはや、斉昭にこれを逃れるすべはなかった。
そして、多くの人間は思った。徳川幕府いまだ侮りがたし、と。結果的に、副次的ではいえ幕府の権威が回復したことは、幕府にとってはまさに勿怪の幸い(妖怪の名が由来の言葉である)だったと言えよう。
かくして、水戸徳川家の取り潰しは実行された。
まず、その石高は35万石から24万石へと改められた。とはいえ、これは2代光圀が数値を多く見積もって報告し、以来受け継がれていた数値を現実に即したものに直しただけであり、実際には土地の広さは一切変わっていない。
ただし、数値が正しくなったことにより、それまで名目上の石高の体裁を保つために確保されていた藩士は多くが再雇用されることなく浪人となった。
そもそも幕府からは借金をし、それを返すために藩士の給料を切り詰めていた国である。残った藩士は、新しい24万石の体裁の維持に必要なはずの人数より更に少なかった。
そして主犯である斉昭は、八丈島へ遠島。
これは当然だが名目で、クインがダンジョンに引き取り幟子の魂自身に殺させた。その細かな内容は多分にえげつないため、ここでは割愛する。
一方、当主慶篤は水戸藩の支藩である宍戸藩預かりとなった。
これで空きができた水戸には、尾張徳川家の支流である高須松平家の第11代当主、松平義比が新たに藩主として入ることに決まる。
高須松平家は徳川宗家の支流である御三家の一つ、尾張徳川家のそのまた支流だ。そんな遠いところの血筋がなぜ急に御三家の後釜に座ったのかについては、政治的な駆け引きが存在する。
高須松平家の親とも言える尾張徳川家だが、幕末のこの時代、既に初代からの直系の血筋は絶えていた。10代目から13代目までの4人の当主は、徳川宗家を継いだ8代吉宗の血統からの養子で賄ってきていたのである。
第11代に至っては、一度も領国尾張の地を踏むことなくその生涯を終えている。そんな事態が続いたことで、尾張藩士の将軍家に対する不満はじわじわと膨らみ続けてきたのであった。
なんとか14代目当主は支流高須松平家から取り、幕府からの「押し付け」を回避したのだが、何十年と溜めてきた不満はいまだに尾張徳川家にくすぶり続けている。
そのため、水戸徳川家を一新する上で高須松平家から人を、というのはある意味で尾張徳川家の「趣向返し」であった。御三家である尾張徳川家の当主を輩出したことのある家柄であるから、同じ御三家の水戸徳川家の当主にすることに問題はなかろう、ということである。
こうすれば御三家は尾張、水戸の二つが尾張の系列が担うことになり、その発言力は否応にも増す。まして、尾張徳川家の現当主慶恕は、義比の実の兄だ。今までのような幕府からの扱いはさせない。そんな狙いであった。
この、尾張徳川家に優位な決定の前には水面下で様々なやり取りがあったが、大藩とはいえ決して裕福ではない土地を治めることを嫌った者が多かったこと、アメリカの艦隊が函館から戻ってくる前に決着すべしという認識が幕府にあったことなどから、結局最初に自薦した高須松平家がその座に就くことで決着。
これにより、松平義比は現将軍家定から偏諱を受け、徳川定徳と名前を改める。そして嘉永7年3月20日(1854年4月17日)、新たな水戸徳川家当主として江戸の上屋敷へと入った。
この一連の流れを知り、特に激怒した二者が朝廷にいる。
自殺した幟子の実家である有栖川宮家の一同、それから時の天皇である孝明天皇だ。
有栖川宮家一同の激怒については、言うまでもないだろう。特に現当主であり幟子の父親と兄である幟仁親王と熾仁親王の怒りは相当のものがあり、幟仁親王などは届けられた娘の遺書を読んだその場で刀を取ったという。
だが彼らは幕府の剛腕とも言うべき仕置きには納得を示し、自分たちに代わって元凶を誅した幕府……と言うよりは、阿部正弘という個人に対して、以降信頼を寄せるようになる。正弘が極めて貴重な氷を用いてまで幟子の遺体の保持に努めて京に移送し、葬儀を執り行ったことも大きい。
氷を用意したのがクインであることは言うまでもないのだが、ダンジョンの情報がいまだほとんど入らない京に住む親王がそれを知る由もない。
ともあれ結果として、朝廷の重要な位置に存在する宮家の一つが佐幕派へ立場を変えるのに、そこまで時間はかからなかった。
