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灰になった英雄
作:TA



第二章


「で? なんでお前は俺のホテルの前まで付いてきてるのかな」
「それはその……世の中にはお金がなくて泊まるところがなかったり、今の季節に野宿はさすがにきつかったり、寝てる間にまた鎖でがんじがらめにされたら困るとかそういう壮大な理由の元にわずかなつてを頼る少女もいたりするわけで……」
 ミラの中心からやや外れた、簡素な宿街。
 ここには日雇いの労働者が寝るところだけを求めて泊まる格安の宿から、旅行者が使う一般クラスまでの宿が所狭しとひしめき合っている。
 その一角で、灰色髪の男と見慣れない民族衣装を纏う少女が立ち止まって話し込んでいた。
 言うまでもなく、マコトとグレイである。
「要するに、俺の部屋に泊めてほしいと」
「まあ、そういうことになるわね」
「何が“助けになりたい”なんだか?」
「それを言われると物凄く心苦しいけど……さっきも言ったように背に腹は変えられないというかなんというかなのよ。お願い!泊めて!」
 両手を合わせて懇願。体面もクソもないといった風である。
 グレイはその様子に小さく溜息をついて、やがて観念したように口を開いた。
「仕方ない。泊めてやるよ。だがもちろんタダってわけにはいかないぞ」
「うっ……やっぱりそうくる? そうよね……私かわいいし。あなたなんだか飢えてそうだし。でもこんな形で失うのも悲しいというか。でも若干興味はあるというか。うー」
 そんなことをぶつぶつ言い出すマコトに、グレイはだまって肩に下げていた荷物をぽんと手渡す。
「何と勘違いしてるか知らんが、この中の洗濯物を頼む。ついでにこの紙に書いてあるものも買い出してきてくれ」
「はい?」
 予想だにしないグレイの物言いに、マコトは間の抜けた返事をする。
「これだけありゃ足りるだろ。ああ、ルームナンバーは302号室だ。先に行って休んでるからとりあえず買出しよろしくな」
 古びたがまぐち式の財布を手渡し、グレイはさっさと部屋に上がっていってしまった。
「……。この屈辱は私のサクセス・ストーリーには載せないでおくわ」
 小さく呟いて、マコトはまだ開いている店までそそくさと出かけていった。



     

 両手に抱き抱える紙袋に視界を遮られながら、マコトは302号室の戸を叩く。
 程なく、がちゃりと鍵の回る音がして内向きに戸が開き、眼鏡を外したグレイが顔を出した。
「遅かったな。世間知らずには少し厳しいおつかいだったか?」
「ええまったく。おかげで色々と社会勉強になったわ」
 マコトは言いながら部屋の中央まで歩いていき、乱雑に何かの資料が重なっている机の一角に買い出した荷を下ろす。その横に、肩に下げていた下の共用洗濯場で手洗いしてきた洗濯物の入った鞄をどさりと置いてから、大きく伸びをしてソファーに腰を下ろした。
「その武勇伝を語りたいところだけど、それは後に出版される私のサクセス・ストーリー本を読んでちょうだい」
「気長に待ってるよ」
 適当な相槌を打って、グレイはマコトが買い出した品物をがさごそと漁り始める。
 縄で縛られたハムとワイン、それにあらかじめ六等分されたチーズ。
 これらを鼻歌混じりで取り出して傍においてあったナイフで器用に切り分け、グレイはそのままそれを食器に使い勝手に食事を始めてしまう。
「見事なまでに偏った食生活ね……」
 その様子を、半ば呆れ顔でマコトが見つめる。
「自炊する手間もスペースも無い。そうなると、これが一番手っ取り早い」
 言いながら、グレイは布がかぶさったバスケットから数切れのパンを取り出し、今度はそちらに食らい付く。
「お前も食え。明日は長丁場になる」
「そうね、たまには健康に気を使わないで生きてみるのもいいわ」
