「旦那様。前が、前が見えません」
「どうして、ダンボール被ってるの!?」
段ボールを被っても隠密性は上がりません。
数日前に嫁入り道具と称した実家のゴミ、いや雑貨がやってきて2人しているものいらないものに仕分け作業をしている。
俺に対するものは大抵ゴミだったが、化粧品やら何やら色々と入っていて優佳さんにとっては宝の山だったりする。
その最中、今朝の新聞から1枚のチラシがはらりと舞い落ちたことがきっかけで俺は優佳さんをテーブルに呼んでいた。
「今日は、優佳さんに大事な話がある。我が家にとってとっても大事な話だから心して聞いてほしい」
「はい、旦那様」
今日も変わらず優佳さんは優しい笑顔を浮かべている。
朝食を作り、後片付けをして、こうして掃除まで手伝ってくれる。
頼りになる。……それはいいのだけど、まだ彼女には教えておくべきことがあるのだ。
優佳さんを呼ぶと、彼女は主人に呼ばれた犬のようにぱぱっと俺の所へやって来た。
「今日は優佳さんをスーパーに連れていこうと思う」
「旦那様、それならわたくしが行ってきます。買い物も妻の役目です。旦那様は家でゆっくりとしていらしてください」
「……優佳さん。はっきり言っておく。今の優佳さんじゃ、無理」
「そ、そんなことありません。確かに世間知らずでひ弱に見えるかもしれませんけど、旦那様への愛なら誰にも負けません!」
愛でカバーできたらどんなに楽なことか。
1円にかける主婦の執念を彼女はまだ知らない。きっと彼女は箱入りで育てられたのだろう。
「そうじゃなくて、スーパーは戦場なの。しかも、歴戦のつわものがごろごろといるの、分かる?」
「昔はお手伝いさんがいたので……」
やっぱり世間知らずなお嬢様だった。
でも、我が家で暮らす以上、それは改めてもらわないといけない。
俺がいない日に特売があれば行ってもらわないと生活が成り立たない。
ここで挫けて帰ってしまわないといいけど……。
そう思うのは優佳さんが来てちょっぴり独り暮らしが寂しく感じるようになってしまったからだ。
近所のスーパーは我が家から徒歩10分。駅と我が家の中間に位置する。
駐車場はそう多くなく、近隣の人々に支えられていることが分かる。
現在は午後3時を少し回った所で、客足はまだ多くはない。
「まずは、どこに何が売ってるか覚えてもらうよ」
「はい、旦那様」
俺達は特に買い物かごを持つでもなく、店内をぶらりと1周している。
優佳さんは俺の言うことをいちいちメモに取り、その目は真剣そのものである。
やがて1周し終えると、再び俺達は店の入り口に立っていた。
一応、店内を把握してもらったので、ここからは今日の話をすることになる。
「今日狙うのは、100グラム30円の豚肉だ。これは数量限定だから俺が行く。優佳さんは卵を確保しておいて。10個入りの方ね。後のは、そこまで安くないから後回しで」
「旦那様はどうしてお詳しいのですか?」
「独り暮らしっていうのは色々と鍛えられるんだ。まあ、金がないと言うのが理由の大半なんだけど」
だったらバイトを増やせばいいかもしれないが、大学に行っている以上勉強しないと後で両親に何言われるか分かったものじゃない。
バランスを取ると、思ったほどバイトの時間はない。
ちなみに今日は、バイトも大学もなかったりする。その暇な日に優佳さんに色々と教えておかないととても心配なのだ。
「旦那様。そのように焦らなくても数は十分に用意されるのではないでしょうか?」
「……」
何と言っても、世間をあまり知らないし、少し甘く見過ぎてるし。
おかげでつい構ってしまう。これも両親が見越したことなのだろう。
「もうすぐ分かるよ。優佳さんも」
そして、そうこうしているうちにいよいよ戦いの時間が始まった。
弱肉強食の狩りの時間である。
俺は、場所取りに成功し、あっさりと目的の肉を手に入れた。これもまた日頃の賜物である。
優佳さんはどうだろう?
