イフペディア 日部和親条約および日部秘密協定
日部和親条約(にちベわしんじょうやく)は、1853年10月1日(嘉永6年8月29日)に江戸幕府と異世界ベラルモースが締結した条約である。発音の都合上、翌年の日米和親条約と区別をつけるため千代田条約と呼ぶ事が多い(注1)。日本側全権は徳川家定、ベラルモース側全権は東京大迷宮ダンジョンマスターのクイン・シャルシャード(注2)である。
本稿では、同時に交わされた日部秘密協定についても紹介する。
1.経緯
当時の日本の状況については、「黒船来航」を参照。
1853年9月9日(嘉永6年8月7日)、前触れなく地球に降り立ったクインは、千駄ヶ谷に洞窟(現東京大迷宮)を作り居住し始めた。と同時に、当時の老中首座、阿部正弘にベラルモース女王の書状を提出した。
この当時、黒船来航とそれに伴うアメリカへの対応に苦慮していた阿部らは一様に警戒を露わにしたが、クインはあくまで穏便に、とにかく敵意がないことを一貫して主張したという。
最初の非公式対談は書状の提出と共にそのままなし崩し的に行われたが、外国勢力にすら手を焼いていた阿部たちは、異世界という概念を正しく理解できず、会談は混乱を極めたため書状を受け取るにとどめ回答を先送りした。
その後、9月24日(8月22日)、29日(8月27日)の二度に渡って江戸城で会談が行われ、最終的に幕府は10月1日、全14箇条からなる日部和親条約、および全4項からなる日部秘密協定を締結、調印した。これは、アメリカを相手に交渉を引き伸ばし続けた幕府の姿勢と比べると、異例とも言えるスピードである。
さらにその後、場所を変えることなく一か月間に渡って会談を行い、幕府は同年11月14日(10月14日)に東京大迷宮の細則を定めた「千駄ヶ谷洞穴委細覚書」を作成、次いで12月1日(11月1日)に「千駄ヶ谷洞穴諸法度」を発布するとともに、東京大迷宮の一般開放が始められた。
以降、クインは東京大迷宮に居住し、友好国として現在に至るまで迷宮を運営し続けている。
2.内容
日部和親条約では次のような内容が定められた(注3)。
第1条:日部両国・両国民の間には、人・場所の例外なく、今後永遠に和親が結ばれる。
第2条:千駄ヶ谷に迷宮を開放する。日本はこの迷宮内をベラルモース領土と認め、その主権を承認する。
第3条:迷宮において、日本は水、食料、資源、その他必要な物資の供給を受けることができる。
物品の対価は、ベラルモースが逐次決定・通達する。
第4条:交渉・通商・観光など、和親目的で迷宮を訪れる者は、幕府から迷宮行保証手形の発行を受けること。これは人間以外も対象とする。
第5条:両国民は、両国が定めた法定に従う限り互いの領内を自由に行動できる。
第6条:第4条、第5条に反した両国民が死亡した場合、両国は死体の受け渡しを拒否できる。
第7条:両国が互いに必要とみなす場合には、日本は迷宮最深部に、ベラルモースは江戸に領事を置くことができる。
また、領事の設置は本条約調印後12か月経過してからとする。
第8条:両国は共通の通貨を使用し、通貨の決定権は日本が保有する。
第9条:日本が他国に攻撃・侵略された場合、ベラルモースは日本の防衛を全面支援する。
また日本で内紛が発生した場合、ベラルモースは統治機構側を全面支援する。
第10条:日本が他国へ侵略した場合、ベラルモースはこれを支援しない。
第11条:日本が同盟国支援のため派兵した場合、ベラルモースはこれを一部支援する。
第12条:ベラルモースは日本以外と国交を結ばない。
第13条:その他、必要な物品や取り決めに関しては、両国間で慎重に審議を行う。
第14条:両国はこの条約を順守する義務がある。
両国はこの条約を12か月以内に批准しなければならない。
3.日部秘密協定
日部秘密協定とは、異世界という当時としては常識を超えた存在であるベラルモースの存在を秘匿するために制定された協定である。
協定は日部和親条約と同時に制定され、その存在は幕府の上層部以外には秘匿された。
その内容は以下の通りである。
第1項:ベラルモースの情報は迷宮の存在自体を除き、すべてを公表しない。
情報は、奉行以上の者のみが有するものとする。
第2項:日本は情報を秘匿するために、あらゆる手段を講じる。
第3項:情報を漏えいした者は、日部両国により捕縛の対象とする。
第4項:ベラルモースの情報は、日部和親条約締結の十五年後を始点とし、以降漸次公開する。
公開の時期は、両国間で慎重に審議する。
4.ベラルモース側の目的
突如として現れたベラルモースは、地球世界調査のため拠点を必要としていた(注4)。当時の彼らは、世界を超える際の反動で物資を持ち込むことができなかったために物資が慢性的に不足しており、補給のめども立っていなかった。
日本が選ばれたのは事前調査の結果、その食文化がベラルモース人の嗜好に合致すると判断されたためである(注5)。
このため、ベラルモースは当初から交渉を日本一国に限定する予定であり、その交渉内容は彼我の国力差に反してベラルモース側が相当譲歩した形となっている。
5.その他
日本が開国したと判断する基点は長らく1854年の日米和親条約とされていたが、1950年に日本政府が公開した日部秘密協定により、日部和親条約締結の1853年とする説が台頭した。
ただし、ベラルモースは迷宮を領土とする一方でその経済活動は日本に依存しており、通商も当初から現在に至るまで日本の通貨を使用しており、物価も当時から日本市場とほぼ同等のまま推移していることから、この条約の内容は開国に当たらないとする説もあり、決着はついていない。
当時から現在に至るまで存命しているクイン自身も、「開国は国内のすべての場所で自由に外国と交友・通商ができることだと思う。故に、我が国との条約では開国したとは言えないのではないか」と回答している(注6)。
しかしながら、条文を見ると明らかに日本が開国した後のことを意識した項目がいくつかあり、幕府はこの段階で既に積極的な開国を志向していたことがわかる。
開国のタイミングがどうあれ、この条約が日本にとって多大な影響を与えたことは間違いないだろう。
6.注釈
注1:交渉から締結に至るまで、一貫して千代田城すなわち江戸城で行われたことから。
注2:締結当初はシャルシャード姓を使っておらず、原文でも署名はクインとだけ記されている。
注3:日部和親条約の原文より。
注4:調査と言う目的は表向きであり、実態は異なると言う説は当時から根強い。
注5:当時全権大使だったクインは、交渉の場で日本食を手放しで褒めたたえたという。
注6:「特集 人物往来(現、歴史読本)」初号で組まれたインタビュー特集より。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
というわけで、架空歴史の架空辞典でした。
こういうの作るの前々からやってみたかったんですよね。
ちなみに、最後らへんに出した歴史読本は実在の歴史雑誌です。初号も実際のものに合わせてあったり。残念ながら先だって休刊してしまいましたが……。