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闇の十字星

闇の探求者

作者:小倉蛇
 休憩から戻った宮坂が、捜査用覆面車の助手席に乗り込むと、矢島に缶コーヒーを手渡した。
「何か動きは?」
「いや」
 矢島は素っ気なく応えながら缶を開けた。
「あーあ、ここは外れかな」
 宮坂はスポーツ新聞を広げて読みだした。
 二人は神奈川県警逢空署捜査一課の刑事で、ある女の家を監視中だった。女の名は寺沢奈央未。蔵書家殺人事件の容疑者と目される増村奏一の交際相手で、そのため増村と接触する可能性があると考えられていた。
「おい、何だこりゃ。宇宙人か?」
 矢島はスポーツ新聞を裏面から叩いて言った。そこには人間の脳から蟹のハサミが突き出ているような奇妙な生物のイラストと、空中を飛行する黒い影の連続写真が載っていた。
「ああ、ミ=ゴってやつだよ。アメリカのあちこちで目撃されたっつって、動画がネットで話題になってる」
「いよいよ宇宙人の侵略か」
「もう日本まで来てるって話もある」
「こっちは殺人事件で忙しいってのに、こんなのの相手までされられるんじゃかなわんな」
「いや、宇宙人退治なら自衛隊の仕事でしょ」
「おっ、見ろ」
 矢島が指差した。監視中の家から白いコートの女が出てきたところだった。右手には黒いカバンを下げていた。
「あの女には不似合いなカバンだな」
 それはアタッシェケースと呼ばれるような四角張った薄いカバンだった。
「うむ、午前中に宅配便で何か受け取ってただろ」
「ああ、それが例の本で、あのカバンの中に?」
 蔵書家殺人事件では被害者の自宅から珍しい本が一冊盗まれていた。その本を奪うことが犯行の動機と見られ、本は重要な証拠となるはずだった。
「とにかく尾けてみよう。車を頼む」
 矢島は無線機のイヤホンマイクを耳にはめながら車を降りた。


 女は桜崎町の商店街へ入って行った。
 時刻は午後四時すぎ、買い物客でにぎわっている頃合いだった。女は早足で人ごみをすり抜けて行った。
 矢島はちょうど甘味処から出てきたおばさんの集団に前方を塞がれた。
「人が多くて見失いそうだ」
「今、前方に出たところだ。車を置いて支援に行く」
 無線で宮坂が応えた。
 何とかおばさん集団を回避すると、白いコートの女がテナントビルに入っていく後ろ姿が見えた。
 そのビルの一、二階はゲームセンターで、有線放送のJポップとビデオゲームの効果音がエレベーターホールにまで響いていた。
 矢島が入っていくと、エレベーターのドアが閉まりかけたところだった。駆け寄ると中にいた女、寺沢奈央未と一瞬目が合ったが、彼女はボタンを押してドアを閉じてしまった。
 上部の表示を見ていると三階で止まった。エレベーターに乗っていたのは一人だけだったので、女はそこで降りたのだろう。
 案内板を見ると三階にあるのは歯科医と美容院だった。どちらを訪ねるにしろ、アタッシェケースは不似合いだった。
「宮坂、聞こえるか?」
 矢島は無線で呼んだ。
「ああ、近くにいる」
「一階がゲーセンの青いビルがわかるか?」
「ああ」
「女はその中だ、裏口を見張ってくれ」
「了解」
 エレベーターが降下し始めた。矢島が見張っていると、出てきたのは白髪で黒いコートの老人だった。長身で背筋がピンと伸びていた。黒い皮手袋の左手に銀の飾りのついたステッキを持ち、右手にはアタッシェケースを下げていた。寺沢奈央未が持っていたものとそっくり同じデザインだった。老人は鋭い眼光で矢島を一瞥すると、そのまま歩き去った。
「宮坂!」
「どうした?」
「怪しい老人がいた。おれはそっちを尾ける」
「怪しい老人!? 何だそりゃ?」
「同じカバンを持ってるんだよ」
「女はどうするんだ?」
「そっちで頼む」
「ああ了解」
 できれば応援を呼びたかったが、一課は慢性的な人手不足だった。
 しばらくすると宮坂から連絡が入った。
「女が出てきた。まだカバンを持ってるぞ」
「同じ物か?」
「ああ、そう見えるがな」
「ビルの中で交換したかもしれん」
「かもな。こっちも尾行をつづける」
 老人は国道へ出ると、パーキングメーターのエリアに駐車していたクライスラーPTクルーザーに乗り込んだ。
 タイミングよく矢島はタクシーを捕まえることができた。
「前の車を追ってくれ」
 警察バッチを見せてそう告げた。
 クライスラーはかなりのスピードで飛ばしていた。
 赤信号で止まった間に矢島は運転手に一万円札を渡して言った。「釣りはいいから、見失わないように頼む」
 タクシーは制限速度を無視して追跡をつづけた。やがて前方の車は閑静な住宅街に入り速度を落とした。
 もう携帯無線機の有効範囲を出ていたのでイヤホンマイクを耳から外した。
 老人の車は何度か角を曲がると大きな邸宅へ近づいて行った。象牙色で異教の寺院のような建物だった。
 ゲートが自動で開いた。
「あのゲートにできるだけ近づけてくれ」矢島は運転手に言った。
 クライスラーが通過し、音もなく閉じようとしていたゲートを、タクシーから飛び出した矢島がぎりぎりですり抜けた。
 あのカバンから一時でも目を離したくはなかった。家に持ち込まれれば、証拠品を処分されてしまう可能性があった。
 停止した車に近づいていくと、屋敷の方から黒い影が駆け寄ってきた。ドーベルマンだ。この家の番犬らしい。激しく吠えながら、すごい勢いで矢島に向かってきた。
 矢島は反射的に、空手の型をとって正対した。
「エイクリー!」
 老人が鋭く犬の名を呼んだ。
 番犬は途端に侵入者に興味をなくし、車から降り立った老人の足元にうずくまった。
 矢島は息を吐いて構えを解いた。
「困りますな、ここは私有地ですぞ」
 老人はしわがれた声で言った。
「殺人事件の捜査中です。ご協力お願いします」矢島は警察バッジを見せた。「逢空署の矢島達彦と言います」
「で、私に何を?」
「黒いカバンをお持ちでしたね。それを見せていただきたい」
 老人は車の助手席からアタッシェケースを取って手渡した。
「拝見します」矢島は留金を外してケースを開いた。中に入っていたのは一冊の本だった。タイトルは英語で"Cultus Maleficarum"となっていた。「これは?」
「カルタス・マレフィカルゥム――日本語では『悪の祭祀』と呼ばれている。別名『サセックス稿本』とも」
「あなたはこれを桜崎町のビルで寺沢奈央未さんから受け取りましたね?」
「ふむ、だとすればどうだと?」
「この本は、ある殺人現場から持ち出されたものだ」
「殺人ですか。その人物は胸を鉤爪のようなもので引き裂かれ、心臓を抉り取られていた。そうですな?」
「それは……、マスコミには発表していない事実のはずですが」
「ふん、マスコミの知らんことなどいくらでもある。何なら事件の真相をあなたに教えてもいい」
「事件の真相……、と言うと?」
「警察が容疑者として追っている増村奏一、あれは私の助手のようなものでね。犯人ではない。確かに現場からこの本を持ち出しはしたがね」
「では、あなたは真犯人を知っているのですか?」
「もちろん。知りたければついてきなさい」