そしてもう一人。孝明天皇も、宮家に負けず劣らず激怒した。
彼は天皇という立場に権力がないことを自覚している。しかし一方で、そこに付随する価値も理解していた。すなわち、天皇と言う存在がすべての日本人にとっての象徴として、団結するための旗印であるということを理解していたのである。
だからこそ、そんな己の身内に対する侮辱的な行為を心底から怒った。
元々、孝明天皇は関白である鷹司政通と共に、尊王の代表格とも言える斉昭を信用していた。そんな彼にしてみれば、斉昭の行為は途方もない裏切りにも思えたのだろう。
普段政治に口を出す権利のない若き天皇が、「奸賊」という苛烈な表現を用いて声明を出したのだから、それがどれほどのものかうかがい知れると言うものである。
そんな反応を示した皇族とは反対に、水戸徳川家の断絶に渋い顔をした者もいる。朝廷に仕える一部の貴族たちだ。
彼らに共通した特徴は一つ。斉昭と同じ、熱烈な攘夷派だったという点である。
斉昭は、今までもずっと幕府の動きを彼らに報告し続けてきた。クインがかつて断じた通り明らかな背信行為であるが、幕府に対していい感情を持っていない公家たちにとっては、間違いなく有益な存在であったのだ。
その情報源が断たれた。これによって、朝廷……そしてそこに紐づいていた過激な攘夷派の活動は停滞を余儀なくされる。彼らはまず、江戸での新しい情報源を手に入れることを強いられたのだ。
こうした結果を引き寄せた正弘の「水戸徳川家取り潰し」は、おおむね世間から高評価を得た。そして、のらりくらりとした態度で捉えどころのない曲者の政治家、というイメージから呼ばれていた「ひょうたんなまず」の異名は次第に影をひそめていくことになる。
だが正弘は、自身の異名の行方などどうでもよかった。
彼はただ、この決断で画策していた「朝廷における幕府の理解者」を得たことに、心底安堵の息をついていたのだから。
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幕府から青天の霹靂とも言うべき水戸徳川家取り潰しの沙汰が発せられたとき、最も混乱をきたしたのは誰であろう水戸藩士たちである。しかも大量の藩士が解雇となったのだから余計だ。
世間からおおむね評価を得られたこの決定であったが、当然ながら水戸の人間(武士階級に限る)からは不評であった。不評、というよりは怨嗟を向けられるほどであった。
そのためこれに不服として、多くの旧水戸藩士が江戸城に殺到したのだが、中には勝手に江戸城の中に踏み込もうとして捕縛されたものも多かった。
江戸城は一定以上の身分、あるいは許可がない限り入れない。それはこの時代の常識である。正当な手段で抗議を行わないものが捕縛されることは、この時代とて同じであった。
そして、こうした旧水戸藩士たちはさらに世論によって白眼視された。
そもそも、道理に合わないことをしたのは水戸なのだ。確かに彼らにも生活があるだろうが、もっとも人口の多い身分は武士ではない。そしていかに封建時代のただなかとはいえ、民衆の意見を完全に無視できる特権階級などいないのである。
かくして、職を失った旧水戸藩士の多くが浪人となり、諸国に散った……と思いきや、そんなことはなかった。
彼らの多くは探索者としての身分を獲得し、そのまま江戸にとどまり続ける道を選んだのである。
確かに、探索者として江戸前ダンジョンに潜れば、ある程度腕が立つ者なら十分な稼ぎを得られる。それ以外のものが手に入ったとしても、たとえよくわからないものだろうと幕府が買い取ってくれるのだから、次第に文句は出なくなった。
だがその状況を臥薪嘗胆と称し、探索者という名目を利用して動き出した男がいた。
その名は藤田東湖。斉昭の腹心として今日まで腕を振るってきた男である。
史実においては水戸学の大成者と言われ、多くの幕末志士たちからも尊敬を集めた男でもある。
彼は斉昭捕縛の直前にとある命令を受けて、水戸の領国に出向いていた。そして、その命令に従って水戸徳川家が保有していた武器の数々を秘密裏に運びだし、江戸に持ち込もうとしていたのである。
その状況で届いた凶報に、彼は怒りはしたが取り乱しはしなかった。その場でひとしきり愕然とした後、誰よりも早く我を取り戻して配下を取りまとめたのである。
