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導入編
第7話:ダンボールじゃガードできない
 朝起きると、視覚に妙な光景が、嗅覚に良い味噌の香りがしてきた。
 俺が起きたのを察したようでエプロン姿の優佳さんは台所から振り返ると、にこりと微笑む。
「おはようございます、旦那様」
「……ああ、おはよう」
 昨日は精神的に疲れてしまってよく眠ったおかげだろうか。
 今朝は疲れもなく、すっかり頭が冴えた良い1日の始まりだった。
 優佳さんが今朝の食事を作ってくれることになって早起きする必要がなかったこともある。
「旦那様、もうすぐ朝食ですから座って待っていてください」
「ん、あ、ああ……」
 しかし、ほっとしたのも束の間のこと。
 見慣れない、そして、見ていいのか判断に迷う光景が眼前には存在していた。
 あれ? まだ寝惚けているのか?
 今朝は起きて顔を洗って頭は冴えているはず。
 なのに、おかしい。目をこすってみる。でも、姿は変わらない。随分と今日は背中が見える。
 ああ、これは分かった。女性と一緒に暮らしているからだ。
 そして、変な欲望を抱いているからそういう姿になって見えているに違いない。
「もう旦那様、惚けた顔をしてどうされたのですか? それとも、わたくしのこの格好が気になるのですか?」
「え、まあ、気になるけど……って夢じゃないのか」
「夢だったらどうするおつもりですか?」
 優佳さんは小さく笑って、こちらに近づいてきた。
 でも、俺は視線は向けられない。
 顔より下は見てはいけない気がする。見たら負けなような気がするから。
 とはいえ、悲しいかな。視線がどうしても下へ下へと向いてしまう。
「あ、その……あまり見られると恥ずかしいのです……」
「え、あ、ごめん」
 じゃあ、どうしてそんな恰好してるのと問うのはこの場合野暮なんだろう。
「……あ、お鍋が」
「あ、うん」
 いきなり朝から裸エプロンは刺激が強すぎると思うんだ。
 とりあえず優佳さんが飯の準備をする前に俺にはするべきことがある。
 携帯を取り出すとアドレス帳の中から実家とある番号を選ぶ。
 コールが鳴る間、俺は息を大きく吸ってその時を待っていた。そして、誰かが電話に出るや否や思い切り心に浮かんだことをぶつけてやる。
「おい、こらっ!! 変なこと優佳さんにおしえてんじゃねぇぇえええっ!!!」
 我が両親のどっちかには迷惑だったろうけど、自業自得だと思う。
 ちなみに裸エプロンは我が母直伝だそうだ。
 父親もこうして落としたと入らない情報までご丁寧に教えてくれた。
 電話が終わると、俺は当然のように、彼女には普段着に着替えてもらったのだが、優佳さんは俺の反応が面白くなかったようでやや不満そうだった。
「わたくしの愛情が伝わらなかったみたいです」
「愛は一方通行じゃ伝わらないんだ」
 上手く言ったつもりだったが、優佳さんにその感情をまんまと見抜かれてしまい、彼女の半目から放たれる視線に俺は朝食の間じゅう晒され続けることとなったのだった。



