第九十一話 ダンジョン防衛戦 終
いくつもの耐性スキルを持っているフェリパですら、激痛で顔がゆがむのを止められない。脂汗がだらだらと全身を伝う。腕を失うとはそれほどの重傷である。
だが、だがそれでも、彼女は気を抜くわけにはいかない。
「……うぐぅうぅっ! てぃ、ティルちゃん頼んだで!」
「……わかっています!」
だからフェリパは、塔盾を構えなおして声を張り上げる。
迸る血潮は、【生命力自動回復】により少しずつ止まっていくのだから、問題ない。腕も、クインならなんとかしてくれるだろうという確信があった。
ティルガナもそう判断した。だからこそ、彼女は仲間が作ったこの一瞬を無駄にはしない。自身ができる全速力で、魔法を構築していく。
「【トルネード】!」
選ばれたのは風魔法。ティルガナとフェリパを守るようにして、竜巻が発生する。
本来ならば竜巻を操って殲滅する広範囲攻撃魔法なのだが、ティルガナはこれを、防壁代わりとして使用した。
近づけばもちろん吹き飛ばされるだけでは済まない。その場から動かさず、効果が切れるまで置いておくだけで攻防一帯の防壁となるのだった。
実際、ごう、と風が吹き始めたのを栄次郎はすんでのところで退き、巻き込まれなかったが、それ以外の者は間に合わなかった。フェリパの左腕と共に虚空へ跳ね上げられ、真空の刃によって全身を切り刻まれていった。
「……藤田様、潮時でござろう!」
それを見て、また遠巻きに、ジュイが鉄砲隊らを片づけたことを見た栄次郎は、即座に逃げることを選んだ。
そしてずっと戦いを見守っていた藤田東湖もまた、栄次郎の決断に是と答える。
「退け! 退けぇい!」
その声と共に、わずかに残っていた兵たちは一斉に退却を始める。
彼らは善戦した。魔法なしで、よく戦ったと言える。だが、彼らの牙はぎりぎりのところで届かなかったのだ。
しかし、彼らの戦いはまだ終わらない。ボスエリアから退出した彼らの前に、着物姿の童女が立ちはだかった。
この江戸前ダンジョンの留守を預かるサブマスターにして、マスターの妻。悠久の時を経て現代に復活した鬼の娘、かよである。コアルームでのごたごたを治め、ようやくかけつけたのだ。
「な、なんだこの娘は……!? 角が……待て、安易に近づくな!」
栄次郎の静止も聞かず、動転した数人がかよに襲い掛かる。
だが、無策で距離のある魔法使いに近づくのは自殺行為だ。魔法構築の時間を与えるだけである。
そして、かよがコアルームでの処理を終えてから、新たに夫から受けた指示は一つ。
「――殲滅します」
その宣言と共に、フロアの土という土が一斉に暴れ出した。元々洞窟型の第5フロアは、地面はおろか壁も、天井も土だ。土魔法が十全に威力を発揮できるのだ。
そして。
「妖術【土竜爪】!」
土をもって壁となし、土をもって爪となし、土をもって竜となす。かよが放ったのは、そんな凶悪な魔法であった。それが古の大妖怪から継承されたものであることは、ダンジョンの者なら一目瞭然だ。
かくして瞬く間に襲い掛かってきた男たちは串刺しとなり、そのままの勢いで大量の刃が撤退途中のすべての侍へ殺到する。
前後左右、すべての方向からの攻撃から、魔法の使えない人間たちが逃げる術はない。
「ぬおおぉぉお!! な、斉昭さ――」
東湖の叫びが響き渡り、直後不自然な形で途絶する。
ほどなくして音が消えれば、かよの視界に死者をDEへ変換する是非を問う仮想画面が殺到した。
「ああ、かよ様……やっと来てくれはったんやな……」
「奥方様! ああ、奥方様の手を煩わせてしまいました……メイド失格です……!」
『はー、でもとりあえず、終わりだよねー』
そんなかよの前に、3人のダンジョンキーパーが集う。彼らの周囲に、既に動くものは1人たりともいなかった。
「……ああ、私も遂に人を殺めてしまいました……」
一方、かよはというと、初めての殺人にため息をついていた。だが、殺したことそのものにショックを受けたからではない。
「なんででしょう、あんまり罪悪感とかがないんですが……」
そう、殺しをしてもなお特に大きな感情の波がないことに対して、である。あれほど、間接的に殺しただけで吐いていたはずなのに、今のかよには一切の感慨がなかった。
それは彼女が持つ【精神耐性】が成長しているからだが、何よりも大きな要因は、鬼姫という魔人系統の種族へ進化したことである。魔人系統はクインが言った通り、必要な殺しに対しては抵抗の少ない人種系統なのだ。
もちろん、かよがそれを知る由もない。だが、引きずりすぎて夫の、あるいは仲間の足手まといになりたくない彼女は、それを棚に上げてサブマスターとしての仕事へ戻った。
