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灰になった英雄
作:TA



第三章


この物語は、私のサクセス・ストーリーだ。
 断じてフィクションの冒険譚や国の陰謀を紐解くミステリーではない。
 けれど、どうしてだろう?今でも、私にはわからないが──
 これを読むあなたには、そちらのほうがしっくりくることだろう。
                          
                              イザナミ白書:端書

    


「ここまできてアレなんだけどさ。グレイの探してる“ノイズ”って一体何なの?やっぱりおたから?」
 未だに続く下水道の道を歩きながら、マコトは何気なく質問する。意図は無い。単純な好奇心からだ。
「着けばわかる……と言いたいところだが、妙な期待をしないように言っておく。別に“ノイズ”は宝でもなんでもない。興味があるのは俺ぐらいなもんだろう。それどころか大変な危険物だ」
「危険物──なの? それじゃ、なんだってアンタはそんなもんに興味があんのよ」
「……着いたぞ」
 マコトの質問には答えずに、グレイはそれだけを告げた。だが見たところこれまでの壁となんら変わるところは無い。
「この場所から強い魔力の波を感じる。マコト、この壁を壊してもらえるか?」
 疑問を感じ取ったのか、もっともらしい説明を付け加えるグレイ。マコトにはそんなよくわからない波なんて感じられなかったのだが、特に意見をすることもない。グレイがそう言うのならそうなのだろう。
 納得して、言われたとおりに壁を破壊するため二、三歩あとずさるマコト。先ほどの要領で加速し、なるべく威力を一点に抑えるよう留意して手首の閃光と共に一撃をお見舞いする。
 局地的な地震でも発生したかのような轟音と土ぼこりをあげながら壁は崩れ去った。そして──やはり。グレイの言ったとおり、そこには新たな通路が出現していた。今まで歩いていた下水道の道とは明らかに違う、不可思議な材質でできた通路だ。根拠はないが、マコトはそれを不気味に感じた。
「行こう」
 それだけ言って、通路の奥に向かうグレイにマコトも続く。
「……?」
 一歩その不可思議な通路に足を踏み入れた瞬間、マコトはなにやら悪寒のようなものを感じ取った。これがグレイの言っていた「強い魔力の波」とやらなのだろうか。マコトにはそれはむしろ「近寄るな」という警告の声であるように思われた。断じて追い求めるようなものではない……少なくとも自分にとっては。
 だがここまで来て引き返す道理も無い。珍しく弱気になっている自分に渇を入れ、マコトはさらに奥へと歩いていった。 



 その空間は意外にも昼下がりの室内ほどの光量があり、加えてその中に丸々二階建ての一軒家が建つのではないか思える広さをも備えていた。
 部屋を取り巻く幾何学模様が光源であるらしく、独特の影を作り出している。見ようによっては美しく見えないこともないだろう。だが真っ先にマコトの目を捉えたのは、空間の中心に位置する異形の人型をした石像だった。
 単純な人間像ではない。背格好こそ人間大だったが本来あるべきはずの耳や髪はなく、代わりに人間にしては長すぎる爪やあるはずもない突起をいくつか備えていた。
 悪魔や魔族。そんな呼び方がしっくりくる。同時に、その石像が例の「強い魔力の波」の元だということぐらいはマコトにもわかっていた。これはただの石像ではない。
「一体何なのこれは。言っとくけど美術品だとか彫刻だとかつまんないことぬかしたらぶっ飛ばすわよ」
 マコトはそう言って、意思のこもった瞳でグレイを見つめる。
「……魔王、だ。遥かな昔この国を荒らしまわった末この地に封印された。少し大きな図書館に行けば載っている本もあるだろう。最も、今となっては正確な情報かどうか怪しいものだが」
 悪魔、魔族──そんなどころの話ではなかった。
