女性相手に本気は出しません
戻ってきたメリタは私たちの前に現れた。手紙をピラピラさせている。
「ヒャブカ将軍からの通達で、その男は解放せねばなりません。問題となっている捕虜もこれまでどおり、彼の預かりでよいと。
拘束していては、彼からの不興を買うかもしれません」
その一言により、統括者は苦虫を噛み潰したような顔をしながらも私を解放した。
ずっと握り締められていたせいで、少し両手が痺れてしまったが、特に問題はない。私はすぐにジャクを肩に担ぎ上げた。目覚めていた彼女は私にすがりついてくる。少しは私になれてくれたらしい。
「なんでまた、ヒャブカ将軍が出張ってくるんだ。こいつとは関わりがないはずだろう」
などといいながら統括者はメリタの持ってきた手紙を読み、それで一応納得したらしい。悪態を隠しもせずに奥へ引っ込んでいった。
私を拘束しようとしていた衛兵は残らず奥へ行ってしまったので、その場には私とジャク、メリタの三人だけとなる。
「少し遅くなったな、すまない。だが交渉はうまくいった。ヒャブカ将軍は君の救出のために一筆書いてくれたし、この機会にグリゲーのしていることを公にしてしまうと約束してくれた。
彼らのやっていることは、国にとって不利益しかもたらさない。ただ私服を肥やすために弱者を食い物にしているだけだ。
君さえよければもう少し協力してもらえないか? グリゲーの一派を潰して、安寧をもたらしたい」
最後のほうは少し声をおさえて、メリタは言う。彼女がここまで国を思っている理由は何なのか、私にはわからない。
私としては愛国心を忘れたわけではないものの、ここで安易に彼女たちに同調することはできない。ヒャブカ将軍は有名であるが、それだけで信用するほどではないのだ。
私は私の目的を達成すればそれでよい。つまり、ジャクを奴隷に戻さないことを約束してもらい、彼女がどういう経緯でこうなってしまったのかが明らかになればよい。
それを説明すると、メリタは唸った。
「そうだな。君としてはこのジャク・ボリバルが心配なのだろう。
であるなら、もう少し踏み入った調査が必要となる。どちらにしてもジャクの一件にグリゲーが深くかかわっていることは間違いないし、君は彼らと本格的に敵対せざるを得まい。
衛兵が一般市民に協力要請をするなど、いい顔をされないのはわかっているが、それでも君がジャクのことを知りたいと望むならばこちら側にこなければなるまい。私を信用してくれるのなら、できるだけの協力はする。ジャクを守ることもできる。それに、娘を保護するのならば女手は必要だろう?
とにかく、私についてきてくれ。君を助けたのだから、少しは信用してくれてもよいだろう。
というのも、ヒャブカ将軍が君に興味を持っている。急で悪いのだが、招待されているのだ。今日は何か予定があるか?」
「いや、未定だ」
「ならば、来てもらえるか」
恩人の招待であるなら、うけなければなるまい。私は頷いた。
早速ヒャブカ将軍の家に移動することとなったが、私を乗せられるような馬がいないということで、徒歩での移動を余儀なくされた。
「少し時間がかかったが、このくらいなら問題あるまい。ヒャブカ将軍は清濁併せ呑む人柄だ。
君なら大丈夫だと思うが、くれぐれも妙な真似はしないようにな」
「ああ、わかっている。私とて恩人に対する態度くらいは心得ているつもりだ。行こう」
私はジャクを肩に担いだままだが、メリタが何も言わないのでそのままだった。
将軍の家は予想外に大きく、このくらいの地位を持つものともなれば豪邸に住むのは当然なのかと思い知った。しかも、メリタの説明によれば私の背丈の三倍はあろうかという高さをもつこの建物でさえ迎賓のための施設に過ぎず、私邸は別にあるのだとか。
到着と同時に数名の侍女に迎えられ、家の奥へと案内される。ここでもジャクを担いだままだ。彼女は少し不安そうにしているので、私が抱えているより他はない。軽くその肩を叩いて落ち着かせる。