心配になって卵売り場を見に行く。
「どいてください、あうっ、痛い……」
そりゃそうだ。
初めは俺もあんな感じで突き飛ばされたりしたものだ。少し懐かしく思いながらも、優佳さんに近づくと手を差し出す。
「大丈夫、優佳さん?」
「だ、大丈夫です。わたくし、まだまだやれます」
「気持ちはありがたいんだけどさ。怪我されても困るし、ちょっと待ってて」
優佳さんを制止すると俺は、特売に群がるおばさんの中に突っ込んだ。
肘鉄とか飛んでくるのを我慢し、千切っては投げ、千切っては投げを繰り返し、どうにか戦利品を無傷で手に入れることができた。
むしろ、卵は手に入れた後の方が怖いのは言うまでもない。何度もみくちゃにされたことか……。
「優佳さん、次行こうか」
「……はい」
自分が役に立てなかったことが悔しいのか、優佳さんは全く元気がない。
やっぱり買い物は難関過ぎただろうか。
これでやっぱり帰るとか言われるとちょっとどころではなく寂しい。
ここは1つ自信をつけてもらうしかない。幸い、超がつくほどの特売の品は買い終わった。とはいえ、まだまだ買い物するべきものはある。そもそも俺が最難関からさせたのが間違いだったのだ。
「優佳さん。まだまだ買うものあるから。最初からできたらみんな苦労なんてしないよ。挫折してそこでもう1度やろうとするか、それともやらないか。そこが大事だと思うな」
自分自身にもこればかりは言い聞かせるように言う。こちらは言い訳である。
そこで優佳さんは、そうですよね、と言って頷く。
しかし次の瞬間、何故か俺の服をぐいと引っ張り、思い切り引き寄せた。
「すみません」
「え?」
「あ、いえ、旦那様ではなくて……」
優佳さんが苦笑いを浮かべて、俺から視線を逸らす。
その先には子供連れのおばさんが、大丈夫ですよ、と笑っていた。
優佳さん曰く、俺が子供にぶつかりそうになったらしい。
俺も頭を下げると、おばさんは気にしないでと言うと向こうも頭を下げて去って行った。
優佳さんは、子供の姿が見えなくなるまで手を振っていた。その様子を隣で眺めていてふと思うことがあった。
「子供好きなんだ?」
「ええ。目標は子供3人です。……」
で、何故、俺に期待するような視線を向けるのだろう?
その理由は何となく分からなくもない。子供はコウノトリが運んでくるものじゃなく、受精によりできるものであり、俺は彼女の旦那様だ。
一応、夫婦ということなので、ここで普通に考えたら……。
「……と、ところで、今晩はお暇ですか?」
「それより、まずは買い物だ。まずは1人で特売が買えるように一緒に慣れていこうな」
そういう話はせめて家でしてほしい。
家でされた所でオーケーするかはまた別の話だけど。
「つまり、たくさん食べて精力をつけるということですね。分かりました、旦那様。妻としてここまで期待されて答えないわけにはいきません」
「ちょっと待て! って、早っ!?」
あれ? ついさっきまでの、ダメダメだった姿はどこへやら。
俺が持ってたメモ片手にテキパキと買うものをかごに放り込んでいる。
……これなら、俺が教えることなんてなかったんじゃないか。
まだ都会生活に慣れていない人に少しだけ都会をかじった強みを活かしてあれこれ教えるということさえできないというのか。
こんなちっぽけなことで対抗心を燃やすのは変かもしれないけど、せめて役に立たないと言われないように頑張っていこう。
帰宅後。
俺がカギを回し部屋の扉を開けるとスーパーの袋を持って優佳さんが先に入る。
続けて俺も中に入ると、荷物を置いた優佳さんは急に振り返った。
「おかえりなさい、旦那様。お風呂にしますか? ご飯にしますか? ……。それとも、わ、た、く、し?」
「……風呂も飯も準備してないから選択肢がないんだけど」
「……、うぁ……、わ、わたくしを……召し上がれ……」
「恥ずかしいならやめようよ……。俺もかなり照れる」
夫婦って難しい。
そう感じた夕時だった。
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