「よいか、我らはこのまま斉昭公の命令に従い武器の輸送を続ける!」
そう言って、彼は己が受けていた命令の内容を初めて全員に明らかにした。
彼が斉昭から受けた命令。それは、「武装を整え」「探索者にまぎれてダンジョンの隙を探り」「いずれ機が満ちた時に中へ攻め込む」ことであった。それによって、この国のあるべき姿を取り戻すのだ、と。
その命令の根拠は、ダンジョンの存在こそが現状の幕府の強硬な姿勢の原因だという半ば妄想めいた推測でしかなかったが、東湖はこれを信じた。
元々、二人は物事の考え方や発想が似ていた。だからこそ、東湖にとって斉昭の着眼点は決しておかしなものには感じなかったのだ。
かような経緯で、彼らの計画は始まった。
斉昭自身は表向き永蟄居を受けていたため、江戸から動くことができなかった。そのため、腹心であり直接ことの相談を受けた東湖がその遂行人となる。
その時彼の心に宿ったのは、義憤とも言うべき感情。間違いなく正しいことをしているという高揚感であった。そして、二人の中に同じ志が生じる。
ダンジョンにすべての元凶がおり、我々はそれに気がついた数少ない者である。そして、その誘惑に屈することなく立ち上がろうとしたのが斉昭である。幕府は誘惑に屈し、神国日本を穢そうとしている。そのため、幕府もダンジョンも誅さねばならない。これは天誅である、と。
だからこそ、たとえ斉昭が江戸からいなくなったとしても、自らが仕える藩がなくなっても、その手を止めるつもりは東湖には一切なかったのである。
むしろ、斉昭が表舞台から強制退去させられたことでその意志はより強固になったと言えよう。連絡が来たその瞬間から、彼にとって斉昭の最後の命令はある意味で遺志となり、必ず守るべき遺訓へと昇華されたのだ。
その根拠が、証拠も何もないただの推測でしかないはずなのに、である。
だが、こうした話を東湖から聞かされて、奮い立たない旧水戸藩士はほとんどいなかった。
そもそも、解雇によって路頭に迷うであろうことは確実だったのだ。ならば、不当に負けず正義のために戦って散ることは、武士としては誉れであると思ったのかもしれない。
かくして東湖はその日から、慎重に慎重を重ねて少しずつ江戸に様々な武器を運び込んだ。そして先に探索者として活動し始めていたかつての藩士たちを、言葉巧みに誘い込んで人数を増やしていく。
そうした人間の流れ、物資の流れを、クインが把握することはなかった。幕府の沙汰が完了するに従って、斉昭にまつわる一連の騒動は終わったと判断し、諜報の手を引いてしまっていたからだ。他に調べることはいくらでもある、と。
このため、東湖は特に目を着けられることなく、斉昭の命令を遂行する日を虎視眈々と狙うことになる。
「待っておれよ、化け物ども……我らの正義の鉄槌を、いずれ必ず下してくれる! 斉昭様……貴方の意思は我々が継いで見せまする! そしていつか、貴方をお救いいたしますぞ」
誰にも気づかれぬよう、斉昭を神棚に見立てて東湖は語り、祈る。
この時、彼は49歳を目前としていた。この時代の一般である数え年で言えば、既に50歳。
男・藤田東湖、老齢にさしかかって得た、これまでの人生すべてを賭した挑戦であり、使命であった。
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彼女が気づいた時、その心は既に己の元を離れただ暗いうつろな空間にたゆたっていた。
周囲を彩るものは何もなく、周囲を周囲足らしめる「他」の存在すらなく。認識できる数少ない感覚は「寒い」であり。
上も、下も、左右も。その一切を知覚できない場所を見て、彼女は理解した。ここが彼岸であると。それは彼女の思う彼岸にあまりにも一致しすぎていたからだ。
ならばなぜここにいるのか。それは恐らく、やりたいことをやり終えたからだろうと考える。
三途の川を渡ることなくやってやろうと思っていたことは、はからずも伝説の存在に力を借りることで成し遂げてしまったのだ。だから恐らく、未練をなくした己は自然と川を越えてしまったのだろう、と。
そう考えたところで、彼女はふと声を聴いた。
「安心いたせ、姫君よ。そもじの魂はまだ失われておらぬ」
