ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
導入編
第6話:ダンボールは実は目立つ
「ところで、いつ婚姻届は出しましょうか? 旦那様の誕生日がよろしいですか? それともわたくしの誕生日ですか? それとも、今日出しますか?」
「え?」
「もしかして、ご実家の方に出す予定なのですか? それでしたら今度の休日にでも帰りましょう」
 今日も優佳さんは平常運転です。


 学生の本分は勉強にある。
 俺もまた大学生として最低限卒業できるくらいの単位は得なければならない。
 今日は午前中から講義があったため、通学に片道1時間かかる大学までやって来ている。
 午前の講義が終わると、大抵はサークル室に行き、そこで昼食をとるのが日課となっている。
「で、奥さんはどうなの? 仲良くやってる?」
「昨日は買い物に連れて行った。優佳さんはすぐに覚えてくれて助かるよ」
「へえ、一緒に買い物ねえ。お熱いことで」
 初芝はサークルの仲間で、ほぼ毎日大学に来ていることもあって、このサークル室で会うことも多い。
 そして、もう1人よくここで会う奴がいる。そいつとはゼミさえも同じであり、より顔を合わせるのだが……。
「今日は千葉は来てないのか?」
「んん? 私知らない。そのうちに来るでしょ。どうせまた、面倒事に引っかかってるんだろうし」
 初芝はそういう割に心配の素振りさえ見せない。
 このサークル室によく顔を出すもう1人である千葉は妙なくらいのお人好しである。しかも180ほどの身長に学業優秀、スポーツ万能、イケメンときてる。
 その彼の周りには、いつだって厄介事と恋愛沙汰を解決してもらおうとする人で溢れ返っている。
 千葉曰く、このサークル室は、唯一のオアシスらしい。
 と、千葉のことを初芝としばらく笑いながら話していると、部屋の扉が空き、クールフェイスが爽やかに手をあげて中へ入って来た。
「おーい、お前にお客さん。……ところで、いつ結婚したんだよ?」
「ん? 結婚……?」
 その言葉だけで客が誰かが分かってしまった。
 そして、千葉の後ろから優佳さんが姿を現した。和服でないだけまだ目立つ要素が減っているが、洋服でも可愛らしいので人目は惹くと思う。
 その優佳さんはまっすぐ俺のもとに来るといきなり頭を下げた。その行動にむしろ俺の方が焦ってしまった。
「どうしたの、優佳さん。何かあったのか?」
「旦那様。1人では寂しかったので、申し訳ないと思ったのですが来てしまいました。あのご迷惑でしたでしょうか?」
「迷惑じゃないよ。どうせ来るんだったら言ってくれれば連れて行ったのに」
 こうなった以上、仕方ないけど結婚の話が1人歩きしていそうで怖い。
 せめて千葉に会う前に俺が知っていれば彼女ということに留めておける可能性もあったのだ。
 しかし、現状その可能性は、露と消えた。
「そうそう。長月さんから聞いたんだけど――」
 さらに千葉から話を聞いて、俺は絶望せざるを得なかった。
 優佳さんは、千葉に会うまでにかなり迷っていたらしい。
 そして、俺のことを聞きまくったうえ、関係を聞かれて妻と答えていたそうだ。
 千葉が一部始終を話し終えると俺は、明日からどうしようかと考えていた。
「まあ、大丈夫……。大学は広いんだから」
「聞いた中に知り合いがいたら、お前アウトだな。でも、何かあったら俺が協力するから心配はするな」
「…………」
「あっはっはっ、有名人じゃん。あ、友達からメールだ」
 何この差。千葉が同性じゃなかったら、まず間違いなく惚れていただろう。
 今でも、少しばかり惚れそうなのだけど、俺にはあっちの気はない。千葉にもないだろう。
 今はそれよりもこの目の前のことを考えよう。
「ところで優佳さん。優佳さんが話した人の中に俺の知り合いっていたか分かる?」
「そのあたりは大丈夫だと思います。千葉さんに会うまでは誰1人として旦那様の名前を聞いても要領を得ませんでしたから。あ、別に旦那様に友人が少ないということを言っているわけではないのです」
 わざわざ付け加えなければいいのに。
 でも余計なことを言って慌てふためく優佳さんを見ていると怒る気にもならない。
「分かってる。それより、お昼はもう食べた?」
「い、いえ、それがまだ……。散々迷っていましたので」
「そっか。それなら大学の案内がてら、飯でも食べるか」
「はい。ですが、よろしいのですか? 時間がないようでしたらわたくし1人で済ませます」
「……でも、さ。優佳さん、大学の食堂の場所とか分からないでしょ?」
 優佳さんはやや困ったような顔をして小さく頷いた。
「それなら一緒に行こうか」
 そう言うと、さっきまで戸惑っていた優佳さんの表情がぱぁっと明るくなるのが目に見えて分かった。
 ここまで分かりやすいと、清々しいものがある。優佳さんは「はい」とどことなく嬉しそうだった。