 文句を言っていた割には素早い速度で手を伸ばし、マコトもその粗野な食卓に手を染める。
 なにしろ腹が減っているのだ。仕方がない。
 三大欲求には素直に。マコトは自伝のどこかに太字でこのフレーズを使おうと心に刻んだ。
「そういえば……あんたが使ってるあの銃みたいなの、あれって何なの?」
「これか」
 言われて、グレイは腰のホルスターから二丁の拳銃を取り出し机に置く。
 近くで見れば、それは「銃」と言う名を冠するにはおかしな部分が多く見受けられた。
 まず、一般にリボルバー型と呼ばれる型を模して作られているがそれにしては収められた銃弾に比べて砲口が異常に大きい。マコトが手にとって砲口を覗き込んでみると中は暗い空洞ではなく、少し奥まった場所に複雑な幾何学模様が描かれた魔方陣が彫ってある円筒状の鉄柱が見えた。
 どうやら撃鉄を下ろすとこれが押し出される仕組みらしい。
「俺は魔術を扱う技術は持っているが、肝心の発現に要する魔力が皆無でな。そこでこの弾丸に込められた力をこの銃を介して発動させることで術を使っている」
「はー、なるほど。つまりあんたって才能無いのね」
「……説明の途中だ」
 特に気分を害した様子も無く、グレイは語りを続ける。
「この弾には感応石を粉状にしたものが入っている。この街の発電施設が使っているのと同じ方法で半永久的に魔力を生み出し続けることができるが、一発撃つと約一日は待たないと使えなくなる。弾は一丁につき六発だから、俺は一日十二発分しか魔術を使えない。覚えておいてくれ」
 余談だが、ミラの街の発電施設は何重ものローテーションを組んで24時間魔力を感応石から精製し続けている。グレイの特殊弾に込められたものとは規模も数も圧倒的に違うため、街全体を賄うほどのエネルギーを発電するに足る魔力を生み出すことができているのだ。
「あんたってそんなにひ弱だったの……?」
「ああそうそう、より複雑・強力になるにつれて使用する弾丸の量は増えていく。たとえばお前を助ける時に使った目くらましの閃光、あれは一発で使えるが逃げるときに使った座標転移は三発必要だ」
「いよいよもって使えねーじゃないのよ」
 マコトはジト目で言い放つ。この女は他人への配慮というものを知らなかった。
「一日に使う量を節約すればいいということだ。そういうわけで、制限が無いお前の能力には期待してるよ。諸々の貸しと宿代、飯代の分は遠慮なく使わせてもらう」
「まあ、それに異存はないけど」
 こう言われてしまっては、是否もない。何しろ助けると言い出したのはマコトなのだ。
「俺からも質問だが……お前はなんでこの街に来た?世間知らずの田舎娘が、たった一人でなんの当てもない時点でなんとなく想像はつくが」
 ──やっぱり気になるわよね、そこは。
 グレイに問われて、マコトは本当のことを言うべきか逡巡した。
 マコトの旅の理由は、大別すれば「家出」や「逃避」になるのだろうが、そこには少々やっかいな事情が付随する。
 すべてを話す必要はない。結局、マコトはそう判断した。
「家出よ、家出。田舎に辟易しちゃってね。都会は最高だわ!ああ、麗しき大都会・ミラ。臭いチンピラのおっさん達が大挙して襲ってくるのを除けばこんなにいい場所はないわね」
「十分致命的だと思うが……」
「そんなところよ。それにしても、どうするの明日は?地下に行くってことしかわかってないんじゃ動きづらいわね」
「ああ、まあその辺りは大丈夫だ」
 食事も終わり、散らかったままの机を適当に片付けながらグレイは言った。
「とりあえずもう寝ろ。明日は長い。狭いがソファーで我慢してくれ。毛布は貸してやる」
 ぼふっと音を立て、グレイが投げてよこした毛布がマコトに頭から覆いかぶさった。
「じゃ、おやすみ。ああ、この部屋内側から鍵かけれるから、心配ならそうしてくれ」
 そう言って、グレイは自分の寝室に去っていく。
(意外と紳士なのかしら?)