 魔王。そう呼ばれるからには、軍勢を率いて国を侵略しそれなりの恐怖を大衆に与えていたのだろう。百歩譲ってそれはいい。そういうものが実在することはマコトでも知っていた。
 だが……
「なんだってアンタがそんなもんに興味があるわけ?」
 先ほどはぐらかされた質問を、一字一句違わず浴びせかける。もう言い逃れは許さない。
 そんなマコトの思いを悟ったのか悟ってないのか、グレイはその質問に対して口を開いた。
「こいつそのものには興味はないさ。別に封印を解いて暴れさせようって腹もない。俺に必要だったのは、こいつを封印している術式だ」
 そう言って、グレイは二丁の拳銃を構えた。それぞれ部屋の上空に向けて掲げ、引き金を引く。
 いつものように出現する三つの魔方陣。そこに向かって、部屋全体の幾何学模様から得体の知れない光がゆっくりと渦を巻いて吸い込まれていく。
 この術には見覚えがあった。規模は違うが、昨日あの大層な名前の清掃員に向けて使った魔術だ。
 あの魔術は記憶を複写するものだと聞いていた。記憶を情報と置き換えるならば、今この部屋全体を覆っているグレイの言うところの「封印の術式」とやらはグレイの頭の中へと流れていったことになる。
 つまり、目的は完遂したのだ。晴れてマコトもお役御免というわけだが、どうにもすっきりしない。
「念のため聞いておくけど、その術式とやらを何に使うわけ?」
 さらに質問を重ねるマコト。聞いておかなければ、自分の気が済まなかった。 
 グレイはなにやら逡巡しているようだった。無理も無いことだったが、言わないのであれば実力行使もやむを得ない。
「ここまで引っ張っておいて秘密です、さようならではフェアじゃない、か。いいだろう。俺の目的は──八年前に封印された“暁の魔王”を解き放つことだ。そのために、“ノイズ”を封印した術式の情報が必要だった」
 逡巡の果て、ややためらいがちに発したグレイの言葉──これにはマコトもショックを受けた。後頭部を鈍器で不意打ちされたほうが幾分マシだったかもしれない。それほどの衝撃だった。
 暁の魔王。
 八年前、勝てるはずの《オラトリオ》との戦争を敗戦に導いた元凶。
 突如として現れたこの化物は国の主要都市に壊滅的な打撃を与え、指揮系統を徹底的に混乱させた。
 戦勝ムードに包まれていたこの国の誰もが、あってはならない現実に絶望する。あとほんの少しで長い戦争が明けるというこの時期だからこその反応。敵国もそれを見逃すほど愚かではなく、戦意を喪失した軍は次々と敗北を喫する。
 今この国、《ベルデ》が《オラトリオ》の属国とならず無条件降伏だけで済んだのは、その時勇敢にも立ち上がり自らの命と引き換えに魔王を封印した“二人の英雄”のお陰に他ならなかった。
 故に、この国に住まう者で“暁の魔王”と“二人の英雄”の逸話を知らない者はいない。なにしろ辺境の、さらに当時八歳だったマコトですら聞き及んでいるのだ。
「まさか、オラトリオのスパイ?」
 マコトは頬を伝う冷や汗を拭うこともせずグレイに問うた。無条件降伏という和議に至ったのを良しと思わないオラトリオの密偵が魔王を復活させ、今度こそ完膚なきまでにこの国を叩き潰そうと考えるのもありえなくはない。
「俺は正真正銘のベルデ人さ。それも根っこからどっぷり漬かった、な」
 片手で眼鏡を抑えながら、なぜか自嘲気味にグレイは答えた。
「じゃあなんで!? あんただって知ってるでしょ? あいつのせいでこの国は負けたのよ! それを復活なんてさせたら国にも二人の英雄にも申し訳が立たないってことがわからないの!?」
 堰を切ったように感情が流れ出す。誰だって国を滅ぼしたいとは思わない。それはまだ十分に少女であるマコトでも同じだった。なにしろまだ、たったの八年しか経っていないのだ。再び戦乱の世に舞い戻るには早すぎる。
「たとえば──」
 マコトの必死の問いかけが、届いているのかいないのか。グレイは遠くを見る目で語りだす。
