挿話 妖怪さんに嫁ぎました
あったかいお湯の雨が、私の上から降り注いでいます。人肌くらいのそれは気持ちよくって、水じゃ禊ぎ切れなかった身体の汚れが清められていくような気がします。
一畳半くらいの広さの小さな部屋でそんな風にお湯を浴びながら、私はただぼんやりと壁の一点を見つめていました。
ついさっき自分に起きたことがあまりにも信じられなくって、これはもしかして夢なんじゃないかって、そう思っちゃうのです。
私の名前はかよ。とある農村に住んでいた、どこにでもいる村人でした。
ちょっと他と違うことと言えば、代々村のお社をお世話してたことくらい。あ、お武家さまじゃないから公には名乗れないけど、木下って姓もちゃんとあります。
お父さんは宮主で、お母さんは巫女で、村の行事を取り仕切ったりもしてました。私もその娘として、それなりにいろんなことを教えてもらってました。
そんな私が、突然森に現れた白い化け物の生贄に選ばれたのは九日前のことです。
白い化け物に村の食べ物を食べられちゃって、村は困っていました。仕方なしに森に獣を採りに行きましたが、こちらも食べられちゃったのか、見つかりませんでした。お米の収穫はまだ先なのに、突然の食糧難でみんながひもじい思いをすることになってしまったんです。
だから村の若い男の人たちは化け物を退治しに行くんだって、鎌や竹やりを持って森に出かけていったんですが。次の日には六人中一人しか帰ってきませんでした。
その後もお武家さまが三人出かけていかれましたけど、こちらも傷ついて戻ってきました。一人は毒で、危篤に陥ってしまったとか。
だから、白い化け物には敵わない……そんな風に村の皆は思ったのです。それで今までの非礼をわびるため、これ以上村を苦しめないでほしいって言うため、生贄を出そうってなったんです。
私が選ばれたのは、未通の女で成人していたのが村に私しかいなかったから。それに、元々お社……つまり神様に仕える家の鎮守の力を期待されて。
もちろん、だからって納得なんてできなかったです。生贄になるってことは、死ぬってことなんだから。
でも村のみんなのためなんだって言われれば、私にはうんとしか言えませんでした。言ってる意味は、わかるから。
そうして私は、付け焼刃だけど私は言葉遣いや作法を教えてもらうことになりました。
あの白い化け物を、みんなは「きっと森の主だ」って言っていました。それで、その森の主を怒らせてしまったんだ、って。だからこれ以上怒らせないために、礼儀はわきまえてなきゃいけないんだ、ってことで。
元々私もお社で神事に少し関わってたので、この辺りはあんまり難しくは感じませんでした。死ぬためにしてるんだって思うと、気分が沈みましたけど。誰かのためでもあるからって思って、震える身体を抑えてがんばりました。
そして決行の日。念入りに身体を清めて、いつもは着ない神事のためのお召し物を着た私は、化け物の巣に連れていかれました。なけなしの食べ物と一緒に、生贄として捧げることを庄屋さんが洞窟の奥に宣言して、私は一人になりました。
そこに現れたのは、立派な身体の真っ白な狼でした。目は赤くって、普通の狼とは雰囲気も違います。どこか神々しい雰囲気もありましたが、ちらりと見える牙はとても鋭くて、恐ろしげにも見えました。
ところが、この狼は森の主ではなかったのです。
狼に連れて行かれた洞窟の奥で、私は本当の森の主に出会いました。そしてその瞬間、私は恐怖でまったく動けなくなったのです。
そこにいたのは、妖怪でした。青みがかった銀色の髪。空のような透き通った青い目。そして青磁色の肌。
見た目は人間のような形をしていましたが、どう見ても人間じゃありませんでした。何と言っても、その身体は腰までしかなく、それが白い花から生えているのです。花の下は草木と同じで、太い蔓が数本生えてうごめいていました。
あまりにも現実離れしたその姿に、私は何も言えなくなると同時に心の底から恐ろしくなったのです。あんまりにも怖くて、何も考えることができなくなるくらいで。