 矢島はソファセットのある部屋へ通された。壁には綺麗な色のついた星雲の写真が飾られていた。
 向き合って腰かけると、老人が言った。「さて、何から話しましょうか?」
 コートを脱いだ老人は、襟元にリボンタイを結び、茶色のスーツを着ていた。
「まず、あなたの名前を」
「陣野晴嵐」
 矢島は漢字を確認して手帳に書き取った。
「職業は?」
「見ての通りただの老人だが、まあ引退した学者とでも言っておきましょうか」
「学者というと専門は?」
「天文学、エーテル波動による深宇宙探査というのが終生の研究テーマでね」
「エーテル……というのは確か存在しない物質では?」
「ま、そういう説もあるが、私には私の理論がある」
「そうですか。では、事件について話してもらいましょうか」
「事件ね、そう、ところであなたはミ=ゴというものについてご存知かな?」
「ミ、ゴ……? ああ、スポーツ新聞で写真を見ましたけど、宇宙生物とかいう……」
「そう、最近はマスコミも取り上げるようになった。今さらながらにね。だが、このミ=ゴという名は1930年代にすでにある小説の中で言及されていたのだ」
「小説?」
「ハワード・フィリップス・ラヴクラフト「闇に囁くもの」でね。ラヴクラフトの小説は当初パルプ雑誌に発表された単なる怪奇小説だと思われていたが、じつは実在の魔道書から得た知識に基づいた神話であり、また未来への警告の書でもあったのだ」
「怪奇小説が、警告……!?」
「ユゴス星よりのもの、ミ=ゴ襲来のね。ユゴス星とは冥王星の別名だ。そして、ミ=ゴは旧支配者たちの尖兵にすぎない。たとえば、南太平洋の海底神殿ルルイエで眠るクトゥルーや、戸口に潜むものヨグ=ソトース……」
「ああ、ちょっと待ってくださいよ」矢島は滔々と語りだした老人をさえぎって言った。「殺人事件に関係のあることを聞きたいんですが」
「黙れ!」老人は威圧的に命じた。「この世の真実を知りたければ黙って聞くがいい」
「は、はあ」
 矢島もベテランの刑事で、めったなことでは会話の主導権を取られるなどということはなかったが、なぜかこの時は勝手が違いおとなしく話を聞かされる破目になってしまった。
「狂えるアラブ人アブドゥル・アルハザードが記した魔道書『ネクロノミコン』には宇宙の最果てで眠る永遠の白痴アザトースについての究極の秘密が暗示されている。そして這い寄る混沌ニャルラトテップがこの地上に降臨した暁にはすべての真実が語られるだろう。イア! イア! シュブ=ニグラス! 千の仔を孕みし森の黒山羊よ! この呪文を伝える世界各地の秘密教団は、人類誕生以前に地球に存在した種族の呪われた知識を保管している……」
 こんな調子で、陣野晴嵐は語りつづけた。十分以上も聞かされているうちに矢島は眠気に襲われた。話を理解するよりも、目を閉じないようにするのがやっとだった。そのうちに陣野の背後にある写真パネルのピンク色の星雲が煙のようにゆらめいて見え始めた。
 矢島は自分が事情聴取の最中であることを意識し続けなければならなかった。気を抜くと写真の中の宇宙空間へ漂い出してしまいそうだった。その上、陣野の声は高くなったり低くなったり、まるで再生速度の安定しいないテープレコーダーを聞いているようだった。「……シシシショゴォスス、ス……ス…………ラ、ラ、ラァ、ラァァァーンン……、テ、テテ、テゴォォス……ス……」
 やがて陣野は語るのを止めると不意に立ち上がった。矢島は半分眠ったようにぼんやりとして動かなかった。
「私はこれからある実験を行う。入手した『サセックス稿本』から必要だった最後のデータが得られるはずなのでね。その実験が成功すれば、エーテル波動によりミ=ゴを捕えることが可能になるのだ。君は三十分ほどここで待機し、その後、三階の実験室へ結果を確かめに来るのだ。それまでは眠っていたまえ」
 陣野がそう告げると、矢島の身体からは力が抜け、頭をテーブルに乗せて眠り込んでしまった。


