第五十三話 水戸藩邸討ち入り 破
深夜、月も沈みきった頃合い。水戸藩邸の裏門を超えて、一匹の白い狼が音もなく庭に飛び込んだ。
やはり音もなく着地した狼……ジュイは、五感を総動員して周囲の様子を探る。
その隣に、金色の魂魄がするりと寄り添った。殺生石である。こちらは、熱源や魂魄、魔力などを用いた索敵を行っている。
『ジュイ殿よ、起きておる人間はわずかじゃ。じゃが犬猫がそこそこおるようじゃの。犬が三匹がこちらに向かって来ておる。準備はよいかの?』
殺生石の問いかけに、ジュイは頷く。
そして直後、彼は全身を震わせて音なき声でもって吠えた。その声には魔力が乗り、拡散する音と共に強い威圧を発動させる。
スキル【威圧】。つい先日彼が新たに得たスキル。それを、自らが得意とする【咆哮】と併用することで実現した、広域かつ高速の威圧攻撃だ。
それは彼を中心にして同心円状に広がっていく。やがて、彼の元に集結しつつあった犬は、全員それを受けて硬直し、まだ見ぬ上位者へ服従の姿勢を迷わず取った。
そうしたのは犬だけではない。猫やネズミなどの動物は、すべてジュイの【威圧】に屈し身動きが取れなくなった。
例外は、鳥だけだ。彼らは既に、野鳥の長たるユヴィルに忠誠を誓っており、そのユヴィルと同格のジュイの存在を理解している。故に、ジュイがダンジョンの外に出た段階で、鳥たちは彼を避けてこの界隈から一斉に姿を消していた。
夜闇の中にたたずむ屋敷をにらみ、周囲を警戒しつつ、ジュイはさらに低く、長く、唸るような声をあげる。
自然界で生きる狼は、滅多な事では吠えない。だからこそ、彼らが吠えた時そこには明確な意思があるのだ。
もっとも、ダンジョンの中ではなかば犬と化しているジュイである。そんな彼の、野性を思わせるよどみない動作に、後方から見守るクインが呆れていることを、彼は知らない。
――死にたくなければ黙ってじっとしてろ。返事はいらない。返事をしたら、殺しに行く。
水戸藩邸の周辺にいるすべての動物たちにそう告げながら、彼は人影の絶えた庭を悠然と歩き始めた。
よく手入れのされた、ジュイにしてみれば物足りない庭園を進む。すっかりおびえ切った犬や猫などと道中で幾度も出会うが、そのすべてに都度くぎを刺していく。
その姿には、王者の風格が漂っていた。
『うむ、うまくいったのう。この調子なら妾の出番はないやもしれんの』
『ないほうがいいさー。君に出番があったら、それはおれが失敗したってことだしー。でもそんなへまはしないよー』
『ふむ、さすがにぬしさまが認めた男ということかの……』
声に出さず会話をする二匹。
その状態で歩きながら、途中で殺生石が不意に顔を上げた。
『どーしたー?』
『いや……なかなかにそそる怨念を持った魂魄の匂いがしての。食ろうたら実にうまそうなんじゃがー……』
『……ダメ』
『じゃよねー! 知っておる、今はぬしさまに与えられた仕事が最優先じゃとも!』
そう言いつつも、殺生石の視線は前にまったく向いていない。
その横っ腹に尻尾を叩きつけて、ジュイが牙を剥いた。
『ダメ』
『わ、わかっておるよ! ちょっとしたお茶目じゃろうに……年寄りはいたわらんかい、ほんにもう』
そう言って口をとがらせる殺生石。
とはいえ、彼女もただふざけているわけではない。クインによって【魔力自動回復・中】を与えられたことで、ダンジョン外でも本領を発揮できるようになった今、彼女は自身やジュイの痕跡を常に消すために【妖術】スキルを使い続けているのだ。
ジュイもそれはわかっているので、本気で牙を立てようとは思っていない。そもそも、魂魄体に痛打を与えられる術をほとんど持っていないことだし。
そうして庭を歩くことしばし。やがて彼らは、数人の侍が周辺を警邏している地点に辿り着いた。
それは、いわば離れであった。その玄関口の前に二人、少し離れたところに一人ずつ。そして、目では見えないが裏口にも二人だ。
『あそこじゃな』
『うん。でもあそこは、ごしゅじんの仕事だー』
それを確認すると、ジュイはそう判断した。二人の役目は、あくまで主の邪魔になりそうな存在を排除することだと。
あの場所には確かに主の目的がいる。だから踏み込むことは己の領分を越えている、と。
だが、ここを立ち去る選択肢もなかった。
『とりあえずー、こいつらは大人しくしててもらわなきゃなー』