「このままで大丈夫なのか?」
「ああ、一度は我々と一緒にヒャブカ将軍に顔を合わせる必要がある。その後は別室で待機してもらうが、私にもひけをとらぬ女傑がしっかり守ってくれる。そこは心配せずともよい。信用してくれ」
「わかった」
メリタの言葉を信用することにしたが、その後は彼女の言ったとおりになった。
私たちはヒャブカ将軍に面会し、簡単な挨拶をした後にジャクを預けることとなる。優しい表情の侍女に声をかけられ、いくらか緊張の解けたジャクは別室に連れられていった。しばらく絵本とお菓子をもって、遊んでもらえるのだろう。
ジャクを連れて行った侍女はいくらかメリタに似ていた。面影がある、というか。血のつながりがあるのかもしれない。
さて、ジャクのことは任せてもいいだろう。
それよりも目の前にいるヒャブカ将軍に意識を集中するべきだった。将軍はがっしりとした筋肉質の体型であり、似合わぬ短い髭を整えている。立派な衣服を纏い落ち着いているようだが、瞳だけはこちらを見透かすように輝いているようだ。只者ではないな、という気がする。さすがにスリム・キャシャの甥というだけはある。
だが私とて英雄の血を引く者だ。それも、(本人によれば)随一の寵愛を受けた娘の、子なのだ。
別に血筋が私の全てというわけではないが、負けてはいられない。
「呼びつけてすまないな、英雄の孫よ。スム・エテス殿でよかったかな?」
「はい、将軍。先日首都に出向いたばかりの田舎者なれば、ご無礼があるかもしれませんが。ご容赦ください」
「構わんよ、こちらも現場上がりなもので堅苦しいのは勘弁願いたい。タバコをすっても構わないかな」
「どうぞ」
しわがれて低いが、聞きよい明瞭な声だった。ヒャブカ将軍はテーブルの引き出しから葉巻を取り出している。察した侍女の一人が火縄を持ってきて、火をつけた。
「うむ。すまないな。
さて、話をしようか。メリタから話は聞いているが、君の持っている手紙をみせてもらえないか」
「ここに」
こうくることは予想していたので、私は素直に王からの手紙を渡す。ヒャブカ将軍はそれを五秒ほど眺めた後、返してくれた。
「確かに、王からの呼び出しに違いない。しかしあの王も困ったものだな。自ら招いておいて一目で追い出すとは」
「こちらの事情は知っておいでですか。その上で協力いただけたとは。まことに感謝いたします」
「ああ、その点は特に問題ない。事情はどうあれ、君が賓客であったことは間違いないからな。あの王は今更気にすまいが、その手紙はそれだけで一定の効力をもつ。何より、エイナ・エテスの推薦である」
「母の?」
「うむ。知らなかったか」
煙を吐き出し、ヒャブカ将軍は私の目を見た。
「エイナ・エテスは王へ君を随分と売り込んでいたのだ。恐らく君の力を買っていたのだろう」
「そうだとしたら、親の欲目に違いありません。過度な期待をかけられても、私はそこまでの力を持ちません。
スリム・キャシャのように強くあれと思ったのかもしれませんが、私はこのように、彼のように美麗ではないので」
「そうでもないだろう。君がいかに鍛錬を積んだか、見ればわかる。貴族の婦人方のように、食欲と怠惰で太ったわけではないのだろう。
武器は何を用いるのかね? よければ手合わせを願いたい」
「元来の不器用で、武器は用いません。あえていうなら、拳を用います」
手合わせときたか。私の力をはかろうというのだろう。
期待にこたえられるとは思わないが、やるより仕方ないだろう。私のありのままの実力をみてもらえば、過剰に期待されることもあるまい。
「よろしい。どうかね、庭に出ないか」
「はい」
言いながらメリタを見ると、軽く首を振っている。手合わせを否定しているのではなく、呆れているのだろう。