鈴を鳴らすような、女人の声。透き通ったギヤマンにも似た雰囲気の、美しい声音であった。
思わずどきりと心臓が鳴るような感覚を覚えた彼女は、肉体があったなら顔を上げたであろう声。その声が聞こえた……ような方向に意識を向けてみる。
するとそこに、金色に輝く何かがあった。
輪郭はうっすらとぼやけ、少しずつ、少しずつ金色の燐光が立ち上る何か。その姿は四足の動物に似ていて、けれども尾と思われる九つの輝きがふわりと揺れるのを見て、それが何者であるかを彼女は察した。
ばらばらになりかけていた彼女の魂を繋ぎ留め、復讐のためにその強大な力を分け与えてくれた存在。
その名を、玉藻御前。かつて鳥羽上皇を取り殺そうとした、伝説の妖怪だ。
もっとも今は石に封印されて別の名前を使っているそうだが、今の名前は嫌いだから教えたくないと拒否されたので、彼女は便宜上玉藻と呼んでいた。
「やあ、あの夜以来じゃな。すまんの、ちとあれこれとやることがあって遅れてしもうた」
そう言って肩をすくめる玉藻に、了承を返しながら彼女は思う。
まだ己の魂が失われていないなら、一体ここはなんなのかと。そして、己はこの後どうなるのだろうかと。
「うむ、その辺りのことをまず説明せねばな。まずここは、妾の持つ一種の固有結界。肉体を失った魂が死滅することを防ぐための場所じゃ。かつてはここに大量の魂を保有して保存食としておったが、今はそんなことをする必要はないゆえ、周囲には何もないというわけじゃ。まあ各々が思い描く死後の世界を反映されておるから、人によって印象は変わるんじゃけどな」
かかかと笑う玉藻の姿に、悪びれた様子は一切ない。
やはりこの眼前の相手は人間ではないのだと、改めて彼女は思った。
「なぜここにおるかじゃが、この後のことについてかかわりがある。そもじと話したいことがあってな、ここに留め置かせてもらったのじゃ。ここまではよいかの?」
玉藻の言葉に是を返し、彼女は次の言葉を待つ。
それに頷いて、玉藻が再び口を開いた。
「この後のことじゃが、そもじには三つの選択肢がある。まず一つ、このまま成仏すること。もう一つ、このまま現世にとどまり怨霊となること。そしてもう一つは、妾の身体として共に生きることじゃ」
そして言われた内容に、彼女は耳を疑った。耳はもはやないはずなのに、言われたことが理解の範疇を越えていたからだ。
「まあ慌てるでない。ちゃんと順に説明するからの。
よいか、まず成仏じゃが、これは特に説明はいらんじゃろ? うむ、このまま輪廻転生の輪の中に入るという道じゃ。この場合、そもじという人間の意識や記憶は失われ、いずれかの未来、どこぞかの世界で新しい何者かに生まれ変わることになる。今はなくなるが、新しい始まりを切る道じゃ。一番無難じゃの。
二つ目の怨霊じゃが、他者を恨みながら久遠の時をひたすらに刻み続けるという道じゃな。そもじの恨みは斉昭だけでなく、水戸という地域にも一部向いておった。それを斉昭個人に集める約束で妾は力を貸したわけじゃが……別に再開しても妾は止めん。好きにしてええと思っておるくらいじゃ。
とはいえ、この選択はおすすめできん。なぜなら、妾のぬしさまはそういう怨霊を斃すすべを持っておるからじゃ。怨霊になればいずれ自我を失い、歯止めを無くす。さすればそもじは、そもじを助けたぬしさまの手によって討たれることになるじゃろう。誰も得をせぬ……しいて言えばそもじが一時の衝動を満足させられるくらいじゃ。
そして、最後の選択肢じゃが……」
そこで一旦言葉を切った玉藻が、にやっと笑う。
人間に比べて感情がわかりづらい狐の面が、いかにも楽しそうに笑った。
「妾はな、大陸がまだ夏と呼ばれる小国だった頃から、人間の身体を乗っ取って生きてきた。最後に使ったのが玉藻という娘だったわけじゃが……結局その身体は失い、今はただの石くれをよりどころにしておる。
じゃがこれでは、うまいものも食えんし楽しいことにも付き合えん。それに何より、ぬしさまに愛でてもらうことができん! ゆえにな、妾は新しい身体を探しておったのじゃ」
そこまで言われて、彼女はようやく玉藻の言いたいことを察した。
