第五十四話 水戸藩邸討ち入り 急
評価ポイント3500ありがとうございます……!
これを読んでいる方がどなたかはわかりません。ですが、その方の心根がまっとうであることを願います。
本日私の身に起こった出来事を包み隠すことなく、表に訴えることのできるまっとうな方であることを。
率直に申し上げましょう。
私の義父、斉昭は人の姿をした鬼です。色に狂った醜悪な鬼です。
何かにつけて女子に下劣な言葉をかけ、その身に触れようとする軽薄な態度には怖気を覚えます。
あまつさえ、その立場にかこつけて手を出す所業には、吐き気すら催します。
一体、何人の女中がその犠牲になったことか。私がここに嫁いでからの短い間に、既に二人も襲われたことを考えると、国許での被害はその比ではないでしょう。
であれば、その毒牙が私に向くのも時間の問題だったのだと思います。
当初は、有栖川宮家出身の私にそうした様子は見せなかったあの男でしたが、ここ数日、そう、永蟄居の沙汰が下ってからというもの、その態度は目に余るようになりました。
よほど阿部殿に見限られたことが自尊心を刺激したのか知りませんが、それまであった箍が失せたように見えました。
そして今宵です。遂にあの男は私に手を出してきました。それも、蟄居させられているはずの離れから出て、わざわざ奥までやってきて、です。
どれだけ礼儀のわからぬ男なのか。どれだけ恥を知らぬ男なのか。
そもそも、細々と礼儀、礼儀と重箱の隅をつついていたのはどこの誰だというのか。
口を開けば尊王と言い、ことにつけては公家との姻戚を重視するというのは、嘘偽りであったのか。
あまつさえ降嫁したとはいえ、皇族たるこの私に手を付けるなど、朝廷を軽んじるどころかつばはくようなもの。言うこととやることがまるで一致しておらぬではないですか。
思うに、あの男に帝を敬う心など欠片もないのでしょう。そこにあるのは、ただ朝廷の風土と格式を好むだけの、下衆な思惑だけなのでしょう。
腹立たしい。いや、怒りなどという言葉では到底収まりません。
あんな男にこの身が穢されたのかと思うと、心底憎らしくてなりません。
しかし、仮にもあの男は武道に通じた武家の男。女の細腕ではとてもやり返してやることなどできません。
ならば、私は怨霊となろうと思います。未来永劫、末代に至るまで、水戸の家と土地を呪おうと思います。
私はあの男を……そしてあの男をはぐくんだかの土地を、絶対に許しませぬ。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
「上様……う、上様、鎮まってください! 漏れてます、色々と漏れてますから!」
「……はっ」
よっぽど怖かったのか、珍しく敬語になった藤乃ちゃんに肩をゆすられて、ボクは我に返った。
気づけばその手の中にある手紙は、ぐしゃぐしゃに歪んでいた。やばい、と思って広げてみて……うん。まだ読める状態だな。危ない危ない。
それから、全身から放出していた魔力を抑える。よくよく見れば、周りがぐっちゃぐちゃになっていた。うわあ、無意識のうちにやっちゃったよ。
「……ごめん。もう大丈夫」
「ほ、本当に? あ、暴れたりとかしないでくださいよ? あたし、上様には敵わないんですから……!」
「わかってる……大丈夫だよ、本当に大丈夫だ」
木魔法【アロマセラピー】を全力で発動しながら、ボクは深呼吸する。頭に昇った血が、昂ぶった精神が、落ち着いていく。
それから改めて、遺書と女性……幟子ちゃんに目を向ける。
つまり。
彼女は婚姻を結んだ夫がいるにもかかわらず、その夫の父親に力づくで犯された、ということか。
あり得ない。
そんなこと、あり得ていいはずがない。
一体、どんな倫理観を持ってたらそんなことができるんだ!?