 朝食が終わると、優佳さんはお茶のお代わりを勧めてくる。
 俺がずっと朝食が美味しいと心から言ったことが奏功したようだ、彼女の機嫌はすっかりよくなっていた。
「ふふふっ」
 鼻歌交じりに優佳さんはお茶の準備を始めている。
 この家に彼女が来てからは、普段飲まなかった日本茶を常備するようになり、押し入れに閉まってあった湯呑もまた陽の目を見るようになった。
 湯呑を出すと、彼女は急須からお茶を注ぎ、俺に返してくる。
「旦那様、熱いですから気を付けてくださいね。あ、それともわたくしが冷ましましょうか?」
「そこまでしなくても大丈夫。……っ!」
 熱いっ!?
 吹くことまではしなかったが、舌にかなりの痛みを感じた。
 優佳さんがしようとしていることを理解して、そんなことをされるほどにお子様ではないというアピールを失敗した間抜けな男の心の痛みだ。
 そんなアホを前にしての優佳さんの対応は早かった。すぐさま冷蔵庫から冷たい水と氷を持ってきて俺の前に置くと、湯呑みを俺から素早く奪い取った。
「だ、旦那様! すぐにふーふーしますからね」
 今までならば絶対にここで引くことはなかったはずだ。
 しかし、出会って1週間が経ったわけだが、今ではすっかりそれを受け入れてしまっている自分がいる。
 今まで独り暮らしをしていた俺って何だったのと言わんばかりの堕落っぷりだ。
「ふー。もう大丈夫ですよ。もうっ、旦那様。気を付けてくださいね」
「あ、ありがとう」
 今までこんな凡ミスしたこともなかった。
 情けなくて返された湯呑を持ちながら頭を抱えたくなるけど、そんなに器用でもない。
 結局、お茶を飲み、気持ちを落ち着かせることにした。と、お茶を飲んで一休みをしていると、さっきからずっと俺の隣でにっこりと微笑んでいる優佳さんの姿があった。
「ところで、優佳さん。今日は随分と俺の側にいるけど、どうかした?」
 気になって尋ねたところ、優佳さんはさして驚くこともなく覚えてないのですかと言った様子で子供に言い聞かせるような声で言う。
「旦那様は仰ったではありませんか。場所さえ考えればいいと」
 その話を聞いた途端、俺は急にやる気がみなぎってきた。堕落の時は終わったのだ。
「……さてと、洗濯物を干して掃除するかな」
「っ!? 両方ともわたくしがやります」
「掃除は俺がやる。……1人でやるよりも早く終わるし、そうしたら2人でゆっくり過ごせる時間も増えるだろ?」
 もちろん、優佳さんを納得させるための方便である。


 掃除が終わると、優佳さんが何をするでもなくこちらを向いて待っていた。
 そして、開口一番こう言った。
「旦那様。今朝、わたくしのこと、少しエッチな目で見られてましたよね?」
 唐突にそんなことを言われたものだから、今朝の光景がフラッシュバックして思わずむせ返りせき込んでしまった。
 優佳さんは目を丸くして驚く、俺の背中に回り、優しくさする。
「だ、大丈夫ですか?」
「いきなりその話を持ち出されたからちょっと驚いた」
 たぶん、今はちょっと顔が赤くなっているかもしれない。お茶を噴いた羞恥と今朝のフラッシュバックの羞恥、半々くらいだろうか。
 優佳さんはわざとやっているようで、俺の反応に嬉しそうに目を細める。
 だが、彼女の顔はまだ照れが残っているようで少し赤い。
「……わたくしのあの恰好を見てどう思われましたか? ……少しエッチな気分になったりしましたか? ちょっといけないことをしたいなんて思ったりしましたか?」
「え、あ、いや、ちょっと……。こういうのは夜の方がムードがあるというか……。昼間からするのは……」
「つまり夜ならいつでも大丈夫ということですね。分かりました。牡蠣、鰻、やまいも、納豆、すっぽん……、手に入るかご両親に相談してみましょうか」
「それはやめてくれ。性活をあからさまにしすぎだから……。買うんだったら自前で買うから……」
 両親に知られるとか最悪だろう……。
 優佳さんもそれを察したようですぐに同調するように頷いた。
「……自前で、買うのです、ね?」
 そして、彼女は顔を今までで最も赤く染め上げた。
「……」
 そこで俺はようやく自分が言った言葉の意味を理解することが出来た。
「わたくしは、……旦那様が望むのであれば何だって――」
「あーっ、そういうことは言うものじゃない!」
 恥ずかしさで俺の方が顔が真っ赤になりそうだ。
 会ってすぐの人に何を言っているんだろうか。
「わたくしの愛が少しずつ効いてきているのですね」
 うっとりとしているところ優佳さんには悪いが、その愛は麻薬か何かに違いない。
「その……、期待、していても、よろしいのですね?」
 しかし、何故だろう。
 その魅力には抗えないものがあるような気がしてならなかった。


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