けど、不思議なことにしばらくしたら、その恐怖感は私の中から消えてしまいました。なんでそんな風に感じたのか疑問に思うくらい、きれいさっぱりと消えてしまったのです。
突然のことでしたが、それでも私は妙に気持ちが落ち着いて、相手の姿を見て考えるくらいの余裕ができました。
その妖怪は、よく見ると私とあまり変わらないくらいの子供の姿をしていました。男の子でしょうか。女の子でしょうか。それは見た目からじゃわかりませんでした。
けど、にっこりとほほ笑む顔はむしろ村で知っている誰よりも整っていて、私たちとはちょっと顔のつくりは番うけど、目を奪われます。
ちょっと髪とか肌の色とかが違うだけなのに、どうして私はあんなに怖いと思っちゃったんだろう? そんな風に思ってしまうくらい、きれいな顔だったのです。
「大丈夫?」
私が少しぼんやりとしていると、妖怪が口を開きました。
その声は涼やかで、まるで歌みたいな響きで耳に残るもので。意識していなかったので突然のことに感じて、私の身体は思わずびくりと跳ねました。
それで、自分がこの妖怪の生贄になったんだって思い出して、慌てて頭を下げます。
「それは肯定ってことでいいかな?」
「は、はいっ」
「ああ、顔は上げていいよ。畏まられるのは嫌いじゃないけど、そのままだと話しづらいから」
「は……はい」
その言葉で顔を上げた私は、もう一度妖怪と対面します。妖怪は、どこか楽しそうに微笑んでいました。
それから妖怪はクインと名乗って、いろんな質問をしてきました。ところどころ言葉がぎこちない部分もあったけど、話はちゃんとできました。
それで私は、自分が生贄で、ここに来た経緯を説明しました。それを受けて、クイン様は唇に指を当てて考えているようでした。
彼? が何を考えていたのか、私にはわかりません。どういう風に考えたのかも、わかりません。
だから、彼が突然、
「君を食べてもいいんだよね?」
って言って来た時は、恐怖がぶり返してきて思わず腰が引けました。
けど、小さく首を傾げてにこにこと笑うクイン様の姿は、もうそんなに怖いものには思えなかったのです。なんでかはわかりませんが、それくらい私は、落ち着いて彼の前にいることができました。
だから、少しだけ声が上ずったけど、それでも肯定を返すことができたのです。
でも、さすがにその直後に私をめとると言った彼には、心底驚きました。思わず声が裏返って、うろたえてしまいます。
「ひゅっ!? は、は、はいっ。えぇっ? あ、あの」
「ふふ、安心しなよ。別に取って食いやしない。人外なのは確かだけど、無暗に殺したりなんかしないさ。かわいがってあげるよ」
そう言って彼は私を持ち上げると、視線を合わせてにっこりと満面の笑みを浮かべました。
間近で見るクイン様のそんな顔を、私は直視できませんでした。胸が急にどくんとはねて、身体が熱くなるのを感じました。
そのまま顔を伏せてしまう私。失礼だとは思いましたが、どうしても顔を上げられなかったのです。
私だって、もう大人の女です。ま、まだ経験はないですけど、それでもお母さんから夫婦のなんたるかは教わっていますし、睦ごとの手管も教わっています。めとるという言葉の意味がわからないわけじゃないんです。
けどそれを面と向かって、はっきりと伝える人なんてそうそういません。普通は祭りの余韻の中でなし崩し的に成立することが多いですし、伝えるにしても恋文を送るほうが一般的なんです。
でもそんな普通じゃない告白に、思っちゃったんです。私をちゃんと女って見てくれてるんだ、って。それがなんだか嬉しくって、妙に気恥ずかしくって……それで、顔を伏せてしまったのです。
そんな私を尻目に、クイン様はくるりと向きを変えて歩き(?)出しました。案内するよ、と、そう言って。
(どうしよう、まだ返事もできてないのに! ちゃんとお伝えしなきゃ、えっと、えーっと)
こういう時になんて言えばいいのか、ちゃんと教わってたはずなんですが、すぐ出てきませんでした。
幸いなんとか思い出せたので、私は勇気を振り絞って、すぐ目の前の妖怪なお人に声をかけます。