「たとえば、お前の大切な人が誰かに囚われたとする。その人を助けるためにはあらゆるものを敵に回す必要があり、さらに自分は助けるための力も失い、無力になっていたとする。そんな時……お前だったらどうする?」
 馬鹿げた理論だ。何故こんな話を始めたのかはわからないが、マコトの答えは決まっていた。
「どうにもならないことは、どうでもいい。どこに言っても通ずる理論よ。これが賢い生き方だわ」
「……だろうな。だが生憎、俺はバカなんだよ」
 真正面にあるはずのグレイの瞳は、マコトの後頭部をすり抜け遥か彼方を見つめていた。
 ここではない、今ではない“どこか”を。
「話が見えないわ。つまり、アンタは──」
 何が言いたいのか。
 最後まで言葉を紡ぎ終える前に、マコトのソプラノよりも遥かに大きな轟音が覆いかぶさった。
 この空間の入り口から絶え間なく鳴り続ける重低音。遅れて聞こえる乾いた金属音──ガトリングガンの発砲音と、その薬莢が床に落ちる音。
 弾かれたように横っ飛びに回避したマコトとグレイの瞳に、それを実行した人物が映し出される。
 口の端から、麻薬中毒者が垂らすよだれのように絶え間なく血を流し続ける大男。先程マコトが打ち倒した裏町の顔役、ガガラに他ならなかった。
 一体どこに隠していたのか、マコトの身の丈ぐらいはありそうなガトリングガンを携え、まるで手負いの野獣のように低いうなり声を上げ続けている。その瞳に意思は感じられず、とても正気を保っているとは思えない。 
 あれほど徹底的に痛めつけてやったのに、まだ動けたとは。マコトはガガラのタフさに恐怖すると共に若干の感動すら覚えた。まったく、その点については負けを認めざるを得まい。
 マコトとグレイが既に射線上から遠く離れたことにも気付かないのか、ガガラは正面に位置する異形の石像に向けてひたすらに銃撃する。どういう理屈か、銃弾を雨のように浴びせかけらているにもかかわらず石像には傷ひとつつかなかった。
 やがて弾が尽き、同時に肉体も限界に達したのか、ガガラはガトリングガンを腕から取りこぼし、そのまま固い地面に突っ伏した。おそらく死んではいないのだろうが、もはや立ち上がることはできないだろう。
「いたちの最後っ屁ってヤツね。まあ、無駄だったんだけど」
 地面に伏せて銃撃から避難していたマコトが、服についたほこりを払いながら立ち上がる。
 予想外の邪魔者のせいで、話が寸断されてしまった。今度こそ──
「愚か、ですね。私をあれだけ厳重に封じ込めたことを忘れたんでしょうか。この街を作り上げた人間も、そこで倒れ付した人間も……皆、愚か」 
 話を軌道修正しようとしたマコトの口は、だがその続きを紡ぐことは無く、代わりに目の前の物体を見たことによるショックで半開きのまま固定されることとなった。
 動いている。それどころか、その瞳は誰がどう見ても攻撃色のクリムゾンレッドに染まっており、さらに全身からはマコトでもはっきりわかるほどの敵意あるオーラが立ち昇っている。
 先程まで単に不気味なだけだった“ノイズ”という名の石像は、今や同名の生きた魔王に成り果てていた。
「ちょっと! あんたさっき魔王の封印を解くのが目的みたいなこと言ってたわよね? あっさり解けちゃってるんですけど!? 後世に私のサクセス・ストーリーを読む大衆の総ツッコミが入るわよ。どうしてくれるの!!」
 誤って善意の市民を撃ち殺してしまった警察官のように手を震わせながら“ノイズ”を指差したマコトが、やはり声も同じように震わせながらわけのわからないことをがなりたてる。
「俺が解こうとしていた“暁の魔王”の封印はたったの八年前だが、こいつが封印されたのは記録にも残っていないほどの大昔だ。時間の流れによる封印の劣化が段違いなんだよ」
 この状況はグレイにとっても少々緊急事態であるらしく、珍しく一筋の汗を額に流しつつも話を続ける。
