12 バネッサは有名人
ギルドビルには、様々な訓練施設がある。スポーツジムに始まり、プールや魔法訓練施設、円形のコロシアムもある。一般開放もしており、闘技大会まで定期的に開催されている。ハンターたちはこの訓練場を闘技場とも呼んでいる。
さまざまな人種が集まり、自分の技術を磨くこの場所に、一人の女性ハンターがいた。自分を追い込み、強い敵と戦い続ける訓練をしていた。
名は、カレン・ハート。ハンターランク六等級、カペラのクラスだ。
「はぁはぁ。くそ。まだまだだ!」
彼女は訓練場にあるVRシステムを用いて、仮想の敵と戦い続けている。
VRで展開される舞台は、砂漠。灼熱の気温と、砂嵐が吹き荒れるステージだ。そして、戦う相手はシャチのように大きなサンドドレイク(砂竜)。
まるでサメと竜を合体させたようなサンドドレイクは、砂の海を泳いで、地面から飛び出てカレンを襲う。ナイフのような鋭い牙でカレンの体を切り裂き、肉を削ぐ。血が噴き出て、衝撃が走る。たとえ仮想のVRでも、かなりリアルなダメージが、カレンを襲う。
「ぐぅぅ! こんなやつに負けていたら、あの人に顔を向けられない」
信はバネッサに案内されて闘技場(通常は訓練場)に向かうことになった。
闘技場はギルドビルの6階にある。
闘技場の受付場は、雰囲気を出すために薄暗くなっている。映画館のチケット売り場のような作りで、青いネオン管が天井に走っている。レトロなブラウン管モニターが至る所に設置してあり、ランクの高いハンターたちが動画で紹介されている。
マッチョな禿げのおっさんがマイクを持ちながら、『君も高ランクハンターを目指そう!』と言って、宣伝動画が延々と流れている。
様々な種族がごった返す受付場の奥には、スーパーの集中レジのようなカウンターが並んでいた。そこにはサンバイザーとヘッドセットをした、可愛らしい獣人の受付嬢が立っている。まるで遊園地のアトラクションにでも乗るような雰囲気だ。
バネッサは受付嬢に声をかけると、施設の見学を申し出る。
獣人の少女はギルドタグをぶら下げている。ハンターであり、職員でもあるようだ。彼女は猫系の獣人で、ニコニコと愛想よく応対してくれる。彼女は少々お待ちくださいと言って、カウンターに設置されているパソコンを操作し始めた。
受付嬢の返答を待っている間、何の気なしに、信は周りを見渡してみる。すると、信は周りのハンターからジロジロと見られていることに気が付いた。
なぜ見られているのか理解できなかったが、原因はすぐに分かった。ハンターたちがジロジロ観察しているのは、信や香澄ではなく、バネッサだったのだ。
周りのハンターたちは口々に言う。
「おい、あれってバネッサさんじゃねぇか?」
「“激剣”のバネッサか? ウソだろ」
「まさか、ここは上級ハンターが来る場所じゃねぇぞ?」
ゴブリンの亜人や、オークの亜人たちがひそひそ話している。彼らは全員筋骨隆々だ。筋肉ダルマが何人も集まって、ひそひそと話しているのは少し気持ち悪い。
見られるのに慣れていない信は、かなり居心地が悪い。香澄はあまり気にしていないようだが、信はあまり目立ちたくない。子供のころ、いじめられていた過去があるからだ。
集まっているハンターたちは、無断で動画などを取っている。信はカメラに写っていないから良いものの、勝手に取るとは肖像権の侵害だ。
「どうやら本物みたいだぞ。今日はバネッサさんを見れるなんて超ラッキーだぜ」
「そうだな。有名になってからはマネージャーが雑務をこなしているみたいだからな。受付にはこなかったよな」
バネッサはギルドマスター専門の護衛になっていることは誰にも言っていない。一線を退いているので、今はマネージャーなどはいない。
「最近はバネッサさん見なかったからな。でも、誰だあのガキども」
「そうだな。バネッサさんの連れか?」
「依頼主か護衛対象だろ? 見たところハンターじゃなさそうだしな」
「いや、もう一人の女はハンターだろ? 足の運びや雰囲気が違うぜ」
ひそひそ話は信や香澄も聞こえている。バネッサがいかにすごいハンターなのか、これでわかった。下手なアイドルより有名かもしれない。
「すごいんだな。バネッサさん」
香澄はまだ知名度が低いハンターなので特に気にしていないが、いつかはバネッサのように有名になると誓っている。
「すごいのはわかったけど、俺はここに来るのは失敗だとわかったよ」
まさかバネッサのせいでこんなに目立つとは思わなかった。安請け合いするんじゃなかった。
「バネッサ様。施設の見学は可能です。こちらが許可証です」
バネッサは受付嬢から許可証をもらう。首から下げるカードだ。魔導式のカードのようで、魔術回路が組み込まれている。
「では行きましょうか。何か見たいものでもあれば行ってください」
バネッサは周りの視線も気にせず、信と香澄にほほ笑んだ。彼女の豚耳と、豚の尻尾がピコピコと動く。
「バネッサさん、見られてますよ、私たち。というか、勝手に写真取られていますけど」
