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双転生物語 降臨の章
作:北野 鉄露



降臨の章16


 遠くで突然、強く輝く光が生じ、やがてすうっとフェードアウトしていくのが見えた。
「──あやつ、やられたか」
 幻魔衆・酷性が呟いた。
 男は恵に背を向けているから、その声は恵に届かなかった。
 恵はというと、手足を絡め取られている光の綱から次第に生命力を奪い去られ、ぐったりとしている。その前に、たった今涼輔にやられた幻魔衆・虐性に嬲られていた恐怖が醒めやらないということもあったが。
 酷性はちらと恵に一瞥をくれ、
「……どうやら、お前の望む助けが来たようだ」
 と言った。
「……」
 次第に遠のきつつある意識を呼び起こされた恵は、僅かに顔を上げた。幻魔衆の男が何を言ったのか、後の方が聞き取れなかったから、表情はうつろなままである。
 くるりと向き返り、酷性は恵の前に立った。
 上背が高い。影が、恵を暗く染めた。
 見上げた先から、幻魔衆の男も彼女を見下ろしている。
 フードに包まれたその顔は、以外にも整った容貌であった。
 目元や口元が冷たく引き締まり、白い肌がやけにくっきりと恵の網膜に映った。冷酷な印象こそどうあっても拭い去られるものではなかったが、それでも恵を見つめるその瞳に殺意はなかった。
 それよりも、ふとした瞬間に漂い来る感じは悲哀といってよく、余りにも幻魔衆のイメージからかけ離れた雰囲気に、恵の意識はかすかに鮮明になった。
 だが、恐怖心に変わりはない。
 怯えた目で見つめていると、幻魔衆・酷性は
「……そんなに、私が恐ろしいか? 少女よ」
 と、不意に問い掛けてきた。
 無言で小さく頷く恵。
 男が静かな声で言った。
「お前は、私の姿を見、自分が殺されるのではないかということに先ほどからずっと恐怖している。だが、それは間違いだ。お前が恐れているのは、お前以外の別の何かではない。本当は私も、お前の生命の中に潜む、言うなれば生命悪に過ぎない。お前は、自分で自分に怯えているということになる」
 言葉を切ると、男は背後をちらりと見やった。
「今、ここに辿り着こうとしている双転の化身とて、お前と同じように私を見、この異空に滞在している。が、奴は単身でこの異空まで乗り込んできた上、虐性を苦もなく打ち倒し、かつなおもお前を助けるために突き進んできている。これがどういうことなのか、お前には判るまい?」
 恵は点頭して見せた。
 男はさもあろうというように、じっと恵を覗き込んだ。
「……あの少年とて、恐れがない訳ではない。だが、その恐れに向かって正面から、何のためらいもなく挑んでくる。この世界で我々幻魔衆にとって最も厄介であるのは、そういう人間なのだ。人間の生命の浅い部分に属する我々の力では、奴を退けることはほぼ難しい。生命の根底にいる命魔衆の歴々でなければな……」
 そこまで言いかけて、男はふと遠くを見るような目をした。
 が、すぐ我に返ったように「……情けなくはあるが、我々には、これしか出来ん」
 男が一体何を言わんとしているのか、心気定まらぬ恵には全く判らなかった。ただ、無性に涼輔の存在を恐れ、彼を亡き者にするために何をか画策しているのであろうということだけはおぼろげながら伝わってきた。
 身動き一つ取ることのできない彼女は、今はただ涼輔なり、姉の助けを願うよりない。捕えられてからどれだけの時間が経ったのか知る方法もなかったが、とてつもなく長い時間束縛されているような、そんな気がした。
 手足に絡められている光鎖はその間、容赦なく彼女の生命力を奪っていく。次第に恵は意識がぼんやりとしてきた。頭の中が真っ白になり、そのうち恐怖の感覚すらも定かでなくなってきていたのだった。
 がっくりとうなだれたまま、口も利けずにいる恵。
 どれほどの時間が流れたのであろう。
 ふと、幻魔衆・酷性が声を出した。
「……来たか、双転の化身よ」
 その声にはっとして恵は顔を上げた。
「……浅香さん!」
 心の底から待ち望んでいた存在が、今まさしく目の前にいた。
 ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、少し離れた位置に立ってこちらをしげしげと見ている。涼輔であった。
 恵は生き返った心地になって思わず叫んでいた。
 が、いつまでも涼輔は反応しない。
「……?」
 訝しげに思った途端、問われないままに酷性が言った。
「残念ながら、あやつにお前の姿は見えていない。一つ空間にいるように見えているが、あやつはまだこの空間の一つ手前にいる。今見えているのは、幻像だ」
 酷性はゆっくりと振り向いた。
「……これから、面白いものを見せてやる」