『うむ。よもやぬしさまがただの人間に気づかれるようなやり方せぬじゃろうが、万が一のことがあった場合一番問題となるのはこやつらじゃろう』
『えーと、おれそういうの使えないから、任せるー』
『おお、そうか。うむ、妾に任せておくがよいぞ。伝説の大妖怪の力、とくと見るがよい……妖術【叫名棍】』
その言葉と共に、殺生石の魂から魔力の波動が緩やかに放たれる。
そしてそれは、離れの周りに立つ人間たちを少しずつ飲み込んでいった。
やがて、全員に魔力が染み渡った頃合いである。
「……なんだか今夜は静かだな」
「いいことじゃないか、何かあれば音ですぐにわかる」
「いや、それにしても静かすぎないか? いつもなら犬がたまに鳴くだろう」
「そんな時もあるだろうさ。だいぶ暖かくなってきたしなあ」
「そうか? 俺はなんだか寒気がするんだが……」
「なんだ、風邪でも引いたのか? 移さないでくれよ?」
そんな、たわいもない話をしていた彼らは。
『――「現状を維持して眠れ」』
殺生石がそう発した瞬間に、一斉に硬直して沈黙した。さながら、時間でも止められたかのように。
『うわー、すごいなー。何したのー?』
『相手の脳に言葉で語りかけ、その内容を強制的に実行させる術じゃ。実際のところ抵抗は容易な術なんじゃが……ま、魔法を失った今の時代、抵抗できる人間はそうそうおるまいて』
『……いやあ、たぶんおれたちもそうそう抵抗できない気がするー』
普段態度には出さないが、そこにある確かな実力差を感じ取って、ジュイは目を細めるのだった。
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「ジュイって……やる時はやる性格だったんだね……」
威風堂々と、なんのミスもなく藩邸内を歩くジュイの姿に思わずそんなつぶやきが漏れた。
いや、確かに最初会った頃の彼はすんごいかっこよかったけどさ。最近情けない姿しか見てなかったから……。
ちらっと隣に目を向けてみると、藤乃ちゃんがすごく神妙な顔をしていた。きっと似たようなことを考えてるんだろう。
「……ともかく、そろそろボクらも行こうか」
「はっ」
「時空魔法【ハイド】――【ショートジャンプ】」
彼女の了解を受け、ボクは【ヴォイドステルス】コンボを発動させる。
一気に視界が変わり、すぐ目の前に屋敷が出現する。ここからさらに、【フェイズマニピュレート】で障害物を無視して中へ入っていく。
斉昭君の場所はわかってる。各種の察知系のスキルが、その存在をしっかり感知してるからね。
……でも、屋内は暗いな。照明もベラルモースほど発達してないんだろう。ちょっと新鮮な気分だ。
「闇魔法【ノクトビジョン】」
一応念のため、視覚を強化しておこう。大丈夫だと思うけど、まあ慎重にね。
「……なるほど、これが上流階級かあ」
途中で通りがかった一室で、眠っていた女中さん? の姿を見てそんなことを思う。
ちゃんと布団で寝てるんだよ。かよちゃんがかつては高くて買えないって言ってたやつだなあ。
彼女はボクと一緒になることでその壁をテレポートしてしまったわけだけど、こうして見るとしてよかったなって思う。【鑑定】するまでもなく、ダンジョンで使ってる寝具よりしょぼいもん。
なんて感想を漏らしたら、
「いや、【アイテムクリエイト】品と一緒にしたらダメでしょ。そもそも文明の度合いが違うんだから」
藤乃ちゃんにそうたしなめられた。そりゃそうだ。
「……ところで、この国の人たちって寝る時もこの髪型なんだ?」
図らずも上から目線の発言をしてしまったことを流しつつ、寝ている女中さんの頭を示す。彼女の髪型は、結われたままだ。
そして、返事はイエスだった。
「そもそも髪の毛を手入れするだけの洗料があんまりないのよ。種類も量もね。それに、髷は多かれ少なかれ形を整えるのに油を使ってるから、大名格でもそうそう頻繁に髪を解く余裕がないの。油は貴重品だからね」
「……だからこの枕?」
「ええ。寝てる間に極力髪が崩れないようにね」
「はあああ……なるほどなあ……」
すやすやと眠る女中さんが使ってる枕。
高いんだよね、うん。いや、高さがね、ハイトがね。
この国の人たちの髪型は、多くが後ろに張り出したものだからなんだろう。でもこれ、寝返り打てるの?