 外に出るために扉を開けてもう1度振り向くと、優佳さんは嬉しそうに笑うのだが左手を胸の前に置いて開いたり閉じたりして照れている。
 あまり時間もないので、行くよと言って右手を出すと優佳さんはおずおずとその手を取った。
「へえ、あんたにしては気が利くじゃない。私も、と言いたいけどここは夫婦水入らずで行っておいで」
「俺はここで飯食ったら、先に行って席でも取っておくかな。あ、午後はちゃんと来いよ。この前休んだ分のレジュメ写させてやるからな」
 俺達は千葉と初芝に追い出されるようにして、部屋を後にした。


 部屋を追われた俺達は早速学食へ向かうことにした。
 さっきまでいたサークル室はどちらかというと普段使っている学食からは遠い。歩けば5分くらいである。
 近くにもあることはあるのだが、そこはサークルの場所取りがひどく実質使えたものじゃない。
 最も大きい所なら、混んでいる時間であるものの何とか席はあるはずだ。そう考えている。それでも席取りはしないと食べられないのだけど。
 優佳さんは握った手を離さないようにするためか随分な力で握っている。おかげで俺の手は少し痛い。
「……あいつら、付き合ってると思うか?」
「え、付き合っているのですか?」
「いや、違うけど」
 他にも学部棟を説明するなど他愛のない話題を振りながら歩くと、学食が見えてきた。
 学食は地下1階、地上4階ある。1万人以上の学生がいるからそれくらいの規模は必要になってしまうのだ。
 中に入ると、ぱっと見空いている席がない。いつものこととは言え、人を連れていると余計に空席があればいいのに思う。
 とりあえず空いている席に荷物を置いて席を2人分確保すると、優佳さんと共に食券を買って列に並ぶ。そして、それぞれ頼んだ物を貰ってから席に戻る。俺が頼んだのは、値段の割に量の多いうどん、優佳さんはおなかが空いているのかAランチ(500円)だった。
「……それ、全部食べるんだ?」
「えっ? 健康な体はまず食事からです。これが野菜もあってバランスが良さそうだったのです」
 確かに一番バランスはいいと思う。けど、量がね……。
 と、俺が視線をAランチにやっていると、不意に優佳さんから声がかかった。
「あ、あの、旦那様。わたくし、1度やってみたかったことがあります。ご協力願えませんか?」
「できることなら何でも」
 そう言ったものの右手に箸、その下に左手を添えるスタイルにやや不安を覚える。
 にこりと笑い、優佳さんは右手をこちらに伸ばした。ああ、これは……。
「旦那様、あーん」
 場所を考えてほしいんだけどなあ……。
 俺達の正面に座っている男達は1度ちらっと視線をくれてから気まずそうに顔を背ける。
 むしろこっちが消えてしまいたい。
「旦那様、あーんあーんあーん」
 優佳さんは俺が口を開くまでやめる気はなさそうだ。
 諦めて優佳さんに食べさせてもらうと、すぐに次のおかずがスタンバイされていた。
「さあ、旦那様、あーん」
「ところで優佳さんはどうしていきなりこんなことを?」
 俺が息もつかずにまくし立てると彼女は涼しい顔をして答えた。
「はい、あーん、なるものを常々やってみたいと思っていました」
「……。場所は考えようよ」
「場所さえ考えればいいのですね!?」
 あ、いや、そういう意味じゃ、って聞いてないし……。
「旦那様」
「だから、ここでは「そうではなくて、わたくしに食べさせてください」
「え、なにそれ……」
「いきなり突飛だったでしょうか? ですけど、こうした積み重ねが夫婦の絆を深めるのだと思います」
「そんなの積み重ねても土台にならないと思うよ」
 しかし、俺の反論も空しく優佳さんは俺の左腕とぎゅっと抱きしめると、さあどうぞと言わんばかりにこちらに顔を向けた。
 何この羞恥プレイ。くそっ、このままじゃ、うどんがのびてしまう……。
「ところで聞いてもいい? これを実行するにあたって、うちの両親が何か言ってなかった?」
「後手に回るとよくないとお義母様がおっしゃっておりました。攻めて攻めて攻めて攻めて。そうすれば旦那様は落ちる、だそうです」
 ……くっ、さすがに我が母親。我が子のことをよく分かっている。
 いや、そうじゃない。何、勝手に人を売ってんだ。介護が必要になってから後悔したって遅いんだからな。あの母、父が介護が必要になる姿なんて想像もできないが、心の中で復讐を誓う。
「……分かった。今日だけだからな」
 2度とこの学食で食事できないだろうな。そう思いながら食べさせあいをすることになった。
 ただそれをして気がついたことがある。
 世の中、思ったほどバカップルみたいなことをしても周りは気にしないってことだ。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。