『鳩のさえずり』VOL1.教会からの使徒
あれは高一の秋だった。
俺は寒い休日をテスト勉強に費やし、普通に生きては絶対に使わない因数分解の問題を、黙々と書き進めていた。
範囲が終わり、次は国語かと、バッグをあさって『古語辞典』を探す。
しかし、ない。
どうやら学校に忘れたようだった。これでは勉強できない。
「仕方ない、学校に行くか」
渋々洗顔をし、頭を整える。部屋着をストリップし制服に着替え、いざ玄関へという時、呼び鈴が鳴った。
「なんだ?政義か?」
俺はドアを開けた。
「コンチニハ」
(っ!なんだこいつ、間違ってる!)
そこには外人の姿があった。白人で、背が高くて、セイン・カミュに似てる男性だった。どこにでもいるATM教師のようで、まぁなんとなく好感が持てる気がする風貌だった。いや失敬、ALTだ。
だがしかし、何故か服装が異様にビッと決まっている。彼が身に纏っているのは司祭服だった。
(そうかあんた…みどり町のオンボロ教会のアレか)
俺はとりあえず挨拶を返した。するとどうだ、また
「こんにちは」
と、明らかに彼の奥から聞こえた。
(んっ?!)
よく見ればセインの背中に、丸坊主の日本人男性が隠れていた。本当に全く、気付かなかった。狭いわけでもないのに、何がしたい…
「アナタわぁ、ジブンのしてきた事を、後悔した事はアリマスかぁ?」
一体この男は、突然何を言い出すのか。挨拶からすぐに説教とは、相当図々しい。
「え…あ…はい」
困惑しながら俺は答えた。正直な気持ち、その時俺は少し怯えていた。何故なら、俺がそう言った途端に奴はしょうもない日本語で俺に布教活動を始めたからだ。
彼らは実はヤバい宗教で、洗脳された信者が毎月教会に十万寄付しないと神のご加護がどうこうで拷問を受ける。そして誠意を見せろという理由で内蔵を売り、その金で奴らは私腹を肥やし、段々と勢力を拡大する。
やがて『摂理』とかとも合併し、それはもうおどろおどろしい偶像崇拝。ペテン教祖は三大欲求の限りを貪り尽くし、洗脳信者は血肉を削ぎ落として存在しない神の為に働き、淘汰され生命が終焉を迎える。俺もその中の一人になり、未来も希望も消え失せ、ただ奴らの掌上で弄ばれるのだ。哀れな最後のダンスを踊るように。神の救いは存在しない。
と、話を聞く数秒間で危ない妄想を爆破炎上させた訳だが、実際本気で怯えた覚えはない。ただ警戒していただけである。
そして徐々に俺の我慢も古語辞典が先行し、こんな聖書の一遍を棒読みする行為に付き合ってられなくなった。俺がしたいのはミサではない、古典だ。
「あの…すいません」
「ゥワトゥ?」
「俺学校行くんで、もういいすか?」
俺の迷惑そうな態度に気が付いたのか、彼は説教をやめた。そして後ろを振り向き、坊主から紙を受け取った。
「ヨカッタラ英語教室これやってます。きてください」
(うっ!)
俺のあの妄想は大方はずれていなかったのか、彼は俺に英語教室の紙を渡した。目を凝らして良く見るとそれは驚愕の内容だった。
(なんだこれ…開催日九日?会場…みどり町キリスト教会!こいつら!マジでやる気だ!!!)
俺の鼓動は高鳴った。これはまさか英語教室に扮し、信者獲得を狙いとする洗脳セミナーではないかと、俺の脳のディープインパクト(海馬)に激震が走った。ちなみにG1『洗脳賞』芝3,200M、気になるディープのオッズは驚異の1.1を記録。馬鹿か。
とにかく、俺は恐怖を感じた。冗談ではない、本気で警戒した。証拠に俺の心臓が警鐘の如く、音立てて血を沸かせていたのだ。
「あ…わざわざどうも…」
震える手で紙を受け取る。英語教室は九日に行われると言うが、これはあまりも矛盾していた。
一日っきりの英語教室が、どこの国の教育プログラムにあるのだろうか。あるはずがない。一日で学べる英会話など、たかが知れている。
危険だった。絶対に行くものかと、心に誓って俺は彼らを帰らせた。力が最大限に発揮される彼らの本拠地で英語などまっぴらごめんだった。ましてやこんな寒い日にその勧誘をしてまで信者が欲しいのかと思うと、俺は随分と呆れたものだ。
ところで気になったのは、仮にも神の御使いである彼らが何を用いて移動しているのか、というだった。
車なのだろうか、俺は気になり窓から覗いて見た。
二人揃って、マウンテンバイクだった。
ふざけた教会である。その教会自体も三角屋根とかではなく、ただのボロ屋なのだ。十字架すらない。しかも、すぐ隣はゲームセンター、挟んでパチンコ屋と、何やら粛清な雰囲気から懸け離れた位置にある。
しかし、マウンテンバイクと笑えたものだ。ヘルメットまで着用とは、司祭服に全く似合っていない。無茶なコラボである。
彼らが去った後、俺は自転車に乗って学校に向かった。旧国道七号線を疾走し、頬を撫でる寒風にふと何かの気配を感じる。
(………)
俺は無意識に後ろを振り返った。
(………)
ズゴゴゴゴゴ…俺はその光景に度肝を抜かした。
(なん…で…)
なんと俺の後方約50Mの地点に、奴らがいたのだ。
俺はとてつもない焦燥にかられ、激しく畏怖した。全身の毛穴が開き、汗が噴き出す。俺は必然とポケットに手を入れ、ケータイを取り出した。
(あわわわ…)
『スッゲー怖ええ!今キリスト教に追われてる!』
慌てて友人にメールをする始末。今、俺が奴らの獲物として狙われているのは確実だった。
(そんなに俺を信者にしたいか!若年層信者開拓の為に俺は奴らに選ばれたのか!)
すぐにメールが返ってくる。内容は覚えていないが、確か『頑張れ』だとか『イスラム』とかいう語句があった気がする。
しかし、焦っている割に俺の自転車をこぐスピードは変わっていない。それ以上に、彼らとの距離が離れている事にも気付いた。
そして、彼らは消えた。
結局、俺の一人相撲だったのだ。
混乱の中に残ったものは、『俺、狙われてる?』というスリルが生み出した『期待して損した』という廃棄物的感情だった。
|