第十話 引っ越ししよう
木下ちゃんを受け入れて、夜が明けた。昨日のことを振り返り、ボクはこの国の経済状況や文明度合について、考えていた。
薄々と察してはいたけど、故郷とこの国の技術力は相当の差があるわけで。彼女に道具の一つ一つを説明して、使い方も教えて……ってやってたら、あっという間に時間が過ぎちゃったんだよね。
まあそれはいいんだ。それはなんとなくだけど、予想してたことだし。反応も予想の範囲内だったから、そこまで問題はなかったんだけど。
彼女、ベラルモースの料理を作ってあげたら、泣きながらおいしいおいしいと言って食べてくれたのだ。今までどんな食生活だったのかと、愕然としちゃったよ。ボクの料理スキルはせいぜい3で、自炊してる一般人程度でしかないんだけど。
聞けば雑穀が中心で野菜も少なく、肉は宗教上の理由で食べてはいけないらしい。今までで一番のカルチャーショックだった。そんな生活、故郷だったらもう何百年も前の奴隷の生活だよ。
まあ肉に関しては、切羽詰まれば普通に食べるし、隠れて食べてる人も多いらしいけどさ。そりゃそんな食生活してたら育つものも育たない。実際、この国の人間は大人でも小柄な人が多いらしい。
その一方で調味料は塩以外にも結構種類があるみたいで、よくわからない。ミソとかショーユとかいうのらしい。胡椒も、高くて田舎ではなかなか手に入らないけどないわけじゃない、っていうから、ますますわからない。
さらに、床に寝かすわけにはいかないと思ってベッドを作って使わせたら、ふかふかなマットレスに驚きながら遠慮されまくったので、ちょっと強引にでも使わせた。今までどんな環境で寝てたんだと、これまた愕然としたよ。
フトンというマットレスはあるらしいんだけど、高級品過ぎて村人が買えるものじゃないらしい。じゃあどうやって寝てるのかって聞いたら、なんでも田舎の村人は床の上に紙のマットレスで寝てるとか。あとはもみ殻とか、ムシロとかいう、ワラのマットレスとかが主流って言われたけど、ボクには全然想像できないよ!
っていうか、マットレスは高級で買えないのに、紙はそこまで珍しくないってのもわかんないよ!? 紙って、これくらいの文明度合の時は超貴重品なんじゃないの!?
とまあこんな感じで、話を聞けば聞くほどこの国がわからなくなったんだよ。
と同時に、好奇心がわいてきた。なんていうか、ようやく異世界に来たんだなあって実感がわいてきたっていうか?
だからボクが知らない、故郷にはないものを見て回りたいっていう欲求が出てきたんだよね。元々それが異世界まで来た理由の一つだし。
ただ、それをやるにはこの国でボクの存在がきちんと認知される必要がある。そのためには暴力を振るうわけにはいかない……けど、ただ言葉だけでわかってもらえるかってなると、自信はない。元はモンスターの魔人だしね、ボク。
まあ幸い、というかなんていうか、ボクは村人から「暴れないでください」という意味が込められた供物を受け取っている。だから願いを聞き入れたって形で、ここを立ち去ってしまおう。そして国の上層部と何らかの話をつけにいきたい。
ダンジョンから立ち去っていいのか、って? 大丈夫、ダンジョンは移転できる。
業界用語で「閉じる」って言うんだけど、ダンジョンコアの【移転】機能を行うことで全ダンジョンをデータにしてコアに戻し、持ち運ぶことができるのだ。この時は、空間としてのダンジョンにはダンジョンマスターも入れない。だから「閉じる」だ。
その後は最初の設置と同じ。ダンジョンコアを任意の場所に持って行ってコアを稼働すれば、そこにダンジョンが出現。移転は無事完了、ってことになる。
ただ、この展開の時には相応の魔力が必要になる。消費量はダンジョンの規模に依存するから、引越しをするなら早いほうがいい。地球ではろくに魔力が手に入らないから、余計だ。
木下ちゃんの話では、このダンジョンの周辺に集落は彼女が住んでいた村が一つあるだけらしい。やっぱり辺境だったみたいで、先の理由以外にもここにい続けるのは得策じゃないと思ってる。
移住が国の施策として禁止されてる以上、そうそう人が流入してくることはないだろうしね。
ダンジョンマスターは、侵入者を招き入れてこそ成り立つ。殺す覇道派にしろ共存する融和派にしろ、それは変わらない。そしてそれを途切れさせないためには、ある程度人口のあるところのほうがいいんだよね、実は。
もちろん討伐されるリスクは増すけど……正直、この世界の人間に後れを取る光景はついぞ想像できない。だから、いっそ都会のど真ん中とかどうだろう。国の幹部は都会にいるだろうし、一石二鳥じゃない?