「……旦那様、こちら終わりました。これでダンジョンは大丈夫だと思います」
『おっけーおっけー、撃退できたならそれでいいんだ。被害は?』
「ふぇ、フェリパ様が……フェリパ様が重傷です……! 腕を、腕を斬られてしまっていて……!」
『うわまじで? 意外と相手もやるもんだ……わかった、そっちについてはボクがなんとかする。かよちゃんはマスタールームに戻って、みんなの治療をお願い。フェリパの腕はひとまず止血しておいてほしい』
「わ、わかりましたっ」
ダンジョン機能を介した通信を終え、かよは操作を続けながらも仲間に声をかける。
「あの、えっと、お疲れ様でした」
「ええんやで」
「そんなとんでもない! わたくしめたちは、己の職務を全うできなかったのですから!」
『いろいろあったけど、とりあえずお腹減ったねー』
三者三様の反応に、かよは悲しげに微笑んだ。
「……では、マスタールームに戻りましょう」
そうして告げられた彼女の言葉に、同意が告げられたのは即座であった。
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「はあ……っ! はあ……っ!」
月が高く登った深夜、江戸前ダンジョンの入口で2人の男が荒い息をついていた。
身にまとう服はずたずたに切り裂かれており、身体のあちこちからは血が出ている。髷も乱れており、歳を重ねた男のほう――藤田東湖などは、囚人のごとき様相であった。
その周辺には、十数人の――死体。
「ぜぇ……はあ……ふ、藤田様……ご無事のようでござるな……」
「はあ……っ! ぐっ……! え、栄次郎……これは……!?」
もう1人は、千葉栄次郎。こちらは幾分かましだが、それでも決して無事ではない。
「ふ……ふっふ、ぜ、前回男谷殿らと潜った時に、洞窟の外に瞬時に出るとかいう道具を手に入れていたのでござる……。半信半疑でござったが、どうやら効果のほどはあったようでござるよ……」
「しゅ、瞬時にだと……!? い、いや……あの化け物どもが妖術の類を使っていたことを考えれば、それも……ありえないとは言えぬ、か……」
「探索者の間じゃ、稀に出る道具とのことで……今後あまり潜る予定はないと申しておった者から譲り受けたのでござるが……しかし……」
そこで言葉を切ると、栄次郎は周囲を見渡す。
周りから、彼へ声が飛ぶことは一切なかった。
「……間に合ったのは、藤田様だけのご様子。他の者は……」
「……まだ他にもいたはずじゃ……その道具とやらは、本当に効果があったのか……?」
「一定の範囲にしか効果がないのではないかと……」
「く……っ!」
だん、と地面を叩く東湖。ぎしりと歯が鳴った。
万全を期したはずであった。武士の誇りを、士道を曲げて銃を持ち込んででも、何より勝つことを目的にあらゆる手段を講じたつもりであった。
しかし現実はどこまでも非情であり、生き残ったのは東湖と栄次郎ただ2人だけという結果だけが残ってしまった。このようなふがいない結果は、とてもではないが認めたくなかったし、斉昭をはじめ多くの者に顔向けができない。
地面をたたいたその手で、土を憤然と握りしめる。だが、それで何かが変わることはなかった。
「……藤田様、まだ、まだ終わってはおらんでござる」
そんな東湖に、息を整えた栄次郎が声をかける。
「生き恥をさらすことにはなるでありましょうが……ここで死んではそれで終いにござる。今は臥薪嘗胆、雌伏の時かと……」
「…………」
彼の言葉を受けて、しばらく東湖は嗚咽をかみ殺していた。
だが、やがて目元を袖口で拭って顔を上げると、握りしめていた土をあさっての方向へと放り投げる。
「……栄次郎、そなたの忠義、しかと聞き届けた」
「はっ」
「一度戻るぞ。そして再び力をつける……」
「はっ!」
居住まいを正し、頭を下げる栄次郎。そして立ち上がる東湖。
攘夷の志士2人の意志は、未だくじけていなかった。
だが彼らはそこで周囲を改めて見直し、異常をようやく認識した。
「……しかし、これは一体何事か? 建物が崩れて……夜にもかかわらず随分と騒がしいようだが……」
「さあ……結構長い事中におりましたからな、皆目見当がつきませぬ」
周囲は、まさに先ほど起きたばかりの大地震によって、大きな被害を受けていた。
ダンジョンの入口周辺、迷宮都市として構築された区域は、最悪の事態を想定して建てられた建物が多いため、被害自体はさほど大きくない。だが、壁に覆われたそこから一歩出ると、江戸の街は目も当てられない状態になっていた。
