第百三話 江戸城での雑談
それからしばらく経って、少しだけ暖かくなってきた頃。
ボクは久方ぶりに江戸城の家定君を訪ねていた。
今はボクももう、外交のことは全部ロシュアネスに一任しててそういう場にほとんど出ないから、最近は本当にただ友達とお茶とお菓子を楽しみながら雑談するだけって感じになってる。
部屋を時空魔法で隔離して、老中の誰かが一人同席するってスタイルに変わりはないけどね。
「ボクはこしあんのがおいしいと思う」
「き、奇遇だな! 余もな、餡子はこしあんだと思うのだ!」
そして二人で、家定君謹製のおまんじゅうを食べながら、雑談に花を咲かせていた。
家定君のお菓子作りは、初めて会った時より明らかに上達してる。市井のお菓子屋さんのお菓子をあまり食べたことがないけど、普通にお店出せるレベルに達してるんじゃないかなあ。
「そ、そちはどうじゃ?」
「……拙者、粒あん以外は認めたくのうございます」
今日のお傍係の老中は、松平慶永君だ。
彼はかつての攘夷派で、家定君を前々からわりと酷評していた人だ。開国派に転じた後、その手腕を買われて老中に抜擢はされたけど、どうも家定君とそりが合わないのは変わらないみたいね。
「そ、そうか……すまん……」
そして、こしあんを否定されて目に見えてがっかりする家定君。
気持ちはわかるけど、彼だって一応はこの国の指導者なんだし、もう少し毅然とした態度で応じたほうがいいんじゃない?
そう伝えたら、
「そ、それはダメだ、それだけは、いかん」
って即答された。
「なんで?」
「あ、餡のな、好き好きはな、深く切り込んでは、いかんのだ。い、戦になってしまう!」
「そんな大げさな……」
家定君が珍しく真顔で断言したけど、たかが食べ物でそんなになるなんて思えない。
だから笑いながら慶永君に顔を向けたら……彼は渋面を作って口元を真一文字に結んだまま、遠いところをにらみつけていた。
「……話じゃ……ない、みたいだね……」
慌てて言葉を修正したボクに、家定君が深く頷いた。やたら実感のこもった首肯だった。過去に何かあったのかもしれない。
うん。
「この話、やめよっか」
「そうだな!」
ボクの提案に、ぶんぶんと家定君が連続で頷いた。
それを見て、この手の話題は人前ではしないようにしようと心のメモに書き加えていく。
食べ物の好き嫌いで真剣に議論できるのは、この国が平和だって証だとは思うけどね。
「あっ、そういえばな、そういえばな!」
数瞬の気まずい沈黙ののち、家定君が思い出したように、やけに明るい声で言った。
「実はな、実はな、余の新しい婚姻が決まったのだ!」
「えっホント!? それはおめでたい話だね!」
「そうだろう、そうだろう!」
うんうんと頷く家定君の表情は、言葉とは裏腹に少し陰りが見えた。
彼、今まで二回お嫁さんもらってるけど、どちらも早くに亡くなってるからなあ。自分が病弱ってこともあるし、思うところがあるんだろう。
それでも、結婚はおめでたいことだとボクは思う。だから、それについてはあえて触れずに話を進めよう。
「お相手は誰なのさ? やっぱり公家の娘さん?」
けどその問いに、即答はなかった。
代わりに家定君は、慶永君に目を向ける。まるで許しを請うかのように、だ。
ははあ、口止めされてるのか。そりゃ事が事だし、まだおおっぴらにはできないんだろうな。お互い個人的な友人同士、それも非公式の場とはいえ、国の責任ある立場なのは間違いないんだし。
けど、慶永君は少しだけ目を閉じて考えるをそぶりをしたと思ったら、こくりと一度だけ頷いた。
それを見た家定君が、嬉しそうか顔をこちらにガバッと向けてくる。
「うむ! それがな、どうやら島津殿の娘らしいのだ」
「島津? えーっと、薩摩の国主だったよね? 最近の国政にも一枚かんでる」
「うむ、そうらしいな! 斉彬公は、余とは違って大層な出来人と聞いているぞ!」
自分を大したことないって言えるのは、いいんだか悪いんだか。
ともあれ、今の島津の主が有能な人物って話はよく聞いている。ヨーロッパの進んだ技術を取り入れるべく早くから動いていた国主みたいで、開国派の旗頭って言ってもいいだろう。
まあ、その資金を琉球との密貿易とかで得ている点については、何も言わないでおいたほうがいいんだろうな。内政干渉になってもあれだし。
そして話を聞いてると、そんな島津家からお嫁さんをもらうのは、その辺りのことを大目に見てもらうためって思惑が向こうにはあるみたいだね。ちゃっかりしてる。
幕府側としては、昔島津家から来たお嫁さんがたくさん子供を産んだから、それにあやかりたいっていう大奥の意向があるらしい。
……家定君は、その、アレだから、今の地球の技術では絶対に子供はできないんだけど……それは言いっこなしだろう。技術が低ければ、そういう迷信も発言力を増すし。彼らが満足してるなら、ボクが口を出す必要はないだろう。
少なくとも、今はまだ。言おうものなら、ロシュアネスにまた怒られる。
「それで、式はいつになるの?」
「ええと……」
そこで家定君、再び慶永君に顔を向けた。
その辺りの細かいスケジュールは、家定君まではまだ伝わってないんだろうな。
だからなのか、今度は家定君に代わって慶永君が直接答えてくれた。