 実のところ、マコトは多少なり覚悟をしてこの部屋に来ていた。なにしろ、女が男の部屋に泊まるというのはそういうことだとさんざん聞かされて育っている。
 だがまあ、さりとて何かされたい願望があったわけでもない。旅の疲れもあいまって、マコトは慣れないソファーの上でも割合早く睡魔に襲われた。
 長い一日だった。この調子なら自伝に書くネタは尽きず、将来は印税生活ができそうだ……
 そんなことを妄想しながら、マコトは完全に眠りに落ちた。



 翌朝。
 季節の変わり目でまだ肌寒い空気の中、グレイとマコトは郊外の下水道整備会社に向けて歩みを進めていた。
「寒いわねぇ……海風かしら。なんだかんだでまだ春になりきってないのね」
「単純に服装の問題だと思うが……」
 そう呟くグレイの格好は黄土色の煤けたコートに、足は着古した黒ズボンという装いだ。
 対してマコトはというと、ヒノ特有の民族衣装のみで、上着は何も羽織っていない。
 その民族衣装というのも、長袖ではあるもののズボンの丈が膝から上までしかないので、素足が外気にさらされてしまいなんとも肌寒そうに見える。
「私の故郷はこの時期もう暖かいのよ。桜も満開でみな酔い狂うわ」
「サクラ……ってなんだ? 俺の知ってるサクラはやらせ客のことなんだが」
 自慢げに言ったマコトは、グレイの返事に心底落胆して肩を落とした。
「桜を知らないとは。都会人に同情したのはこれが始めてね」
 というかそっちのサクラも私の知ってる桜が語源なのでは? マコトはそう思いながらも、どうでもいいことなのであえて口には出さなかった。
「そんなにいいもんなら今度見せてくれ。さて、着いたぞ」
 そう言って、グレイは足を止める。
 その下水道整備会社は中心街の華やかかつ新しい建物とは違い、古ぼけた昔ながらの石造りだった。
 ガガラの言っていた、この街は地下が変わっていないという話──少し考えれば、それは至極最もだという結論にたどり着く。
 そもそもこの街は国が敗北した後に「魔導革命」によって生まれた技術の、言うなれば実験場だ。
 当然短時間で完全な整備など行き届くはずがなく、突貫工事の果てに表向きだけの大都会は完成した。故に、未だ水道などの設備は以前のものを流用し、新たに整備し直す見通しも立っていないのが現状である。
「つまり……地下、すなわち下水道についてここで調べれば自ずと探し物の場所にたどり着けるってわけね」
「そういうことだな」
「でもどうするの? いくら古い建物だといっても見たところ警備は厳重そうよ。忍び込むにしたって骨が折れそうねえ……私の力は派手すぎて使えないし」
「そんなことをする必要はないさ。そもそも真っ当に忍び込もうとしたらどれだけ弾を消費するかわからんしな……まあとにかく、見ていろ」
 そう言うと、グレイは右手に例の銃を構えて建物の入り口からは死角になる壁に回りこむ。
 5分ほど経つと、入り口からのっそりと中年の男性が現れた。整備会社のロゴが大きく刺繍された作業着に、同じくロゴが刺繍された帽子といういでたち。十中八九現場で働く清掃員だろう。
 その彼に向かって、グレイは迷い無く引き金を引いた。
 昨日と同じように突如として清掃員の後頭部付近に魔方陣が出現し、得体の知れない光が彼の頭からそこへと流れていく。
 なんだかよくわからない魔術をその身にくらった清掃員は一瞬意識を失ったようだったが、すぐに気を取り戻す。特に何か変化がある様子も無く、不思議そうにその場をきょろきょろと見渡し──
 結局、何事もなかったかのようにその場を去っていった。
「さて、ここでの仕事は完了だ。一度ホテルに戻るか」
 マコトの元へと戻ってきたグレイが、涼しげな顔でそう言った。
「はぁ!? まだ何も情報手に入ってないじゃない。ってかアンタ! 何の罪も無いおじさんにあんな怪しげな魔術を施すなんて……評価ガタ落ちよ。このシーンをみた後の大衆がなんて評価するか。ああおそろしや」
 マコトは性犯罪者でも見るかのような目つきグレイを見つめ、わなわなと肩をふるわせる。
「人聞きの悪いことぬかすな。あれは人間の記憶を一部だが複写する術だ。あのおっさんからはこの街の下水道の構造を複写させてもらった。忍び込むよりよっぽど楽で確実だ」
 さすがにマコトの言い草が癇に障ったらしい。グレイは不機嫌そうにそう言った。
 なるほど、確かに。
 忍び込む際に騒ぎを起こして失敗に終わる可能性を考えれば、実に有用な手段である。
 まったく、都会の魔術は便利極まりない。マコトは感嘆の息をついた。
「理解したか? では戻ろう。お前に風邪を引かれても困るし、調べ物もある」
 そう言うと、グレイはそそくさとホテル方面に向かって歩き出す。
 マコトは意外にも自分の身体の心配をされたことに驚きつつ、グレイの後を付いていった。



 いつの間にか、空はパレットから朱だけを取り出して塗りたくったかのように単色で染まっていた。
 マコトとグレイが歩いているミラの発電施設付近の街灯にも、ぽつぽつと明かりが点き始めている。昨日も思ったが、こんなに早く点け始めるのは資源の無駄使いではないだろうか?