事前にクインたちが地震を予測し、避難経路の確保や物資の用意など、防災や被災後の心得などを周知させていなければ、大混乱となっていただろう。
だが今のところは、ダンジョンから出動したクインたちの活躍、さらには江戸城に詰めていた者たちの活躍により、ひとまずは落ち着いているところである。
「なんと……これは……!」
「江戸の街が……これもあの化け物どもの仕業か!?」
そんな被害を見た東湖は、怒りを隠すことなく爆発させる。
実際のところはクインが引き起こしたわけではなく、あくまで地球の自然活動の一環にすぎないのだが、魔法を見てきた直後の東湖には、そんな発想は微塵の出てこなかった。直前に見た魔法が、土を操るものであったこともそれを助長した。
「許さんぞ……! あの化け物ども、いつか必ずや天誅を下してくれるわ!」
決意表明とも言える東湖の雄たけびが、秋も去ろうとしている江戸の夜空に響き渡った。
――史実に言う、安政江戸地震。この時死ぬはずだった男がかくして、ダンジョンの中という時空的に隔絶した空間にいたが故に生き残った。
既に大きく剥離している史実とこの世界の歴史。果たして藤田東湖という男の生存が、どういう歴史を導くのか。それはまだ誰にもわからない。東湖本人ですら。
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「東に……土の災の相が出ておるの」
行燈一つの明かりを受けて、全裸の少年がふむと東へ顔を向けた。その手元は、不気味な青白い光を放っている。
「地震でも起きたか? なれば、また人心が乱れるの。くくっ、我にとっては実に好都合じゃ」
歯を見せて少年が笑う。
それは子供がする笑いではない。どこまでもどす黒く、闇を放つ笑みだ。
その背後には、見る者が見れば邪悪な狐の姿を見ることができるだろう。だがそれができる者は、この国には少なくともいない。ダンジョンの中に数人がいる程度である。
それを理解しているからこそ、少年は自らの本性を隠さない。少なくとも今は、隠すほどの相手も近くにいないのだから。
「もっと、もっと荒れろ。さすれば我が食える餌が増える。早く本調子に戻るには、何より食事が肝要じゃからの。くくっ……この国を食らい尽くす日が来るのが、楽しみじゃのぉ」
そうしてさらに笑って見せる少年の肩に、骨のような老人の手が回された。
その手にぐいと引き寄せられた少年は、それまでの気配を霧散させながらも抵抗せず、老人の胸元へ寄り添う。
「なんじゃ……起きてしもうたか。それですぐことに及ぼうとは、ぬしさまも絶倫じゃのぉ?」
「ふへへ……お前がそれだけ魅力的なのだよ、玄瑞」
「んあ……♥ ふふ、嬉しいことを言ってくれるお人じゃ」
とろけた顔で老人と口づけを交わす少年――久坂玄瑞。
だがその言葉、態度とは裏腹に、その思考は氷のごとく冷え切っている。彼に、そのような愛情は一切ない。そこにあるのは、餌を見る目だけだ。
対する老人は、玄瑞が「絶倫」と評する割にはいささか……いや、かなり死相の出た、幽鬼めいた風貌であった。目に力はなく、焦点も定まっていない。にもかかわらず、その口ぶりは情熱的である。極めて不自然な状態と言えよう。
それもそのはずこの老人、史実なら既に死んでいるはずなのだ。それを玄瑞が魔法で強引に延命を続け、枯れ果てた魂をなおもむさぼり続けている。
彼の名は村田清風。かつて長州藩の財政再建に奔走した人物である。
だがそのような俊英も寿命には勝てず、そして、だからこそ医者の名目で近づいた玄瑞の魔法をはねのけられなかった。今の彼は、玄瑞がその立場を上げるための足場であり、魔力を補給するための餌でしかない。
(だましだましここまで引き延ばしてきたが、さすがにこれ以上は無理じゃな。いい加減餌を変えねばならんの)
表面上は色欲に溺れる少年を演じながら、玄瑞は思考する。
(そろそろ大物を狙いに行くか……このまま堅実に、ちまちまとやっていくのは性に合わぬ)
骨と皮だけと言っても過言ではない清風の背に両手をまわし、その肩に顔を預けながら彼はにたりと笑う。当たり前だが、清風がその様を目にすることはなかった。
長州藩に立てられた毒牙。その毒は少しずつ、しかし確実に、その身を侵し始めていた……。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
防衛戦はこれにてひとまずおしまいです。
この後は主に主人公に反省してもらって、今章を終わりとする……予定。