「男の人ってどうしてこう野蛮なのか」などと思っているのかもしれない。今のメリタは衛兵の兜をとり、髪を下ろしているので女性らしさがぐっと増している。
「将軍が手合わせするわけにもいきますまい。私がお相手を務めます」
ため息のようにメリタがそう言った。
どうやら、首を振っていたのは私との手合わせを面倒に思ったかららしい。確かに、将軍が万一にも傷を負ってしまえば問題になる。田舎者の私にはそこまでの考えが浮かばなかったが。
「そうかね、では頼むよ。ほら、外にでた、でた」
将軍は嬉しそうな表情で私たちに外へ出るように促してくる。
私とメリタは、侍女に案内されて庭に出る。立派な玄関を再度くぐりぬけて、外に。
庭などというので一般家庭の庭を想像していたのだが、すっかりそれは裏切られた。もはや庭園か、訓練場という感じだ。かなり広々としている。立食パーティでも開けそうなくらいの面積を有したそこの、どこへ立てばいいのかわからないくらいだった。
「そこに立つがいい、スム。私は剣を使うが、無手でよいのか?」
メリタの指示にしたがって、私は広場らしいところに立つ。少しはなれたところにメリタは進み、おろしていた髪をまとめている。
その仕草は実に魅力的だ。衛兵にしておくのはもったいないだろう。村にもメリタほどの女性はいなかった。
「どうした、何かあったのか」
視線に気付いたのか、メリタはそんなことを訊いてくる。
「いや、少しみとれてしまってな。すまない」
私は正直にこたえたが、彼女は少し困ったように顔をしかめただけだった。当然だろう。私のような男に見つめられたところで、彼女にとっては迷惑なだけだ。
なぜかヒャブカ将軍は笑いをこらえていたが、特に気にする必要はない。
今はとにかく、手合わせをすることだ。手を抜くのは失礼だろうから、本気でいくしかない。とはいえ、女性が相手だというところは考慮する必要がある。
メリタは準備を終えたようで、木剣を構えている。
「よい」
短く、こちらも準備ができたことを伝える。メリタは真剣な顔で頷き、ヒャブカ将軍を見た。
「合図を」
「うむ。双方、怪我をしないようにな。それ」
ヒャブカ将軍は軽く手を掲げ、それをさっと振り下ろした。
瞬間、メリタが突進してくる。直線的な動きだが、私の動きをよく見ているようだ。
しかし彼女が何をしてこようとも私には特に関係がない。私にできることは決まっているからだ。突進して、腕を突き出すだけ。それだけなのだ。
だから、そのとおりにした。
「なっ」
驚愕の表情を浮かべるメリタの肩を叩き、そのまま振りぬく。ぐぎりと嫌な音をさせながら彼女は体勢をくずし、もんどりうって倒れこんだ。
木剣を落とし、メリタは地に伏している。立ち上がってはこれないようだ。
「勝負あったな。メリタ殿、大事ないか」
「んぐ……くっ。は、はい」
将軍は手合わせの終了を宣言するが、メリタは立てないでいる。私は彼女に手を差し出した。
「手加減されるのは嫌いだが、まさかこうもあっさり負けるとは。君は大したものだな」
やはり呆れたような表情だったが、メリタは素直に手をとってくれた。腰をおさえながらも気丈に立ち上がってくれる。
「すまない。女性なので一応加減はしたのだが、どこか傷めてしまったか」
私はその様子に痛々しさを感じたので、彼女を気遣う。
だが、メリタは両目を見開いて私を見た後、深いため息をついてしまった。
「あれで加減しただと。君はスリム・キャシャの再来だな。戦い方は違うが……。
変な風に倒れてしまってな、少し休ませてもらう。受身の稽古を怠ったつもりはないのだが」
そういって、衛兵のメリタは家の中に入っていってしまった。彼女はこのヒャブカ邸にも何度か出入りしているのだろう、勝手知ったるといった様子だ。一人の侍女が彼女についていく。
私は彼女が持っていた木の剣を握り、所在ない。
が、ヒャブカ将軍は実に楽しそうな表情で私を見つめている。どうも彼は、私に期待するところがあるらしい。