 きっかり三十分後、矢島は目を覚ました。
 窓の外にはすでに夕闇が降りていた。
 はじめ彼は、老人の話があまりに退屈でいつしか居眠りをしてしまったのだと思った。だがそのうちに、あの男が「実験をする」とか「三階へ結果を確かめに来い」などと言っていたような記憶がよみがえってきた。
 ともかく事情聴取の途中で眠ってしまったとは、とんだ失態だ。矢島は焦って部屋を出た。階段を見つけ、三階へ駆け上がった。
 正面に両開きの黒い大きなドアがあった。これが実験室だろうか。
 矢島はドアを開けた。
 そこには巨大な、奇妙な機械が設置されていた。天井はドーム状になっていて、もとは天体望遠鏡が置かれていた部屋のようだった。だが、その機械はどう見ても望遠鏡とは違う何かで、三叉の大きなフォーク型のフレームを空に向けていた。
 室内には嗅いだことのない異様な臭いが漂っていた。奥へ入っていくと、床に書類や電子機器などが散乱していた。大量に血も飛び散っていて、その中央には陣野晴嵐が倒れていた。恐怖にひきつった表情のまま絶命していた。胸を引き裂かれ、心臓を抉り取られて……。
 それは矢島も目にした、蔵書家殺人事件の被害者とそっくり同じ死にざまだった。
 ともかく本部に報告しなければ、と矢島は部屋を出た。そこでもまた異変があった。キナくさい臭いがして、白煙が漂っていた。火事か!?
 火元を探して一階へ降りると、そこはすでに煙が充満し、炎が迫っていた。
 息を止めて外へ避難するのがやっとだった。庭へ出ると、あの黒い番犬が、やはり心臓を一突きで抉られ、死体となって転がっていた。
 間もなく、消防車がサイレンを響かせながら駆けつけ、消火活動を始めた。
 そのころにはしかし屋敷全体が炎上していた。古い建物で火の回りが速かったのだ。
 矢島には、炎の中で倒壊していく館をただ見守るより他に、なす術はなかった。


 逢空署に戻った矢島は、単独で事件関係者と接触したことで課長から注意を受けたが、それは形式的なものにすぎなかった。一課の人員不足は課長も知るところだ。
 矢島は居眠りの件も含めてありのままに報告していた。
 その後の調査で、陣野晴嵐はかつて催眠術の権威として知られていたことが明らかになった。そのため矢島の居眠りは不可抗力とされた。だがそのことは矢島の証言の信憑性も疑わせることになった。陣野の死体が火災で原形をとどめないまでに焼き尽くされている以上、矢島自身が現実というたしかな実感を持つ事柄でも、実証することはできなかった。
 翌日、容疑者と目されていた増村奏一が弁護士を伴って署に出頭してきたが、証拠不十分ですぐに釈放となった。
 それを機に、蔵書家殺人事件に関する一切の捜査は早々に打ち切りとなった。加えて、陣野晴嵐の死は殺人の可能性すら否定され、失火による事故死として処理された。
 県警上層部に何らかの圧力が作用したらしい、そんな噂が一課の捜査員のあいだで囁かれているのを矢島は耳にした。
《闇の十字星》第二話です。
何とか月一作ペースで書きたいと思っています。
第三話のタイトルは「闇の襲撃者」です。
ふむふむ、なるほど……

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