第百二十二話 ひとまずは日常に戻る
外交的な打ち合わせ、交渉はもう少し煮詰めていくということで、一旦お開きになった。
そしてその辺りのことはロシュアネスに一任してるから、ボクは別の役割を担うことになる。
すなわち、拿捕した濡羽の処遇だ。
封印を解いてしまえば、彼女も幟子ちゃんに匹敵する実力者。そんな存在を、ほいほいと日本側に置いておくわけにはいかない。だからとりあえず、その身柄はうちで当分預かることになった。
「……ってわけで、彼女をなんとしてでも眷属にしまーす」
「あ、じゃああたしスライム連れてくるから……」
「いや、そういう方法はまだしないからね?」
快楽堕ちは確かに有効なんだけど、藤乃ちゃんみたいにハマりすぎるのは問題だもの。
知ってるんだぞ。ここ最近外での任務が多かったせいか、諏訪湖での一件が終わってから毎日派手にヤってるってことは。
……まあそんなことはいいんだ。仕切り直そう。
「ってわけで、彼女をなんとしてでも眷属にしまーす」
「なかったことにしよったな……」
フェリパの苦笑に肩すくめで応じる。
一方、スルーされた藤乃ちゃんは残念そうに眉をハの字にしながらも、質問を飛ばしてきた。
「でも、無理に眷属にする必要あるかしら? どうせそのうち、次期将軍候補に嫁がせちゃうんでしょ?」
エロが絡まなければ有能なんだよね、この忍び。
まあそれはともかく。
「ボクも同じようなことは考えたんだけど、嫁ぎ先から間違いなく情報を得るためにはその方がいいだろう、ってことね」
「あー……」
政略結婚した相手が、実家に情報を漏らしていたなんてのはよくあることだ。そう言う意味では、政略結婚の相手も完全に信用していいってわけじゃないのが、政治の面倒なところだよね。
そしてそれをやろう、やるためには指示には従ってもらわないと困る、と……まあ、そういうことだね。
「それに、妖怪は人間に比べれば滅茶苦茶寿命長いからね。嫁ぎ先に居残ろうとこっちに戻ってこようと、【眷属指定】してるならどっちに転んでも損はしないから」
「なるほど、よくわかったわ」
眷属にしない、って選択肢も決してなしではなかったんだけどね。
ただ、濡羽クラスの存在を【眷属指定】する際の、一時の出費と将来的な情報の値段を比べると、ってことだ。
「とはいえのー」
そこに、幟子ちゃんがにゅっと顔を出した。文字通り、空間の裂け目からにゅっと、だ。
「ずっと見張りながら話しておったがの、あやつに敵対意識はなさそうじゃぞ」
「あ、そうなんだ?」
「うむ。やはり他の魂と統合されたのが大きかったみたいじゃ。妾はああいう統合はされなんだから、いささか不憫でもあるがのー」
「気持ちはわからんでもないけど、うちらにとっちゃそっちのが好都合ではあるわな」
「だねえ」
自分であることをやめたくないがために強くなる道を切り捨てた幟子ちゃんにとっては、自分の意思が混ざる、歪むことは同情に値することなんだろうな。
「……でもまあ、そんな風なら【眷属指定】も割合簡単かな?」
「だとええなあ」
「とりあえず幟子ちゃん、彼女を連れてきてくれる?」
「了解なのじゃよ」
言うや否や、幟子ちゃんがずぷりと空間に消える。
そしてすぐに、水面に浮上するような空間の揺らぎを伴って戻ってきた。そこに濡羽を伴ってだ。
「はいよ、お待たせなのじゃ」
言いながらえっへんと胸を張る幟子ちゃんに対して、濡羽はその後ろで不安げに視線をあちこち泳がせている。
ステータスで言えば、彼女はこの場で2,3番目の実力者ではあるんだけどね。なかなかに、元九尾らしからぬというか。
やっぱり統合で性格が変わったんだろうね。なんか、とても殺しのできる感じには見えない。
まあそれは、今は別にいいか。
「さて、えーっと……濡羽だっけ。話は聞いてる?」
「は、はい……幟子姉さんから大体は……」
「なら話は早いね」
うんうんと頷きながら、ボクはダンジョンメニューを開く。
そのまま【眷属指定】の画面を出して、彼女へ問いかける。
「今後のために、ボクの眷属になってもらいたいんだけど……いいかな?」
「…………」
返事はすぐには来なかった。
あれ、とも思ったけど、よく考えれば今までのメンツが即答しすぎなんだね。普通の人は、いきなり言われたら是非どうこうよりもまず、悩むよね。
おまけに、周りからの視線が集中してるし。無理もないことかな。
と、思ったところで画面に変化が。
「ふむ……うーん、マジかあ」
それを見て、思わず目が丸くなった。
久々に条件付きの返答が来たのはよかったけど、その条件がね……。
〈此方に名をつけてくれた殿方と一緒にいたい〉
なんだよね!?