 ちなみにマコトの故郷は、日が完全に没さぬうちから篝火をたくことなど考えられない土地だった。そんなことをしたら冬を越せなくなってしまうからだ。
 エネルギー問題は決して軽視できないが、話を進める上では何の関連性もないのでさておく。
 あの後ホテルに戻った二人は市内の地図を引っ張り出してきてグレイが魔術によって得た知識と照らし合わせ例の“探し物”の位置にあたりをつける作業に取り掛かった。
 グレイの使った魔術は単に地図を奪うよりよっぽど効果があるらしい。あの中年の清掃員が持ち合わせていたであろう下水道の知識だけではなく、土地感までもがグレイの脳内には見事に複写されていた。
 それもあってその作業は意外にも短時間で終わらせることができたが、なぜかグレイはすぐに現場に行くことをせずホテルで休むことを主張した。理由を聞いても「時刻が悪い」とかマコトにはよくわからないことを言うばかりであった。
 だがまあマコトとしてもいつ行動するかなんてのはどうでもいいことであったし、そもそもこれは単なる手助けなのであって、自分が主体性を持つ意味はないと判断し部屋の中で適当にぶらぶらしたり自伝の構想を立てたり当たり障りの無い話をグレイにふったりして過ごしていた。
 ようやくグレイが「移動しよう」と言い出したときには、こんな時刻だったというわけだ。
「いい頃合だな。この調子なら目的地に付く頃には完全に夜中だろう」
「さっきも思ったけど、それに何の意味があるわけ?さっさと行って済ませりゃよかったじゃない」
 ぽつりと言ったグレイの言葉に、マコトは不思議そうに問うた。
「気にするな。わからんで終わったほうがありがたい」
「……?」
 これ以上追求しても無駄そうだったので、マコトは話を打ち切った。
 程なく、ホテルで調べておいた最も目的地に近いであろう地上と下水道の接点であるマンホールに到着する。
「妙だな」
 それを見るなり、顎に手をあてグレイは呟いた。
「何が妙なの?」
「昨日の俺が見たら何も思わなかったんだろうが、今朝入手したカイン・アダルバートの記憶が俺に違和感を訴えかけるんだよ。このマンホールは……不自然な方法で開閉された形跡がある」
 至極真面目な顔でグレイが言う。対してマコトは「あの清掃員、そんな大層な名前だったのね……親馬鹿って恐ろしいわ」などと考えていた。
「下には何かいると見てよさそうだ。最も、想像はつくが」
 それにはマコトも同意だった。まったくあの連中はこんなことをしているからいつもゴミ臭いのだろう。
一応、用心しておけ。それだけ言ってグレイはマンホールの蓋をこじ開けた。これも清掃員の記憶の賜物だろうか?見事な手際である。
 誰にも見られていないことを確認して、グレイとマコトはミラの下水道へと静かに侵入した。



 思ったとおりだ。
 グレイに続いて下水道に降り立ったマコトは、鼻が曲がるような臭気に混じったかすかな殺気を感じ取った。注意していなければ見過ごしてしまうようなわずかな殺気だ。
 的確に侵入経路を見抜いた点といい、見事と言えなくもないが結局ばれてしまっては意味がない。雑魚とはかくも悲しいものか……マコトは心の中で合掌した。
 くるぞ──グレイが傍の水流の音にかき消されるほどに小さい声でそう呟いた次の瞬間、マコトの背に鋭い刃が振り下ろされた。
 だがその動作を既に読んでいたマコトは難なく回避に成功。代わりに石の敷き詰められた水路にあたった剣は、金属と石が擦れる甲高い音と共にわずかな火花を散らした。
「くそっ!」
 奇襲を避けられたことにあからさまに動揺した男が悪態をつく。
 この状況では暗闇は返って不利と思ったのか、待ち構えていた男達は次々と松明に火を灯し始めた。その数、約三十。