「さらに──さっき封印術式の情報を手に入れてわかったことだが、この術式は酷く歪んでいる。恐らく、この街を作る際に無理な突貫工事を繰り返したのが原因だろう」
 それを聞いてようやくマコトにも合点がいった。大戦後わずか八年の後に『大都会』と言われるまでに育ったミラには、まともな都市計画など土台無理だったという話はこの二日間でわかっている。ましてや、ここは一番建造を急がれたであろう発電施設の真下だ。突貫工事の果てに地層が歪み、この空間がおかしなことになっていたとしても不思議ではない。
 とどめの一撃が先ほどのガガラによる銃乱射、というわけだ。
「なるほどね。あそこにいらっしゃる殺気むき出しで目ン玉ギラギラさせてる気っ色悪い魔王サマがお目覚めになった理由はわかったわ。で? たぶんだけど、ン百年たっても性格は変わってなさそうよ」
 半ば自棄になり、顔を引きつらせるマコト。暴言を吐きながらも、足はじりじりと後退を続ける。
「みたいだな。だが元よりお前はただの手伝いだ。逃げるなら止めない。最も、それの手助けをする余裕はなさそうだが」
「乗りかかった船よ。サクセス・ストーリーが一時ジャスティス・ストーリーになるのも悪くないわ。話の続きはあいつを何とかしてから聞くことにする。いいわね?」
 強がりながらも、マコトは「ああ、私のサクセス・ストーリーはたったの一章で終わりかもしんない」と半分涙目で考えていた。それ以前に、まだ書き始めてもいないのだが。
「ああ。恩に着る」
 グレイがそう言ったあと、すばやく目配せしたのに気付いたマコトはほとんど直感的に横へと身を翻した。
 刹那、ノイズの長い爪が擦りあわされたことによって生まれた不協和音が部屋中をでたらめに抉る。
 表現の間違いではない。
 文字通り、“音が部屋を抉った”のだ。
 三百六十度、全方位に向けられたその攻撃は、マコトをも例外なく抉りつける。
 致命傷には程遠いダメージだったが、さりとてまったく問題ないという傷でもない。連続して同じことをされれば勝敗は火を見るより明らかだ。 
「逃げても無駄ですよ、人間。久しぶりの獲物なのですから、できるだけ長持ちしてほしいとは思いますが。まあ、あっさり死んでくれれば上の人間を狩る楽しみができるのでそれもいいかもしれませんね」
 空恐ろしいことを言いながら、凄惨な笑みを浮かべるノイズ。表情を形作るパーツが欠けたその顔は、人間が同じ表情を作るより一層恐ろしく見えた。  
「マコト!あいつは『音』を媒介にした魔術を使う。ここにいては勝ち目がない!」
 同じく不可解な攻撃を食らい古びたコートをずたぼろにしたグレイの呼びかけで、マコトはこの攻撃の正体に気付いた。
 『音』の波に物理的な衝撃を乗せる。それがこの魔王サマの能力だったのだ。人間である以上、音速を超える速度で回避などできるはずもなく、また『音』などどこにでも発生する上にどこにいようと自動的に全方位に拡散する。まさしく魔王の名を冠するに相応しい……かつ、反吐が出るほどやっかいな能力である。
 話し声や地面を蹴った音に反応していないのだから、万能というわけではないのだろう。それだけが唯一の救いだ。
「わかったわよ! でも──」
 言いかけた声を遮り、グレイはマコトに向かって見事な健脚で走り寄るとそのまま片手で細い肩を抱きかかえた。マコトが顔を赤くするのにもおかまいなしで、空いた手に握った銃の引き金に力を込める。
 次の瞬間には、マコトとグレイは煌々たる明かりを灯す発電施設の前へと転移していた。いつの間にか太陽は完全に世界の裏側へと消え、代わりに現れた黒き天蓋が頭上を覆いつくしている。街の明かりが強すぎるのか、星一つ見えない夜空は文字通りの漆黒だった。
 こんな状況にも関わらず、マコトは目の前の発電施設に目を奪われる。例の「魔力発電」とやらを行っているからなのか、この無人施設全体は淡い白光に包まれていた。夜空とのコントラストは、最先端の技術であることとは裏腹に神秘的な雰囲気を漂わせている。