「はは。いつものことですよ。むしろ私は見られることに慣れています。こんな恰好をしているのですし、仕方ないことです」
バネッサはビキニアーマーの紐を引っ張る。胸当ての紐を引っ張ったため、バストが持ち上げられる。周りの男性ハンターたちはゴクリと喉を鳴らす。
バネッサが行きましょうと言って歩き出すも、彼女目当てのハンターがぞろぞろと着いてくる。非常に迷惑な状況になる。
「あはは。すみません信君、香澄さん。平日の午前中だったので、人があまりいないと思ったのですが、失敗だったようです。今日はあきらめて別の所に行きましょうか?」
「うーん。そうですね。この状況だと、お兄ちゃんが発狂しちゃいそうだし」
信は筋骨隆々のハンターたちに囲まれ、ガタガタ震えている。強面のハンターたちが多いが、言っていることはバネッサのサインが欲しいとか、握手して欲しいとか、そんな程度だ。非常にがやがやしており、バネッサも失敗したと思っていたが、そこへ一人のハンターが突っ込んできた。
「ちょっと! そこどいて! 邪魔! バネッサさんに話があるの! どいて!」
ギャラリーをかき分け、何やら大きな体の亜人が近づいてくる。頭に角が見えるので、人間ではないのは確かだ。声が高いので、女性だと思われる。
なんだなんだと信たちは声がする方を見ていると、ギャラリーの男たちをかき分けて、一人の亜人女性が現れた。
見ると、燃えるような情熱的な赤い髪に、牛の角が二本、頭からにょっきりと生えている。体はとても大きく、身長は信よりもはるかに大きい。胸は自己主張が激しく、天を貫かんと揺れまくっている。
「あたしはハンターランク六級のカレンです! ランク三級のバネッサ殿とお見受けしました! お仕事中で迷惑だと分かっていますが、あたしと勝負願いたい!」
彼女は、ミノタウロスという種族だった。人間の血が結構混ざっているのか、顔は女優のように整っている。
「お願いします! 簡単な手合せでもいいんです!」
ミノタウロスのハンター、カレンは、深々と頭を下げる。どうしてもバネッサと一戦したいらしい。
「今はお客様を連れています。ギルドマスターからはあまり力を見せるなと言われていますし、申し訳ありませんがお引き取り願います」
表情は穏やかだが、バネッサには拒否の色が出ている。
「そこを何とか! 高ランクハンターに出会えるのは滅多にないんです!! ましてやアリーナでは特に!」
アリーナとは信たちがいる場所のことだ。訓練場の別名でもある。
「どうか!」
ミノタウロスのカレンは、必死に頭を下げる。鋭い角が信たちに向く。先端恐怖症の人なら倒れそうなレベルだ。
「そんなことを言われても困ります」
バネッサはまさか絡んでくるハンターがいるとは思わなかった。
一応暗黙のルールで、下のハンターは上のハンターに意見を言うのは憚られる。願いを断られたら、即退場すべきだ。恥をかくのは目に見えている。それなのにカレンは食い下がる。
信たちは完全に置いてけぼりで、いったい何をしに来たのかわからなくなるレベルだ。
とにかく、信は思ったことがある。とても大事なことだ。
目の前に現れたミノタウロスのカレンは、とてつもない美人だということだ。特に大きな胸が、信の心を打った。目の前に、女神が存在している。彼女はとてつもなく好みだ。
信は、空気も読まずそんな感想を抱いたが、横に立っていた香澄は違った。
「バネッサさん。あたし、後学のためにバネッサさんの戦闘スタイルを見たいです」
香澄が余計なことを言った。
「え? 私の?」
「はい。バネッサさんは大先輩です。私がバネッサさんに頼むのは身分をわきまえろって感じだけど、見てみたいんです。バネッサさんは女性ハンターで憧れの人だから」
「おい! 香澄、バネッサさんが困るだろ。ここはもう見学するのは止めに……」
しよう。
そう言いたかったが、バネッサは香澄の言葉に感銘を受けた。他ならぬ、護衛対象、依頼人からの頼み。少しくらいならいいだろう。どうせこのミノタウロスは五分と私の剣にはついていけない。訓練場の見学にもなる。時間をつぶすついでに彼女を練習相手にしよう。
6級のランクでは3級の足元にも及ばない。それほどの差があるのだ。ましてや2級に近いといわれているバネッサ。試験を受ければ昇級は確実といわれている。
「しょうがないですね。ほんの少しだけならお付き合いしましょう。カレンさんと言いましたか。香澄さんに感謝するのですね」
「本当ですか!! ありがとうございます! そちらのお嬢さんもありがとう!!!」
ミノタウロスのカレンは、しきりに頭を下げていた。周りのハンターからも歓声が飛び交う。
「バネッサさんの試合が見れるぞ!!」
「まじかよ!」
「今日はすげぇラッキーだ!!」
周りのハンターは大騒ぎしているが、信はアンラッキー。これ以上、筋骨隆々のハンターたちに囲まれるのは好きじゃない。
俺もエヴァのところに行こうかな。待合室で待っているだけでいいんだ。早くポポに会いたい。
信はげんなりした。