 目の前に立ち塞がる巨大な鏡状の壁を前に、涼輔は佇んでいる。
 その壁を、しげしげと眺めている涼輔。
 左右はどこまでも果てしなく続いており、そしてまた上にも上端が見えない程に高く高く聳えている。
 それがただの壁などではないであろうことを、彼は直感で悟っていた。壁自体から、悪意のような意思が伝わってくるのである。希香や霞美などでは到底感じ取れなかったかも知れないが、無数の修羅場を潜り抜けてきている彼には、それが感じられるのである。
「……手の込んだコトしやがる」
 どうしたものか思案がてら壁際に寄って行って手でコツコツ叩いたり足で蹴っ飛ばしたりしていると、空間の何処からともなく、まるでスピーカーで流されるように声が響いた。
「……よく来たものだ。双転の化身の少年よ」
 低く地の底から吹き出てきたようではあるが、はっきりとしていてある種の知性を感じさせる声であった。
 涼輔はぴたりと動作を止めた。
 それをまるで見ているかのように、再び声が続く。
「お前に真っ向から一撃を食らわせてやりたい衝動を、私は抑えている。今、ここでお前を仕留め損なっては、命魔の歴々に対して我々はもはや顔向けがならないのだ」
 無言で聞いている涼輔。
「いささか卑怯じみた手ではあるが、命幻術を使わせて貰う。……さすがの双転といえども、もはや抵抗はなるまいぞ」
 そこまで聞こえた瞬間であった。
 鏡のように磨かれた壁一面に、無数の凶悪な眼球が現出した。
 一つ一つがあたかも憎悪と苦痛に満ちたそれのようにむき出され、ぎょろぎょろと不規則に上下左右している。白目には血管が網の目のように血走り、黒目はどれも濁りきって光がない。ホラー映画などで惨殺された死体のシーンでよく出てきそうな、そんな眼球である。気の弱い者ならば、とうの昔に気絶していたであろう。それほどにこの光景はおぞましく、そして禍々しかった。
 壁の化け物というのか。あるいは、化け物が壁に取り付いたとでもいうのか。とにかく、想像のつくような尋常な姿ではない。
 が、胆のありかがどこにあるかわからないような涼輔である。
 表情一つ変えることなく、眼球の一つ一つをしげしげと眺め回している。
「さあ、これで終わりだ、双転の化身!」
 声が終わると同時に、めいめい勝手な動きをしていた眼球の全てが一斉に、ギョロリと涼輔を見た。
 見たというものではない。
 睨んでいる。
 瞼や眉こそついていないが、眼球のそれぞれに憎しみや恨み辛み、妬み、殺意、ありとあらゆる悪意がこもっていた。
「……は」
 涼輔が悟るのと同時に、幻魔衆の声が説明していた。
「……わかるか、双転? その眼はすべて、今までにお前がその手で葬り去ってきた我が同胞達の恨みの生命の結晶なのだよ!」
 すべての眼球の黒目が一閃し、彼という一点目掛け、薄暗く濁った光線を放った。集約された光は異空の床にあたって激しく跳ね散った。四散した光が、火花のようにスパークする。
 それをスイ、と軽く飛んで回避する涼輔。
(恨まれてるっつったって、みんな、俺の生命の中のモンだろうが)
 動じていない涼輔は、思うともなしに思っている。
 彼は思いっきり後方に着地するや間髪を容れず右手を壁に差し向け、ふっと念を込めた。
 彼の手から白く巨大な光球が放たれ、それは壁を貫かんばかりに突き進んでいった。
しかし。
 眼球が一斉にクリクリと動き、それぞれ違う方向を見て停止した。
 途端、黒目という黒目からレーザー状の細く赤い光が放射され、赤外線センサーのように空間中を乱れ走った。
 涼輔が放った光がその光の糸に触れた瞬間。
 一塊の光はたちまち細切れに分散された。分散された命術はその威力を失い、おぞましい壁に各々衝突しては霧散してしまった。壁はその程度では何ら揺るぎもせず、傷すらつくことはなかった。
 なおも光の糸は消滅せず、空間中に張り巡らされている。
「……クッ、クククク。どうかな? さしもの双転の光波動といえども、これだけの生命悪を一度に相手にしては効き目があるまい」
「……褒めてくれて、ありがとさん」
 軽口を叩きざま、涼輔は素早く跳んだ。
 例の濁った光線が、眼球の幾つかから放たれたのである。
 光線そのものはかわせなくはなかったが、何しろ次から次と絶え間なく彼目掛けて放たれてくる。
 しかも、四方には触れればタダで済まないであろう得体の知れない光線が張り巡らされている。
 幾度目かに跳んだ瞬間、涼輔は嫌な予感がした。
「……とっ!」 
 咄嗟に光壁を左方に展開する。
 判断は正しかった。
 今度は、赤い光の糸がくねくねと捻じ曲がり、意思を持った触手となって彼を捕えんばかりに後を追い始めたのである。
 左側から襲い掛かってきた触手は光壁に阻まれて弾かれたが、今度は下からも右からもうねうねと気色悪く彼を狙ってくる。
 しかも、前方からは濁った光線が飛んでくる。
 相手の数は知れたものではない。
 それぞれがまるで別々に意思をもっているかのように涼輔の存在を追い詰めてくる。
 さすがに涼輔は持て余し始めた。かわせど防げど、キリがない。
 もう一つ、彼には予測があった。
(もしかすると、だ。……当たって欲しくないんだが)
 そんなことを内心思いながら、ひょいひょいと二跳びして着地するや、さっと天井を見上げた。
 いた。
 天を覆うばかりに巨大な眼球が。
 憎悪そのものといっていい。濁った白目に無数に走る血管が、あちこちでポンプのように脈打っていた。天井自体があるのかどうか判らないような空間だから、眼球だけがポッカリと宙に浮いていて、その不気味なこと、この上ない。
 化け物眼球は着地したばかりの涼輔にグリッと視線を合わせると、突如カッと一閃した。
 眼球全体から図太い円柱状の光が、その下にいた涼輔目掛けて直下した。
(……こいつは!)
 異空全体がその光のために鈍い光に照らし出され、激しく何度もフラッシュした。







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