「……いや待て、でも、これがどこまで真実かは……裏付けは取るべき……でも……」
彼女の身に何があったのかは、空間や事物が刻みつけた記憶を読み解き再生する時空魔法を使えば、すべて知ることができる。ベラルモースの警察は、時空魔法を駆使して証拠を集めて犯罪を取り締まる職業だし。だからこそ、今のベラルモースの治安は極めて良好だ。何かすれば、即刻足がつくからね。
でも、正直、今の精神状態でその魔法を使っても、成功できる自信がない。
仮に成功したとしても、そこで見せられる過去の映像を見て、冷静でいられる自信がなかった。【アロマセラピー】の効果を上回ってしまうんじゃないか、そんな気がしてならない。
とはいえ、裏付けもなしに行動するのは理性的じゃない。その程度には落ち着けているのだ。
いやまあ、幟子ちゃんの死に顔を見る限り、ほとんど間違いないとは思うけどさ……。
となると、ボク以外にそういうことができるのは……。
「……殺生石か」
彼女は魂属性を持っている。霊魂に関係した能力も持っているはずだ。彼女自身が、そもそも魂の状態で行動できる存在だし。
うん。
やっぱり時空魔法の使い手、増やそう。
それはさておき……早速呼ぶか。
『ぬしさまー! 妾に何か用かの!?』
空間を越えて召喚された殺生石は、犬みたいに尻尾をふりまくりながらボクの前にお座りした。こき使う……とまでは言わないけど、今からあれこれ命令するのに、そんなに嬉しいのかな?
でもそれとは別に、その視線がちらちらと幟子ちゃんに向いてるから、落ち着きがないのは相変わらずだ。
「実はかくかくしかじかでね? 本当かどうか調べてみてくれないかな」
『お安い御用じゃよ! では、ちと失礼して……』
指示を受けて、殺生石は死体の真横まで移動した。そして、初めて会った時に出していた魂食のスキルを発動させた。
『妖術【六魂旙】』
うわ。全体見たの初めてだけど、めちゃくちゃ難易度の高い魔法だな、これ。古い魔法とは思えないくらい緻密で精巧に作りこまれてる。
記憶や経験の取得するかしないかとか、どれくらいの割合で自身の力にするかとか、相当に細かく調整のできる魔法じゃんか。その気になったら魂はおろか肉体まで消滅させられる内容になってる。
さすが、伝説の大妖怪は伊達じゃないな。っていうか、彼女の貫禄を今初めて見た気がする。
『ふむ……ぬしさまよ、どうやらすべて真実のようじゃな。この娘、強い怨念を抱きながらもかなり俯瞰的に己を見ておる。つまりその遺書の内容は、控えめに表現したものということじゃな。女にしておくにはもったいないくらい冷静じゃよ』
「……そう。よくわかったよ」
その言葉を聞いて、またボクの頭の中で炎が舞ったのがわかった。
どうやら、斉昭君……いや。
斉昭は、DEにする以外に一切価値のない人間らしい。でも、楽に死ねると思うなよ。お前には幟子ちゃんの味わった痛み、苦しみを、そっくりそのまま返してから殺してやる。
「……君の無念はボクが晴らすよ。だから、せめて土地を呪うのはやめてくれないかな」
彼女の喉に刺さったままだった短剣を、【アイテムボックス】に収納する形で取り除く。そこから、こぽりと血があふれた。
「天魔法【ゴッドブレス】」
そして、ベラルモース最高の回復魔法を発動させる。外傷はもちろん、内出血などの体内の傷、さらにはベラルモースで特効魔法が存在する病気すべてを治療する魔法を内在し、身体の汚れなどもすべて浄化する魔法だ。
見る見るうちに、幟子ちゃんの身体がきれいになっていく。血にまみれ、怨念が見え隠れしていた美貌が、少しだけ和らいだ気がした。
とはいえ、当たり前の話だけどこれで死者は蘇らない。死の不可逆性は絶対だ。たとえ一つの魂を引き換えにしたとしても、失われたものは二度とは戻らない。
それでも、彼女をそのままにしておくのは忍びなかったんだ。せめて、穢されたという痕跡だけでも消しておきたくって。
『ぬしさまのそういう優しいところ、妾は好きじゃよ』
「あたしはその優しい人に犯されたんだどね……」
『そもじは敵としてぬしさまの前に行ったんじゃろ? なれば覚悟もしておったろう。それとこれとは別じゃよ』
「そりゃそうだけどさ……いや、後悔も何もないから、いいんだけど」
後ろで、女の子二人の会話が聞こえてくる。
殺生石の言う通りだ。藤乃ちゃんとは状況が違いすぎる。ボクは敵に対して容赦をするつもりはないのだ。
ただ、無関係の人が害されてるのは気に食わない。
「……殺生石、君はジュイのところに戻ってて。とりあえず、目下のことを済ましてくるから。あとでまた君の力を借りるよ」
『了解なのじゃ。いつでも役に立つのじゃよ!』
そうして持ち場に戻っていく殺生石を見送りつつ、ボクは幟子ちゃんの死体に腐敗防止のために時空魔法【タイドストップ】をかけて【アイテムボックス】に入れた。
もちろん遺書もだ。これは大事な証拠になる。
「よし。藤乃ちゃん、行くよ」
「御意にございます!」
「……あ、敬語もどしていいからね」
「はっ、わかりました」
……ボク、そんなに怖い顔してたのかな?