「先方の姫君にありましては、まず近衛家のご養女となっていただく所存。それを済ませてからでなければ、輿入れはなりませぬ」
この辺りの細かいところは、異世界人のボクにはよくわからないところだ。確か家格がどうのとか、先例がどうのとかあった気がするけど、正直別にいいじゃんって思うんだけどね。
まあ、さっきも言ったけど、ここでボクが口を出す必要もないんだろう。
「であるからして、恐らく11月頃ということになりましょう。いかに早くまとまったとて、10月の終わりごろがせいぜいですかな」
「……ということだな!」
「なるほど」
まだ結構時間があるんだな。半年以上あるじゃないか。
そうなってくると、家定君の結婚式よりアメリカの大使が来るほうが早そうだ。
また色々と起きるんだろうなあ。うちとしては、どこまでかかわるかの線引きも考えないとかなー。
なんてことを考えてると、家定君がおずおずと声をかけてきた。
「クイン殿、クイン殿、その時は来てくれるだろうか?」
「んー……ボク個人としては行きたいところだけど……」
せっかくこの世界で初めての友達の慶事だ。ぜひとも顔を出したいけど……。
ボクはここで、ちらっと慶永君の顔を見る。けど彼は、静かに首を振った。
だよねー。
「……さすがに将軍の結婚式に、まだ存在を明らかにしてない外国の人間が顔を出すのはまずいよ」
「そうかぁ……」
がっくりと肩を落としてうなだれる家定君。そんなに落ち込まないでほしいな……期待してくれてたのは、素直に嬉しいけど……。
「そ、そんなに落ち込まないで。一応、非公式にでもお祝いの品くらいは出すからさ」
「うむ……」
「それに、会場には行けなくっても様子を見ることはできるから。後でちゃんと顔は出すよ」
「そうか……うむ、わかったぞ」
一応、納得してくれたみたいだ。よかったよかった。
それにしても……結婚のお祝いに、ってなると贈り物はどういうのがいいかな?
家定君個人はお菓子作りが趣味な人だから、ベラルモースのキッチン用品とか、なんならシステムキッチンとか喜んでくれそうだけど。でもいくら本人の趣味とはいえ、普通は将軍にそういうの贈るのはまずいだろうなあ。
あとは、そうだな。ベラルモースの習慣にあるやつが日本的にはダメって可能性もあるだろうから、まずはその辺りのことを調べるべき? せっかくのお祝いに水を差すわけにはいかないもんね。
「何が出てくるかは、その時のお楽しみだからね?」
「も、もちろんだ! べ、別に今聞こうとはしていないからな!」
あれは聞こうとしてたなー?
あたふたとしてる様子は、実にわかりやすいよね。家定君は隠し事のできない素直な人だ。
「そ、そういえば、そういえばだ、クイン殿のほうはどうなのだ?」
「どうって?」
おまんじゅうを口に運びながら、家定君の質問に首をかしげる。
「それはな、あれだ、ほら、子供だ! もう、結婚してそれなりに経つのだろ?」
「ああ、うん」
そのおまんじゅうをお茶で流し込みながら、ボクは頷いた。
「かよちゃんの身体もだいぶ出来てきてるんだけど、最近何かと忙しくってね。なかなか本腰入れられないんだよねえ」
幟子ちゃんの一部が何かしでかすんじゃないかっていう予想外がなければ、今頃は種付けも終わってたかもしれないけどね。
何分、ボクらアルラウネ種の繁殖はどうしてもまとまった時間が必要になるから、ここ最近の状況じゃそれが難しいんだよねえ。
子供がほしくない、なんてことはまったくないんだけどさ。
「そ、そうか。やっぱり、クイン殿にも立場があるのだものな」
「そうだねえー。ボクじゃないとできないこともあるから、余計だね」
「でも、クイン殿は見目麗しいからな。き、きっとクイン殿のお子は、さぞ美形になるのだろうなあ」
「あはは、そうだといいねえ」
ボクが美形かどうかはともかく、かよちゃんはかわいい子だから、彼女に似てくれると嬉しいかな。
「た、楽しみだな! 生まれたら、余にも見せてほしいぞ!」
「ふふ、もちろんだよ。写真撮って持ってくる」
「うむ! 約束だぞ!」
でもまあ、そう言ってそう言って屈託なく笑う家定君を見てると、細かいことなんて気にしなくてもいっかとは思うな。
まあ、ボクがアルラウネで、かよちゃんが鬼であることはまだ日本の誰にも公開してないから、本当に見せても大丈夫かとも思うんだけどね。
そんなことを考えつつ家定君に頷いて、そこでボクはふと思った。
お祝いの品、カメラとかどうだろう?
この世界にはまだカラーのカメラなんてないけど、カメラ自体はもう存在してるから、そこまでオーパーツってわけでもない。いずれこの世界でも近い将来実現するだろう品なら、問題ないんじゃないかな?
自分のアイディアに頷きながら、それを心のメモに書き加えておく。帰ったらしっかり検討しよう。
そう考えて、ボクはこれについてはひとまずここで考えるのをやめることにする。どっちにしても、まだそこそこ先の話だ。今この場で結論を出さなきゃいけないことじゃないしね。
今はこの穏やかな時間を楽しむ。それが一番だ。
そうやって、取りとめのない会話は続いていったのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
息抜きの日常回ということで、ほのぼの担当家定君。
次回から話が動きます。予定。