 薄明かりに照らし出されてあぶり出た襲撃者達の正体は、やはりというかなんというか……例のチンピラ達であった。これで三度目だったか?マコトは思わず嘆息した。
 それにしても、よくまあこれだけの人数がこの狭い通路にひしめき合っていたものだ。こいつらは狭いところに集まる習性でもあるのだろうか。冬場のテントウムシみたいな連中である。
「どうでもいいけど、あんたらいつからここにいたわけ?」
 マコトがジト目で問いかける。
「昼前からだ。悪いか」
 集団の奥の方にいたらしいガガラがそれに答えた。ちなみに今は夕刻である。
「うわ、お疲れサマ。帰ったらさすがに風呂入ったほうがいいよ」
 親切心から言ったのだが、その言葉で連中の怒りは頂点に達したらしい。まあ、さんざん臭いところで待たされた挙句奇襲も失敗したのだから無理からぬことだった。
 雄たけびをあげて松明を手近な地面に放り投げ、空いた手に思い思いの武器を手にして襲い掛かってくるチンピラ達。どうやら怒りとストレスで脳内麻薬はだだ漏れ状態のようだ。
「あのボス面をやらせてくれない? 個人的にリベンジしたいのよね」
 男達の怒号に恐怖心を抱いた様子もなく、マコトはそう言った。
「かまわないが……恐らくあいつは強いぞ。手腕だけを見れば相当なものだ」
「いいのよ。問題ないわ」
「わかった。雑魚はまかせておけ」
 それだけ言って、マコトとグレイはチンピラが武器を振りかざす前に散開した。



 こいつら相手に弾を消費する必要はない──約三十人もの筋骨隆々な男達を前に、グレイはそう判断していた。
 いくら自分にかつての力が無いとは言っても、こんな連中に術無しで勝てないなんてことになれば名が泣くというものだ。いつかこの時の話をあいつにする時に、笑いものにされるのはご免被りたい。
 一番手前にいた男が気合と共に手にしたナタを振り下ろしてくる。グレイはそれをひらりとかわすと、煤けたコートの内側からシャープな外見の鉄製ロッドを取り出し、そのままの勢いで男の腹部に叩き付ける。
 骨の砕ける耳障りな音と共に男はよろめき、スローモーションで背後に流れる下水へと落ちていった。
 あまりにもあっけなく仲間がやられたことに驚愕し、残りのチンピラ達は目を丸くする。
「さて、どうする。全員でかかってくれば案外なんとかなるかも知れんぞ?」
 ロッドを新体操のバトンかなにかのように右手でくるくると回しながら、グレイは口元に不敵な笑みをたたえる。
 またもご丁寧に怒りを露にし、一斉に挑みかかってきた男達に対してグレイは大立ち回りを開始した。


 
 地面を強く踏み鳴らすことによって術を発動させ、超人的な跳躍力でマコトは男達の頭上へと飛び出した。
 そのままひしめき合っている男達の頭を足場にする。飛び跳ねるたびに暗闇に一瞬光るマコトの足首は、ある種幻想的でさえあった。
「よっと。やっほー」
 瞬く間にガガラの元へとたどり着いたマコトは、場にそぐわないあっけらかんとした声で言う。
「少々、嬢ちゃんを舐めてたらしいな」 
 そう言ったガガラの顔はマコトのはるか頭上にあった。間近に立ってみると、その体格差はまさに大人と子供以上である。この男の前ではマコトなど赤子に等しい体躯しかなかった。
「私もよ。都会のチンピラがここまでしつこいとは思わなかったわ。これじゃストーカーが横行するわけよね」
 特に気分を害した様子もなく、ガガラはゆっくりと構えをとった。どうやらこの男だけは簡単には挑発にのってくれないらしい。
「だがなあ嬢ちゃん。こっち以上にそっちは俺を舐めてる」
