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無印、小箱編
10月小箱:ダンボール箱、駆ける
 かっこいいお父さんとは何だろう? 僕は昔、そんなことを考えたことがある。
 顔が良い? それは違うと思う。そうであってほしい。
 ……こほん、それはいい。少し話が逸れてしまったが、僕は子供の期待に応えることがかっこいいのだと思っている。
 妻に話したら、くすくすと笑われてしまったが。
「かっこ悪くても佳乃の『とーさま』は旦那様だけですよ」
「他に父親がいたら、泣くぞ」
「それは大変ですね」
 物凄い他人事のようにあしらわれてしまった。
 まあ、僕もビデオの撮影で忙しいので、そんなに気にしてはいない。
 少しでもいい場所で撮ろうと背の高いお父さん達を避けながらある程度の位置を確保してからはずっと立ちっぱなしだ。疲れがないと言えば嘘になる。
 座って見学できる所と、佳乃が最も映しやすい場所は違うのだ。しかし、そこは愛娘の晴れ舞台。ちょっと奮発して買った新しいビデオカメラで全部映しきるつもりだ。
 僕も周りの親と同じようにビデオカメラを回して娘の一挙一動全てを逃さないとばかりに撮影をしている。
「佳乃。こっち向いて!」
「優佳さん、真剣に佳乃が踊っているんだから邪魔しない」
「わたくしの声、聞こえないみたいです……」
「そりゃ聞こえるわけないさ」
 周りの親だって自分達の子供のいい場面を撮りたくて必死に声をかけたりしているのだから。
「旦那様は変に冷静ですね」
「去年、必死になって佳乃に声かけたのに全然聞こえなかったって言われたからなあ。しかも、声かけに必死になっててビデオが揺れてて何が映ってるのか分からない所があって、佳乃に怒られたんだ」
「そういえば、そうでしたね。腕ブレ補正まではついていませんものね」
 今年はちゃんと撮って佳乃に見直してもらうんだ。
 父親の誇りと娘の愛情がかかっているので僕も必死だ。
「大丈夫、今年は大きく手を振ったりしないから」
 この僕の言葉の後、優佳さんが僕を呼んだようだったけど、ちょうど踊りが終わったところでの拍手と歓声のせいで、その後の言葉が何一つ聞こえなかった。
 終わった後に聞くと、お昼は食べすぎたらいけないとのこと。
 午後は父兄参加の競技があるからだ。




 昼食が終わると、いよいよ午後の部の始まりだ。
「ママ、おひるごはん、おいしかった」
「お粗末さまでした、佳乃」
 昼食後、最初の競技は父兄による徒競走がある。
 まれにお母さんが登場することもあるが、専ら娘の幼稚園では父親が主役となっている。
 既にあちこちで参加者と思しき父親が体を動かしている。ジャージ、Tシャツ、新品であろう運動靴、中には駅伝ランナーのようなユニフォームまでいるから驚きだ。
「軽くストレッチでもしておこうかな」
「旦那様、随分と張り切っていますね。」
「去年と違って徒競争だからなあ。……佳乃と一緒に出来ないのが残念でしょうがない」
 一緒に運動する機会などそうそうあるわけでもないので期待を裏切られた感は強い。
 去年の二人三脚がぐだぐだの進行だったからやめたんだろうけど。
「とーさま。いっしょうけんめいおうえんするから、がんばって」
「ああ、頑張っちゃうぞ」
 佳乃には、こう言ったが今年はほどほどにしておこう。
 これでもまだ若いし、運動は苦手じゃないからそれなりに自信はあるが、無理すると身体にくるんだよな……。
 知らず知らず見ぬふりをしていたが、寄る年波には勝てないのだ。
 そんな嘘つきの僕は何だか後ろめたくなって早々にこの場を去ろうと踵を返す。しかし、くいくいと服を引っ張られる感触に振り向くと頬を膨らませて不満を表す佳乃の姿があった。
「ちゃんとがんばってね」
「……優佳さん」
「うふふ、さて、なんのことでしょうね? 佳乃は一番じゃなくてもいいから頑張る旦那様が見たいよね?」
「うんっ。……てぬいたら、めっ。ファイト」
 こんなに佳乃が僕のことを応援してくれたことがあっただろうか。
 もういいや。明日、筋肉痛でも。
 心底呆れるくらいに単純だと僕は僕自身を思う。
「佳乃、いってくる」
「うん、いってらっしゃい。……きをつけてね」
「気をつけてって、幼稚園はそんなに危ない所じゃないよ」
 僕は、バカのひとつ覚えみたいに笑って、佳乃の頭をわしわしと撫でた。
 佳乃が目を細めている姿を見て、このまま撫でていたいと強く思ったが優佳さんが視線だけで早く行けと急かすので名残惜しいけれど手を離す。
「あら、わたくしの真似ね。わたくしもしてもらえるのでしょうか?」
「優佳さん、後で話がある」
「帰りに湿布を買って帰りましょうね。マッサージもしてあげますから」
 優佳さんに軽くあしらわれて僕は参加者集合場所へと向かった。
 その途中、辺りは意気揚々と競争心をむき出しにした大人ばかりで思わず苦笑いが出てしまう。
 他人から見れば、僕もまたきっと同じように競争心むき出しなんだろうけど。
 一年で最も真剣になっている人も多数いそうな入場門は既に男の世界だった。