「今からあいつをどうにかする算段を伝える。よく覚えてくれ」
 グレイの至極シリアスな口調で、マコトは途端に我へと帰る。
「ここ、さっきまでいたところの真上じゃない。こんなとこにいちゃすぐ捕まっちゃうんじゃないの?」
 グレイの言葉を無視し、頭に浮かんだ疑問をぶつけるマコト。大体、さっき術が発動した際に現れた魔方陣はたったの一つだった。昨日は三つ出現したはずだ。移動距離も昨日に比べると短すぎる。
「座標転移で逃げ出すことも可能だったが、俺達だけが移動したらあいつは標的をこの街に変えてしまう。それは目覚めが悪いし、単なる責任放棄だ。だからあえて規模を縮小してあいつが追跡しやすくした」
 丁寧に答えてくれたグレイに感謝しつつ、マコトは納得した。まさにその通りだ。 
「いいか、俺の銃に残された弾はあと六発だ。これをすべて一撃に使う。お前はその隙を作ってくれ」
 続けて、グレイは算段の内容を説明していった。ノイズは自らが作り出した音を媒介にして術を行使する。音を作り出せないようにさらに大きな音を作り続けてくれ──かいつまんで言うならば、そんなところだ。
「それもいいけど、もっといい案があるわ」
 ノイズの能力を把握し、かつその上で自らの“とっておき”を勘案し生み出した新たな作戦──マコトが語った内容は非常にユニークであり、グレイもそれに驚きつつも賛同した。
「それじゃあ、準備にかかるわよ」
 呟いて、マコトはその作戦に向けて指先に魔力を凝縮し、いくつかの『針』を精製していった。



「座標転移の足跡を辿ったときはまさかと思いましたが、逃げずに待ち構えていて下さいましたか」
 数分経って、ノイズはマコトとグレイの目の前に衣擦れの音さえ無く──その名に似つかわしくないことだったが──現れた。どうやらこいつもグレイと同じワープもどきが使えるらしい。しかもこちらは回数や距離の制限などというやっかいな縛りはなさそうだった。
「あんたを街中で暴れさせるわけにはいかないからね。ここで仕留めさせてもらうわ」
 自信たっぷりにいったマコトの言葉に、ノイズは心底可笑しそうに低く笑った。
「いつの時代もいるものですね。身の程知らずな人間は」
 言い終わると同時に、ノイズが先ほどと同じ爪を擦り合わせての不協和音を発する。
 音速で伝わるその攻撃は、この距離ではガードすら間に合わない。マコトとグレイは元々ぼろぼろった服をさらに破かれながらもそれを意に介さず、所定の行動……ノイズに背を向けての全力疾走を開始した。
 既に『罠』は張ってある。    
 あとは最後の一針を穿つだけ──
「どうしたんですか? 私を楽しませてくださいよ。これではつまらない」
 心底不服そうな口調でノイズは言って、便利なワープ能力である座標転移を使いマコトの目の前に出現した。
 どうやら直接手を下そうという腹らしい。長い爪を振りかざし、マコトに向かって突き刺そうとする。
 その様子に臆すことなく、マコトは地面を斜め三十度の角度で蹴り、術を使った移動でそれを回避。そのまま流れるような動きで手の中の『針』をノイズの足元に穿つ。
 石畳に突き刺さった『針』は地の脈を刺激し、そこから数本の石槍を作り出した。地面から伸びた鋭い石槍は真っ直ぐにノイズを貫き、同時にその動きを拘束する。
「面白くなってきましたね。その調子です」
 全身を石槍に貫かれ、青い血を勢いよく噴き出しているというのに、ノイズはなおも余裕の表情だった。
「その余裕面も、そろそろ見飽きたわ」
 マコトはそう言って、あらかじめ穿ってあった数本の『針』に込められた力を解放する。
 一見すると状況は何も変わっていようだったが、すでに「作戦」は発動していた。  
 これがどうしたというのだ──恐らくノイズはそのようなことを言おうとしたのだろう。だがその声がほとんど伝わらないことに気付いて自分の置かれた状況を悟ったのか、初めて表情に小さな驚きを宿す。