「そして普段であれば、身体を乗っ取ったら相手の魂は妾に食われて死に、肉体もいずれは朽ちる定めとなるんじゃが。もしそもじの身体を使うのであれば、それは絶対にならぬとぬしさまは言うた。若い身空で死んだそもじの身体を、身勝手な男に未来を壊されたそもじの身体を勝手に使うなんぞ、絶対にならんとな。
……じゃから仮に妾がそもじの身体を使うことになっても、妾は絶対にそもじを食わんとぬしさまに誓った。そしてそれならば、許可があるならよいとぬしさまは認めてくれた。ゆえにな、この選択肢を選んだ場合、そもじは死なん」
だが、続いた言葉に驚いた。あまりにも予想と違っていたからだ。
そんな彼女の気配を察してか、玉藻がさらに笑う。いたずらを成功させた子供のように。
「じゃからな、妾としてはこの三つ目の選択肢を選んでほしいんじゃよ。そもじの身体は皇族だからかはわからんが、比較的妾の魂と相性も良いしな。
それに、これはそもじにも益のあることじゃ。ぬしさまの成す面白きことを見て楽しめる、ぬしさまが作るうまいものを食らうて楽しめる。ただの大名の嫁では絶対にできぬ経験をできると、この妾が保証するぞ。それを、一度死んだ者ができるんじゃ。悪い話ではないと思うんじゃが、どうかの?」
確かに、と彼女は思う。
とても狭かった世界から出ることなく死んだ身には、とても魅力的な話だった。
しかし、それでも、と思うことがある。
それは、死んだとはいえ己の身体をどこの馬の骨ともわからぬ男に抱かせるのか、ということだ。一度穢された彼女にしてみれば、それは受け入れがたいことであった。
「うむ? いや、それは……そうじゃが……だって、そもそも身体がほしいと思ったのはぬしさまに愛でてもらいたいからであって!
そもじにはどこの馬の骨ともわからん男かもしれんが、妾にとっては命の恩人で、5000年生きて初めて運命を感じた男なんじゃ! それくらいええじゃろ! なんなら、そもじもぬしさまに惚れればいい! そうすれば万事解決じゃよ! うん!」
指摘を受けて急にうろたえ始めた玉藻を見て、この狐は一体何を言ってるんだと思う彼女である。
だが、魂と魂で会話しているからか。彼女には、玉藻の発言に染みこんでいる思慕がはっきりとわかった。数々の男をたぶらかし、いくつもの国を傾けてきた狐が、一人の男に惚れている。その事実に、思わず笑いそうになる。
正直なところ、彼女にとって恋愛というものは縁のないものだ。宮家に生まれ、将軍家の養女となり、御三家の嫁となった彼女にとって、結婚とは政略結婚であり、当然ながらそこに愛はない。仮にそれがあったとしても、芽生えるのは結婚してからのことだ。
そして彼女は、自らの夫となった男にそうした感情は持っていなかった。いや、このまま数年と経っていけば、あるいは抱いたかもしれないが……。
だが一方で、彼女にとっても玉藻の「ぬしさま」は、極力自らの遺書に沿う形でことを収めてくれた恩人だ。人間ではないし、なんなら既に嫁のいる相手ではあるが、それでも下劣な父親のいいなりでしかなかった自らの夫に比べれば、男としての器が上であることは疑うべくもなかった。
そんな「ぬしさま」であるなら、いずれは受け入れられるようになるかもしれない。
彼女は、そう結論付けた。
だから。
「……わかりました、玉藻御前。私は、三番目の道を選びましょう」
そう告げた。
それと共に、彼女の魂がうっすらと光り、緩やかに人の姿を取り戻していく。あまたの人間に美貌とたたえられた、いとやんごとなきものの姿へ。
そんな彼女を見て、玉藻も真顔になって頷く。ふわりと浮かび上がり、彼女の前へ前脚を差し出した。
「そう言ってくれると思っておったよ。さあ、我が手に触れるがよい。さすれば契約は成立じゃ」
玉藻の言葉に、彼女は頷く。そして、迷うことなく玉藻の前脚に手を伸ばした。
そうして二つの手が重なった刹那。
二つの魂は共鳴し、七色に輝きながら一つになり――その日、新しい「幟子」という存在が生まれた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
というわけで長くなりましたが、水戸家とのあれこれはこれにて一旦おしまいです。大幅に歴史が変わりましたね。
具体的にどこがどう変わったかは紙幅の限界もあるのでここで述べませんが、今回の史実からの逸脱は今後にも大きくかかわってくるでしょう。
そして遂に殺生石が……。