 僕が入場門にたどり着くと既に点呼が始まっており、点呼係の先生に聞こうと姿を探していると、僕の名前を呼ぶ声がした。
「長月さーん、こっち、こっち。今年もまた同じ組ですよ!」
「ああ、成田さん」
 知り合いの成田さんが僕を手招きしている。
 僕がそちらへ向かうと、一緒の組であろう知り合いばかりが目に入ってきた。
「今年もよろしくお願いします」
「今年はうちが勝ちますから」
「何を言うんだ、我々の絆を舐めてもらっては困る」
「はっはっはっ、今日の日のために1年間鍛えた私には勝てまい」
「今年こそは家族の信頼を取り戻さなくては」
 何と言う親バカばかりなんだ……。
 今年の相手は、僕の知っている父親仲間でも筋金入りの人ばかりだった。
 そして、家族から愛されていると思える人でもあった。
「どうぞお手柔らかに」
「いやいや、長月さんにばかりいい顔はさせません」
「その通り! どうやら大外からのスタートである私が有利なようですがね」
「ふふん、それを言うならばスタートダッシュのたかちゃんと呼ばれた僕こそが本命でしょう」
 冗談半分、ある意味本気で僕は目の敵にされているが、それには理由がある。
 それは去年の運動会のこと、親子二人三脚で同組一位になったことだ。
 その時の相手と、後に知り合いになった人で構成されるこの組は全員がライバルなのだ。
 根本が一緒なので気も合うのだけど。
「そこのお父さん達! 話を聞いてください!」
 だから、つい話が弾んでしまう。ここにいるのは、お父さんじゃない、大きな子供。
 そう言ったらきっとひどく納得されるような気がした。



 ついに来たか。
 佳乃の姿を探すと、可愛いのですぐに見つけることができた。
 周りの声援が騒々しく何を言っているのか全く聞こえないけれど僕の方を見て手を振っている。その隣では、優佳さんも小さく手を振っていた。
 僕が手を挙げて応えると、ふっと笑ったように見えた。
「よしっ」
 やるぞ。気合を入れ直して僕はスタートラインに立つ。カーブまではコースが決まっているものの、そこからはインに切り込むことができる。
 そこまでが勝負になるだろう。
「それでは、位置についてください」
 スターターの先生の声で、僕らは一斉に構えをとる。
 周りをちらっと見ると僕と成田さん以外はクラウチングスタートの体勢をとっており、気合を感じる。
 しかし、スタート台があるわけでもないし、無理しすぎなんじゃないだろうか。
 ……他人を心配している場合じゃないけど。
 僕はもう一度気持ちを入れ替えて前を向いた。
「よーい!」
「どんっ!」
 先生の掛け声とともに一斉に走り出す父親達。
「ぐぇ……」
 と、同時に誰かが肺の空気が無理矢理出たような声を出したような気がした。
 その声を無視し、僕らは走る。
 その人は終わった後に言った。
「慣れないことをするんじゃなかった……」
 幸いなことに子供の方から嫌われることはなかったので丸く収まったのではないだろうか。


 運動会も終わり、家路につく。僕がつい父親仲間と話していて少しばかり遅くなってしまったので既に陽が傾きかけていた。
 佳乃は疲れ切って眠ってしまったので僕がおんぶしている。
「ご苦労様でした」
「少しは佳乃にいい所見せられたかな?」
「佳乃はずっと旦那様のことを見ていましたよ。ずっと応援してて、わたくし、ついつい佳乃の方にカメラを向けていました」
 それって優佳さんは僕のこと見てなかったってことじゃ……。
 僕が訝しげに視線を向けると、傾き始めた陽が目に入るのか優佳さんは目を細める。
 両手が慌ただしく動くものだから荷物が阿修羅の腕のようになっていた。
「残念だ。優佳さんにも僕の雄姿を見ていてほしかったのに」
 わざとらしく僕が項垂れてみせると、優佳さんはビデオカメラを片手ににっこりと笑った。
 その顔に差し込んだ夕日が笑顔をより引き立てている。
「旦那様の活躍は入場から退場まで一部始終見ていましたよ。その合間合間はほとんど佳乃を撮っていましたけど……。む、その目は信用していませんね? いいです、帰ったらノーカットでビデオを見てもらいますからね」
「信頼してないわけじゃないよ」
 ただ、むきになって反論する優佳さんが何だか可愛らしいと思っただけだ。
 おかげで自然と笑みがこぼれてしまい、そのせいで優佳さんは拗ねてしまって僕がフォローに回る。
 もちろん、優佳さんが本気で拗ねているはずもなく、すぐに僕の隣に戻ってきて柔らかい微笑みを浮かべながら佳乃の寝顔を見ていた。
「今日は楽しかったですね。ふふっ、本当によく寝てる」
「ああ、今日は佳乃が一番頑張ってたから疲れても仕方ない。ところで、優佳さんは疲れてない? もうちょっと荷物持とうか?」
「いいえ、大丈夫です。そんなに心配しなくてもこれくらいどうということはありません」
「そっか。それじゃゆっくり歩いて帰ろうか」
「ええ、気をつけて帰りましょう」
 幼稚園の近くは親子が仲良く帰る姿が多く見られる。
 自信過剰かもしれないが、その中でも我が家が一番仲が良い。そう強く思った。


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