 マコトが穿っていたのは、“空気の脈”だった。
 ノイズの周辺の空気を限りなく真空に近くし、代わりにマコトの近くの空気を凝縮し厚くする。
 そうすることで、ノイズの能力の発動媒体である音を発生させることを抑え、発生したとしてもマコトにたどり着く前に
空気の壁で防ぐことができる。
 これが作戦の第一段階だった。
「痛みに鈍感なのはいいことだけど、周りの空気が無くなったのにも気付かないのには困り者よね。魔王なんてなるもんじゃないわ」
 その皮肉も、ノイズには伝わらなかったのかもしれない。なにせあの周りの空気は雲の上よりも遥かに薄い。
「いいぞマコト。そこをどいてくれ」
 そう言ったグレイの前には、既に巨大な魔方陣が出来上がっていた。時間稼ぎはうまくいったようだ。
 両手に銃を構え、引き金に力を込める。それに呼応するように魔方陣は光を増していき、そこからノイズに向けて今しも必殺の一撃が放たれんとしたそのとき──
 石槍と真空の監獄に捕らえられていたはずのノイズは、その場から青い血だけを残して消え失せた。
「ここまで愚かだったとは。つまらない相手でした」
 背後から聞こえる魔王の声。そう、いかに物理的な手段で捕らえ攻撃手段を封じたとしても、相手には空間を瞬時に移動する術があるのだ。
 だがそれを考えに入れないほど、マコトとグレイは馬鹿ではなかった。     
 口の端に小さく笑みを浮かべ、グレイは再度引き金に力を込める。
 瞬間、グレイの背後にいたノイズの足元の地面が幾何学模様の赤光を放ち──そこから、数え切れないほどの赤い刃が垂直に天へと昇っていく。
 刃の中心にいるノイズを巻き込んだまま真っ直ぐ昇っていくその様は、さながら全てを焼き尽くすために地獄の底から立ち上った火柱のようだった。
「ビンゴ!」
 マコトは思わず嬌声を上げる。
 作戦の第二段階──それは、ノイズの行動を先読みすることに重点が置かれていた。
 物理的に戒めを受け、攻撃も封じられたとしても、あの魔王サマにはまだ余裕があったことだろう。なにせ、自分はいつでもそこから移動することができたのだから。そこにグレイのあの巨大魔方陣。見るからに相手の切り札であり、これを使わせればこいつらは相当に消耗するだろう。ならば使わせてから消耗した相手の隙をつき一気にケリをつける──そのように考えるであろうことは容易に想像できた。
 敵の上手をいったと慢心した時こそ、最大の隙が生まれる。
 背後に現れるかどうかは五分五分だったが、どうやら当たりだったようだ。思惑通り、背後の地面に仕掛けてあったグレイの罠、弾丸五発分を使った局地攻撃用術式の上に移動してくれた。
 ちなみに残りの一発は、例の巨大魔方陣をでっちあげるために使ってある。あれは単にハッタリであり、大げさに光るだけのシロモノだ。
「うまくいったみたいだな。マコトのお陰だ」
 弾丸を使い切った二丁の拳銃を腰のホルスターに仕舞いながら、グレイは小さく微笑んだ。
「まあね。でも魔王ってのも案外甘っちょろいわ。こんな罠に引っかかるなんて」
 まさに敵を“たかが人間”と侮ったがゆえの敗北。あの世でさぞ悔しがっていることだろう。いい気味だ。
「……心外、ですね」
 腕を組んで意気揚々と鼻を鳴らしていたマコトは、聞こえるはずのない声を聞いて背中をじっとりと汗で濡らす。
 まさか。ありえない。
 半ば恐慌状態で背後の赤い刃の柱を見やったマコトは、今度はその瞳までをも大きく見開く羽目となった。
 ──全身血まみれで真っ青なノイズが、ゆっくりと這い出してくる。
 そこから生まれる殺意は、以前でさえ尋常ならざるものだった。だが今はそこに烈火の如き怒りが加わり、どす黒い負の思念として周りのすべてを無差別に威嚇している。 
 まさに、魔王に相応しい圧倒的な存在感。気の弱い人間ならば、この場にいるだけで間違いなく卒倒しているだろう。