 言い終わらるか終わらないかのうちにガガラの巨体がマコトに襲い掛かった。鋭敏な熊のようなその豪腕は、寸でのところでマコトの身体を掠める。避け切れなかった部分の衣服が破れ、宙へと舞っていった。
 お気に入りの民族衣装が台無しになったことを悲しむ余裕もなく、ガガラの追撃は続く。マコトは巧みに身体をそらし直撃を避けるが、ゆっくりと確実に袋小路へと追い詰められていった。
 やはりこの男……強い。
 容姿に似合わず堅実な戦い方といい、こちらの動きを読んでいた点といい、只者ではないのだ。
(けど生憎──私も只の女の子じゃないのよね)
 一瞬の隙をついてガガラの包囲から抜け出し、振り返りざまに相手の腰に目掛け右手で強烈な裏拳をお見舞いする。当たった瞬間、暗い地下道を眩く照らすほどの光がマコトの右手首からあふれ出した。きっちりと術は発動している。
 だがガガラの身体は吹っ飛ばされるどころか、強靭な筋力で衝撃の大部分を吸収した。いつもの気持ちのいい感触ではなく、砂がたっぷりとつまった袋を殴ったような手ごたえだ。
「いてえよ。このクソアマが」
 こめかみに青筋を立ててガガラは悪態をつく。言葉とは裏腹に大して効いている様子も無い。
 見誤った。普通の相手ならこの一撃で終わりだったのだろうが、この大男に仕掛ける攻撃としては浅すぎたようだ。
 攻撃が効かなかったことに少なからず動揺していたマコトは、間髪入れず襲い掛かってきたガガラの鋭い蹴りをよけることができなかった。普段自分がしているように、今度は自分が相手に吹っ飛ばされてたっぷり二秒間は滞空する。
「かはっ……」 
 さすがに全身が痛い。それに口の中を切ったようだ。こみ上げる自らの血に咽びながら、マコトは自らに迫るガガラを睨み付ける。
「安心しな。すぐには殺さない。表に連れ出してから昨日の続きをしてやるよ」
 下卑た笑いを顔に貼り付けながら腕を振り下ろそうとするガガラの背後に向けて、マコトは小さな針のようなものを投げつけた。
「?」
 ガガラが不思議そうに背後を振り返った次の瞬間、不意に下水の流れから伸びてきた幾重もの水の触手がガガラにまとわり付いた。大蛇のうねりのようなその戒めは、抵抗しようにも力がうまく込められず決して標的から離れようとはしない。
「私がただふっとばすしか脳の無い女の子だと思った? そんなんじゃ大衆はサクセス・ストーリーを読んではくれないのよ……!」
 これこそが、マコトの“とっておき”だった。 
 自らが魔力を圧縮し作り出した針を、自然物の「脈」目掛けて穿つことで超常現象を引き起こす。
 両手両足に刻まれた刺青のように比較的大多数の人間が使えるポピュラーな辺境魔術とは違い、マコトの血脈だけに使うことが許された特殊な力である。最も、その血脈のせいで彼女がこんな大都会まで家出してくることになったのを考えれば酷く皮肉な話ではあったが。
「下水はいろいろ混じっちゃってて扱いにくいけど、あんた捕らえるだけなら十分よ」
 マコトは地面に向かって血混じりの唾を吐きつつそう言った。
 ゆっくりと拳を垂直に構え、短距離走の選手のように足を壁へとあてがう。そのままガガラを真芯に捉え──
 弾かれた玉のように、まっすぐに突進する。
 そのまま、マコトの右拳は下水道の暗闇をかき消すほどの閃光を放ちながらガガラの見事に割れた腹筋へと激突した。
 壁を蹴った際にも足首に刻まれた術が発動したため、まさに烈風の如き速度である。速度が二倍される度に四倍に膨れ上がるそのインパクトは、すべてがガガラの腹部へと集約された。いつもなら地平のかなたまで吹っ飛ばしているところだろうが、複雑に絡んだ水の触手がそれすらも許さない。