「あ、あの、えーっと……だ、だ、旦那……様……?」
私のその言葉に、クイン様……いえ、旦那様は少し驚いた様子で私を見ました。
けどすぐに嬉しそうに笑うと、どこからともなく蔓を伸ばしてきて、それで私の頭をそっとなでます。
それは蔓のはずなんですが、人の手のようなあったかさがありました。それが妙に心地よくて、自然と私の頬も緩みました。
そして。
「あの……ふ、不束者ですが、よろしくお願いします……」
なんとかそう、伝えることができたのでした。
そうして、今に至ります。
旦那様はひとまず身体を洗っておいでと言って、私をこのしゃわーるーむというところに連れてきました。そしてここの使い方を説明して、たおるとかいうふわふわの手拭いに替えの服まで用意してくださって、部屋の方へと戻っていきました。
旦那様に言われた道具はどれも不思議なものばかりで、すごいものばかりです。取っ手をひねれば勝手にお湯が、しかもずーっと出てくる管なんて、見たことないです。旦那様が頭の上から足の先まで好きなだけ洗っていいよ、とおっしゃったのがよくわかりました。
それに、身体用の洗料も髪用の洗料もすごいです。あっというまに汚れが落ちて、しかも身体も髪も艶っぽくなるんですから。一体何でできてるんだろう?
そうやって一通り身体を洗い終えて、ふと私は思ったんです。私は何してるんだろう? って。
私は、殺されるためにここに来たはずでした。なのになぜかその相手に求婚されて、承諾して。そして見たこともない道具を使わせてもらって、身を清めている。
本当に、ついさっき自分に起きたことがあまりにも信じられなくって、これはもしかして夢なんじゃないかって、そう思っちゃうのでした。
これから、私はどうなるんでしょう? まるで想像できないんですが、でもなぜか不安はないんです。これが旦那様の甲斐性でしょうか?
「でも……お父さんお母さんどうするんだろ……村の人も心配だな……」
元々裕福じゃなかった村が、食料の蓄えをなくしてしまっているのです。私一人がいなくなったところで、苦しいのは間違いないでしょう。何も起きなきゃいいんですけど……。
「……旦那様なら……なんとかできないかな……」
こんなすごい道具を持ってる人です。もしかしたら、あの村も……なんて、考えてしまいます。
旦那様に意見するなんてでしゃばり、しちゃいけないってわかってるんですけど。でも、両親がいることを考えると、いてもたってもいられないのでした。
「どうせ死ぬ気でここに来たんだし、言うだけのことは言ってみようかな……」
降り注ぐお湯の中でそんなことをつぶやいて、私はお湯を止めました。最後の水滴が、ぴちゃりと音を立てます。
どこに繋がっているかわからない溝に消えて行くお湯を見送って、私は小さな決意と一緒にしゃわーるーむを後にするのでした。
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「おかえり。うん、やっぱりボクは下ろした髪のほうが……って、どしたのその恰好? 誘ってるの?」
「いえ、あの、だ、旦那様……! そ、その、このお召し物は……ど、どうやって着ればいいんですか……?」
その小さな決意は、見たこともない服の前に砕け散りました。着方が全然わからなかったのです。
仕方なく旦那様に伺いましたけど、たおるで隠しているとはいっても、裸を殿方の前にさらすのはすごく恥ずかしいです……!
「え、なんで? もしかしてボタンの使い方わかんないの?」
「牡丹……? どうしてここで花が……?」
「わーお、そう来るかー」
そして私はこの時、これからのために絶対に忘れてはいけない訓戒を得たのです。
妖怪の旦那様と人間の私では、常識がまったく違うんだ、ってことを……。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
かよちゃんはチョロイン(作者による熱い風評被害
まあ本当にちょろいのはクインですけどね。かよちゃんは魅了のスキルにひっかかっただけなんです、本当です。