……あっ、ちゃんと寝返りに応じて左右に動くようになってるのか……。
「……ちなみに、元使用者として藤乃ちゃんの感想は?」
「もう二度と使いたくないわ」
「だよねー」
彼女をはじめ、住人達が使ってる枕は羽毛を使った柔らか仕上げだったり、スライム系の素材を使った低反発枕だ。一度それ使っちゃうと、そうなるよね。
ダンジョンの中じゃ、最近ベラルモース流の髪型が流行ってきてるし。髷を結ってる人の数、だいぶ減ったよなあ、そういえば。
「だって髷って管理大変だもの。量が必要だし、重いし」
「だよねー」
「それに、上様と御台所様が髷を結ってないのもあると思うわよ。しないほうがいいんじゃないかって話してるの聞いたわ」
「あ、そうなんだ。封建制度が身に染みてるんだなあ。そういうの強制なんてしないのに」
「ええ、それは甚兵衛あたりが否定してるみたいだけど。彼ももう髷結ってないから、あんまり説得力ないわよね」
「確かに……って、異文化コミュニケーションしてる場合じゃないや。先に進もう」
「上様が最初に足止めたくせに……」
「細かいことはいいの!」
お邪魔しましたと女中さんに告げながら(【ハイド】してるから絶対聞こえないけど)、改めて【フェイズマニピュレート】でぬるぬると先に進んでいく。
一旦屋敷を貫通して、別の建物へ。その中でも寝静まってる人々の周囲を通り抜けつつ、さらに別の建物を目指す。
その時だった。
「うわっ!?」
「きゃあっ!?」
壁を抜けた一室で、喉に短剣を刺した状態で死んでる女性と出くわして、ボクたちは思わず声を上げた。
周囲には、貫いた時に飛び散ったであろう無数の血のり。床(畳って言うんだっけ?)にはまだ全然乾いてない血だまり。純白の着物も、その大半が真っ赤だ。そして女性の眼前には、手紙と思われる紙が……。
「……じ、自殺?」
「みた……い……って……ウソ……!?」
女性の顔を見て、藤乃ちゃんが絶句した。
「どうかした? もしかして知り合い?」
「違うわ! 違うけど……知ってる人よ……! この方は……現水戸家当主、慶篤の御前様よ……!」
「はあっ!? そんな人が何で自殺してるわけ!?」
そう思って【鑑定】してみると、
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個体名:徳川・幟子
種族:人間
職業:王妃
性別:女
状態:死亡
Lv:24/100
生命力:0/79
魔力:0/0
攻撃力:0(21)
防御力:0(17)
構築力:0(49)
精神力:0(19)
器用:0(33)
敏捷力:0(15)
属性1:光
スキル
性技Lv2 房中術Lv3
耐痛覚Lv1 精神耐性Lv1
儀礼Lv6 和歌Lv5 舞踊Lv5 祈祷Lv5 祭事Lv4
称号:皇族
徳川宗家養女
徳川慶篤の婚姻契約者
穢された女
自殺者
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本当だああぁぁぁ!?
いや、いやまじでどんな事態? 何が起きてるの!?
これ、ボクのせいだったりする!?
いや違うよね!? そうだよね!? 誰かそうだと言って!
「上様、上様、あれ、あの手紙。たぶん遺書じゃないかしらッ? あれ読めばきっと……」
「そ、そうだね……何か書いてあるよね、きっと?」
でも【ヴォイドステルス】中は……正確には【ハイド】中にはこの位相のものには触れない。
一旦【ヴォイドステルス】コンボを解いて、【アイソレーション】でこの場を隔離した。
そして恐る恐る遺書を取り上げて、中を開いてみて……。
……そのあまりの内容に、ボクは絶句した。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
まさに「破」な展開の話になった気がします。
ちなみに、死体に対して【鑑定】をしてステータスがちゃんと表示されてる場合、まだ魂が完全に失われていない状態だったりします。
魂が完全に失われた場合は、アイテム扱い。