「ん……んんー……」
なんていうボクの思考が、木下ちゃんの寝言で中断される。
そちらに目を向ければ、新品のベッドの中で気持ちよさそうに眠っている彼女がいる。快適な室温、快適な寝具、そして満腹という三拍子そろった状態だったからね、さぞかしいい夢を見てることだろうな。
どれ、彼女が起きる前朝ご飯の用意をしておこうかな。
「わふっ!」
「ああうん……君のご飯も必要だね」
キッチンに足を向けるや否や、神速で餌箱の前にお座りをするジュイには苦笑しかない。最近、どんどん犬化が進んでるような気がする。ウルフ種としてそれでいいのかな……。
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木下ちゃんが起きたのは、ちょうど朝ご飯を作り終わったタイミングだった。いいタイミングだね。
けど、食事を運んでるボクを見るや否や、泣きそうな顔で平謝りするのはやめてほしい。
確かにベラルモースでも、料理は女性がすることが多いけどさ。それでも料理は女の領分、なんて考えは存在しない。うちの世界の女の子は強いのだ。
まあ、ボクは男じゃないんだけどね。女でもないけど。
「ううう……おいしいです……すごくおいしいですぅ……!」
「それはよかった……好きなだけ食べていいからね」
「はいぃ……ありがとうございます……!」
字面はアレだけど、今回は泣かずに食べてくれてる。何よりです。
っていうか、簡単なサンドイッチとか炒め物程度で泣かれると、逆に気まずいんだよね。世のコックさんたちに申し訳ないって言うか。
【アイテムクリエイト】でプロの逸品を出したらどういう反応が返ってくるのか、想像すると今からとっても怖い。経費節約のために自炊してるけど、本来ダンジョンマスターにとって食事はメニューからタップ一つで出現するものなんだよね……。
……ちなみに、木下ちゃんにはひとまずベラルモースで最近はやりの服をあげた。昨夜のパジャマと同じく着るのに時間かかってたけど、予想通りあっちの子供服がよく似合う。
ミニスカートは拒否されたのだけが残念だ。いつか絶対着てもらうんだと、ボクはあっちの神に誓った。
日本の服も用意してあげたいなーとは思うんだけど、こっちの流行り廃りとかまだわかんないし、身分制度のあるこの国で、うっかり平民が着ちゃいけないもの着せちゃったらまずいからね。
「……食べながらでいいから、話聞いてね。今後のことについてなんだけど」
「えっ、そんなことしちゃっていいんですか? 旦那様がお話されているのに食べるなんて……」
「いや、冷めちゃうじゃない。食事は出来立てが一番だよ?」
「え、で、でも……」
「いいんだってば。どうもこの国じゃ女は男を立てるべきって考え方が一般的みたいだけど、ボクの故郷じゃそれはありえないから。君が好きなようにしていいんだからね」
「あの、……ん……わかりました。旦那様に従います」
……うーん、なんかボクが強制したみたいに……罪悪感すごい……。
相手の意思を強制するってのは、ベラルモースでは良い目をされない。ボクとしてはかよちゃんの自由意思を尊重したいんだけど、この辺りの感覚は完全に生まれ育った文化の違いか。
……「旦那様」だなんて呼ばれてかしずかれるのは、故郷じゃほぼほぼありえない体験だ。それが新鮮で悪くないとは思ってたし、これはこれで構わないんだけども。相手の意思を強引に変えてしまったんじゃないかって、それだけが心配だ。
でも、それを指摘しても彼女は困るだけだろうな。その手の認識が違うわけだから。
……うん、これ以上はあまり深く考えないようにしよう。思考のループにはまるだけだ。話を元に戻そう。
