第八十三話 後継者候補について
そんな会談を終わらせて、ボクたちはその場を後にした。
「さてと……せっかくここまで来たんだし、家定君に会ってこようかな」
「閣下……それは構いませんが、後先は考えてくださいね」
「う、わ、わかってるよ……」
いくらボクでも、周りに被害が出るようなことはしないってば。
「ちなみにロシュアネスは?」
「私は一度ダンジョンに戻ります。先ほどの件でどれほどの費用がかかるのか、大まかな見積もりを出そうかと」
「……任せるよ」
「仰せのままに」
頭を垂れたままの状態で【テレポート】を発動させたロシュアネスを見送って、ボクは歩き出した。
彼女には悪いけど、彼女に任せてたほうが間違いはないんだし。
っていうか、何かの形で報いたほうがいいかもな……。ユヴィルもそうだけど、外に出て活動するメンバーは負担が大きいし。
うん、なんかもので釣ってるような気にもなるけど、これは信賞ってやつだ。必要なことだ。うん。
「……ま、それは後で考えよう」
とりあえず棚に上げて、ボクは普段家定君と会う際に待合室に使ってる部屋へ向かう。
もはや勝手知ったる我が家みたいな感じで言ったけど、大丈夫だよ、ちゃんと先導してる人はいるよ。今まで無言だっただけ。
それが老中の堀田正篤君ってのが、知らない人から見たら驚かれる理由なんだけど。
「……あれ?」
わりとどうでもいいことを考えながら歩いていると、聞き覚えのある声がした。
前を行く正篤君もそれが聞こえたんだろう、足を止めて聞こえたほうへ目を向ける。
そこには……。
「わあ、上様、この水ようかんとってもおいしいです!」
「わはははっ、そうだろうそうだろう! 何って言っても特別なモノを使っておるからなっ!」
「特別なモノ、ですか?」
「そうだぞ。しかしな、しかしな、それは言うわけにはいかん!」
「えーっ、教えてくださいよぉ」
「残念ながら、これは男と男の友情の問題なのだっ! たとえそのほうでも言うわけにはいかんっ!」
「えー……」
水ようかんを乗せたお皿を片手に、日陰の縁側で並んで座っている家定君と……小さい男の子がいた。
それを見た正篤君、さすがに表情を変えて「御免」の一言を残してそちらに駆けていく。
「上様……! ろくに供もつけずこんなところにいるのは、さすがの拙者も一言申し上げねばなりませんぞ……」
「お? おお、堀田! ……に、おお、クイン殿!」
「や、家定君久しぶりだね」
けど、家定君はボクを見るや、正篤君もそっちのけでボクのほうに走り出てきた。そのままボクの手を取ると、ぶんぶんと上下する。
「うむ、うむ! 最近は忙しかったであろうが、大事はなかったかっ?」
「もちろん、元気だよ。そういう君のほうは大丈夫? 元々丈夫じゃないでしょ?」
「はっはっは、今年は今のところ息災だぞっ! きっと、クイン殿からもらった『アレ』のおかげであろうっ」
「そっか、ならボクとしても嬉しいよ。健康が一番だよね」
お互い笑いあうボクたち。
確かに、今の家定君は顔色もいいし、初めて会ったころに比べると元気そうだ。やっぱり、生命力を確率で底上げする世界樹の花蜜が効いたんだろうな。アレ自体も強力な滋養強壮作用あるし。
そんなボクたちの向こうで、直前まで家定君と談笑してた男の子がぽかんとした表情でこちらに目を向けている。その隣では、正篤君が眉間に指を当てているけど。
ふむ? この子、顔つきはどことなく家定君に似てるような。面長で鼻が高めなのは、家定君とは方向性が違うけど……。
「……家定君、そっちの子は?」
「おお、そうだそうだ。紹介せねばならんなっ! 慶福、ささこちらへ参れっ」
「へ? は、はい」
いきなり話の渦中にさらされた男の子は、頭上にはてなマークを浮かべながらも素直に家定君に従う。
そのまま家定君の隣に並ぶと、礼儀正しく作法に乗っ取って頭を下げてきた。
「クイン殿、これは余のいとこでな、徳川慶福と言うのだっ」
「はじめまして、クイン殿。紀州が国の主、徳川慶福にございます」
……んんんん!?
家定君! この子、紀州徳川家で次の将軍候補の子じゃないか! とんでもない爆弾じゃないか!
でも、そういう感情を表に出すわけにはいかない。ボクは顔が引きつるのを必死に押しとどめながら、この国の作法で対応する。
「ご丁寧にありがとうございます、閣下。ボクの名前はクイン……ただのクインです。家定君……ああいや、公方様とは友人としてお付き合いさせていただいているものです。以後お見知りおきを」
「えっと……上様のご友人、ですか……?」
理解できない、と言った感じで慶福君が小首をかしげる。さっきの挨拶は堂に入ってたけど、この辺りの挙動を見るにまだまだ子供なんだろう。
調べた限りだと、確かまだ10歳になってない。この国は数え年って風習があるから、それで行けば10歳だけど……。
まあでも、それを抜きにしても、この国の常識では家名も持たないただの一個人が将軍の友達っていう状況は、奇異に映るんだろうね。そしてそれがわかるくらいには、既にこの子は相応の理解力を持ってるんだろう。
「そう、余の友人だっ! クイン殿はな、異国の方なんだぞっ」
「そ、そうなんですか! えっと、じゃあ、南蛮の方ですかっ?」
家定君の説明に、慶福君は納得したのか今度はいかにも好奇心旺盛といった顔でボクに目を向けてきた。
うーん、この反応に近いものを、どっかで見たことがある気がする。なるほど、家定君のいとこかあ。
「南蛮ではないですよ。もっともっと、とても遠いところから来ました」
「もっと遠い!? すごいです!」
「はっはっは、そうだろうそうだろう!」
何がすごいのかよくわからないので、とりあえず曖昧に笑っておくボク。
家定君と慶福君はどうもあの要領を得ない会話で意思の疎通ができてるみたいだけど、二人の間に一体何があるんだろうか。
っていうか、なぜ家定君が自慢げなんだい?