 短いうめき声のあと、ガガラは大量の血を吐いて力なく四肢を垂らす。その様子をみたマコトは、ガガラを縛っていた水の触手も解除した。
「なかなか強敵だったわよ。きっと後の大衆はあんたの名前ぐらいは記憶するかもしれないわね」
 そう言ったあと、マコトは自分がこの男のフルネームを知らないのに気付いた。自伝に情報が欠けてはいけない。たぶん知っているだろうからあとでグレイに聞いてみよう。
 そんなことを考えながら、マコトは裏町の長である大男の成れの果てに背を向けた。



「すまなかったな」 
 程なく、雑魚を片付けてきたらしいグレイがやってきてこう言った。煤けたコートは先ほどより汚れてはいたが、彼自身に傷はまったく見受けられない。どうやらこの男も只者ではないようだ。
「何がすまなかったの?」
 一部が破れてずり落ちそうになっている民族衣装を引っ張りあげながらマコトは問い返す。どうでもいいが、今頃になって悲しくなってきた。この服どうやって仕立て直そうか?
「さっさと片付けて加勢に向かうつもりだったが、少々手間取ってしまった。術を使って手っ取り早く倒すべきだったな……ただの手伝いのマコトに怪我をさせてしまった」
「いいのよ別に。個人的にぶっとばしたい奴だったし。これくらいはなんともないわ」 
 これは本心だった。昨日の一件は肝を冷やしたし、少なからず怒りもした。ここでその溜飲を下げられたのは手伝いとは別の話で、むしろラッキーと思えるほどだ。
「そうか。だが一応元に戻しておこう」 
 そう言って、グレイは例の二丁拳銃を取り出し交互に引き金を引いた。空中に出現した二つの魔方陣がマコトの身体を取り囲み、目まぐるしく動き出す。なんとも奇妙な感覚だった。
「……よし。では先へ進もう。目的地はもうすぐそこだ」
 グレイが頷いてそう言ったとき、マコトは初めて自らの怪我が完全に完治しているのに気付いた。それどころか、先ほど破られた衣服までもが元に戻っている。
「って、なにコレ!?」
 思わずマコトは目を丸くした。いくらなんでも凄すぎる。
「局所的な情報復元だ。それくらいの怪我と服の破れなら修正できる。まあこれ以上広範囲な物理的損壊は直せないから実用性はあまりないけどな」
 なんでもないようにグレイは言う。だとしても、便利なことこの上ない能力だというのは間違いなかった。
(何者なの?)
 ここに来て、マコトはようやくその疑問にぶち当たった。
 自分やさっきぶっ倒した大男だって一般的な尺度に当てはめれば只者でないのだろうが、この灰色髪の男はその度合いが段違いだ。なにしろ「魔力が皆無」という点を除けばほとんどなんでもありなのである。今までに見せた能力以外にもできることが数多くあるというのは想像に難くない。
「こっちだ。早く来い」
 考え込んでいるうちに、グレイはさっさと進んでしまっていた。マコトはあわてて追いかける。
 とりあえずこの件は保留にしよう。何しろ自分はただのお手伝いだ。これ以上の邪魔が入るとは思えないし、終わってしまえばもう関わり合いになることもない。貸し借りがゼロになればそれで自分の気も晴れる。
 グレイがどれだけ異常な経歴をもつ人物でも、そうなればもはや自分には関係ない。この一連の出来事は自伝の中のエピソードのひとつに過ぎなくなるだろう。何も問題は無い。
 そう考えて、マコトは思考を停止する。
 グレイの目的物──“ノイズ”があるという場所はすぐ側まで迫っている。
 奇妙な不安と期待感が入り混じった胸中で、マコトは元の暗さを取り戻した下水道を歩いていった。












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