「それじゃ、話の続きだ。今後のことなんだけどね」
こくりと頷く木下ちゃんに微笑んで、ボクは先ほど考えていたことを説明する。
この辺りから引き払おうと思っていること。人の多いところに移動しようと思っていること。ついでにこの国の偉い人と話がしたいってこと。
そんなことを一通り話し終えた頃には、朝食は終わっていた。世界樹の花蜜をお茶兼デザート代わりに、話を続ける。
「ってわけなんだけど、木下ちゃんはどこに行くのがいいと思う?」
「えっと……私、そんなに物を知らないので、旦那様に満足いただけるようなことは……」
「それを判断するのはボクだよ。だからどんなことでも、思ったことは自分の中で完結させないで言ってね。ボクが人間じゃないって言っても、心が読めるわけじゃないんだからさ」
「はっ、はい、すいませんでした……」
「うん。それで? どこか心当たりはあるかな?」
「はい……って言っても、私に思いつくのは江戸くらいですけど……」
両手で持ったカップから、ちびりと世界樹の花蜜を飲んで彼女は言った。
江戸。名前は一応調べたことがある。確か、この国の王都じゃないのに、この国で一番繁栄してる街だ。
この国は封建制度のさなかにあるけど、どうやら王に実権はなくって、将軍が政務の一切を取り仕切っているらしい。立憲君主制に近い形態だね。
そして両者は別々の場所に住んでいて、江戸は将軍が住んでるほうの街、だったかな。百万を超える人口を誇るらしく、真理の記録によればこの国はおろか地球世界でも最大の街って話だ。
っていうか、人口百万人は、ベラルモースでもかなり大規模な街に入るだろう。なのにこの辺りには村が一つしかないんだね……。地方格差はこの世界でもある、ってことか。
「江戸……確か、将軍がいる街だっけ?」
「はい、だから色んなものが全国から集められるみたいです。出稼ぎで江戸に行く人も多いんだって、庄屋さんが言ってました」
「なるほど。それはいろいろと好都合だなあ」
出稼ぎ労働者が多いなら、日雇労働みたいな仕事もあるだろう。見返りをそれなりに用意してあげれば、ダンジョンに潜ろうとする人間は相当出てくるんじゃないかな?
そういう人を狙って、隙間産業的にダンジョンを構えられれば将来は安泰だろう。
うん、決めた。江戸に行こう。
「よし、それならすぐにでも江戸に行こう」
「えっ。あ、は、はい……」
即断したボクに、目を丸くする木下ちゃん。彼女はそっと机にカップを置くと、おずおずと口を開いた。
「あの……そのお姿で行くんですか……?」
「うん、問題はそれなんだよね!」
ははは、と苦笑しながらボクは後ろ頭をかいた。
どうも、人外です!
「あと、ジュイも目につくんだよね。いやー、どうしよっか?」
「わふー……」
仲間外れはいやだ、なんていう意思がジュイの視線から感じる。尻尾もぺたんと垂れ下がっちゃってるな。
大丈夫、君を見捨てたりなんかしないよ。君は記念すべき最初の仲間じゃないか!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ダンジョンの移動は、ダンマスものではあんまり見ないですね。
当初は最初のスタート地点も江戸の予定だったんですが、男女比率が極端に男に偏ってる上に、男重視な社会だった江戸でヒロインをダンジョンにぶち込む理由が思いつかなかったので、今の形になりました。
ちなみに、布団が登場したのは江戸時代の半ばくらいからです。庶民に普及したのは、明治も終わりに近づいてからです。
意外に思うかもしれませんが、実は歴史の浅いものなのですね。