「確かにあなたたちを侮っていたようだ。だが、私には侮るに足る理由がある。私は──強い」
 いたってシンプルな論理だった。強いがゆえに侮る。逆に言えば、侮って多少手傷を負ったところで、なんら問題ないぐらいに自分は強い……そういうことである。
「だから愚かだと言ったんですよ。半端に私を怒らせたあなたたちはねッ!」  
 裂帛の気合と共にノイズが放った叫びは、物理的な衝撃を伴ってマコト達に襲い掛かった。
 先ほどの“爪弾き”の比ではない。無数の見えない刃が襲い掛かったかのように、二人の身体は衣服を通り越して中の肉までをも大きく切り裂かれた。
「ッ……」
 たちまちマコトの足元には大きな血の池が生まれた。気を緩めばこの池にダイブしてしまうほど、ダメージは大きい。
 絶望的な状況だった。自分はもはやろくに動けそうに無く、頼みの綱であるグレイも先ほどすべての弾丸を使い果たしていて、ほとんどただの人間と変わらなくなってしまっている。今のグレイは自分が倒したあの大男、ガガラにだって勝てないだろう。
 打つ手なし。マコトはいよいよ覚悟を決めた。こんなことならさっさとサクセス・ストーリーを出版すればよかった。
 第一章にしてデッド・ストーリー。それはそれで面白かったかもしれない。ほとんど遺書かもしれないが。 
「マコト、下がっていろ」
 マコトと同じく全身を血だらけにしたグレイが、その瞳に灯された意志の炎だけは決して燻らせずにそう言った。
 まだ何か仕掛ける気らしい。だが一体この状況で、何ができると言うのだろう?
 その思いは口に出さず、マコトは黙ってグレイの背後に隠れ、事の成り行きを見守る。
 グレイが「何者」か。それはまだ自分にはわかっていない。
 だが、常軌を逸した人物であることは間違いないのだ。もしかすると、この状況をなんとかできるかもしれない──
 その希望はマコトの感情の中ではほんのわずかなパーセンテージを占めるに過ぎないものだったが、さりとてそれ以外にすがるものなど何も無かった。
「この期に及んで見苦しい抵抗。いい気持ちではありませんね。命乞いの一つでもしてみたらいかがですか?」
 魔王の言葉に、グレイはなんらの動揺も見せず、静かに右手を天へと掲げた。
 それが合図だったかのように、側の発電施設を煌々と灯していた白光が立ち消え、さらに周りの街灯も次々と消えていく。ただの停電ではない。それならば一斉に消えていくはずだ。
 わけがわからないまま、停電した建物は湖を震わす波紋のように広がっていく。波紋の中心にいるのは──紛れも無い、グレイだった。
 ついに大都会・ミラを包んでいた明かりはすべて立ち消え、世界は真の暗闇へと包まれる。
 ──たったひとりの人間を残して。
「馬鹿な……! たかが、人間風情が!!」
 その様子を見ていたノイズが、初めて狼狽を露にする。冷や汗は見られなかったが、恐らく汗腺なんて器官はついていないのだろう。もしあれば、今頃あの不気味な顔は非常に笑えることになっているはずだ。 
 ちなみにマコトには汗腺がある。ここに鏡があれば、面白いことになっていたことは想像に難くない。
 驚くのも無理からぬことだった。今やグレイは全身を眩い白光に包まれており、何も知らずにこの光景だけを見れば信心とは無縁のマコトだって神の御使いが現世に降臨したと思い込んだだろう。
 それだけではない。あの特徴的だった灰色髪はいつのまにやら艶やかな黒に変色しており、それはマコトにあるイメージを沸かせた。
 思えば、なぜ今まで気付かなかったんだろうか?
 あの顔。あの髪。そして何より、この魔王すら凌駕する圧倒的なプレッシャー。
 それらを備える人物に心当たりがない者は、この国にはいなかった。
 英雄の片割れ──伝説の魔法使い、レンブラント・リクテンスタインに。












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