「上様……そろそろ」
二人が盛り上がってる合間を縫って、正篤君がさっと話題を切り替えにかかった。
「ん……わかった、わかったぞ。ではクイン殿、また後で! 余は慶福を一度返してから向かうゆえな!」
「わかったよ。いつも通りだね」
「そうだ! ではまた!」
「うん」
そうしてボクらは一旦分かれた。
が、その後ろから慶福君の声が聞こえてくる。
「上様、わたしはご一緒できないのですかっ?」
「すまんな、慶福。クイン殿との会談には、余と老中しか出てはならんと決まっておるのだ!」
「そんなぁ……異国のこと、もっともっと知りたいですのにー……」
「国家の機密もあれば、友情のあかしとして明かせぬことも多くあるからな! すまんが、もう少し我慢してくれ! …………」
少しずつ遠ざかる、そんな会話を聞きながらふと正篤君に声をかけてみる。
「……あの二人仲いいみたいだけど、それでも家定君ちゃんと秘密は守ってくれてるんだね」
「そうですな。そこは上様とて、将軍になるべくして生きてきたお方ですから。もちろん奥の者にもクイン殿のことは話しておられないようですぞ」
「それもそうだね。……でもあの二人、将軍とその部下っていうよりは」
「上様にはお子がおりませんからな。いとこの慶福公を、さながら我が子のように思っておいでなのでしょう」
確かに、歳の差も結構なものだ。軽く15は違うんじゃないかな? 親子って言っても、あながち無理でもないくらいだ。
それにしても、慶福君に対する態度を見るに、家定君はやっぱり、王族とかそういうところに生まれるべきではなかったかもねえ。彼はきっと、ああいう風に何気なく家族と過ごしたいんだろうけど……。
「……ねえ正篤君。ボクはさ、家定君を領事にしてうちに来てもらうってのは賛成なんだけどさ。その後釜にあんな小さい子を据えるのはどうかとも思うんだ。いくら御三家の人間って言ってもさ」
「ですな。その辺りの懸念もあるのです。政の場では、若さは時に弱みにもなりますからな」
「だねえ。見た感じ外国への偏見もなさそうだし、立ち居振る舞いから見ても将来有望っぽかったけど……彼の対立候補に挙がってた一橋慶喜君って、どんな人?」
「どんな、ですか……」
そこで一度、正篤君が口を閉ざした。ちょうど控室に辿り着いたのだ。
そこに二人で上がり、とりあえず腰を下ろす。
「……拙者はご存じの通り根っからの開国派でしてな。おかげで水戸斉昭とは不仲であったのですが……その兼ね合いで、彼の息子である慶喜公に対してもあまりいい感情は持っておらんのです。よって、正しい評価ができているとは保証しませんぞ」
そして再び口を開いた彼は、そう断ってから話を始めた。
「慶喜公は、そうですな。愚かな知恵者とでも言いましょうか」
「結構言うね、君も。その心は?」
「幼少の頃より英才教育を受けてきたお方ゆえ、知恵者であることは間違いなかろうと思います。が、危険や失点を徹底的に避ける傾向もありましてな。よく言えば慎重でござるが、悪く言えば臆病でござる」
「あー、策士策に溺れる典型みたいな」
「左様。それに、巡らせる考えを実行に移す手際がよろしくない。貴種であるがゆえか他者への気遣いが足らず、独りよがりなやり方が目につくのですよ」
「なるほどねー」
「水戸斉昭の子としては、異国のものへの理解はあるほうなのですがな。豚肉もよく食しておるようですし、嫌っておるわけでないようなので、うまく誘導できれば開国派となりそうではあるのですが。元々が極端な尊王の家で育った男ですから、そこは曲げそうにない……というのが拙者の評価ですかな」
「よくわかったよ」
つまり、家定君の後を継ぐ候補者の二人をたとえると、将来が期待できそうな改革派の若手か、多少問題はあっても能力自体は高い保守派の即戦力、って感じになるのかな。
うん、これ、すごく難しい二択だね?
「ちなみに、家定君自身はどっちに譲ると思う?」
「それは間違いなく、慶福公でありましょう」
「あれだけ親密ならそりゃそうか」
「それもありますが、上様は慶喜公を嫌っておられるので」
「……なんで?」
「いわく、『余より顔のいい男は気に食わん』と」
「イケメンは滅べってか……」
あまりにも生々しい理由に、ボクは思わず苦笑するしかなかった。
なんていうか、独り身の男の、心の叫びを聞いた気がした。
でも彼の場合、病気の痕が顔に残ってるってのもあるからねえ……ただの非モテとはわけが違うよね。人柄で言えば、十分魅力的な人なんだし。
だからその後、いつも通りの会談を家定君、正篤君とやったんだけど、まだ決まってもいない彼の結婚相手が美人で、しかも彼にべたぼれであることを祈ってやまないボクだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
一橋慶喜、すなわち史実で言う15代将軍慶喜は、現代でも評価の分かれる人物ですね。
明治維新後、歴史の表舞台に一切出ないまま何十年も隠遁し続けていたのもその原因でしょうが、実際のところはどうだったんですかねえ。
個人的には、こういう評価の分かれる部分の摺合せこそ、歴史を学ぶ面白さだとは思いますけどね。
ちなみに、家定が慶喜を嫌ってるって理由である「俺よりイケメンは嫌」は史実通りです。