なんだよ、君ら相思相愛か! 慶福君に聞かせたいよ!
「…………」
「ほ? なんじゃ、どうしたんじゃ?」
とはいえその答えは考えてなかったので、ちょっと確認しようと幟子ちゃんを手招きする。
「あのさ、この世界の、妖怪にとっての命名ってやっぱ嬉しいこと?」
「ふむん? ベラルモースほど命名に重さはないし、さほどでもないと思うがの……あー、でもここ2000年近くはそういうことも一切なかったわけじゃし、かつてより重みは増しとるかもしれん」
「……実はかくかくしかじかなんだけど……」
「ほ? ……ほほー、ほうほう、なるほどなるほど」
小声で状況を説明すると、幟子ちゃんは納得した様子でこくりと頷いた。
「あのじゃな、妖怪にとっては命名より進化のが名誉なんじゃよ。じゃから誰かのおかげで進化できた、ってのは、相当な恩義を覚えるもんでのー」
「あー、そっちなんだ……」
「名を授かったことで進化できたんじゃ。おまけに一気に元君になったとはいえ、それは統合の結果であって、元になった石としての魂は恐らく、小狐丸レベルとは言わんまでもあまり成熟はしとらんかったんじゃろな。じゃから、名を与えてもらったうえ、進化して人型になって最初に見た男子に惚れたんじゃないかのー」
妾も似たようなもんじゃったし、と締めくくって、幟子ちゃんはにまりと笑った。そして尻尾が、どことなく嬉しそうに揺らめく。
その尻尾に何気なく手を伸ばす。抵抗はほとんどなく、手のひらがふわりと尻尾に埋もれた。
そのまま特に深く考えることなく手でもふもふしながら、考える。どう返信したものかな。
ボクとしては、濡羽の条件(希望?)には応えてあげたい。けど、幕府と考えてる彼女の処遇は、「次期将軍に嫁がせる」であって「徳川慶福に嫁がせる」じゃないんだよなあ。
確かに彼は次期将軍候補ではあるけど、完全にそうだと決まってはいないんだよ。彼の他にも候補はいて、それぞれを推す人たちが水面下で争ってる状況だ。一応慶福君のが有利だけど、確定はまだ。
けど、ボク、というかうちから次の将軍はこの人がいいからそうして、なんて言うのは内政干渉だしねえ。それはさすがにできない。
一応、嘘ついて【眷属指定】することはできる。でもそれだと、条件を破ったとシステムにみなされた瞬間眷属じゃなくなる上に、相応のペナルティを受ける。ダンジョンコアは、そういうズルを許してくれないんだよね。
条件に対して確約できないと返すことで、そのペナルティを軽減はできるけどさ。
「となると、この機能を使うかな……」
まあ、こういう時のための機能がちゃんとあるから、コアは親切だ。コアレベルが3になって初めて使えるようになったんだけどね。
【眷属指定】で条件を受けた場合は、【保留】って項目が選択できる。これを使うと、暫定眷属って存在になるんだ。
暫定眷属は、ダンマスから命令もできないし、【モンスタークリエイト】【スキルクリエイト】なんかの各種ダンジョン機能の対象にもならない。
ただダンジョンの外に出ることができなくなるし、毎日の定期DE収入の対象にもなる。おまけにその収入量は、通常の1.5倍だ。
そしてこちらが条件を満たすことができたと双方が確認した時、改めて眷属になる。逆にそれができなかった場合は、即座に暫定眷属からも外れてフリーになるわけだね。
寝首をかかれる可能性はあるけど、どうしてもほしい眷属候補を逃がしたくない時なんかに使われる機能だ。弁舌に自信があったり、条件満たすだけの実力があるダンマスは比較的よく使うって聞いてる。
もちろん、失敗して殺されたダンマスも、長いダンジョンの歴史の中ではあるんだけどね。
そこはまあ、護衛として誰かしら近くに置いとけばいいだろう。っていうか、現状こっちは相手の能力を制限してる立場にあるから、それを継続させればいいわけだし。
「……ってことで、一旦【保留】で」
「え、あ、はい」