「【アイソレーション】を解除……【ハイド】、【フェイズマニピュレーション】」
かくして、ボクたちはその場を後にした。
残されたのは、大量の血のりと散乱した調度品だけだ。
そこからは、一切寄り道はせずまっすぐ斉昭のところに向かう。すべての障害物を無視して、一気にだ。
そうして辿り着いた部屋で、太平楽に高いびきをかいてる斉昭を見たらさらに殺意が沸いた。
「上様抑えて、抑えて!」
「わかってるよ……そんなつもりないんだけどな、どうも相当頭に来てるみたいだ」
藤乃ちゃんの言葉に頷きながら、もう一度深呼吸。
……ふう。
よし。
「どうしようかな。とりあえず、一発ぶん殴ってわからせてからのほうがいいかな」
「やめといたほうがいいと思うわよ。どうせ主張が折り合わないんだから、相手に口を開く機会与えるだけ面倒なだけじゃないかしら」
「それもそっか。じゃあ、どうしようかな。あれだけのことをしたとなると、ボクたちが拉致るより、正弘君に任せた方がいいかも?」
「そうね……そのほうがいいと思うわ」
「よし。んじゃ……証拠固めと行こうか」
言いながら【ヴォイドステルス】を解除してから、ボクたちは外に出る。状況を察したんだろう、そこにはジュイと殺生石が連れ立って姿を現した。
「全員そろってるね。じゃ、帰るよ。【テレポート】!」
こうして、ボクたちの討ち入りは静かに、誰にも気づかれることなく、わりと中途半端に終わったのだった。
とはいえ、これで終わりってわけでもない。急な用事ではあるけど、まだまだやることはある。今夜はまた徹夜だろうけど、急がないといけない。
まず、【アイテムクリエイト】で幟子ちゃんの死体を作る。ばれなきゃいいから、これで十分だ。
ボクみたいに【鑑定】を持ってたり、ボクじゃなくても一定以上の能力があれば本物との区別はつくんだけど、この世界じゃ不可能だからね。
これを、幟子ちゃんが死んでいた部屋に置いておく。
それから水戸上屋敷に詰めている人間……幟子ちゃんのそばに仕えていた侍女さんに闇魔法【メモリーアルター】を使って記憶を新しく植え付けた。
その内容は、ずばり「幟子ちゃんから直々に遺書を受け取り、その死を見届けた」というもの。そして遺書を渡して夜明け前の屋敷を脱出させて、正弘君の家に走らせる。
人選は実際に幟子ちゃんと最も個人的に親しかった人を使ったし、【メモリーアルター】の過程で、殺生石が取り憑いた幟子ちゃんを動かして状況を再現して植えたから、普通よりも鮮明かつ強固に記憶に刻まれただろう。これで、本当に万が一がない限り記憶に齟齬が出ることはないはずだ。
あとはもう、一気だ。夜中にたたき起こされた正弘君(事前にボクが起こして準備はさせてたけどね)は、自らに仕える武士たちを動員して、朝日が昇りきるころには水戸上屋敷を包囲。
この時既に死体が発見され、斉昭主導で証拠の隠滅が進められていたためごたついていた屋敷はあっけなく突入されて、証拠と共に斉昭は捕縛された。
さて、彼にはどういう罰が下るかな? 表向きの内容はまあ、正弘君に任せるけど……その身柄はボクがもらう。
遠島とか切腹で済むだなんて、思わないことだ。幟子ちゃんと同じ目に遭わせてから殺してやるから、覚悟しとけよ、斉昭。ボクは、お前のやったことを絶対に許さないからな。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
クイン、キレる。
ちなみに、徳川斉昭が息子の嫁に手を出したせいでその嫁が自殺した、という話は作者の誇張ではありません。
当時から、彼女のあまりにも唐突すぎる死は多くの疑惑を集めていて、その中でも有力な噂の一つとして実際に取り沙汰されていたものです。
それがなくとも、徳川斉昭があっちこっちの女性に手を出しまくったりセクハラしまくってたのは、大奥の女性陣の記録に残っているらしいですよ。
明治維新の思想を形作った原点みたいな扱いを受けたり、ともすれば名君とも言われている徳川斉昭はただの色狂いだと思ってます(意見には個人差があります)