こくりと頷く濡羽。その仕草は、確かに幟子ちゃんによく似ていた。姉妹だね。
さてそれはともかく、ボクからの【保留】の提言に対して了承を得たことで、仮契約とも言うべき状態にはなった。
あとは、彼女の条件を満たすために行動あるのみだ。
……まあ、それについてはごめんけど、ロシュアネスに任せることになるだろう。ボクが口を出したところで上手くいく可能性は上がらない(むしろ下がる)わけだし、ここは適材適所ってことで勘弁してほしい。
自分にできないことは、素直にできる部下を信じて任せるのが大事だって、ユヴィルも言ってたしね。
でも、それはそれとして、ロシュアネスにはボーナスを支給したほうがいいだろうなあ。その辺のことは、追々聞くことにしよう。
それとは別に……。
「幟子ちゃん、ティルガナと一緒に濡羽の教育をお願い」
「…………」
「……幟子ちゃん?」
「ほあっ!?」
声をかけても返事がなかったから幟子ちゃんに目を向けてみたら、なんか恍惚の表情で天に召されそうな様子だった。
身体をゆすったら正気に戻ったみたいだけど、尻尾もふもふするのってそんな影響ある行為かな……。
「す、すまん、全然聞いてなかったのじゃ……」
「いいけどさ。えっと、ティルガナと一緒に濡羽の教育をお願いできる?」
「ふむふむ……日本のとベラルモースのとじゃな? あいわかったのじゃよ、任せてたもれ!」
よだれを袖口でぬぐった後、どんと胸を叩いた幟子ちゃんが濡羽を伴って部屋から出ていく。
少し不安を感じながらそれを見送った後、念のため藤乃ちゃんとフェリパに監視を言いつけて送り出す。
何もなければいいし、あの感じなら何もないとは思うけどね。さすがに、ボクに対する攻撃が可能な実力者を、制限中とはいえ見過ごすことはできない。
と、いった感じで濡羽……二つ目の九尾の欠片の件は、とりあえずは落ち着いたと見ていいかな。完全に眷属にするまでは油断はできないけど、ひとまずはね。
残るはあと一つ。その最後のが問題なんだけど……これについては、すぐにどうこうしに行けない以上、慌ててもしょうがない。
相手がとり得る手段はおおよそ幟子ちゃんの記憶なんかから想像できるから、それへの対処方法をちゃんと用意してからになるだろう。下手に刺激して、準備も整わないうちに暴れられるのが一番困るからね。
ボクはやっぱり、この国のことがなんだかんだで好きなのだ。この国の人を意味もなく殺されるのは避けたい。
ま、それはそれとして……。
「……久々にダンジョンの拡張しよっかな」
一人になったところで、次はユヴィルとかよちゃんを呼び出す。
京に行く日程が決まるまでは、いつもの研究とダンマス業に専念するつもりだ。ボク一人だとまた妙なことしかねないし、みんなと意見を交わしながらするのがたぶん一番ボクには合ってるって最近思うんだよね。
とりあえず、次どんなフロアを用意するかは決めてあるんだ。前にも言ったけど、アルヴァみたいな蛟だらけの、水が多いマップにしたい。
龍種はそれだけで十分強い種な上に、人間は水場に適応した生物じゃない。きっととんでもない難易度になってくれると思うんだ。
「旦那様、お待たせしました」
『主、呼んだか?』
来た来た。
よし、それじゃ拡張を始めようか!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
二つ目の九尾の欠片の処遇は、このような形となりました。
残る最後の欠片の件はもう少し先ということで、今章「拡張」はひとまずここで終わりにしようと思います。
ちと半端なところではありますが、ここで切っておかないとこの先区切りがないまま数十話以上書くことになりそうなんですよね。それはもはや一つの章で扱うテーマの範囲を超えるので、このような判断となりました。ストックも残りありませんし。
というわけで、この後は閑話や幕間を少し挟んだら、また書き溜めのため休載する形になると思います。